クテンの苦悩  ―モジ神話における新神族誕生の顛末―

黒井羊太

クテンの苦悩

 クテンは苦悩していた。

 己の存在意義について、存在理由について。

 隣のトウテンが声を掛ける。

「なあ、クテンよ。そんなに悩む事もあるまいよ」

 クテンは目も合わさずに応える。

「トウテンよ。そうは言っても、お前には分かるまいよ」

 そう、トウテンは自分とよく似ている。似ているが、違う存在なのだ。

 只の別人と言う事であれば、大した問題ではない。その存在理由が真逆である事が、クテンには苦しかった。

 ――トウテンには思い浮かびもしまい。この苦悩、この苦しみ。

 クテンの苦悩は、そもそもこの世界の成り立ちに起因していた。


――――――――――――――――――――――――――――――――

「文字よ、あれ」

 神の言葉により、文章の世界は爆誕した。

 広大無辺、白地の世界に完神かんじんと呼ばれる絶対神が存在した。完神のあらゆる行為により体中から文字が溢れ、それが意味ある文字配列、《文章》となった。

 《文章》はあまねく世界に広がり、やがて大海となり、それは《文面》と呼ばれた。

 面という名前の通り、完神から生まれた《文章》は、パタリと地面に落ちて、やがて折り重なっていく。折り重なった一番下は、時折消えてしまった。

 完神の世界は、埋め尽くされる事など想像も出来ぬ程小さな物であった。

 完神から溢れる文字は「漢字」のみであった。それ故、表現力に乏しく、世界は何とも寂しい色合いをしていた。完神には、これが寂しくてしょうがなかった。

 そんなある時、完神から二つの種族が分かたれていく。

一つは浜螺元名ひんらがんな神族。一つは貫多間那かんたかんな神族。

 やがて彼らも《文章》を作り始めた。完神同様、行為そのものが《文章》となる。

 《文面》は華やいだ。

 完神だけの世界の頃には、どこかの世界の成り立ちや小難しい内容のみであった。二神族が生まれて以来、より多くの種類の《文章》が現れるようになったのだ。

 歌、日記、小説…新しき文章、《文化的文章》と、それ以前の旧き文章、《記録的文章》とが分離する。

《記録的文章》は消えて無くなった訳ではない。一定数は存在するが、しかし《文化的文章》の爆発的増加の前には無いに等しい程であった。

 完神は、二神族の誕生を喜んだ。白と黒のみだった世界を、赤、青、緑と自由自在に染め上げていく二神族。二神族は決してお互いに仲が良い関係ではなかったが、完神にとってはどちらも我が子のよう。とても可愛がったそうだ。

 完神と二神族によって、世界は加速度的に埋め尽くされていく。


――――――――――――――――――――――――――――――――

「なあ、トウテン。僕らは一体何者なんだ?」

 クテンが問いかける。

「何者って…そんな事をいちいち説明しなければならないかい?」

 トウテンは不思議そうな顔で応える。

 クテンには、この回答は想像出来た。やはり、トウテンにはクテンの苦悩は理解できない。

 何という業を背負わされたのだろう。正直、時折クテンは完神を心の中で恨んだりもした。この世界におけるクテンに課せられた役割。存在理由は、クテンの心に想像以上に重くのし掛かっていた。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 完神と二神族による世界拡大は止まる事を知らず、やがて《文化的文章》は〈手紙〉や〈日記〉と呼ばれる形で、時間も空間も飛び越え始めた。

 幾つもの文章が折り重なり、十重二十重。それが時折うねりとなって大暴れ、あちらへ行ったりこちらへ行ったり。時には縦に伸びて見せたりし始めた。平面だった《文面》が、立体的になったのだ。

