幕間二 在りし日の夢

第52話 在りし日の夢

(――くそッ! この私が……ッ!)


 その日。オトハ=タチバナは危機的な状況にあった。

 ……功に焦った、と言えばそうなるのだろう。

 彼女が所属する傭兵団・《黒蛇》は約四十人の大所帯。

 その体制は少々変わっており、街から離れた場所にキャラバンを滞在させて拠点とし、街のギルドから受けた複数の仕事を、彼女の父である団長の裁量で団員の誰かに割り振るというものだった。


 しかし、オトハには最近まるで仕事が回ってこなかった。


(それもこれも、のせいだ……)


 半年ぐらい前に入団した一つ年上の少年。オトハは、よりにもよってそいつの面倒を押しつけられたのだ。仕事が回ってこないのはきっとそのせいに違いない。


 要するに、あいつの面倒で手一杯だと思われているのだ。

 まあ、別にそう思われるのはいい。面倒なのは事実だ。しかし、面白くない。

 他の団員達は忙しく護衛や討伐などと活躍しているのに、自分に仕事が回ってこないのは、まるで戦力外だと言われているような気分だった。


 本当に面白くない。確かに自分はまだ十四。子供と呼ばれる年齢だ。しかし、自分はあの《七星》さえ凌ぐと謳われる団長の娘なのだ。腕には当然自信がある。


 だから、オトハは今回少しズルをした。

 本来、父を通すはずの仕事を、皆には内緒で引き受けたのだ。

 仕事の内容は盗賊退治。構成員は約二十人。所有する鎧機兵はたった五機しかないという吹けば飛ぶようなチンケな盗賊団だ。


(まあ、この程度の連中なら私一人で充分だな)


 本来なら盗賊退治はチームで行うのだが、オトハはそれも無視した。

 オトハはこの仕事で証明するつもりだったのだ。

 片手間でもこの程度の仕事はこなせると。


 しかし――結果は失敗だった。

 森深くにある奴らのアジトに夜襲をかけ、四機まではたやすく斬り捨てた。

 だが、最後の一機を始末しようとしたところでオトハの愛機・《鬼刃》は不意打ちを受けたのだ。木々の影に隠れていた六機目の鎧機兵に。

 

 《鬼刃》の右足は巨大な矢で射抜かれていた。完全に油断していた。

 戦闘続行が不可能だと判断したオトハは撤退を決めた。即座に反転。右足を引きずりながら、どうにか逃走を試みる――が、

 

 ――ジャララララッ!

 

 怪音が空気を切り裂く。一歩遅かった。気付けば二機の鎧機兵によって《鬼刃》の左腕と首は鎖で絡め取られていた。魔獣などを捕獲するための鎖分銅だ。


「き、《鬼刃》……あッ!」


 そして、オトハが呻く間もなく《鬼刃》が後ろに引き倒される。ズズン、という轟音と共に立ちのぼる砂煙。一万ジン近い恒力値を誇る《鬼刃》でも、片足を損傷した状態で二機に引っ張られては踏ん張ることもできなかった。


 大きく揺れる機体の中で、オトハは歯を食いしばる。

 かつてない焦燥が胸を灼く。まずい、これはまずいッ! 

 すぐさま《鬼刃》を立ち上がらそうとするが、


 ――ズンッ!


(……え?)


 不意に響いた轟音に唖然とする。


「な、なん、だと……」


 オトハが目を見開いて《鬼刃》の右腕を見ると、そこには巨大な斧があった。

 手に持っていた刀ごと右腕を切断されたのである。


「き、《鬼刃》――くうッ!」


 思わず愛機を心配したオトハだったが、すぐにそれどころではなくなった。

 いきなり強い衝撃が機体に伝わってきたのだ。

 同時に、ギシギシと機体が軋み始める。どうやら鎧機兵の一機が《鬼刃》の頭部と左腕を無理やり抑えにかかっているようだ。

 

 オトハの顔色が一気に青ざめる。まさか、こいつら――。


『おい、しっかり抑えとけよ』


『へいお頭。分かってますよ』


『ふん。好き勝手にやりやがって。面ァ拝んでやらあ』


 やはりそうだ。こいつらは《鬼刃》の胸部装甲をこじ開け、オトハを引きずり出すつもりなのだ。その上、よく見ると周囲には十人以上の男達が囲んでいた。


「くッ、う、動け《鬼刃》ッ!」


 オトハは必死に《鬼刃》を動かそうとするが、ただでさえ倒れた状態で、しかも左足以外はすでに封じられている。脱出など到底不可能だった。


 そして、


 ――バキバキバキッ!


