24日目 夕
24日目 夕
別れがあれば、出会いもある。今日はそういう1日だった。
レンドの街に到着すると、どこからか漂ってきた肉の焼ける食欲をそそる匂いが私の鼻腔をくすぐった。
どうやらお昼時らしい、同じように城門をくぐった人々が屋台に吸い寄せられていった。その様子を私があまりにもじっと見ていたものだから、気を利かせたジェルガが屋台の一つに駆け寄り、食べ物を二人分買ってきてくれた。手のひらサイズの葉っぱで包んで蒸したパンで、切れ込みに肉と炒めた野菜が挟んであった。甘辛い味付けで、肉まんとケバブを同時に食べているような味だ。コンビニで買い食いをしたような懐かしさがあった。
昼食が終わるとジェルガは、街の西側に私を連れて行った。広場になっていて、匂いから厩舎と分かる建物があり、馬と人間で賑わっていた。
ジェルガの身振りと、出立していく馬車や、集まっている人たちの多くが荷物を背負った旅装であることから、乗合馬車か何かの停留所だと理解できた。
ジェルガは厩舎の前に立っている男たちに声をかけた。内容はほとんど理解できなかったが、かろうじて『ジクルス』という単語は聞き取れた。
『ジクルス』は私が元の世界に戻る手がかり得るために、目指している場所だ。そこへ向かう馬車を探していてくれていたのだ。
6人目でようやく、『ジクルス』へ向かう馬車が見つかった。ただし、出発は明日の朝らしい。
料金は15ディル。ジェルガが何も言わなかったので、適正料金なのだろう。私は前金として1ディル(=12ハス)を支払い、男と契約を交わした。
街の中に戻り、ジェルガのお薦めで宿もとることができた。こちらは4ディルで食事はつかないようだった。
今回は交渉を全てジェルガに任せてしまったけれど、聞き取れた内容は全て別ノートにメモがしてある。今後はこういった交渉を自分の拙い言語理解で乗り越えていかなければならないと思うと気が重い。
全てが終わり、ジェルガとの別れの時がやってきた。私は何度も何度も感謝の言葉『ナークル』を繰り返しながら頭を下げると、ジェルガはこちらこそとでも言うようにぎこちなく頭を下げた。
村を出発するときにあれだけ泣いたというのにまた零れそうになる涙を私は必死で耐えた。ジェルガに心配して欲しくなかったからだ。私の強がりが伝わったのか、ジェルガの方もゴツゴツとしたグローブのような手で、私の手を強く握ってくれた。
そうして、去っていくジェルガは一度も振り返らなかった。その背中が、「心配ない、きっと帰れる」とでも言っているようで、心強かった。
一人になった私は街の中を見て回ることにした。宿に籠もっているのは暇だし、今後のために情報を手に入れておきたかった。以前レンドの街に来たときに、大体の地理は頭に入っているので迷子になることもないだろうと考えた。
もしフェルミ推定という名のあて勘を使うなら、レンドは1万人規模の街だろうか。
まずは住人を観察した。黒髪がもっとも多いけれど、茶色や栗色の髪の人も時折見かける。ジルク村の人々と人種的にはほぼ同じだろう。一方で村の人達が子供から老人まで引き締まった健康的な肉体だったのに比べて、街では痩せこけた人からでっぷりとした肥満体型の人まで幅が広い。基本的な生活環境の違いだけではなく、貧富の差が大きいのだろう。片足の物乞いや裏路地から薄着で流し目を送っている女性を見かけたり、スラム街らしき場所もあった。村での生活で見ることの出来なかった、この世界のアングラな面に興味を惹かれたけれど、命をかけてまで足を踏み入れる勇気はなかった。
同じようにこの世界に飛ばされた地球人がいないかと、ほのかに期待していたけれど、そんな都合のよい出会いはなかった。
すこし気になったこともある。街中で茶色の外套を着た人間をよく見かけたことだ。最初はたまたま同じ人を別の場所で見かけたのかと思ったが、4度目でさすがに別人だと気づいた。外套は茶色だけはなく、背中の部分に大小の剣を交差させた紋章が入っていた。
