第七章 双つの《星》
第53話 双つの《星》①
未だ、夜の帳に閉ざされた森の中――。
この巨大樹の森においてなお一際背の高い大樹の洞にて、紫紺の鎧機兵・《鬼刃》は巨体を屈めて鎮座していた。
その姿はまるで夜の静寂を守る神像のようで、微動だせずに沈黙している。
「……ん」
と、その時、《鬼刃》の中でオトハ=タチバナは目を覚ました。
そして眉間を指で軽く押さえ、クスと笑みをこぼす。
(……ああ、久しぶりにあの頃の夢を見たな)
何とも懐かしい夢だった。自分の失態で危機に陥り、アッシュに助けてもらった事件。正直に言えば、若干恐怖も思い出す一件なのだが、やはり大切な思い出だ。
なにせ、あれが切っ掛けでどこか事務的だった関係が急速に親しくなったのだ。
まあ、あの後キャラバンに戻った時、胸元を抑えてどこか恥じらうオトハと、そんな彼女を愛称で呼んでいるアッシュの姿を見て、突如団長が鬼と化し、アッシュがガチで殺されかけるという一幕があったのだが、それも含めて、今では良い思い出だ。
(……まあ、それはさておき)
オトハは凛として表情を改めた。
「さて、と」
ふと周りを見渡した。
巨大樹の森は未だ暗い。時刻は午前四時といったところか。
「……睡眠時間は五時間程度か。まあ、充分休めたな」
と呟き、《鬼刃》を動かし洞から出る。
そして、紫紺の機体は樹海の大地に佇んだ。
「……しかし、《業蛇》か。流石、固有種だけのことはある」
言って、オトハは《鬼刃》の携える刀に目をやった。
それは《業蛇》と死闘を演じた際に使用した「火桜」ではなかった。
鞘に納められたその刀の銘は「崋山」。オトハが所有する愛刀の一振りだ。昨晩の内に転移陣を用いて呼び寄せたのだ。生物や食物には使用できないという欠点はあるが、これのおかげで武器には困らない。転移陣はやはり便利ものだ。
だがしかし――。
(……まさか、長年連れ添った「火桜」が逝くとはな……)
オトハは歯を軋ませる。「火桜」は《業蛇》との戦いでへし折れてしまった。
――魔獣、《業蛇》。「ドランの大樹海」の主。
決して侮っていたつもりはなかったのだが、想像以上の化け物だったという事か。
(……まあ、「火桜」の犠牲と引き換えに、相当な深手は負わせたが……)
結局、《業蛇》との戦いは痛み分けで終わった。オトハは愛刀を失い、《業蛇》は重傷を負った。そして命の危機を感じた《業蛇》が逃走したのだ。
一応撃退したのだからオトハの勝利とも言えなくはないが、もし、あのまま戦い続ければ無手の《鬼刃》は相当危なかったので、やはり痛み分けだろう。
「危険だと察するとすぐさま撤退か。やはり固有種はどいつも知能が高いな」
オトハは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
正直な話、《業蛇》がどうなったのか分からない。逃走の果てに力尽きたのか、それとも今はどこかで休んでいるのか。後者ならば今度こそ始末しておきたいのだが、この広い樹海の中で、どこかに隠れる《業蛇》を見つけることなどまず無理だ。
オトハはかぶりを振り、小さく嘆息した。
「はあ……、フラム達の安全のためにも奴は始末しておきたかったんだが……まあ仕方がない。《業蛇》のことは一旦頭から外すか」
ここは、もう一つの目的に専念すべきだろう。
そう判断したオトハは、おもむろに額に意識を集中させる。
使用するのは《星読み》。そう。アッシュが使った人の気配を探る技法だ。
オトハもこのレアな技法の使い手――と言うより、これはオトハがアッシュに教えた技法だった。
彼女はしばし眉をしかめながら気配を探り、不意に笑みをこぼした。
(……よし。エマリアはまだ「エルナス湖」にいるようだな)
昨晩探査した時から場所は変わっていない。
まあ、この時間帯ならまだ移動しないだろうし、そもそもオトハがここにいる以上、ユーリィを保護しているはずのサーシャ達も恐らく午前中ぐらいまでは「エルナス湖」に滞在するだろう。《業蛇》は始末し損ねたが、一応プラン通りだ。
(……後は「エルナス湖」周辺で網を張れば……)
そこでオトハはふっと笑う。かなり運任せだったプランが現実味を帯びてきた。これも自由に動ける機会を自分に与えてくれた《業蛇》さまさまか。
「まあ、何にせよ、今日が正念場だな」
覚悟を決めて、オトハは《鬼刃》を前進させる。
が、数歩歩いただけで《鬼刃》は足を止めた。《鬼刃》はゆっくりと振り向き、昨晩宿にした大樹の洞を見据える。
そうして、わずかな沈黙の後、
(ふふ、そうだな。ちょっと眺めてから行くか)
