23日目

23日目


 午前中は子どもたちに授業をした。

 しばらく間があいてしまったので、足し算と引き算の復習が主だった。結構、忘れてしまっているかなと思ったけれど、子供たち全員が二桁までの足し算がきちんとできていた。もちろん、まだ時間のかかる子や、補助的に石を使っている子もいるけれど仕組み自体は理解できていた。

 全員が足し算と簡単な引き算の問題を解き終わった時、私は思わず涙をこぼしてしまった。子どもたちが酷く心配してくれたのがまた嬉しくて、しばらく涙が止まらなかった。

 宝玉を直したことで村の人たちに感謝されたのは嬉しかった。でも、それは私にとっては命を救われたお礼だから、身に余る気がしていた。

 子どもたちに算数を教えた事もお礼の一環だけれど、宝玉のときとは少し違う。私が初めてこの世界に対して受け入れられたような気持ちになった。私がここに生きていて、何かを成したという確かな手応えだ。

 人間同士の繋がり、そこに発生する相互作用こそが自発的に私を私たらしめている気がした。森のなかで野草を食べているようでは、物理的にも精神的にも私自身を維持できないと実感した。

 さて、二桁以上の引き算はまだ少し慣れていないようだ。それでも私が教えた縦に書く計算方法で、子どもたちは試行錯誤してくれた。繰り下がりの意味もなんとなくだけれど、掴めてきていた。

 学習進度の速いリームは、足し算も引き算も完璧だったので、掛け算と割り算の仕組みを教えた。掛け算はすぐに理解できたようだけれど、割り算には少しだけ苦戦していた。

 どうやら1個の果物を3等分することと、3個の果物を3人で分けることの違いで悩んでいた。数学的な素養が高すぎて、具体的な物体のイメージが邪魔をしているようだ。

 そこで私はより抽象的な考え方を伝えることにした。掛け算の反対が割り算であると定義し、逆数というものを教えた。群論的な話なので、数字さえ分かれば、言葉が通じなくてもあまり問題はなかった。

 リームにはこの考え方のほうがしっくり来たようで、割り算と分数の基礎まで理解してくれたようだ。


 午前中の授業が終わると、広場で作業をしていた大人たちと一緒に昼食をとった。焼きたての無発酵パンと肉とキノコのスープだ。炭火で焼かれたパンは薄いのに中はモチっとしている。スープに入っている塩漬け肉は、確かジェルガが街で買ってきたものだ。そこに森で採れたぷりっとしたキノコと平べったいキノコが入っていて、乾燥した香草がパラパラとかけられていた。キノコが良いダシになっているのか、シンプルな味付けなのに旨味成分的な深い味わいがあった。

 食後は一休みしてから大人たちの作業を手伝った。

 昨日ジェルガが買い付けてきたカックルの毛の処理だ。大きな木桶に水を張って、その中にカックルの毛を入れて皆で代わる代わる足で踏むというものだ。

 汚れを落としたら水を換えて、今度は細かいをゴミを落としていくという非常に手間のかかる作業だった。

 水浸しで肌に引っ付くこのカックルの毛が、この後にいくつも工程を経て村の特産品である織物になるのだ。水洗いだけとは言え、村を出る前にその作業に携われたことは純粋に嬉しかった。

 3時間ぐらいだろうか、洗浄作業が終わったところで私と子どもたちはお役御免となった。干す作業は均一に並べる必要があるようで、私たちには任せられないのだろう。


 暇になった私を子どもたちは、森へと誘った。遊びに行くのかと思ったけれど、少し雰囲気が違った。コソコソした様子で吊橋を渡り、森へと入っていく。

 どうやら私が数日を過ごした森の小屋の方へと向かっているようだ。普段は立入禁止らしいので、子どもたちは大人たちの目を気にしていたのだ。

 歩いていると、なんとなくだが私とユエンが初めて出会った場所が近いような気がしてくる。

 目印もない森の中を子どもたちは迷いなく進んでいき、川辺に出る。私が魚を獲ろうとして、四苦八苦した川だ。

 子どもたちは川原の岩をぴょんぴょんと身軽に飛び移っていくが、私はその横を水に靴を濡らして歩いてついていく。

 しばらく川上に向かって進むと、大きな岩があった。それを目印に子どもたちはまた再び森のなかに入っていった。しばらくするとひらけた場所に出た。

 植物の群生地だった。高さ30センチから50センチほどの高さの植物が一面に生えていた。葉の形状はアサガオのように三叉型で、茎の先端に5センチほどの蕾がついている。

 自然公園にでも行かなければ見れないような光景に思わず棒立ちになっていると、ユエンが私の手を引っ張った。どうやら、木の後ろに隠れていろと言っているようだ。

 私は指示に従って身を隠した。見通しのいい場所なので昨日の巨鳥アブーサを警戒しているのだと思った。

 しばらく、木の陰から見事な群生地を眺めていると、柔らかな風が吹き蕾を揺らした。子どもたちの緊張感が高まるのを感じた。

 はじめ私はそれが何なのか分からなかった。風が止んでも蕾が揺れているぐらいにしか思わなかった。しかし、まばたきをした次の瞬間、唐突にそれは現れた。

 小さな人が蕾に腰掛けて、ぶらぶらと足を振っていたのだ。身長は10センチにも満たないだろうか、ワンピースのような服?を着て、背中に淡く光る蝶のような羽が生えている。絵本の中で見た、まさに妖精だ。

