カニバル少女

庵字

序章 ガラスの指輪

 少女は幸せだった。

 恋人と手をつなぎ土産物屋の店先に並ぶ雑多な品物を見て回る。

 ガラス玉をはめ込んだ指輪が目に止まった。

 似たような指輪が一区画にまとめられているが、付いている値札の金額はまちまちだ。皆似たような品物なのに、何が決め手で値段に差が付いているのか分からない。

 子供の小遣いでも買える価格だが、蛍光灯に照らされた色とりどりのガラスは、値段以上にとても綺麗に見えた。


 店内には二人の他に客の姿はないが、平日の夜では無理からぬことだ。

 たまに店の奥から店主と思しき初老の男性が、ちらちらと二人を確認に来る。

 何か怪しまれているのかと思ったが違うようだ。

 店の入り口に掲げられた営業時間案内に閉店時間が記してある。その時刻まであと十分ほどしかない。客の少ない平日は、規定の営業時間いっぱいまで店を開けていることはまれなのだろう。ウインドウショッピングで粘るカップル客が店を出たなら、即座にシャッターが下ろされるに違いない。店主はそのタイミングを計りに度々店内の様子を伺いに来ているのだ。


「せっかくだから、何か買ってあげるよ」

「えっ?」


 恋人の言葉に少女は戸惑い、声を出した。彼の懐具合はよく知っている。余計なことに金銭的負担を強いたくない。ただ二人でいるだけで、他愛ない会話を交わしているだけでよかった。

 少女の表情に逡巡の色を見て取ったのか、青年は照れたように鼻の頭を掻いて、


「たまには彼氏らしいこともしたいんだよ……せっかくここまで来たんだし」

「……うん、ありがとう」


 少女は青年の手を更に強く握り、体を寄り添わせた。


「わたし、これがいいな」


 少女は先ほど目を留めた指輪の中から、ひとつをつまみ上げた。赤いガラス玉がきらりと光る。


「そんな安いものでいいの?」


 青年もガラスを覗き込む。


(あなたの懐じゃ、これが精一杯でしょ)


 微笑みながら言えば、軽い冗談にもなるが、少女は口には出さなかった。


「これがいいの。すごく綺麗でしょ」


 指輪の中でも、最も安価なものを選ばなかったのは、彼のプライドを傷つけまいとする少女のやさしさであり、青年もそれはよく分かっていたのだろう。


 買い物を済ませ店を出る。

 シャッターの下りる音を背中に聞きながら、少女は指輪をはめて街灯の明かりにかざす。


「見て」


 青年は何も言わず、微笑みながら指輪をはめた少女を見つめていた。


「どう、似合う?」


 少女は手の甲を青年に向け、買ってもらった指輪を見せる。それを見て青年は何か口にしかけたが、言葉を飲み込んで頷いただけだった。

「似合っているよ」と言い掛けてやめたのだろうか。おもちゃの指輪が似合うだなんて、失礼だと思ったのだろうか。

 少女も笑みを返して、あらためて指輪を見る。薄暗い街灯に照らされた赤いガラス玉は、少女にとってルビー以上に価値のある宝石だった。

 瞳に映った彼女にとってのルビーが次第にぼやけてきた。

 なぜだろう、涙が滲んでくる。愛する人の胸に飛び込み、涙を隠す。


(一生の宝物にしよう)


 青年の腕が少女の背中に周る。暖かい両腕に包まれ、世界一のルビーの指輪をはめて、少女は幸せだった。

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