 遂に《鬼刃》のハッチである胸部装甲がこじ開けられる。オトハは息を呑んだ。


『――ケッ! 手こずらせやがって。さて、と。どんな奴が……』


 《鬼刃》の中を覗き込んだ鎧機兵は一瞬沈黙した。いきなり押し黙った首領に、周りの男達が「お頭?」「どうかしたんで?」と首を傾げる。

 すると、唐突に鎧機兵の男が笑いだす。


『ははっ、がーはははははっ! こりゃあいい! 大当たりだぞお前ら!』


 と言うなり、その男は鎧機兵から降りてきた。

 いかにも盗賊。筋肉隆々の大男だ。

 盗賊の首領は手下達を見下ろして、心底楽しそうに宣言する。


「おう! てめえら! 喜べ! 今夜はたっぷり楽しめそうだぜ!」


「お頭? そりゃあどういう意味で?」


 問う手下の一人に、首領はにやりと笑い、


「がははっ! こういうことさ! おら、出てきやがれ」


 首領はそう言うと強引にオトハの手を掴み、《鬼刃》の中から引きずり出した。


「は、離せ! 貴様!」


 オトハの気丈な啖呵も、首領の男とっては子犬が吠えているようなものだ。


「がははっ! 中々活きがいいじゃねえか! おらよ!」


 言って、少女を物のように男達が群がる地面へと放り投げる。


「――くッ!」


 地面に叩きつけられ呻き声を上げるオトハ。周りの男達が「おおッ!」と色めき立つ。その声にオトハはハッとして周囲を見渡した。


(――ヒッ)


 そして背筋が凍りつく。

 周囲の男達が今まで見たこともないような視線で自分を凝視していたのだ。例えるなら、まるでハイエナの群れに取り囲まれたような光景だ。


「……あ、い、いやあ……」


 思わずこぼれる普段は使わない少女としての声。

 それが男達の嗜虐心をかえって煽ったのだろう。下卑た笑みを浮かべながら、ジリジリと十人以上の男達が近付いてくる。

 オトハは恐怖から身動き一つどころか、声さえも立てられなかった。

 と、その時、


「――おい! てめえら! まだがっつくんじゃねえ!」


 首領の一喝が場に響く。

 手下の男達からは一斉に「え~」という文句を上がった。


「うっせえ、てめえら! てめえらにもちゃんと後でくれてやるよ!」


「ああ! ずっけええ! またお頭からっすか!」


「え~~、お頭の後って大抵やりすぎで壊れちまってるじゃねえっすか」


「だからうっせんだよ! こんな上玉、味わうのは俺からに決まってんだろうが! てめえらには今度ゆずってやっから我慢しな!」


「「「へ~い」」」


 まるでその台詞を待っていたかのように揃って声を上げる手下達。

 首領の男は舌打ちした。


「ちっ、現金な奴らめ。ふん、まあ、いいさ。それよりも……」


 首領の男はどしどしとオトハに近付くと、怯える少女に野卑な笑みを見せ、


「へへっ、またせたな嬢ちゃん。まあ、見たところまだガキのようだが――」


 そう呟きながら、オトハの胸元に片手を伸ばして彼女を持ちあげる。そして腰からおもむろに大型ナイフを取り出し、黒いレザースーツを引き裂こうとする。


「ヒッ! い、いやああ! やめて――」


「おいおい、暴れんなよ。肌まで切れちまうぜ」


 言って、男は慣れた手つきですうっとナイフを動かした。

 耐熱、耐冷に強いレザースーツも、流石に耐刃性までは持ち合わせてはいない。スーツはあっさりと切り裂かれた。

 そして、オトハの白い肌が露出する。


「くくくっ、体の方は充分食い出がありそうだな」


 オトハの目が見開かれる。

 男の言葉を理解できないほどオトハは子供ではなかった。


「や、やめて、お願い……」


「がははっ、まあ、そんな嫌がんなって。夜は長いんだしな。仲良くしようぜ!」


 と、どこまでも下卑た笑みを見せる大男。

 オトハは絶望した。彼女は今日、一人で来た。誰も助けてなどくれない。


(わ、私は、こんなところで、こんな奴に――)


 と、思ったその時だった。


 ――ズドンッ!