警察や自警団だろう、犯罪者でも探しているのか、周囲を警戒するように見回していた。
そんなことを気にしていたせいか、時折視線のようなものを感じた。しかし、スリや強盗に襲われることはなかった。
人間の次は物だ。棚にびっしりと商品を並べた雑貨屋?や、地面に布を敷いただけの怪しい露天を、見て回ることにした。
特に重点的に調べたのが食料関連だ。
食べ物の値段は、これからの旅でもっとも重要な懸案事項だ。携帯電話を売り払ったことで今の所はお金に困っていないけれど、いつまで保つかわからない。節約すべきだ。
特に重要視したのは『塩』。生きていく上で、塩化ナトリウムは欠かせない化合物だ。料理や保存、あるいは凍結防止剤、さらにはソーダ灰などを作るための工業用途まで多岐にわたる。
人類史を見ても塩を巡っては数限りない争いが起き、統治者は塩の安定供給に悩まされてきた。
逆に言えば、塩が安価で大量に流通していれば、文明の成熟度が高く、広範囲に渡る統治が行われていたり、あるいは交易が盛んな証拠でもある。
実際に私は塩を購入してみた。50グラムほどが植物の茎だろう筒状の容器に入ったもので、3ハス程度で購入ができた。量り売りだともっと安く購入できそうだったので、値段に対して容器の割合が大きい。
屋台で売っている肉串の7ハスと比べて高くなく、客足が途絶えないことから、塩の流通が安価かつ大量に実現できているようだ。
以前には村で食べた料理に塩が頻繁に使われていることから、単純に海が近いと推測したけれど、事情はもっと複雑かもしれない。山中から岩塩を採掘し運ぶ技術・人足があったり、あるいは遠方の海からでも塩を大量に安価で流通させられる組織力がある可能性もある。それだけ文明が発達しているだろうことは、街の中を見ても分かる。
お菓子やお酒、煙草?などの嗜好品も専門店で売られていた。お菓子はパンなどとそれほど値段は変わらなかったが、後者二つについては、食品と考えると2倍程度の値段がついていた。酒税が存在しているのかもしれない。
食器、服など基本的な生活品にも多様性が見て取れた。すぐには壊れないような物品を恒常的に新品?で売っているということは、経済が成長を続け、需要と供給のサイクルが回っていることを意味している。あの鼻髭を蓄えた老領主は、かなりのやり手なのだろう。
本屋も3軒見つかった。店主の立ち読みお断りとでも言うような圧のある視線を受けながら、10冊ほど中身をチェックすると、全てが活版印刷によるものだった。出版という文化が根付いているといことは、大容量の知識が広く伝播していることになる。あるいは、そういった知識を必要とする人々が一定数以上いることになる。
地球で言う科学技術に相当するものが、大きく進歩している国や都市圏が存在している可能性が高い。今まさに目指している『ジクルス』が、そういう場所なのかもしれない。
最後に寄った本屋で、白紙をまとめた本(おそらく日記か出納帳)と、ペンとインクのセットを購入した。これでしばらくはこの日記や、各種のメモに困ることはないはずだ。
ここまでは私の知識で、一応の理由付けができた物品の話だ。
市場には、魔法アイテムとでも言えばいいのだろうか、原理不明の商品も売られていた。
電気を使わずに光り続ける石や10センチほど地面から浮かぶ木の板、冷蔵庫のように冷気を吐き出し続ける壺などだ。私が持っている火付け札と同じ摂理で動いているのだろう。
これらは10ディル以上、中には100ディルを超えるものもあった。おそらくこの世界における『家電』なのだろう。確かに家に置いておけば便利そうだ。
後はジルク村の特産品である織物も売られていた。他の生地の数倍以上の値段がついていて、とても誇らしい気分になった。見知らぬ世界に迷い込み、あれだけ親切に迎え入れてくれたのだ、帰属意識をもって当然だし、ちょっと村に戻りたいなと弱気になってしまっても仕方がないことだろう。
