第88話 開戦②
アッシュ達は歯がみしていた。
そこは遊覧船・《シーザー》の船内。一階にある大食堂の奥にある厨房。
暗闇に身を潜め、アッシュとオトハは、外の――廊下の様子を窺っていた。
「ういーす。異常はねえか」
「おう。こっちは異常なしだ」
そんなやり取りをする声が聞こえてくる。
あの後、アッシュ達はあっさりと《シーザー》内に侵入できた。あまりの手応えのなさに拍子抜けな気分だったが、やはりそこまでは甘くなかったようだ。
侵入した船内は、各部屋はともかく廊下に関しては照明で照らされていたのだ。
これでは暗闇に紛れ込めない。しかも、定期的に巡回する見張りまでいるようだ。出会い頭に遭遇しそうになって、二人は慌てて厨房に隠れたのである。
(……くそ)
厨房の影で膝をつくアッシュは、内心で舌打ちした。
見張りの連中は恐らく外のごろつきの仲間なのだろう。動きは素人然としている。
しかし、外でたむろしていた連中とは違って職務には忠実なようで、単調な仕事を愚痴も言わずに黙々とこなしている。まあ、外の連中がごろつき二軍とすれば、さしずめカテリーナ辺りに選別・洗礼を受けたごろつき一軍といったところか。
「……どうするクライン?」
と、隣で同じく身を屈めたオトハが小声で尋ねてくる。二人とも夜目は利く方だがこの厨房はかなり暗い。読唇術を使おうにも唇の詳細な動きが見えない。
やむをえずアッシュも小声で返す。
「正直なところ、あんま時間はかけたくねえ。しかし、サーシャの居場所が分からない現状で強行突破すんのもな……」
アッシュは眉をしかめて悩む。
この広い船内のどこかにサーシャはいるはずだが、流石に場所まで分からない。 定番としては最上階にいそうな気もするが、確証などどこにもない。
果たして、ここはどうすればいいのか――。
その時、オトハが不意に提案した。
「なあ、クライン。いっそ《星読み》を使ってみたらどうだ?」
「……《星読み》だって?」
アッシュはキョトンとした表情を浮かべる。
《星読み》とは人の気配を感知する技法だ。
今や廃れている技なのだが、幸いにも二人はこの技法の使い手だった。これを使えば今船内にいる人間を把握できるだろう。
しかし――。
「けどよ、《星読み》って気配の区別までは出来ねえだろ? サーシャはハーフだから気配は大きい方だが、特定できるほどじゃねえぞ?」
と、アッシュは首を傾げて問う。
《星読み》はあくまで気配を探るだけの技法だ。もしサーシャが《星神》ならばその気配は一般人よりかなり大きく区別も可能なのだが、ハーフである彼女の気配は一般人より少し上程度。特定できるほど大きくはない。
するとアッシュの疑問に、オトハはかぶりを振って不敵に笑う。
「別に気配の大小だけが区別する手段ではないだろう。少し長く探ってほとんど移動しない人間がいるのならば、フラムである可能性は高いと思うぞ」
言われて、アッシュは少し目を丸くした。
「あっ、なるほどな。その条件でならかなり絞れるな。後はその中でも一番気配がでかいのが多分……」
「ああ、それがフラムだろう」
と、オトハがアッシュの言葉を継ぐ。
対して、アッシュは思わず嬉しそうな笑みをこぼした。
まさか、オトハの口からそんなアイディアが出てこようとは――。
アッシュはオトハの紫紺色の髪に触れると、くしゃくしゃと撫で始めた。
「な、何をする!? クライン!?」
いきなり頭を撫でられ、オトハは動揺の声を上げる。
まあ、動揺の中にあっても小声なのは、ある意味大したものだった。
「いや、一応今は二人だけだし別に撫でてもいいんだろ? それよりお前がそんな鋭い提案をするとはなあ。お前は少し脳筋――コホン。単純――ゴホン。ま、まあ、純粋すぎてそういう作戦とかは苦手だと思ってたよ」
