14日目
14日目
今日は私とジェルガ、そしてユエンで収穫を行った。3日目となれば鍬の扱いに慣れ、肉体も力仕事に馴染んできた。もちろん、ユエン親子にかなうはずもないけれど、初日のおよそ1.3倍の作業速度があったと自負している。そのお陰のわけではないけれど、午前中にすべての畑の収穫が終わった。
ユエンの家では他にも『カンマイ』というヘチマに似た瓜やカボチャに似た『ポッカ』という作物も栽培していた。この二種類は私が村にやってくる前にほとんど収穫を終えていたらしい。
広場へ行くと村の人たちが集まっていた。遠目に井戸の水汲みを待っているのかと思ったけれど、誰も桶を持っていないので違うようだ。近づくと、ジェルガの客人ガイスがその中心にいた。
ガイスは屋台を広げていた。馬車の箱型の荷車が開き、そこに色々な物品が陳列されている。村の人たちはその物品を見たり、手にとったりしながら、ガイスに話しかけていた。
そのうち、一人の中年女性がコインらしきものを渡し、白い石をガイスから受け取った。
ガイスは行商だった。ジェルガと親しげだったことや、村人の慣れた様子から、お得意様のようだ。品物が飛ぶように、とは言えないけれど、そこそこ売れているようだ。
私はガイスと村の人が使っているコインに注目した。褐色や鈍色の金属製で百円玉ぐらいの大きさだ。
貨幣には二通りの価値がある。1つは物質としての価値だ。例えば金や銀ならそれだけで、価値があるとみなされる。もう1つは保証された価値だ。1万円札は物質としては原価20円ほどの紙切れ1枚だけれど、日本銀行が1万円という価値を保証している。
コインの材質が何なのか、どれほどの価値があるものなのか私には分からない。日本の小判が海外に大量に持ちだされた史実があるので完全には否定出来ないけれど、村人が金や銀ほどに価値ある物質をこんな気軽に取引するとは思えない。おそらく村の人達が使っているコインは、国などが価値を保証した貨幣だ。
さらにコインの表裏には何か文字らしきものとシンボルが描かれていた。サイズや見た目が統一されていることからも、美術品ではなく貨幣として鋳造されたものだ。
金属製のコインを大量生産する技術を持ち、さらに鋳造権という強い権力を持つ国が存在している。そして、このジルク村はその影響下にあるということになる。
ジルク村が『国』の一部かどうかは分からない。ただ貨幣を利用しているだけかもしれないし、地政学上は国に組み込まれていても村の人達にその自覚はないかもしれない。とりあえず、大きな経済圏があることだけは推測できる。
昼食時だからか、しばらくすると人垣が空いてきた。私とユエンは屋台に近づき、品物を見ることにした。
まず目立っているのは宝飾品だ。透き通った碧色の宝石をはめ込んだブレスレットや、金属の光沢を持つ翡翠色のネックレス、竜を模した銀の指輪。村の女性たちもうっとりした表情で眺めていた。
宝飾品の横には大きなトカゲらしき干物が吊るされていた。かなりのインパクトだけれど、村人たちは特に注目していない。一般的な食べ物か漢方薬的なモノなのだろう。
一番の売れ筋商品は半円形のコバルトブルーの石がはめ込まれた板切れだ。10cm×5cmの長方形で木札のように見える。装飾品にしては地味だけれど、お守りとか宗教的な物かもしれない。何かの実用品だとしたら、使用方法は見当もつかない。
他には、ただの木の棒にしか見えない棒、短刀、水晶球、薬だろうか液体の入った小瓶、台の上でピクピクと跳ねる小石なんて手品の道具らしきものもあった。
そんな雑多な屋台の隅にポツンと置かれていたモノに、私は注目せずにはいられなかった。
革張りの古びた表紙に赤い文字が書かれた『本』だ!