と、オトハが微笑を浮かべると同時に、《鬼刃》が大樹へ近付いていく。そして紫紺の鎧機兵は、果てない壁のような大樹の幹に掌を向けた。
すると、不思議な事が起こった。
すうっと《鬼刃》の巨体が浮いたのだ。
幹に手を触れている訳ではない。どうやってか《鬼刃》は片手を幹に向けた姿で宙に浮いているのである。そしてそのまま幹に沿って《鬼刃》はどんどん上昇し、大樹の葉で造られた天蓋を抜けると、空が見渡せる位置でピタリと止まった。
「……よし。ここなら拝めそうだな」
オトハの呟きに合わせて今度は横に移動した《鬼刃》が太い枝の上に足を乗せた。
流石は樹齢数千年の大樹。鎧機兵の重量にもビクともしない。続けて《鬼刃》は右手を幹に添えると、言葉通りの「樹の海」――遥かなる樹海を見渡した。
そうして、しばらくして――。
東の空が徐々に白む。夜が終わろうとしているのだ。
オトハは、目を細めた。
眩い黄金色の光。朝日が樹海を照らしていた。恐らくこんな絶景を眺める機会などそうはないだろう。オトハは満足げな笑みを浮かべる。
「ああ、いよいよ今日が始まるのか――」
思わずこぼれ落ちる呟き。
果たして、自分のプランはどうなるのか。
鬼が出るか蛇が出るか。どちらにしろ今日は特別な日となるだろう。
輝く朝日を見つめ、オトハはそう確信した。
◆
ユーリィ=エマリアの朝は早い。
それは日常とは違う状況であっても変わらない。
女子用テントの中、ユーリィは午前六時丁度にむくりと上半身を起こすと、ふわあっと欠伸をしながら大きな伸びをした。
そして横で寝ているサーシャとアリシアを起こさないように忍び足で歩き、テントの外へと出る。そこでも大きな伸びをした。
「うん。いい天気」
樹海の中では葉でほとんど覆われている空も、ここではよく見える。
空はどこまでも青く、白い雲は常に形を変えていた。
中々爽快な景色に微かな笑みを浮かべつつ、ユーリィは湖に向かった。顔を洗って気分をすっきりさせるためだ。手にはこっそり持ち出したタオルもある。
そして水辺に寄るとバシャバシャバシャ。
「……ふう」
冷たくて気持ちいい。
元々、ユーリィはアッシュとの旅生活でテント生活にも慣れているのだが、やはり水辺が近いと、何かとありがたいものだ。
そして、ごしごしと顔をタオルで拭いていると、
(……アッシュ……)
ふと、家族である青年のことが脳裏によぎる。
正直、ユーリィはアッシュに会いたかった。
昨日のサックの件は少しトラウマになっている。「もう大丈夫だ」と頭を撫でてもらって、ギュッと抱きしめて欲しかった。
ユーリィは若干ホームシックになっていた。
だからこそ彼女は、
(……うん。家に帰ったら、アッシュにいっぱい甘えよう)
そう決めていた。思い返せば最近あまり甘えていない。その代わりとばかりに甘えているのはオトハだ。本来、アッシュに甘えていいのは自分だけだというのに。久しぶりの再会ということで、オトハに少々気を遣いすぎていたのかもしれない。
ユーリィはこくんと首肯する。
(……うん。このままじゃいけない)
いつの間にか恋敵も増えてしまっているし、そろそろ攻勢に出るべきだろう。
だから帰ったら、絶対アッシュにギュッとしてもらう。
サーシャやアリシア、そしてオトハがどんな顔をしても必ずしてもらうのだ。
まあ、その前に今回の一件でこっぴどく叱られる事になるとは思うが。
「……むう」
今更だが、今回はかなりの無茶をした。
どうもこの平和な国に来てから、少し気が緩んでいるのかもしれない。
それに加え、認めるのはしゃくではあるが、オトハが一緒にいるので大抵の事は大丈夫だと高を括っていたのだろう。我ながら浅慮だったと呆れてしまう。
以前の自分からは考えられない行為だ。もっとしっかりしなければ。
と、早朝から一人反省していたユーリィであったが、ふと眉根を寄せた。
そう言えば、そのオトハは――。
「…………」
ユーリィは無言で周囲を見渡した。まず目に入ったのは二つのテント。ユーリィがついさっき出てきた女子用テントと、エドワードとロックが使用している男子用テントだ。そして、その奥には待機している四機の鎧機兵の姿が見える。
それは、昨晩から一切変わらない光景だった。
ユーリィは再び眉根を寄せる。
「オトハさん……一体どうしたんだろう?」
どうやら、オトハはまだこの「エルナス湖」に辿り着けていないようだ。
《鬼刃》が《業蛇》に負けた、とは考えられない。
ユーリィは今代の《七星》全員と面識があるのだが、彼らは全員が化け物だ。
たとえ固有種が相手でも遅れをとるとは思えない。万が一、不覚をとったとしてもオトハは傭兵だ。すぐさま撤退に移行し、したたかに切り抜けるだろう。
(……だったら何故?)
