5月1日(木)-後編-

『もう、悠介君とは会えないよ。会わない方がいいよ……』


 栞からのそのメッセージに、どう返事をしていいのかずっと考えていたので、授業も板書を写すだけの作業となり、内容は全く覚えていない。

 結局、栞に電話もメッセージもすることはできず、あっという間に放課後になってしまった。


「どうすべきか……」


 会わない方がいいと言われてしまった以上、会いたいという気持ちを伝えるのを躊躇ってしまう。

 でも、栞のメッセージには「本当は僕と会いたい」という気持ちが込められているようにも思える。だけど、何か理由があり、僕とは会わない方がいいという気持ちの方が強いのだと思う。


「こうなったら、一か八かだな……」


 僕はスマートフォンを取り出して、


『何があったのか分からないけど、僕は栞のことが好きだし、栞と会いたい。鏡原駅の改札前で待ってるから、一緒に帰ろう』


 という内容のメッセージを栞に送った。

 栞に何があったのかは分からないけど、このまま何もしなければ栞に苦しい想いをさせてしまうだけだ。それなら、せめても「僕は栞に会いたいんだ」と伝えた方がいいと思ったのだ。そうすることで、栞の気持ちが変わるかもしれないし。


「よし、鏡原駅に行くか」


 栞は茶道部に入っている。ただ、活動がなければ、下校して既に潮浜線に乗っている可能性も考えられる。

 僕は八神高校の校門を出ると、八神駅まで走る。

 走って数分の距離でも、運動部の人間ではないので、到着したときにはかなり息苦しくなった。運動する習慣を身につけた方がいいかな。

 潮浜線に乗って鏡原駅に向かう。時間は約15分。

 鏡原駅に到着し、改札を出たときの時刻は午後4時になっていた。天羽女子の制服を着た女子が改札を通っていく姿が見受けられる。


「もう、帰っちゃったかな……」


 栞からの返事がないので、帰ってしまったのかどうかは分からない。部活があるならあと2、3時間待てば会える。ただ、今日が茶道部の活動日かどうか分からないのだ。先週の金曜日に栞と放課後に喫茶店に行ったから、金曜日にはないのは分かるんだけど。


「とりあえず待ってみるか」


 会える確証はないけれど。ただ、改札はここしかないから、まだ帰っていなければ確実にここで栞と会うことができる。


「悠介、こんなところで何してるの?」


 まさかと思って後ろを振り向くと、そこには亜実が立っていた。


「亜実こそどうしたんだよ」

「八神駅で電車に乗ろうとしたら、悠介の姿が見えて。この鏡原で降りたから、ついてきたんだ」

「そうなのか。電車の中で声をかけてくれても良かったのに」

「だって、凄く疲れていたように見えたから、声をかけづらくて……」


 数分くらいだけれど、全力で走ったからなぁ。鏡原駅に到着してやっと落ち着いた感じだったから、亜実が声をかけづらかったのだろう。


「ていうか、どうしてついてきたんだ?」

「あんなに疲れた悠介を見るのは初めてだったからね。興味が湧いたの。悠介はここで誰か待ってるの?」

「ああ。僕の彼女だよ」

「あっ、昨日会えなかった女の子だね。ただ、今日の悠介の様子からして、今日も会えなかったみたいだけど」

「……ご名答」


 本当に栞に何があったのか。僕に会えないと思うほどだから、相当なことに出くわしてしまったのだと思う。


「ねえ、あたしも会ってみたいから一緒に待ってもいい? 1人でじっと待っているよりも退屈しないで済むでしょ」

「そうだな」


 栞に会いたいって言うのだから、提案を受け入れる他はない。

 しかし、亜実と一緒にいる光景を見たら栞はどう思うだろうか。今朝、杏奈メッセージを送ってくるほどだ。変に勘違いをしてしまう可能性もありそうだ。栞と会ったら、ちゃんと話そう。


「彼女の名前って何ていうの?」

「日高栞」

「へえ、可愛い名前だね」

「そんな名前に負けず劣らずの可愛い女の子だぞ」

「……その栞ちゃんって女の子に、悠介がベタ惚れなのが一瞬にして分かったわ」


 栞のことが大好きで、彼女と付き合うようになったんだからな。そりゃあ、一目惚れからベタ惚れになりますよ。また、栞の嬉しそうな顔を見たい。


「ここで待っているってことは、日高さんは天羽女子に通っているの?」

「そうそう、よく分かったね」

「鏡原駅が最寄りの高校で真っ先に思い浮かぶのはその高校だしね。あたし達が住んでいる地域の女子なら一度は考えるところだよ。あそこは偏差値もそれなり高い高校だけれど……」