手に取り「これは何か」と尋ねると、ガイスは少し意外そうな表情で「ヘル」と答えた。表紙に書かれているタイトルらしき文字は2文字より長いので、『ヘル』が『本』自体を指す言葉だろう。
日焼けし変色した紙を慎重に捲ると、少し埃っぽい臭いがした。長いこと客の手に触れていないのだろう。ペラペラ捲ると、黒インクの文字が理路整然と並んでいた。均一な文字が僅かにへこんでいる。金属や木製の活字を紙に押し付けて印刷する活版印刷の特徴だ。
文字自体は直線や曲線で構成されている。アルファベットやラテン文字、ルーン文字に似ているけれど、そのどれとも違う。ざっと見ただけでは、象形文字的な要素は見られない。同じ文字が頻出していることからも、1つの文字で1つの音を表す、表音文字だろうか。ただ日本語のように、1文字だけで1語表す表意文字が混在している可能性もある。
肝心の本の内容だけれど、文字ばかりが書かれているのでさっぱり分からない。小説かもしれないし、何かの報告書かもしれない、どこかの地方料理のレシピ集だってありえる。
この本が、文字から言語を類推する手立てにはなるかも知れないと思った。そこで、ユエンに中身を見せてみた。しかし、首を傾げられてしまった。内容が難しいと言うよりは、そもそも文字が読めないようだ。村の中で、文字を一切見かけなかったのだから納得だ。
この本を手に入れても『読む』手段がないということになる。1文字1文字拾って、そこから暗号を解読するように言語を学習していては、それこそ一生かかっても終わらない。
電子辞書か携帯電話との物々交換で手に入れられるかもと思った。しかし、それは賢い選択肢ではないだろう。少し名残惜しいけれど、ガイスの尋ねるような視線が気になって革張りの本を台に戻した。
品物を買うだけでなく、村人たちはガイスと楽しそうにお喋りをしていた。娯楽の少ない村では、行商の話自体が一つの商品になっているようだ。きっとガイスも世間話から次に仕入れてくる商品を決めていたりするのだろう。
そんな喧騒も昼食時になり一段落がついた。ちょうどその頃にユエンの母ラナが、焼きたてのパンを持ってきてくれた。ユエンとジェルガ、そしてガイスと一緒にそのパンを食べた。外側はサクッとしていて、生地はふわっふわ、さらに中にはキノコのソテーがたっぷり包まれているお惣菜パンだった。素朴な材料だけれどボリューム感があって美味しかった。ラナは本当に料理の腕が素晴らしいと再確認できた。
食事が終わると、ジェルガはユエンに何か指示を出した。ユエンは頷くと見える家々を回って声をかけ始めた。家からは子供が出てきて、広場に集まってきた。
村中の子供が集まったところで、ジェルガはガイスに声をかけてどこかへ行ってしまった。残されたガイスは小さくため息をついて子供たちを見渡すと、荷車から黒い版と白い石を取り出した。
これから何が起こるのか子供たちは知っているようで、ガイスの一挙手一投足に注目していた。そんな子供たちの視線に耐えかねたのか、ガイスは愛想笑いを浮かべて子供たちに声をかけた。子供たちは元気よく返事をした。
ガイスは黒い板に蝋石で絵を描き始めた。紙芝居的なことでもするのかと思っていたら、どうにも様子が違った。白い線の輪郭は絵ではなく地図だった。
その地図を指してガイスは何か説明を始めた。子供たちはその説明を真剣な表情で聞いていた。ジルクという単語が聞こえたので、縮尺は分からないけれど村周辺の地図のようだ。
授業をしているのだと私は合点がいった。行商のガイスは色々な物事を知っていて見聞も広いだろう。教師にはぴったりの人材だ。この黒板と蝋石も普段は値段などを書いて看板に使っているのだろう。
昨晩、ジェルガが頼んでいたのはこの授業の事だったようだ。次期リーダーとして、村の将来のために子供たちに教育の機会を与えているわけだ。明らかに異質な私を村に受け入れたことからも、ジェルガは意外と先進的な考えの持ち主だと分かる。
私にとっても授業は非常にありがたいことだった。急いでノートと筆記用具を持ってくると、意味は分からない絵も図もとにかく書き写していった。
地図の説明が終わると、今度は文字の読み書きの授業が始まった。私にとっては願ってもない幸運だ。もしかしたら、ジェルガが私の事も考えて、頼んでくれたのかもしれない。
子供たちは文字を発音しながら、枝で地面に文字を書く。私も文字を書き取りながら、ガイスや子供たちの発音を真似て声を出した。
ガイスが授業で教えてくれた文字は42種類。これで全てか分からない。とりあえずどの文字も発音はできたので、ノートにカタカナ表記した。
社会、国語、ときたら次の授業はもちろん算数だった。