時間も忘れて市場を回っていると、いつの間にか日が傾いていた。
宿に食事が無いことを思い出した私は、夕食をどうしようかと考えた。酒とパンと干し肉でも買って宿に戻るのが一番確実なのだろうが、折角この街で過ごす最初で最後の夜だ。馬車での旅は4日以上かかるらしいので、今のうちに保存食ではないものを食べておきたい。
私は意を決して、食事処に入ってみることにした。
とはいえ、今夜の宿から離れるのは心理的に抵抗があったので、徒歩2分ほどのところにあった酒場?に決めた。店内からテラス席が開放されていて、大勢の客で賑わっていたからそれほど失敗は無いだろうと思った。
テラス席がほろ酔いの人々で埋まっていたので、私は店内の奥まったところにあるテーブル席についた。メニューのようなものは見つからない。初手で躓いてしまって、どうしたものかと待っていると店員の女性が話しかけてきた。
早口でほとんど聞き取れない。それでも理解しようとしていると、女性店員は少し苛立った様子で「フーバ? サルド?」と強調して言った。
私はドキドキしながら「サルド」と答えると、女性店員はさらに「ブラン?」と続けたので、「ルラ」と頷いた。最後に「1ディル5ハス」を支払うと女性店員はようやくニカッと笑顔を見せた。どうにか注文が成功したようだ。
「フーバ」は肉、「サルド」は魚で、最後の「ブラン」は酒(アルコール全般)だと、ジルク村の生活で学んでいた。まだまだ構文が分からなくても、食事の注文ぐらいはできると少しだけ自信がついた。
この日記を書きながら、待っていると「ハール(こんにちは)」と声をかけられた。料理が到着したかと顔を上げると、揃いの外套姿の女性が二人立っていた。
一人は身長170センチ弱ほどだろう、腰には剣を携えている。外套と服の上からでも分かるアスリート体型をしていて、剣が飾りではないと腕で語っている。赤毛の癖っ毛で猫のような瞳、顔立ちは街では見かけなかった。
もう一人は私と身長も体型もそれほど変わらないようにみえるので、160センチ台だろう。外套のフードを目深に被っている。胸部の膨らみから女性だろうと判断した。
背の高い方の女性が、テーブルの空いている椅子を指して何か喋っている。どうやら相席しても良いかと尋ねているようだ。断る理由もないので、私は快く「ハッサマーン(どうぞ)」と答えた。
私にお礼を言うと、背の高い方の女性が椅子を引いて、小柄な女性を座らせた。その様子があまりにもさまになっていて、騎士と姫、あるいは従者とお嬢様という言葉が浮かんだ。
女性二人が席につくと、すぐに店員がやってきて注文をとった。肉と魚を一人前ずつ注文して、お酒は一人分だけ頼んでいた。
二人の会話から背の高いほうが『イラ』、低いほうが『ティレス』らしいと分かった。
しばらくして、私の注文だけが先に到着した。相席相手に遠慮するのも変な話なのでさっそく食べることにした。それに出てきた料理に私は少なからず興奮していた。
見た目が完全に、蒸し魚が乗ったパエリアだった。村で食べた料理はどれも美味しいものばかりだったが、お米だけは食べられなかった。パンや芋も好きだけれど、やはり主食として慣れ親しんだお米が恋しい気持ちがあった。
まずはスプーンでその『お米』だけを掬って、口に運ぶ。もちもちとした食感を噛みしめるたびに、たっぷり吸い込んだ魚介ダシが甘みとともに口の中に広がる。
美味しかった。しかし、噛んでいるとお米ではないと分かってしまう。甘みの種類が米の仄かなそれではなく、小麦のインパクトだった。
小麦を捏ねて、米粒のように小さくしたものだ。ショートパスタの「リゾーニ」が近いだろう。
そんな僅かながっかり感も、すぐに料理の美味しさに塗り替わっていった。ほろほろと崩れる魚の白身は、ハーブソルトなどで程よく味付けされていて、リゾーニと一緒に食べると相性は抜群だ。見た目は鯛めしのようだが、また別の美味しさがあった。若干、骨が食べづらい以外は満足度は高かった。一緒に運ばれてきた超微炭酸の果実酒も、よく冷えていて料理が進んだ。