 妖精はその1人だけではなかった。いつの間にか、そこら中の蕾に妖精が腰掛けたり、立ったりしていた。全部で100人ぐらいはいただろうか。

 やがて1人の妖精がひらひらと飛び上がる。それを切っ掛けに他の妖精たちも、蝶のような羽を羽ばたかせ、浮き上がる。

 妖精たちが退くのを待っていたかのように、花々の蕾が開いていった。大輪の花は赤や白で、牡丹に似ている。それが一斉に花開く光景に私は鳥肌が立った。

 不思議な光景はそれで終わりではなかった。妖精たちは花々の上を飛び回り、踊り始めたのだ。ハミングのような歌声?鳴き声?に合わせて、宙返りしたり、花と花の間を縫うように飛んだり、2人で手を取り合ってぐるぐる回ったりと、自由気ままに楽しそうに踊っていた。

 傾きかけた陽光の下で何かがキラキラと輝いている。それは妖精たちから溢れていた。羽の鱗粉なのか、花の花粉なのか、あるいはその両方なのか分からない。とにかく、妖精たちは花々の受粉を手助けしているように見えた。

 どれほどの時間、見惚れていたか分からない。妖精たちは群生地を回り終えると、開いた花弁の中央に降り立った。そして何かを抱え上げると、パタパタと飛び立ち、そのまま夕日に紛れるように消えてしまった

 妖精たちが姿を消すのを見届け、子どもたちは木陰から出ていく。そして、妖精たちがしていたのと同じように花弁を調べ始めた。

 私も彼らに倣って、花を一つずつ見ていく。すると、1つの花の中央に、1センチほどの粒が残っていた。種ということは無いだろうと思い、それをつまみ上げて子どもたちに見せた。

 どうやら、それが目的のものだったようで子どもたちはウンウンと頷いた。そして、その粒を私に食べてみろと言った。

 言われるままに粒を口に放り込むと、甘味が舌に広がった。純粋な甘味というものは久しぶりで、じゅわっと涎が溢れ出す。私の反応に子どもたちは満足そうに笑うと、今度は自分たちの番だと花を丹念に調べていく。

 見つかったという喜びの声がそこかしこで上がる。私は最後に残った味に、1つの記憶が思い出された。

 ユエンと初めて会ったあの時の事だ。持っていた最後の飴玉をユエンと分け合って食べた。もしかして、ユエンはあの飴玉の味が切っ掛けで私を信用して、もう一度友達を連れて会いに来てくれたのかもしれない。

 この妖精の蜜?と飴玉が同じように甘くなければ、私は森の中で息絶えていただろう。溶けて消えていく甘味を感じながら、そんなことを考えていた。


 村に戻る頃にはすっかり暗くなっていた。

 ユエンの家での最後の食事は、とても豪勢なものだった。一口サイズの肉とたっぷりのキノコを特製のソースで絡めたジューシーなソテー。川魚を丁寧に下処理をして、塩と香草を絶妙な加減で擦り込んだ香草焼き。蒸し芋のサラダ。ニョッキのような粉物と数種類の根菜が煮込まれたトロトロのシチュー。食べごたえたっぷりのナッツ入りパン。そしてジェルガのとっておきの果実酒。

 言葉は少ししか分からないけれど、私の旅立ちを応援してくれているのだと心から感じられた。少し泣きそうになってしまったけれど、ジェルガたちの気持に応えるように、私は出来る限り笑顔で晩餐を過ごした。

 食事が終わり、私は村に迎い入れてくれたことや毎日の美味しい食事を食べさせてくれたことに対して、出来る限りの単語とジェスチャーを尽くして感謝を伝えた。

 最後にユエンにも、毎日遊んでくれてありがとうと言い。お互いに笑いあった。

 はち切れそうなお腹を抱え、酔いでフラつきながら私は小屋に戻った。

 まとめる荷物といっても鞄一つなので、すぐに準備は終わった。

 伝えるべき『授業』の内容をまとめたノートもできている。


 私は初めて日記を読み返した。この異世界に放り出されたこと、森を彷徨って小屋を見つけたこと、ユエンと出会い村にやってきたこと、村での生活や祭りのこと、野盗に人質にされたこと、街に行ったこと、巨鳥アブーサに襲われたこと。

 今日までの23日間、よく生き残れたものだと笑ってしまった。

 決して楽な日々ではなかったけれど、思い出せば笑うことができる。


 もし私がこの村に残ると言えば、村長のユーズカは受け入れてくれるだろう。

 そんな考えが浮かばなかったわけではない。

 でも、私は進むと決めている。

 元の世界に戻ることを諦めたくなかった。

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