10日目

10日目


 芋ばかり食べていては、いつまでたっても食料は貯まらない。どうにか魚を捕らえなければ私に明日はない。そう意気込んで朝から川に向かったけれど、仕掛けに魚はかかっていなかった。

 普段の私なら手法の見直しをするところだけれど、ユエンとの出会いに気が逸っていた。無理矢理にでも早く次の行動に移りたい。その気持が、私の足を川の中へ向かわせた。昨日は不発に終わった追い込み漁に挑むことにしたのだ。

 魚の姿が見えるのは、中央の深い所や、苔や藻がたゆたう岩陰だ。私は腰まで川に浸かり、魚の背後からゆっくりと接近する。手に持った木の槍をズボッと水中の魚に向かって突き出す。当たればラッキーだけれど、あいも変わらずかすりもしない。追い立てた魚は別の岩陰や上流に移動する。これを繰り返して、なんとか魚を囲いまで誘導しようとした。


 労多くして功少なしどころか、まるで上手くいかなかった。魚の行動を上手く制限できれば良いのだけれど、むしろこちらの方が川の流れや深みに足をとられてしまう。何度か魚を仕掛けの所まで追い詰めたのだけれど、そのたびに魚はくるりと反転して、股の下を抜けていった。まるで私をおちょくっている様な、魚どもの態度にさすがの私もイライラが限界に達した。

 私は手に持った木の槍で水面をバシバシ叩いて魚を追い回した。偶然にもそのうちの一匹が、仕掛けの返しを通りぬけ囲いの中に逃げこんだ。

 やった!と声を出して喜び、すぐさま駆け寄っていった。

 しかし、これがいけなかった。勢い込んで川底の苔まみれの石を踏んでしまい体勢を崩した。そのままヨタヨタと囲いに突っ込み、石垣を盛大に破壊してしまった。ピョンと飛び跳ねた魚は私の顔を擦るようにして、また川の流れに戻っていった。

 やるせない気持ちに天を仰ぐと、幾つもの笑い声が聞こえてきた。振り返ると5人の子供たちが立っていた。


 1人はユエンだ。ユエンと同じ年の頃だろう子供が2人に、ひと回り小さい子供が2人いた。ユエンだけでなく初顔の4人もクスクス笑っているのは、私が魚相手に独りプロレスをしていたのを見ていたからだろう。大人が、魚に翻弄されビショビショになっている姿はさぞ面白かったことだろう。

 今更、取り繕っても仕方ないけれど、私は背筋を正し子供たちの方を向くと、手を上げて挨拶をした。子供たちも私の真似をして手を上げると「ハール」と挨拶を返してくれた。「ハール」というのが彼らの挨拶の言葉のようだった。

 挨拶は済ませたけれど、言葉が通じないのでその先が続かない。子供たちも多少は警戒しているようで、私から一定の距離をとってそれ以上は近づこうとしなかった。

 膠着状態のまま待っていても時間の無駄なので、私は魚取りを再開した。コミュニケーションも重要だけれど、今日の食事も重要だ。

 仕掛けに使っていた囲いの石垣を直していると、そろそろと近づいてきたユエンが手伝ってくれた。それを見た他の4人も一緒になって石を運んでくれた。子供たちの優しさに、私の顔もほころんだ。

 さらにユエンの方から私に話しかけてきた。もちろん言葉は分からないけれど、両手で何かを挟む様なジェスチャーをした。私は頷き、同じジェスチャーを返す。魚を捕まえたいという意思が伝わったようだ。

 ユエンは同じ年ぐらいの2人に声をかけた。3人は何かを確認しあうと、川から飛び出た石を軽々と渡って、上流側と下流側に別れた。

 上流の1人がドボンと勢い良く川に飛び込んだ。その音と衝撃に隠れていた魚がピューッと岩陰から飛び出し逃げていく。それを下流で待ち構えていた2人が挟み込み、手づかみで!簡単に捕まえた。ユエンはこちらに声をかけると、その魚を放り投げてきた。慌てて受け取ろうとするけれど、間に合わない。あわや石にぶつかるかと思われた魚を、小さな子供2人が上手くキャッチした。体勢を崩してすっ転んだ私を見て、その小さな子供たちがキャッキャと笑っていた。