私が落胆したり嬉しがったりしながら食べていると、相席の二人にも料理が到着した。
肉料理も気になって、背の高い女性イラの方を見る。同じリゾーニを使っているけれど、こちらは熱々ステーキ丼という趣で美味しそうな匂いが漂って来る。
そんなご馳走を前にしているのに、イラはすぐに料理に手を付けなかった。
まずは背の低い女性ティレスのフードをそっと外した。現れたのは美少女という表現がぴったりの女の子だった。長い金髪に細面、小筆で描いた花びらのような唇。
もっとも特徴的なのは、彼女の瞳だ。夜空を閉じ込めた宝石のように煌めいていた。
イラはなにやら話しかけながら、ティレスが注文した魚の身を崩し、骨をスプーンとフォークで器用に取り除き始めた。親が子供にするというより、給仕が主にするような丁寧さだ。わずかに聞き取れる単語から、料理の説明をしているようだと分かった。
骨を取り除き終わると、イラはティレスの手にスプーンとフォークを握らせた。それからティレスはイラの手をとり、最初の一口を食べさせていた。
ティレスは美味しかったのか、感動した様子でイラに「ナークル(ありがとう)」と言うと、その後は一人で食べ始めた。イラの方は隣のティレスを気にしながら、少しだけ冷めたステーキ丼に手を伸ばした。
どうやらティレスは、ほとんど目が見えていないようだ。
それでも、一度始めた食事は零したりすることはなく、むしろ私よりも綺麗に魚を食べ進んでいた。
所作からも、目が見えないのは生まれつきなのか、後天的だとしても長い訓練を経ているように思えた。
こちらの視線に気づいたイラが、私に話しかけくる。無遠慮な視線を咎められたのかと思ったけれど、イラに怒っている様子はなかった。
せっかくコミュニケーションの機会があるならと、私も単語とジェスチャーを駆使して会話を試みた。
なんとなく通じたのは、二人が旅をしているということだ。私の旅装を見て、興味を持って話しかけてくれたようだ。村で貰ったマントと、この辺りでは見かけないだろう私の顔立ち、さらには一人で食事をしているシチュエーションから、プロの旅人に思われたのかもしれない。
イラは旅人同士で情報交換をしたかったのだろうけれど、申し訳ないが私にその語学力はなかった。
そんな私の片言以下の会話?にも、イラとティレスの二人は根気強く付き合ってくれた。
人恋しい私の背中をアルコールが押して、ずいぶんと長い間、イラとティレスと話した。といっても、たいした情報をやり取りできたわけではなく、専ら二人が私の語学学習に力を貸してくれたような形だった。それでもイラもティレスも嫌な顔ひとつしなかった。
居座っている私たちに圧をかけてくる女性店員に追加でお酒と牛乳、それに常連らしき客が食べていた芋料理を指差しで注文した。語学学習のお礼代わりに、代金は私が支払った。
話の中で、私がジクルスへ向かっていると伝えると、二人は驚いていた。どうやら彼女たちの目的地も同じ方向らしい。いつ出発で、具体的にどこにへ向かってるのかは理解できなかったが、同じ道を進む人間がいるというだけで心強かった。
夜も更けてきたので、私はイラとティレスと別れ、すぐ近くの宿に戻った。
寝る前に日記を書きながら、村を懐かしみ、そして二人のことを考えていた。
もしかしたら、二人はティレスの目を治しに行く旅の途中なのかもしれない。そう考えると、ジクルスやその先には進んだ文明があることが期待できる。私が元の世界に戻れる可能性が、少しだけ増えた気がした。
多少散在したとはいえ、所持金は明日の馬車代を払っても300ディル以上ある。
ジクルスには何も問題なく到着できそうだ。
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