幕間二 それは、とある密林にて

第38話 それは、とある密林にて

 ――ズシン、と。

 巨人の足が大地を踏みしめる。


(……大分奥地まで来たな)


 その巨人――鎧機兵の操手・シン=ライガスは空を見上げた。

 しかし、青い空は見えない。見えるのは遥か頭上で天蓋のように広がる大樹の葉。今が日中であることを示すように、微かに木漏れ日だけが差し込んでいる。

 そこは、途方もなく巨大な密林だった。

 民家の一階に並ぶ大きさの鎧機兵が、まるで小人のように見える巨大樹の森だ。


(……ここに来るのも九年ぶりか)


 昔を懐かしむように、目を細めるシン。

 王都ラズンに最も近い大森林「ラフィルの森」。その森を通り抜け、さらに南下した位置にある大密林「ドランの大樹海」。それがこの密林の名前だった。


『……隊長? どうかされましたか?』


 一瞬だけ立ち止まったシンの機体を不思議に思ったのだろう。後方から部下の声が聞こえてくる。シンは苦笑すると、後ろに機体を振り向かせた。


『いや。何でもない。ただ懐かしくてな』


『ああ、そうでした。隊長はここの調査は二度目でしたね。しかも、隊長は十年前の、あの《大暴走》でご活躍されたとか……』


 どこか英雄に憧れるような弾んだ声。まだ二十代前半、十年前は少年であり、あの事件の詳細を知らない若い部下に、シンは苦々しい思いを抱いた。


(……俺は活躍などしていないさ)


 シンが騎士になったのは十六年前。十九の頃だった。

 子供の頃から「自分がこの国を守るんだ」という志を抱いていたシンは、魔獣などの外敵から王都を防衛する第二騎士団に入団した。この緑色の騎士服を身に着けた時は、本当に心が躍ったものだ。

 初々しい頃の自身を思い出し、シンは再び苦笑をこぼす。


(いや、この気持ちだけは今も変わらないな。いや、むしろあの頃よりも……)


 グッと操縦棍を握りしめる。

 戦争経験がない平和な祖国。されど魔獣の脅威だけは存在した。

 シンは日々訓練に明け暮れながら、王都を含めた各町村近く現れた魔獣を討伐して日々を過ごしていた。

 

 そうして経験を積み、周りからも信頼を得たある日のことだった。

 あの、アティス王国最大の危機と呼ばれる事件――《大暴走》が起きたのは。

 実は、その「現象」とも呼ぶべき事件は、およそ十年に一度発生するものであり、当然王国には備えがあった。しかし、あの時は完全に想定を超えていたのだ。

 

 シンはグッと唇をかみしめる。今思い出してもあれには身震いする。

 まさに壮絶な事件だった。

 王都にこそ被害はなかったが、各町村は半壊状態。国民にも犠牲者が出た。事態に立ち向かった多くの騎士達が命を落とし、シンはその時、片目と友人を失った。


(あの時は、本当に多くのものを失った……。部下も友人も、そして……)


 シンは記憶に導かれるように見えなくなった左目に触れる。

 光を失った瞳。しかし、この目には、今でもあの光景が焼きついている。

 光輝く銀の髪をなびかせて、剣を片手に戦う彼女の姿が――。


『ライガス隊長? どうかしたんすか?』


 と、その時、別の部下が声をかけてきた。


『……いや、何でもない。それよりも急ぐぞ。もう少し奥まで調べておきたい』


『『『了解』』』


 シン達は今、五人編成の小隊で任務に当たっていた。目的は魔獣の生態調査だ。

 この世界には「魔獣」と分類される獣がいる。

 二セージル級から最大十セージル級までいる好戦的な獣の総称だ。

 その姿は多種多様であり、四足獣もいれば類人猿や鳥類もいる。一説では魔獣は《夜の女神》に倒された《悪竜》の返り血を浴びた獣の子孫とも言われているが、真相は定かではない。