 5人はその方法に慣れているのか、あっという間に魚を5匹も捕まえてしまった。私が四苦八苦しているのを見て笑ったのも納得の手際だった。

 子供たちはその魚を私に向かって差し出してきた。どうやら私にくれるらしい。私は昨日あげたアメと交換したいのかと推測した。残念ながらアメはもうないので、私はポケットをひっくり返し、さらに両手をヒラヒラさせて何も持っていないジェスチャーをした。

 それでも子供たちは魚を引っ込めようとはしなかった。お近づきの印ということだろうか? 真意は分からなかったけれど、遠慮せずに受け取ることにした。好意を無碍にするのは心苦しいし、なにより断る余裕もない。

 私がその場で魚の処理を始めると、また子供たちに笑われてしまった。不器用さを見かねた子供たちは、自分のナイフを取り出すと、魚を手早く捌いた。道具の差があるにせよ、子供たちの処理は断面が綺麗だし、身をムダにするようなこともなかった。生物として私の完敗だった。


 魚を持って小屋に戻ろうとすると、子供たちも一緒についてきた。彼らの常識からしたら異常に不器用で、さらに身なりの怪しい私に興味を持ったのだろう。

 私としても子供たちにお礼がしたかった。せっかくなので、この魚を焼いて振る舞うことにした。魚を焼いて渡すジェスチャーをすると、子供たちは喜んでくれた。

 囲炉裏を前にして魚を串に挿していると、一人が細かい葉っぱの草を私に差し出した。どうやら、これを魚にまぶせということらしい。促されるままにその草を千切って揉みほぐすと、魚にパラパラとかけた。


 魚が焼けるまで時間がかかる。私は子供たちと『会話』を試みた。

 まずは私にとって既知の言語と一致、もしくは類似しないかを調べることにした。

 これまで薄い板と化していた電子辞書を起動させる時が来たのだ! そこそこイイお値段だったこいつには、日本語と英語はもちろん、中国語やドイツ語、フランス語など12ヶ国語が搭載されている!


 結論から言えば、何の役にも立たなかった。

 辞書を頼りに挨拶の言葉を様々に発音してみたり、子供たちに辞書の画面を見せたりした。子供たちも画面の切り替わる電子辞書自体には興味を持ってくれたのだけれど、言葉は何一つ通じなかった。そもそも子供たちが文字や数字を身につけているのか分からない。

 英語教育で文字からの学習に慣れている身としては、彼らの使う文字が知りたかった。それが叶わず、類似する言語も分からないとなると、私自身のヒヤリングだけから言語自体を調べ、それを体得しなければならない。

 非常に困難な作業だ。しかし、同時に好奇心も刺激される。まったく未知の言語に挑むチャンスなど、普通に生きている限りはまずない。

 ロゼッタストーンを解読したシャンポリオンを想う。彼はエジプトへ行き遺跡に描かれたヒエログリフを見て「古代の言葉が語りかけてくる」と言ったらしい。この逸話自体は創作かも知れないけれど、私にもそんな体験が出来る可能性がある。

 可能性があるだけで、実際は超ハードモードの語学留学だ。生死に直結しているとなれば、プラス思考で真剣味にならざるを得ない。


 魚が焼けたので私と子供たちは遅い昼食をとることにした。私と大きな子供たちが魚を一匹ずつで、小さい子供は2人で一匹だ。最近は夕食しか食べていなかったので、明るいうちの食事は新鮮だった。それに、まぶしたハーブのちょっとした風味が魚の白身とよく合って美味しかった。細かい葉っぱの見た目は憶えたので、見つけたら採取しておこうと思った。