「……お前は私を何だと思っているんだ。私だって作戦立案ぐらいできるぞ」
言って頬を膨らませるオトハ。しかし、これといった抵抗はせずただアッシュに撫でられるままでいるのは、何気に彼女も誉められて嬉しいのだろう。
が、いつまでもふざけ合っている場合でもなかった。
アッシュはオトハの髪から手を離すと、真剣な面持ちをする。
「さて、と。じゃあ、ちょい探ってみっか」
「そうだな。探るのは私がしよう」
オトハも真剣な顔つきで告げる。アッシュはこくんと頷いた。
「ああ、頼むよ。お前の方が熟練度は上だしな」
「分かった。少し待ってくれ」
言って、オトハは瞳を閉じて額に意識を集中させる。
そして彼女の脳裏には二十数個の光点が浮かんできた。
(やはりかなりの人数がいるな。さて、動きが少ないのは……)
そうして気配の動きに集中しようとした、その時だった。
「……え?」
オトハが唖然とした呟きをもらす。アッシュは眉根を寄せた。
「……? どうしたオト?」
「い、いや、待て……な、なに!?」
オトハが、驚愕――いや、困惑した声を上げた。
そして目を開き、アッシュの両肩を掴む。
「ク、クライン! その、何か、かなり訳の分からない状況みたいだ! お前も《星読み》を使ってみてくれ!」
と、眉をハの字にして告げてくるオトハに、アッシュは顔をしかめた。
「……? 一体何を言ってんだよ? サーシャは?」
「その話は後だ! とにかく――そう! 港の方を重点的に探ってみてくれ!」
オトハにかなりの剣幕で告げられ、アッシュは怪訝な顔のまま《星読み》を使った。
そして、数秒後。
「……はあ?」
アッシュもまた困惑の声を上げた。
「へ? ど、どういうことだよ! これってまさか……」
「や、やはり、お前もそう思うか?」
オトハが躊躇いがちに言葉を続ける。
「この気配――エマリアのものだろ?」
二人が感じた気配。すぐ近くの港方面にて、高速で移動する圧倒的な存在感。
これほど大きな気配を持つ者は一人しかいない。ユーリィだけだ。
「ユ、ユーリィが来てんのか!? なんで!?」
「わ、私に聞くな! それよりどうするクライン!?」
「い、いや、どうするもなにも……」
と、アッシュが困惑した表情を浮かべた時、
「おい! 大変だ! 侵入者だ!」
廊下から響いた声にハッとする。
まさか見つかったのか。慌てて気配を消して様子を窺う。と、
「マジか! どこだ! 船内か!」
「いや、違う! 港の方だ! 一本角の見慣れねえ鎧機兵が現れたそうだ!」
「くッ! 分かった! 俺が姐さん達に報告に行く――」
といった会話が届いてくる。
「「…………」」
アッシュ達は無言だった。
何となく、何となくだが、すべてを理解してしまった。
「……一本角ってアリシアだよな。あの子、どうやってこの場所に気付いたんだ?」
呆然とそう呟くアッシュに、オトハは頬をひきつらせて推測を告げる。
「……エイシスは頭が切れるからな。お前同様、推理のみでここに辿り着いたのかもしれん。しかし、エイシス、エマリアがいるということは……」
「当然、ロックとエロ僧も来てるってことか」
今回の旅行の引率者達は互いの顔を見合わせた。
そして二人揃って大きな溜息をつく。
まさか、この場所を探り当てるとは……。
(やれやれ、アリシアを少し見くびっていたか)
アッシュはかぶりを振った。
正直な話、アリシア達の心情を考えればこうなる懸念はあったのが、場所までは特定できないだろうと高を括っていたのだ。
(これなら、むしろ何か役割を与えた方が良かったかもな)
ともあれ、アリシア達をこのままにしてはおけない。