 突如響いた轟音に、その場にいた全員が呆気にとられた。


「な、何だ!」「うわあああ!」「お、おい! あれは!」


 そして、次々と上がる手下達の声。

 オトハは、未だ呆然とした表情でその光景を見つめた。


 そこには、黒い鎧機兵がいた。

 何の装飾もない機体。恒力値も三千五百ジン程度しかない訓練用の機体だ。

 しかし、その鎧機兵は現れるなり《鬼刃》を抑えつけていた機体を拳で大破させ、さらには無人のまま佇んでいた首領の男の機体まで尾の一撃で薙ぎ払った。


 そして逃げ出す盗賊達は無視して、ゆっくりとオトハ達に近付いてくる。

 首領の男は突然のことで動くこともできなかった。


『……タチバナ。無事か』


 そして、鎧機兵から声が聞こえてくる。それはオトハのよく知る声だった。

 アッシュ=クライン。オトハが今指導している少年だ。どういう訳か彼が助けに来てくれたのだ。そう分かった途端、思わずオトハは安堵の声を上げてしまった。


「ううぅ、ふええェ、ク、クライン……」


『……? 何だ? そんならしくない声を……』


 と、台詞の途中でアッシュの声が止まる。

 オトハの胸元が無残に切り裂かれているのが目に入ったからだ。さらに言えば、明らかに悪党面の男が彼女の胸ぐらを掴んで持ち上げている。


『……おい、おっさん……』


「お、おう」


 どすの利いたアッシュの声に、首領の男がどもりながら応じる。

 アッシュは淡々と言葉を続けた。


『今すぐタチバナを離せ。人質なんて考えるなよ。てめえの頭だけを弾くこともできんだぞ。俺がそれをしないのは、タチバナを血まみれにしたくねえだけだと知りな』


「わ、分かった……」


 アッシュの声から本気度を感じ取ったのだろう。首領の男はゆっくりとオトハを降ろした。オトハはそのままペタンと座り込む。


「こ、これでいいだろ?」


『ああ。じゃあ、とっとと失せろ。目障りだ』


「ホ、ホントか! 見逃してくれんのか!」


『……早く失せろ。塵にされたいか?』


「――ヒイ! わ、分かったよ……」


 と言って、首領の男は森の中へと逃げ去っていった。

 後に残ったのは呆然と座り込むオトハと、鎧機兵に乗ったアッシュのみ。

 アッシュは胸部装甲ハッチを開き、地面に降り立った。


「……タチバナ。大丈夫か?」


 アッシュはオトハに声をかけるが、彼女からは返事はない。


「……タチバナ?」


 訝しげに眉根を寄せたアッシュは、片膝をつきオトハと目線を合わせた。

 すると、オトハはビクッと震え、胸元を両手で隠して後ずさる。


「……タチバナ? どうした――」


「こ、こないで……」


 アッシュは大きく目を見開いた。それは初めて聞くオトハのか細い声だった。

 少女は未だ震え続けている。どんな目にあったのかは想像に難くない。


(……タチバナ……)