「じゃあ、亜実も天羽女子に受験するかどうか考えたわけだ」

「あたしは早い段階で八神を第1志望にしていたから、あまり考えなかったかな」


 自分は違うからなのか、亜実は少し恥ずかしそうにそう言った。

 僕の中学でも、天羽女子に受験するか悩む女子は結構いたな。それなりの偏差値の私立高校だから第一志望で受験した女子もいれば、滑り止めに受験した頭のとてもいい女子もいたな。


「日高さんは天羽女子に通っているんだ。じゃあ、電車の中で出会ったってこと?」

「ああ、そうだよ。入学してすぐだったかな」


 亜実、僕と栞の話を掘り下げようとしているみたいだ。

 そういえば、亜実とは一度も朝の電車で会ったことがないな。彼女の最寄り駅は畑町駅だけれど。ただ、亜実は朝礼のチャイムの直前に来ることが多いから、乗っている電車が違うのかな。


「何だか日高さんが羨ましいな」

「えっ?」

「だって、同じ電車に乗ったことをきっかけに惹かれたわけでしょ? それって、ありそうでなかなかないことだと思うから素敵だなって」

「正直言って、運命を感じたよ」


 こんな好きな人に出会うことは二度とないと思ったくらいだ。一瞬で彼女に心を鷲掴みされた。


「でも、そんな日高さんと昨日から会えてないんだ」

「ああ、そうなんだよ。誰にも話さなかったけれど、実は今朝……栞から『僕とは会わない方がいいん』ってメッセージが送られてきて……」


 僕は今朝、栞から送られてきたメッセージを亜実に見せる。すると、今まで面白がって訊いていた亜実の表情もさすがに複雑なものに。


「あぁ……これを見たらショックを受けるね。じゃあ、昨日会えなかったのも……」

「これが原因だと思う」

「日高さんが悠介と会わない方がいいと思う原因って分かってるの?」

「いや、全く見当がつかなくて。一昨日、デートをしたんだけど、本当に楽しそうで。だから、心当たりが全然ないんだ」

「へえ……」

「それで、一緒に帰ろうってメッセージを送って、ここで待っているんだ」

「ふうん……」


 亜実はあまり浮かない表情をしている。


「……彼女と会えるとは限らないんじゃない?」

「もう帰っちゃったかもしれないし、今日は栞の入っている部活の活動があるかもしれないから、しばらくは待とうかなって」

「そっか。本当に日高さんのことが好きなんだね」

「……ああ」


 早く会いたいって気持ちも強いけれど、栞と会える可能性があるなら何時間でも待つつもりだ。それに、栞に会うのが彼女の心を救う最善の方法だと信じているから。


「ねえ、悠介」

「うん?」

「今のあたし達の姿を見たら、あたし達ってどう見えるのかな。もしかしたら、カップルに思われちゃうかなぁ……なんて」


 頬をほんのりと赤くしながら言う亜実。


「そう見られるかもしれないね」

「ふえっ」

「どうしたんだよ、変な声出して」

「いや、まさか悠介がそんなことを言うとは思わなくて。ていうか、彼女がいるのに言っていいものなの?」


 何をあたふたしているんだか。


「カップルに見えるかどうかは僕達が決めることじゃない。それに、栞も僕達を見てそう思ったとしても、僕達はクラスメイトで友人同士だと伝えればいいんだから」

「……そうだよね。そう言えばいいだけだよね」


 そう言う亜実の笑みは作り笑顔のように見えた。

 僕と亜実は栞のことを待ち続けるけれど、栞が僕達の前に現れることはなかった。午後6時を過ぎて部活が終わったからか、天羽女子の生徒が再び多くなったけれど、栞を見つけることはできなかった。


「日高さん、結局来なかったね」

「そうだな……」


 今日はもう帰って、明日、会えるかどうかトライした方がいいかもしれない。


「ねえ、悠介」

「うん?」

「……もう、諦めた方がいいんじゃない?」


 今の言葉を態度でも表しているかのように、亜実の表情は妙に冷めていた。


「諦める?」

「うん、だって……会えないっていうメッセージがあったんだよ。悠介が会いたいってメッセージを送っているのに、全く反応がないし。日高さんのことを苦しめないためにも、諦めた方がいいんじゃないかな」


 そう言って、亜実は改札の方へと歩いて行く。


「とりあえず、今日は帰ろうよ」

「……そうだね」


 なぜだろう。亜実の後ろ姿が亜実じゃなく見える。

 あのメッセージが送られた理由を再び考えたとき、ふと、『灯台もと暗し』という言葉が頭をよぎった。



 その晩、今までのことを思い返すと、その言葉通りの一つの仮説が立った。とんでもない仮説ができてしまったのであった。

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