オトハが未だ合流できないのは何かしらの理由がある。
そう思うのだが、情報が少なすぎて判断できない。ユーリィは溜息をついた。
「……まあ、オトハさんなら何があっても大丈夫かな」
案外もうじきひょっこり現れるかもしれない。
そう前向きに考え、ユーリィは気持ちを切り替えた。
そして今度は湖に目を向ける。青い湖面は陽光に照らされ輝いていた。
「やっぱり綺麗な場所……」
ユーリィは目を細めて呟く。
こんな樹海の奥地でなければ、きっとよい観光名所となっただろうに。
しかし、だからこそ名残惜しい気がする。昨晩聞いたアリシアの話では、まず午前中まではオトハを待ち、それでも合流できなければ出立するそうだ。
この場でずっと待ち続けるよりも、一旦撤退してオトハの捜索隊を騎士団に要望する。それが、隊長代理であるアリシアの判断だった。
それはすなわち、この景色もあと数時間で見納めということでもあった。
ならば、あと一回ぐらい水浴びをするのもいいかも知れない。
ユーリィはそう思い、昨夜水浴びをした浅瀬の方へと目を向けて、
「……え?」
唖然とした声を上げる。
何故なら、その景色が昨晩と違っていたからだ。
「……なにあれ?」
と呟き、ユーリィは眉をひそめる。
青い湖や浅瀬を隠すように並び立つ木々はいい。それは昨夜と変わらない。
問題は、その浅瀬の前にドンと置かれた丸太だ。運ぶには鎧機兵が五機ぐらいは必要そうな巨大な丸太が、いつの間にか湖面前に置かれていたのだ。
昨晩はあんなものは置かれていなかった。
と言うことは、皆が寝静まっている内に何者かが置いたのだろうか。
「一体、誰が……えっ」
丸太を凝視していたユーリィは、不意にぱちくりと目を瞬かせる。
どうやら、まだ少し寝ぼけ眼だったようだ。よく見ればあれは丸太などではなかった。ピクリとも動かなかったのと、あまりにも巨大だったため誤認してしまったが、あれは恐らく生物だ。
そう。例えるなら、途轍もなく巨大な――。
と、そこまで考えた途端、ユーリィの顔から一気に血の気が引いた。
連想している内に、とある存在へと思い至ったのだ。いや、姿形からしてまず間違いない。あれは昨晩聞いた……いや、しかし、何故こんなところに――。
(……ううん。考えるのはあと。まずは……)
ユーリィは警戒しながら後ずさりし、女子用テントに逃げ込んだ。
そして、未だグースカと眠るサーシャとアリシアを叩き起こす。
「メットさん! アリシアさん! 起きて! あいつが、あいつがいる!」
しかし、二人は中々起きない。この非常時になんと呑気な。
業を煮やしたユーリィは最終手段を取る。いつぞやのように眠るサーシャに跨ると、小さな拳をギュッと握りしめ、
「えい」
「――ゴフッ!?」
と、サーシャから呻き声が上がる。腹部を押さえて悶絶するサーシャを背に、続けてアリシアの方へ移ると、再び「えい」という掛け声が上がった。
「――はうッ!? な、なに? 何事ッ!?」
アリシアも腹部を押さえて悲鳴を上げる。二人の少女は突然の痛みに眉をしかめつつ、何故か青ざめて佇んでいるユーリィを見上げた。
「……二人とも起きた?」
「う、うん」
「ど、どうしたのユーリィちゃん?」
年下の少女の迫力の前に、首を傾げるサーシャとアリシア。
すると、ユーリィはようやく起きた二人に、
「二人とも落ち着いて聞いて欲しい」
と、神妙な声で前置きする。
訳は分からないが、とりあえずサーシャとアリシアは頷いた。
ユーリィもこくんと頷き返す。
そして一拍の間を挟み、ユーリィはとんでもないことを淡々と告げた。
「あいつが――《業蛇》が、今ここにいるの」
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