 アッシュはしばし熟考した後、


「……オト。しっかりしろ」


 恐らく、オトハが最も信頼を寄せる人間が使う愛称を拝借させてもらった。

 これなら彼女の心に届くかもしれない。


「オト。もう、怖いことなんてない。怯える必要なんてない」


 そう言ってアッシュは微笑んだ。

 続けて何度も「大丈夫だ、オト」と呼びかける。

 オトハはしばしアッシュを見つめたまま呆然としていた。

 しかし、彼に名前を呼ばれる度に、その心は少しずつ落ち着いていった。そして不意に肩の力が抜け、ぺたりと両手を地面に着ける。


「……ク、クライン」


「ああ、少しは落ち着いたか」


 アッシュは内心ホッとする。どうやら効果はあったようだ。


「あ、ああ、すまない。私としたことが……」


 台詞の途中から徐々に頬が赤くなる。思い返せばとんでもない失態だ。


「……うぅ、こ、このことは父――団長には……」


「ああ、秘密にしといてやるよ。けどな、タチバナ……」


「……? 何だ。クライン」


 首を傾げるオトハに、アッシュは深々と溜息をついた。


「前から言うべきかどうか迷っていたんだが、この際だ。言っとくぞ」


「な、何を、だ?」


「はっきり言うぞ。タチバナ。お前、女として無防備すぎだ」


「……は?」


 オトハはキョトンとする。


「一応、男の視点から感想を言うぞ。お前は凄く可愛い。その歳でもうプロポーションは抜群だし、顔立ちだってもの凄く綺麗だ」


 いきなりそんなことを言うアッシュに、オトハは赤面する。

 こ、これはもしかして口説かれているのだろうか……? 何故このタイミングで? いや、そもそも彼は、ずっとそんな目で自分のことを――。


「まあ、俺が知る限り二番目に綺麗だな」


 ……何故だろうか。少しイラッときた。


「とにかく俺が言いたいのは、お前は『戦士』であろうとするあまり、どうも『女』の自覚が薄いんだよ。無防備ってか、恥じらいがないって言うか……まあ、《黒蛇》はほぼ男所帯だし、少々ガサツになっても仕方がねえかもしんねえけど」


 と、アッシュは言う。


「……『女』の自覚?」


「そう。例えばだな、俺みたいな野郎なら、さっきの状況だとただ殺されるだけだ。けど女のお前はそうはいかねえ。正直な話、お前を見てよからぬ感情を抱く男は多いと思うぞ」


「…………」


「だから、お前は俺以上に慎重にならなきゃいけねえ。それが『女』の自覚だ」


 男の俺に言わせんなよ、と最後に付け足し、アッシュは言葉を締めた。

 オトハは呆然としながらも、アッシュの言葉の意味を考えた。


(……確かに私は無防備だったかもしれない)


 今回の件はまさにそうだ。オトハは自分が敗北する可能性を全く考えなかった。もし敗北すれば死より恐ろしい目にあうかもしれないことも。

 これでは無防備だと言われても仕方がない。


「……分かったよ。クライン。確かに私は無防備だった。これからは肝に銘じよう」


 と、オトハは決意を新たにして告げる。

 しかし、アッシュは深々と溜息をついた。


「な、何だ? 何故溜息をつく?」


「……あのな、タチバナ。まだ自覚が足んねえよ」


「な、何を……私はちゃんと……」


「ちゃんとしてんなら、まずそれをなんとかしろ」


 ジト目になったアッシュはそう告げると、オトハの胸元辺りを指差した。

 オトハは眉をしかめつつ自分の胸元に目を向けた。そこにあるのは切り裂かれたスーツと晒け出された白い肌だ。


「……あ」


 自分の惨状を思い出し、オトハの顔がカアアァと赤くなる。


「……うわ、うわあ!」


 そして困惑の声を上げて、オトハは胸を抑えて前かがみになった。


「うん。そう。何だ、ちゃんと恥じらえるじゃねえか。けど、そのポーズは逆に谷間が強調されるからやめた方がいいぞ」


「う、うるさい! 黙れ! 冷静に選評するな! ヘンタイめ!」


 そう罵詈雑言を飛ばすと、オトハは胸元を両手で隠しながら立ち上がる。

 そして、アッシュを無視しておもむろに歩き出した。

 ほぼ大破に近い愛機の状態を確認するためだ。

 しかし、ふと足を止める。続けてアッシュの方へと顔だけ振り向かせる。


「…………」


 オトハは、しばし考え込むように押し黙っていたが、


「……なあ、クライン」


「……? 何だよ」


 オトハはじいっと彼の様子を見つめてから口を開いた。


「今日は助かった。ありがとう」


「……いや、構わねえよ。たまたまお前の様子がおかしいのに気付いただけだし」


「それでもだ。だから、私はお前に感謝の証を贈りたい」


「……はあ? 一体何をくれんだよ」


 そう尋ねるアッシュに、オトハはクスリと笑う。


「特権だよ。私の父しか持っていない特権。そう。クライン、お前は……」


 一拍置いて、彼女は笑みを深めて告げた。


「今日から、私のことを『オト』と呼んでもいいぞ」


 アッシュはポカンとした表情を浮かべ、


「……はは、何だよ、それ」


 そう言って笑った。


「……む、笑うな。私は真剣だぞ。いいから呼べ」


「ははっ、分かったよ。オト」


「うん。それでいい」


 アッシュの返事に、オトハもまた笑う。


 それは他愛もない感謝の証であり、信頼の証でもあった。

 しかし、それが、すべての切っ掛けとなる。

 後に、オトハは思う。

 きっと、この日から自分の恋は始まったのだ、と。

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