 食事を取った後は、小屋の外に出て昨日と同じように絵を描いてコミュニケーションをとることにした。


 まず私が地面に描いたのはソーラーパネルを広げる人工衛星の絵だ。この絵を指さすと子供たちは「エティスソレル」と言った。

 次に私はゲーム機のコントローラーの絵を描いた。子供たちはこの絵を指して、また「エティスソレル」と言った。

 最後に念押しとばかりに、私はキノコの絵を描いて見せた。子供たちは嬉しそうに「タコタ」と言った。

 今度は私が地面に落ちている石を指さして「エティスソレル」と言ってみた。彼らは揃って「デイ」と言った。

 作戦通りの結果に、私は子供たちに笑顔を向ける。子供たちも、何かの遊びが上手くいったと思ってくれたのか喜んでいた。


 私は子供たちが知らないことを期待して人工衛星やゲーム機のコントローラーの絵を描いた。未知の物体の絵を前にして子供たちは「これ何?」と私に聞いたはずだ。その証拠に、まるで違う姿の人工衛星とゲーム機のコントローラーの絵を指して彼らは同じ言葉を使った。それに続く行動からも「エティスソレル」=「これ何?」だと分かる。


 違う言語を学ぶ上で、まず初めに知らなければいけない最重要フレーズは『これ何?』だ。英語の授業では自分の名前を名乗るところから始まるけれど、コミュニケーションを模索する上では『What is this?』が分からない方がはるかに困る。逆に言えば、『これ何?』というフレーズさえ分かれば、他の言葉や単語への橋頭堡となる。


 私は「エティスソレル」を連発して、子供たちに単語を聞きまくった。彼らの名前はもちろん、木や土、太陽など手当たり次第聞き取り、ノートに書きつけていった。子供たちからしたら、大人が赤子のように振る舞うのは面白いのだろう、おかしがりながら、あるいは遊び感覚で私に色々な事を教えてくれた。その多くは言語的に理解できなかったけれども、分かったこともある。


 その中でも重要なのが、「エティスソレル」自体の発音方法だ。どうにも区切りが悪かったようだ。ユエンがゆっくり喋って教えてくれた。

 「エティ ス ソレル」と区切るのが正解だった。ここからさらに「エティ」と「ス」と「ソレル」を別々に使って見て、彼らの反応を調べた。その結果、「エティ」が指示代名詞「これ」に、「ソレル」が疑問詞「何」に相当することが分かった。残る「ス」は動詞か助詞、あるいは接続詞のようだ。

 英語のようなSVO系か、日本語と同じSOVのどちらかの語順が期待できる。もちろん「エティスソレル」が例外的なフレーズという可能性もあるけれど、言語体系がまるで違うということはなさそうだ。

 例え少々ややこしいルールがあったとしても、私が発音できるのだからなんとかなる。カナリア諸島に存在する口笛言葉や、モンゴルのホーミーのような特殊な発声を求められるよりは、余程マシだった。


 始めは子供たちも私の『ことば探し遊び』を楽しんでくれたけれど、しばらくして飽きてしまった。無理に付き合わせるのも悪いので、その後は駆けっこしたり、石あてをしたり、お絵かきをしたりで過ごした。その遊びの中で、言葉を拾ったりフレーズを教えて貰ったりした。

 言葉で意思を伝達するには、時間がかかりそうだ。それでも私は学んでいかなければならない。


 夕方になり、子供たちが帰ろうとした時だ。不意にカラカラという乾いた音が聞こえてきた。先日仕掛けた鳴子の音だった。

 子供たちがまだいる。すぐに危険を確認しなくてはと、私は小屋の裏手へ回った。もしイノシシだったら、子供たちを小屋か森へと逃して自分が戦おう。もしくは、一緒に逃げてしまおうと強く覚悟していた。