 完神は大いに喜んだ。二神族も、完神が喜ぶ様を見て喜んだ。

 だが、その事がやがて歪みを生み出し始めた。


 誤字、誤謬、誤読、誤解。更に脱字など、あらゆる事が世界を歪め始めた。

 加えて、二神族の反目がそれを悪化させる要因となった。

 お互いに《文章》を作り出そうと躍起になり、また相手を阻害し、低俗で無価値な《文章》が乱立した。

 更に悪い事に、二神族の中においても、更に新たな神々の誕生が爆発的に増え、収まりが付かなくなってしまってきていた。

 困り果てた完神達は、やがて一つの結論に行き着く。

「この《文面》の世界に秩序を。その為に、新たな神族をここに創造する」


――――――――――――――――――――――――――――――――

「と生まれたのが、僕ら新神族だろう?」

 トウテンはクテンに諭すように話す。

「正確には、僕、トウテンと君、クテン。ダクテンとハンダクテンの奴らを合わせて、だけどね」

 指折りながら、トウテンが呟く。

 そう。クテン達は新神族。世界に秩序をもたらす為に創られた新しき神族。生まれてきた《文章》を《区切り》、意味を明瞭にする為の存在。

 それ故に…

「まあ、二神族の皆様には散々になってるけどね」

 トウテンは苦笑混じりに言う。

 お世話なんて物ではない。クテン等新神族は二神族から迫害されている。

 ことある事に絡まれ、小突かれ、蹴飛ばされ、バカにされる。

 新神族にだって意地がある。最初の内は絡まれる理由も分からないので、逆らったり、言い合ったり、噛みついたりした。しかしそもそも体格が違う上に数の暴力。敵う訳もない。

 その内新神族は、面倒事に関わらないように彼らを避けて通るようになった。絡まれても関わらない。小突かれても怒らない。へらへら笑って、その場をやり過ごす。文字通り、「触らぬ神に祟り無し」。

 二神族の言い分はこうだ。

「我らの作り出した素晴らしい《文章》を寸断し、細切れとする奴らが許せない!」

「秩序をもたらす? 己等の都合の良い世界を構成したいだけではないか?」

 無茶苦茶である。新神族は、『《文章》を寸断し、細切れにして《文面》に秩序をもたらす事』を目的として生まれた存在だ。それをまるっきり否定されてしまっては、存在意義をまるまる否定されているのと同義だ。

「それにしても、あいつらは上手くやったよねぇ」

 トウテンは呟く。

 そう、ここにいないダクテンとハンダクテンは、そんな二神族にへつらい、やがてその末席に置かれるようになったのだ!

 そしたら奴ら、まるで生まれた時から“そう”みたいに、二神族として振る舞い始めた。クテンとトウテンを寄って集って小突き回し始めたのだ。

「だからといって、あんな風になんてなりたくないけどね」

「ハハッ、確かに」

「……僕らが生まれて、100年以上経った。いつになったら、僕らは正式な神族として認められるんだろうね」

「さぁねぇ。後100年もすれば、もしかしたら?」

「果てしないねぇ」

 見通しは限りなく暗かった。


 それでも、クテンはトウテンに本当の悩みはずっと言わなかった。

 立場は近しい。境遇も同じだ。だが、トウテンには理解できない部分があるからだ。


「さあ、僕らも役割を果たさなければ」

 トウテンはすくっと立ち上がり、数歩進んだ所でひらり、ひらりと踊り始める。

 トウテンの一挙手一投足から、点が漏れ出す。その点は無秩序だった世界を上手く切り分ける。

 例えばそこにある花。地面と茎、茎から枝、枝から葉までの境目が曖昧なままに存在していたが、点がそこに入り込む事で綺麗に分離し、色が明瞭となり、より鮮やかに咲き誇るようになった。

 トウテンの役割は、《文章》を切り分け、明瞭化するものであった。

 クテンは渋々立ち上がり、トウテンから少し離れた所で同じように踊り出す。

 クテンの一挙手一投足からは、丸が漏れ出す。その丸は、無秩序だった《文章》達を世界に固着させる。

 例えばここにある《文章》。木々の《文章》なのだが、トウテンによって境目は明瞭になったものの、まだ動物のようにうねうねと暴れている。そこに丸が付く事で『木々』としての存在を確定し、動かなくなる。その内、萎れて枯れるように、消えていってしまう。

 クテンの役割は、《文章》の終わりを確定させ、世界に固着させるものであった。

 クテンは、この光景が好きではなかったのだ。

 

 トウテンの役割によって、世界は華やかになる。クテンの役割によって、世界は活動を止め、やがて消えていく。

 生と死。まるで対照的なのだ。

 『』。クテンには、もう耐えられない行為だった。


 ふと、クテンは踊りを止めた。

 隣のトウテンはそれに気づき、踊りながら声をかける。

「クテン? 疲れた? まだ踊っていなければ、《文章》が大暴れしてしまうよ」

 クテンは答えない。黙って俯いている。

 しばらくの沈黙の後、トウテンはもう一度問いかけた。

「クテン? いい加減しないと怒るよ?」

「怒ればいいじゃないか。僕はもう、止めた」

 トウテンは、目をぱちくりとさせた。クテンは何を言っているんだ?

