少女コデマリの惨劇
三月兎@明神みつき
第1話 前編
コデマリは、美しい少女だった。
コデマリは大正四年の四月、地方の集落にある、裕福な家の娘として生まれた。
当時としては珍しくもない、祖父母と両親とが暮らす家に、小間使いとがいた。
その名は、ちょうどその時期に花を咲かす
彼女の家の庭には、毎年の春に豊かに、美しい小手毬の花が咲いた。温厚な家の主人は、この花を大層好いていた。
コデマリや、コデマリ。わたしのかわいい娘。おまえはかわいいねえ。見えるかい、あの花が。あれは小手毬という花だ。おまえと同じ名だよ。小さい手毬のようだろう。おまえもそうだ。小さなかわいい子。おまえは私の宝だよ。
父親が四十を過ぎてから生まれたコデマリは、蝶よ花よとかわいがられ、育てられた。
六歳になったコデマリは、その名の通り小く愛らしい子供に育った。家族は次々におもちゃや着物を買い与え、目に入れても痛くないほどにかわいがった。
愛情を一身に受けたコデマリは、いつも明るい笑顔を見せ、近隣の者からも、誰からも愛される少女になっていた。
そんな秋の昼下がり、コデマリがいつものように外で遊んでいた時のことだった。
小間使いの男がコデマリから目をはなしたわずかの間に、コデマリは姿を消した。
お嬢さん、お嬢さん、どちらへ行かれましたか。
小間使いは最初こそ人の好い笑顔を浮かべながら言ったが、一向に返事は無い。
お嬢さん、お嬢さん、どこですか、どこにいらっしゃいます。
声を大きくし、右往左往するも返事は無い。小間使いの顔は瞬時に蒼白になり、屋敷へと飛んで帰った。
無論、屋敷は大騒ぎになった。祖父は雄叫びをあげ、祖母は泡を吹き、母親は神隠しだと半狂乱になった。父親はこの馬鹿者、おまえはどこに目をつけていた。コデマリはどこだと小間使いを激しく罵り、殴った。
父親は草履も履かずにそのまま飛び出し、大声でコデマリを呼んだ。しかし返事は無い。
尋常でない様子を聞きつけた近隣の者が顔を覗けると、父親は駆け寄り、皆に向かって、コデマリがいない、コデマリがいないのだ。どこかへ行ってしまった。迷子か神隠しか知らん、さらわれたとあれば只事でない、見つけてくれ見つけてくれ、礼はいくらでもする、と呼ばわった。
なにぶん大した娯楽も事件も無い集落である。お嬢さんの行方不明ともなれば、上を下への大騒ぎとなった。
即座に集落をあげての大捜索が行われた。
男は総出でコデマリの捜索に奔走し、女は恐々として自分らの家にこもるか、残ったコデマリの家族をなだめるかした。
父親は普段の温厚さが嘘のように、目をひんむき、ただただコデマリの名を叫ぶばかりで、冷静な思考を完全に欠いていた。
これにより、捜索の陣頭指揮は集落の若い者の
宇多次は、齢は二十六。早くに両親に死なれ、苦労をして育った。結婚はしておらず、当人は「機会を逃しました」と自嘲気味に言う。しかし真面目でそこそこ頭もまわり、毎日百姓や内職をして暮らし、誠実な男だと集落の者からの信頼も厚い男だった。
宇多次は集落の地図を持ってこさせ、誰はここの方面を、誰はあすこの方面を探すよう指示し、警察を呼んだら話が大きくなり、もし人さらいだったらかえって危険だと皆を説き伏せた後、自分は各方面からの報告を待つ、とコデマリの家に腰を据えた。中には警察を呼んだほうがいいと言う者もいたが、話が広がり、家名に傷がつくことを恐れた父親と祖父が、これを拒んだ。
しかし総出をあげての必死の捜索むなしく、コデマリ発見の報は日が暮れてももたらされなかった。
報告に来る者を見る度に、父親は今度こそ、と手を合わせ仏を拝んだが、それも甲斐は無く、一層悲しみと怒りが増すばかりだった。
夜になっても捜索は続き、藪の中、溝の中と、おおよそ考えうる場所の全てがその対象となった。終いには父親は、子供の足で遠くに行けん。ならば誰かにさらわれたのだとわめき散らし、あたりの者を手当たり次第に疑ってかかったが、これは憐憫を買うだけであった。そもそも誰か余所者が来れば、誰かの目につき、その話は電光石火に伝わる。田舎の集落というものは、そういうものである。
捜索は、三日三晩続いた。狭い集落である。それだけ探して見つからないとなると、これはもう神隠しでしょうと宇多次は父親に告げた。
それを聞いた父親は、不眠不休に弱っていたことも手伝ってか、萎えた気力は折れ、がっくりと突っ伏し、それきり動かなくなってしまった。家の奥からは、もう家族のすすり泣く声さえも聞こえなくなっていた。
これを見た者たちの思いは、子を失った父親に対する憐れみや、コデマリを見つけられなかった歯がゆさや、甲斐無き捜索が終わったことへの安堵やがないまぜとなった、複雑なものだった。
旦那、あきらめなければ、いつかコデマリちゃんはまた元気な姿を見せてくれるかもしれません。神隠しにあった者が、しばらくして何事も無かったかのように帰ってきたという話もあるじゃあありませんか。どうか気を落とさずに。コデマリちゃんが帰ってきた時、旦那が元気がないとコデマリちゃんも悲しいでしょうよ、ねえ、旦那……
宇多次は意気消沈した父親の前に正座し、ゆっくりと言った。父親はもはや魂が抜けたように、うん、うんとうわごとのように呟くだけだった。
かくして、コデマリは集落から姿を消した。
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