「まあ、魔獣のご先祖様が何なのかなんて、俺達には何も関係ないからな」


 シンは機体を慎重に進めながら、そう嘯く。

 重要なのは自分達が任務を達成すること。そして、現在彼らがいるこの大密林「ドランの大樹海」が魔獣達の巣窟であることだった。


 いつどこから魔獣が襲い掛かって来てもおかしくない。

 ライガス小隊の面々は周囲を警戒しつつ、時には邪魔な藪を剣で切り裂き、一歩一歩確実に前進していった。そうしてしばらく進み、


「……今のところ魔獣はいないようだな。ここら辺には巣はないのか?」


 シンは複雑な思いで一息ついた。

 別に魔獣と遭遇して一戦交えたい訳ではないが、これはこれで調査にならない。

 この魔獣の生態調査は重要な意味を持つのだ。特にこの時期は――。


 と、シンが悩ましげに眉を寄せた時だった。


『た、隊長! あれを!』


『ッ! どうした! 何かを発見したのか!』


 殿を務める一番若い騎士の愕然とした声に、シンが眼光を鋭くした。

 すぐさま部下の機体が指差す方向へと視線を向ける。他の隊員も同様だ。


 そして――全員が驚愕で目を見開いた。


『はあッ!? 何だありゃあ!?』


『あ、あれって魔獣の死体だよな? けど、あの魔獣、十セージルはあるぞ……』


『……マジかよ。一体どうやったら、あんな風に……』


 若い騎士達が動揺する中、一機の機体がシンの機体に近付いてくる。シンの一世代後に入団した騎士。経験も豊富な頼れる副隊長だ。


『……隊長。これはもしや……』


『……お前もやはりそう思うか? いや、まだ結論を出すには早いか』


 シンは機体を動かしてその魔獣の死体に近付いていく。

 他の騎士達も後に続いた。

 そして間近で見る魔獣の損傷具合に、全員が眉を寄せた。


『……隊長。これって《尖角センカク》、ですよね……?』


『……ああ、《尖角》だな。それも十セージル級の成体だ』


 シンは緊迫した口調でそう告げる。

 《尖角》とは四足獣系の魔獣の一種であり、岩のような強固な外殻と大きな角を鼻に持つ魔獣だ。その突進力は凄まじく、城壁でさえ四、五回も喰らえば粉砕されると言われている。数多い魔獣の中でも最強の一種に数えられる種族だった。

 

 それが今、血だまりの中で横たわっている。

 しかも、その姿は――。


『こいつ……なんで腹が、内臓が丸ごとないんだ……?』


 騎士の一人が慄いた声で呟く。

 ――そう。目の前の《尖角》には内臓がなかった。

 岩の如き頑強な外殻は無残に砕けて散乱し、腹の部分に至っては、何かにえぐり取られたかのように、ごっそりと無くなっていたのだ。


『……隊長。やはりこれは……』


 確信を抱いた副隊長がシンに問う。


『……ああ、そうだな』


 シンは射抜くような眼光で死体を凝視して、ぼそりと呟いた。


『……恐らくは即死。死後、二時間程度といったところか』


『そ、即死って――だってこいつ《尖角》なんですよ!? 鎧機兵が五機ぐらいで殴りまくってようやく弱るような奴なんでしょう!?』


 部下の一人が驚愕の声を上げた。

 伊達に最強の魔獣と呼ばれている訳ではない。《尖角》の強さは折り紙つきだ。

 だが、シンにはそんな魔獣さえものともしない、たった一口で致命傷を負わせ、捕食する化け物に心当たりがあった。奴ならば《尖角》であろうが関係ないだろう。


 できれば信じたくない。あの化け物はまだ休眠中のはずだ。

 しかし、目の前の死体は――。


『……隊長。これはすぐにでも王都に報告しなければ』


『……ああ、分かっている』


 自分同様、あの化け物を知る副隊長の進言に、シンは頷いた。

 これは由々しき事態だ。

 すぐさま各騎士団の団長達。そして国王陛下にご報告しなければならない。


『よし。ライガス小隊はこれより王都に帰還する』


『『『了解』』』


 隊員達の応答を聞きつつ、シンは再び空を見上げた。

 この場所は先程よりも森が深い。わずかな木漏れ日さえ見えなかった。それは、まるで今の自分の心情を暗示しているようで……。


「最悪の魔獣――《業蛇ゴウダ》。貴様はまたこの国に災厄をもたらすのか」


 シンの呟きは誰にも聞かれることなく、森の静寂の中に消えていった――。

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