この社会には0~9の数字がちゃんと存在していた。0と1はほぼ同じ形で、2がコ、3は∃、4が筆記体のφ、とアラビア数字と似ている。計算しやすさや筆記しやすさなどから、同じような収斂が起きたのだろうか。ちなみに、私は初め0と1を間違えていて、桁上りの時にようやく気づいた。
地図の話や文字の書き取りはスラスラと行っていた村の子供たちだが、計算の授業になった途端、集中力を欠き始めた。算数というのは、どこの世界でも子供にとっては苦手に思いやすい科目なのだろう。逆に、私にとっては数字さえ分かってしまえば、小学生の算数ぐらいは何の問題もない。
さらにガイスの教え方も悪かった。彼はいきなり数字を使って足し算や引き算の勉強を始めた。彼もそうなのか、正規の教育を受けた者からすれば、その方が分かりやすい。しかし子供たちにとっては、いきなり数字を使われてもピンとこないようだった。特に6~8才ぐらいの小さな子供は、黒板と地面の枝を視線が行ったり来たりした後で、ついにはお絵かきを始めてしまった。
ガイスは仕方がなさそうに、比較的理解しているようなユエンたち年長組に向けて説明を続けた。放置される形になった小さな子供たちはつまらそうにしていた。
少し気の毒になった私は小さな子供たちに近づくと、地面に落ちている石を並べてみせた。まず初めに1個、次に間隔をあけてさらに2個並べ、その下に数字と計算結果を書いてみせた。
次に石を3個と2個で並べ、その下に数字を書く。それから女の子のラミに枝を渡し、計算結果を書くように促した。ラミは迷っているようだったので、石を1つずつ数え上げていく。するとラミも分かったのか、答えの『5』を地面に書いた。
私はラミを大げさなリアクションで褒めて上げた。言葉が上手く通じないので態度に出すしかない。すると少し照れたようにしながらラミも喜んだ。
それを見たエヒンや他の小さな子供たちも興味を持ったようで、私に問題を出すように催促してきた。私は石を拾って幾つか簡単な計算問題を彼らに出してあげた。
しばらく小さな子供たちだけで楽しんでいると、ユエンたち年長組もこちらにやって来て、ついにはガイスの話を誰も聞かなくなってしまった。
役目を奪ってしまい申し訳なく思った私がガイスの方を見ると、彼はホッとした表情で、そのまま続けてくれとジェスチャーをしていた。
日が落ちるまで私の算数教室は続いた。
夕食の席でガイスの方から私に話しかけてきた。詳しい内容までは分からなかったけれど、算数教室の手助けでお礼を言っているようだった。
良い機会だと思い、私もガイスと会話を試みることにした。今日までで身につけた少ない単語とジェスチャー、そしてノートに書いた絵を駆使し、身の上を話した。どうやら私が壮大な迷子だということは伝わったようだ。それから日本語や英語を使ってみたけれど、ガイスはまるで心当たりがないように首を横に振った。さらに電子辞書や携帯電話を見せた。ガイスは物品自体に強く興味を持っていたようだけれど、それらの品を見たことも聞いたこともないようだった。
行商のガイスなら何か手がかりを得られるかもと期待していたので、私は少なからず落胆した。そんな私を見てしばらく何かを考えていたガイスは、思い出したように「ジクルス」という言葉を呟いた。それは何かと尋ねると、ガイスは私が広げていたノートに簡単な地図を描いた。この村から南の方角に「ジクルス」という、街か何かがあるようだ。
「ジクルス」に手がかりがあるのかもしれない。ただ、ガイスの表情は迷っているようだったので、あまり確信はないのだろう。
とりあえず、あまり気にしすぎて焦らないほう良いだろう。
夕食の厚切りベーコンとホクホク蒸し芋のキノコソース掛けが美味しくて、多少のモヤモヤした気持ちは落ち着いた。
食後の一休みを終え貸家に戻ろうとすると、ガイスと話していたジェルガが私を呼び止めた。ガイスもなぜか一緒に私の方を見ていた。なんだろうと思っていると、ジェルガは私に「計算」と「ユエン」、そして「子供」という言葉を繰り返し、書くジェスチャーをした。
私は少し考えてから、自分、次にユエンの順番で指さし、さらに指先で虚空に数字を書いてみせた。
父ジェルガの会話と、私のジェスチャーの両方の意味が最初に分かったのはユエンだった。彼がウンウンと頻りに頷き、それからジェルガに口添えをした。ジェルガは確認するように私の目を見る。私は分かったと答え頷いた。ジェルガはいかつい顔を綻ばせ頷き返してきた。
どうやら私はユエンや子供たちに、算数を教えることになったらしい。
言葉が通じないので不安あるけれど、ジェルガに恩を返すチャンスだ。それに世話になっている子供たちの将来の役に立てるなら望むところである。
と、こうして意気込んではいるけれど、果たして上手くいくかどうか?
とにかく出来る限りのことをしよう。
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