 クテンが踊りを止めてしまったら、この世界は“大変な事になってしまうのに“。

「クテン? 嘘だろ?」

「いいや、大マジだ。僕はもう、踊らない」

 クテンの意志は固かった。

 やがて世界は、変質を始めた。

 木々や草の成長は止まる事を知らず、天の果てまでぐんぐんと伸びていく。《文章》の中の人は皆、巨大化したり、目玉や口が増えたりと、異様な生き物となってゲラゲラ笑っている。建物はパースが狂ったようにぐにゃりと歪んでのたうち回りながら伸びていく。

 この光景が更に異様なのは、トウテンの踊りによって色彩だけは明瞭なまま変質しているのだ。境目ははっきりしているので、混じり合う事もなく、ただただ洪水のようにぐちゃぐちゃと入り乱れていく。そこには狂気がのた打ち回っていた。

 そして消えていくはずの文章が消える事なく蓄積するようになった結果、出来上がったあらゆる物によって、いびつな形の地面は急上昇していく。

「クテン!」

「イヤだ! 僕は踊らない! 見ろよ、この世界! 自由だ! 文章が死ぬ事もない!」

「こんなの、ただの異常な世界だ!」

「それでも良い! 殺すよりはずっと良い!」

 トウテンには理解できなかった。トウテンにとって、クテンの役割は、秩序を持って《文章》を終わらせ、世界に均衡を与える役割だと思っていた。

 それを放棄すれば、当然『こうなる』。更に悪い事に、最近では雑多な《文章》達が増殖しており、きちんと『終わらせて』やらなければ、どこまでも増加してしまうのだ。

 それを放棄するなんて。めちゃくちゃだ。

「神族に加えてもらえない事がそんなに不満か!?」

「それもある! けど、僕はこの役割がもうイヤなんだ! この、世界を殺す役割が!」

 万物が増殖を続け、器である世界は、徐々に軋み始めている。世界が《文章》に埋め尽くされ、やがて破裂して消滅してしまう!

 破綻しつつある世界の中で、僕とトウテンがぎゃあぎゃあと言い合っていると、

「何事か」

 背後から威厳のある声がする。この声は……!

 慌てて振り返るとそこには

「「か、完神様!!」」

 この世界の絶対神、完神がおわした。

 クテンとトウテンは平伏した。


「この騒ぎはなんだ。二神族達も慌てているぞ」

「こ、これは……」

 言い淀むクテン。すかさず口を挟むトウテン。

「クテンが己の役割を果たさぬと申しております。その結果がこれであります」

 事実だ。クテンの体中から、冷や汗がドッと流れ出す。

 完神は、この世界の造物主であり、絶対神であられる。何人も逆らう事は許されぬ。

「クテン。事実か」

「……はい。己の役割に嫌気が差し、果たすべき役割を投げ捨て、このような事態を招いております」

「何故」

「己の役割とは、《文章》を殺す行為に他なりませぬ。世の中の、一体誰が、好き好んで命を奪う行為を行えるでしょうか」

 あぁ、恐ろしい。完神様に口答えなど。言葉一つ並べるだけでも、己の矮小わいしょうな存在が消し飛んでしまいそうだ。

 だからといって、ここで妙に意志を曲げてしまっては、今後己をねじ曲げて生きていかねばならない。

 それだけは耐えられない。クテン、ここが己の意地の張り所だ。そう自分に言い聞かせながら、クテンは完神の言葉を待った。

「……クテン」

「はい」

「己の役割の先に、何があるか。考えた事はあるか?」

「……いえ」

「そうか」

 しばし沈黙が流れた。その後、再び完神は話し出す。

「クテン」

「はい」

「頼む」

「は?」

 言葉の意味が分からず、クテンとトウテンは顔を上げた。

 血の気が引いた。絶対神たる完神が、新神族に過ぎないクテンに頭を下げているではないか!

