浮く男
中崎 ぱけを
第1話
今年の雪が溶けきるにはタップリと四月中旬までかかった。
まだまだ道路脇にはこの世の忌み嫌われたものを押し込んだようにドロドロとした黒い塊がどっしりとその位置を陣取っている。なるべくなら関わり合いになりたくないものだが、次第に乾燥すると四月のまだ少し冷たい風に煽られて、塵となって遠慮なく吹き付けてくる。
桜の花びらが散るころに本州で走っている車を見たことがあるが、それはいつもキラキラとして北海道の泥やチリをまとっているものとは明らかに違っていた。学生自体の時は、
「あぁ、これが栄えているということなんだ。都会なんだ。」と妙に納得したものだけれど。
コートのポケットに手を突っ込みながら少し歩いていると、春になってまるで冬眠から冷めた動物たちが急に活動を活発にするかのように、たくさんの子供達が通りの角の公園でワイワイと楽しそうに遊んでいた。そう、マスコミはいつも現代っ子は十把一絡げで外には出ず、家でゲームでもして遊んでいるのだ、と断定的な口調で世の中を定義するけれど、子供だって毎日家でゲームをしているわけではない。長い冬が終わり、少しずつ暖かくなってくると家の中での遊びに飽きて、気まぐれに外で遊びたくなるものだ。そんな気持ちは我々大人だって同じだろう。
いつも同じことばかりを続けるのはとても苦労することなのだ。
その集団の何人かは、ひとつの木の上を眺めてアレコレと相談をしている。よくよく目を凝らすとバレーボールと思しきボールがうまい具合に樹の枝に引っかかり落ちてこない。ボールを叩き落とせそうな長い棒もないし、現代っ子だ。木登りをして戦利品が如く持ち帰ることができる勇者だってずいぶん数は少ないし、都合よくこの場にいるとも限らないようで、なんともしようがなくその姿は少し悲しそうでもあった。多分、春になって楽しみで買った真新しいボールなのだろう。
なにか、楽しみにしていてやっと手にしたものが自分の手の届かないところに行ってしまう。それは、幼少期の紙飛行機であれ、野球のボールであれ、そして大人になると一層概念的で感情的で、抽象的な喪失感に潰されそうになる。このことは生きている限り無くならないないようで、この歳になっても常にその寂しさとは戦い続けなければいけないものだ。
ただ、こんな幼少期から余分な気苦労をする必要があるか? と問われると、ボクの答えは「ノー」である。
ボクはその集団に近寄って、あ、大丈夫から人さらいとかロリコンとかショタコンじゃないから、と無害の証として両手を上にあげて軽くおどけてみた。その試みが上手く行ったかどうかはよくわからないが、少なくとも先ほど想像していたとおり買ったばかりのボールが枝に引っかかり取れなくなっていること、そして、割としつけの厳しい両親のご子息である彼は、ボールのことよりご両親に叱られることばかりを気にしていた。
まぁ、そのあたりが現代の苦労の多い子供の考え方なのかもしれない。
高さにしておおよそ五メートル。枝ぶりは細い部分になっており大人の体重を支えるほど丈夫ではないため登って取るのは不可能。 しかし、このボールのために消防車を呼んだり、テレビ通販で高枝切狭を購入して到着して待つことも彼にとってはそんな猶予はない。
「よし、じゃぁとってみるか。」
幸いこの公園に今は大人の数は多くない。お母さんたちが何人か、我が子を不審者から見守っているだけだ。もちろん、ボクがこの子集団に話しかけた時には彼女らはジーっとこちらを見て、その一足一挙動を見逃すことがないよう警戒していた。片手には携帯だろうか、いつでも通報される準備は万端だ。他人の信頼を得るのは実に難しい世の中だ。
ボクは静かに頭のなかにイメージを作って、地面から靴が離れる様子を強く思う。
ヒーローが飛び上がるのとは全く違って、ゆ~っくりと、まるで見えないワイヤーでゆっくり持ち上げるかのようにボクの体は浮いていく。
「すげっ。」
誰かが声に出す。
五メートルくらいまで上昇したところで、今度は少し水平に移動してボールのところまで到着する。大事なものを抱えるかのようにボールを両手で包み、今度はゆっくりと登ってきたのとは逆のイメージをして地面に降り立つ。
本当は、下るときにはハシゴがあると助かるのだけれど、都合よくこんなところには無い。
ボールを彼に渡した時に、彼はきょとんとしていた。
「ありがとうございます。」
そんな、ありがちな言葉を発するのが精一杯だった。子供は時に残酷だけれど、自分で目にしたものにはとても純粋で素直な反応を示す。
ボールの持ち主ではないもう一人の男子が盛り上がって、ボクにいろいろ聞きたそうな顔をしていたので、先に釘をさして置いた。
「いいかい、これは特別なことじゃないんだけれど、多分他の友達もお父さん達も知っている。でも興味を持たないような顔をしている割には、きっとボクとは関わるなと言われて諭されるのが落ちだから、ここだけの話にしておいたほうが良いよ。」
色々な人にこの出来ことを話してはいけない、と釘を差されたことに彼は不本意そうであるがその代わりといってなのかボクにアレコレ質問をしてきた。
「ねぇ、どうやって飛ぶの? 練習すればボクにもできる?」
ストレート過ぎる彼の質問に対して、ボクはまともな対応をしてあげたいと思った。たとえ、その答えが期待されていないものだとしても。
「いいかい、まずボクは飛んでいるのではなくて、浮いているんだ。それに、特に練習して浮けるようになったわけじゃなくて、ある日自然にそうなっていたんだ。」
「でも、努力とかするんでしょ?」
「残念ながらヒーローの場合、もっとスピードが速かったり、人々の役に立てる性能があるけれど、ボクのはそうじゃない。見たとおりゆっくりと上昇くらいしかできないし、下りるのはできれば階段を使いたい。」
「下りる時は階段なんて変なの。」
そう言って、彼はケラケラと笑ったが、ボクは実際のところ
「体調が悪いと、あんまり高いところまで浮けないし、よく水平に移動している時は木に引っかかる。そんな時はしぶしぶ木を伝って降りてくるしか無いんだ。」
とっても中途半端なボクの浮き方に彼は今ひとつ何か隠しているんだろう、と勝手に決めつけた反応をしていたが、事実である。
それに、ボクはもう二四歳にもなるが、この力がボクの納得の行く形で利用できたことは本当に僅かである。むしろ、ひどいことのほうが多いのだ。
「じゃ、今度は力任せに大事なボールを高く上げ過ぎないように。」
そんな別れの言葉を投げかけてその場を離れた。
先ほど、遠くからボクの様子を見ていたお母さんの一人がこちらに向かってきて一言言った。
「あなた、小学生の時よくテレビとか取材されていたインチキ少年ね。覚えているわよ。人一人の命も救えないくせに、でしゃばって。有名人になりたかったの? それともお金が欲しかったの?」
厳しく睨む彼女は年の頃からおおよそボクと同じくらいの年齢のようだった。
ボクと同じくらいの年代であれば、ボクが小学生の時にメディアからどんな扱いを受けて、そして一般人以上に静かな生活をしているのかくらいは知っているのだろう。
ボクがかなり時間をかけてその場から歩き去っても、彼女は鋭くボクを見たままで、隣のママ友にいかにボクがとんでもない奴だったかを伝えているのだろう。
それでも、それは当時のボクが選択したものだったし、非難はいくらでも受け入れるつもりだ。それに、あの母親が心配する通り、ボクはもっと危険な存在で、みんながそれを知らないというだけで、大筋母親の子を守る能力というのは鋭いものだ、と感心すらした。
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