アッシュはオトハに目配せし、
「……オト、頼めるか?」
「……仕方あるまい。あいつらは私の教え子だしな」
オトハはこくんと頷いた後、アッシュの顔を見据えた。
「クライン。お前はフラムを頼む。必ず救い出してくれ」
「ああ、分かっている」
真剣な眼差しで返すアッシュに、オトハは笑みをこぼす。
しかし、不意に頬を引き締めて忠告する。
「……だが、気をつけろよクライン。これでお前は最悪グレッグとハリスの二人を同時に相手しなければならないんだ」
「……ああ、それも分かっているよ。サーシャを救出したら今回は逃げに徹するつもりだ。オト。お前もアリシア達を回収したら俺達の事は気にせず撤退してくれ」
そう告げるアッシュに対し、オトハは一瞬躊躇うような表情を浮かべるが、
「……ああ、そうだな。それがベストか。分かった、撤退する。ではフラムのことは頼んだぞクライン」
言って、オトハは厨房から大食堂へ進み、そして外の様子を気にしながら廊下へと消えていった。アッシュはそれを見届けてから、ぽつりと呟く。
「……さて、俺も行くか」
◆
一方、動揺していたのはアッシュ達だけではなかった。
「姐さん! 旦那!」
突如勢いよく開かれたドアに、ボルドとカテリーナは眉をしかめた。
ドアの前に立つのは、この街で雇ったごろつきの一人。
そこそこ見所があるので《シーザー》内の警備を任せていた男だ。
「……どうかしましたか?」
椅子に座るカテリーナが静かな声で問い質す。
ボルドと二人きりの時間を邪魔され、彼女は少しだけ不機嫌だった。
その気配を感じ取ったのか、男は大きな身体を委縮させつつ、
「い、いや、し、侵入者だ! 侵入者が見つかったんだ!」
と、不安をかき消すように大声で報告する。
安楽椅子に座ったボルドが目尻を微かに上げた。
「……ほう。クラインさんが見つかりましたか?」
「クラ……? い、いや、見つかったのは鎧機兵だ。一本角の鎧機兵の姿を港で見つけたらしい。今、外の連中が後を追っている」
男の報告にボルドとカテリーナは眉根を寄せた。
そして、カテリーナが詳細を問う。
「一本角? 機体の色は? 黒ですか? それとも紫紺色?」
「いや、黒じゃねえ。紫紺……って紫っぽいってことか? ならそれも違う。色は紫よりずっと明るい……えっと菫色ってやつだったそうだ」
「菫色の機体ですか?」
はて、とボルドがあごに手を当てる。全く心当たりのない特徴だ。
それはカテリーナも同様で小首を傾げていた。
「……気なりますねえ」
と呟くボルドに、カテリーナは視線を向ける。
「何かの罠でしょうか?」
「そうかもしれません。しかし、いかんせん情報が少ない」
ボルドはわずかな間だけ考え込む。
そしておもむろに口を開いた。
「カテリーナさん。申し訳ありませんが、直接様子を見に行ってもらえますか?」
このまま放置しておくには危険な気もする。
ボルドは最も信頼できる部下に任せることにした。
「承知しました」
カテリーナは立ち上がると、ボルドに一礼し、部屋を立ち去ろうとする。
が、その時、報告に来た男が声を上げた。
「ま、待ってくれ姐さん! もう一つ報告があるんだ!」
「……? もう一つですか?」
カテリーナが足を止めて振り向く。
「あ、ああ、実はさ――」
そう切り出して、気まずそうに顔を歪める男が語り始めた。
そして十数秒が経ち――。
「「……はあ?」」
それは、非常に珍しい光景だった。
セラ大陸最大規模の犯罪組織、《黒陽社》においても一目置かれる二人が、口を開けて目を丸くする姿がそこにあったのだ。
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