「完神様! お止め下さい!」「完神様!」

「私に出来る事は、この程度の事だ。二神族に頼まれ、この事態を打開すべくここへ来たものの、出来る事と言えば、お前に頼む事だけなのだ」

 クテンは後悔し、涙した。己の愚かな行為によって、完神様にこのような行為を強制してしまった。

 クテンの流した涙は丸となり、至る所に散らばった。そしてあちこちの《文章》の中にすうっと溶け込んでいく。丸の付いた《文章》は、やがてあるべき姿になって、徐々に消えていった。

 増殖し続けていた《文章》が見る間に消えていく。

 事態は収束した。


「完神様、申し訳ありませんでした。処罰は何でも受けます。どうか、私に罰を!」

 クテンは再び平伏し、完神に乞うた。しかし完神は優しく答えた。

「良い。事態は収まった。ありがとう」

「ですが!?」

「良いと言った。……己の手で己の息子を処罰など、させないでおくれ」

 クテンは再び後悔した。己が許されようとして、同じ過ちを繰り返す所であった。

 完神は、呟くように話し出す。

「私はな、この世界を愛しているんだ。最初は私だけの寂しい世界だった。見える限り、何もない世界だ。そこに二神族が生まれ、お前達が生まれ、私は本当に嬉しいんだ。

 私一人にこの世界をどうこうする力はもう無い。だが、良いんだ。皆がいて、世界が無限に広がっていく。

 やがて私が必要とされなくなる時も来るだろう。その時まで、お前達といさせておくれ」

 クテンとトウテンは、完神の顔を見て驚いた。あちこちに穴が空いている。顔だけではない。体中、見える所に穴が空いている。

 クテンとトウテンが悲しげにそれを見上げていると、完神はそれに気づき、優しく微笑んだ。

「失われた漢字もある。二神族の中にも、消えていった者達がいる。世界は常に変容し、この世界も常に同じ形ではない。

 だが、だからといって、全てに意味が無かった訳ではない。それぞれが役割を持って生まれ、必死に役割をこなし、役割を終えて消えていった。それだけだ。

 ……どれ、一つ、私の残された力で、お前達に少しだけ未来を見せてやろう」

 言うなり、完神はクテン達の額に手を軽く置き、ウンと力を入れた。

 フッと何かの力がクテン達の頭の中に流れ込む。酔っ払ったようにフラフラする。

「後ろを見よ」

 完神の声に従い、フラフラしながら後ろを見ると、見た事のない小さな子ども達が大勢いた。皆一様に、目をキラキラと輝かせ、僕らを見つめている。

 僕らはこの子等を…知っている?

「…コロン、カッコ、カンマ、シャープ、スラッシュ…」

 口にした事のない名前達。でも、不思議とこれがこの子等の名前だと分かる。

 呼ばれた子ども達は、呼ばれた順に元気良く「ハイッ!」と手を挙げながら答える。そして嬉しそうにえへへと笑う。

 何故だろう。不思議と温かい気持ちになって、涙が出てくる。


「どうだね」

 完神の声に、ふと我に返る。子ども達の姿は消えていた。

「完神様!今のは…?」

「少しだけ未来の映像だ。そしてあの子等はやがてお前達の神族の末席に加わる者達だ。

 そもそも私と二神族、お前達新神族は出自が違う。神話の上では私から生まれた事になっているが、本当はお前達は私から生まれたのではない。

 だから、同じ神族になろうとなどするな。最初から叶わぬのだから。

 クテン。お前は新神族の長となるべき者。我ら《文字》ではなく、彼ら《記号》を束ねる存在、筋護運きんごうん族の長に。

 己に課せられた役割の辛さに惑うな。役割を果たし続けた先に、初めて意味が生まれるのだ。役割が辛いからと言って、簡単に投げ出さないでおくれ。この世界には、これからもお前達が必要なのだ」

 クテンは頭を下げた。

「完神様の仰る通りです。私は恥ずかしい。目先の苦しみに囚われ、己に課せられた役割を投げ出し、『これは己の役割ではない』などと。心を入れ替え、トウテンと共に世界の秩序を守り続けます」

 クテンの決意に、完神は一つ頷き、次にトウテンに語りかけた。

「トウテン。お前はクテンを支えておやり。よく話し合って、クテンの苦しみをよく聞き、理解し、寄り添ってやるんだ」

「受け賜りました。必ず」

 トウテンはクテンと並んで平伏し、強く決意した。

 二人は後に筋護雲族の二大長、通称『クトウテン』と呼ばれる事となる。


 句読点…文章を読みやすく、理解しやすくする為の、切れ目や終始を示す記号。目上の人に送る書状(賞状、賀状)には、正しい日本語には含まれない為、用いる事はマナー違反である。

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クテンの苦悩  ―モジ神話における新神族誕生の顛末― 黒井羊太 @kurohitsuji

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