 揺れる鳴子の先を見ると、茶色い傘をのせた白い円筒形が地面に倒れ込み、ジタバタともがいていた。鳴子に利用した蔦に絡まっていたのは、70センチほどの歩くキノコだった。イノシシほどの脅威ではないだろうけれど、それでも何があるか分からない。

 子供たちに逃げるよう促そうと振り向くと、当の彼らは何故か目をキラキラと輝かせキノコを見ていた。年長の3人は一番の笑顔を見せると、キノコに飛びかかった。

 止める間もなく彼らはキノコを組み伏せ、さらにその手足の部分をナイフで切り落とした。相手がキノコなのでスプラッタな血もなければ、悲鳴もない。加工という言葉がピッタリだった。

 子供たちは嬉しそうにキノコを私の所まで持ってきた。それから胴体を私に差し出し、自分たちは切り落としたキノコの手足を見せた。どうやらこれだけは持って帰って良いかと聞いているようだった。

 そんな手足ではなく、全て持って行って良いと私は胴体も渡そうとした。しかし、子供たちは難色を示した。子供たちはこの辺り一帯を私の狩場か何かと思っていたようだ。そこで採れたものは土地の持ち主に還元される文化か掟なのだろう。

 私も困っているとユエンがキノコを真っ二つに裂いて、その半分を突き出した。子供にここまでされては、さすがに受け取るしかなかった。

 子供たちはキノコを指さして「タゴタゴ」と言って、モグモグと口を動かした。どうやらこのキノコは食べられるようだ。

 子供たちは数人がかりでキノコを担ぐと、軽い足取りで帰っていった。


 一人に戻った私はキノコを食べるかどうか迷った。もちろん、子供たちを疑ったわけではない。同じ人間に見えるけれど、私と彼らでは身体の作りが違うかもしれない。例え構造が同じでも腸内細菌の問題もある。例えば人間が食物繊維をエネルギーに出来るのは、腸内細菌の発酵作用のおかげだ。例え毒がなくても、体質に合わなければ栄養にならないし、腹痛や下痢などの原因にもなる。

 しかし、これから先も常に食事で迷い続けるのも効率が悪い。そもそも集落に向かい他の人間と接触する目的の一つは食料と水だ。彼らが食べているのと同じ物を、私も食べていかなければならない。

 それに未知のヘビ肉や魚、芋、大樹の果実とわけの分からないものは十分に食べてきた。いまさらキノコぐらいで怖気づいていても仕方ない。


 慎重さを失わずに図太くなる!


 へ理屈をこねて私はキノコを食べてみることにした。

 裂いたキノコひと欠片を枝に刺して焼いてみる。白色の表面にじわりと水分が浮き出てきた。焦げてしまわないうちに火から離し、匂いをかぐ。ほのかにキノコっぽい木の匂いがした。

 厚い短冊状の端っこを齧ってみる。じゅわっと熱い汁がキノコの香りとともに流れこんでくる。思っていたよりもずっと力強い旨味だ。『タゴタゴ』の見た目からシメジを想像していたけれど食感はエリンギだ。旨味の強さと相まって、シイタケの肉詰めを食べているようでもある。子供たちが喜んでいたのも納得の旨さだ。昼に魚に使った香草と一緒に煮込んだり炒めたりしても美味そうだ。

 何度目か分からない醤油が欲しい病が発症しそうだ。つくづく醤油舌な日本人だ。


 結局30分ほど様子を見たけれど、腹の痛みも下痢の気配もなかった。安心した私はタゴタゴでお腹を満たした。


 子供たちと同じ食生活を送っても問題ないという自信がついた。本当に彼らには感謝の言葉しかない。

 肝心の彼らの名前を書くのをすっかり忘れていた。


年長の3人

 ユエン

  リーダー格でなかなか頭の良さそうな少年

  小さな子を常に気にかけている

 アルク

  快活そうな少年

  運動神経が良さそう

  真っ先にキノコを押さえ込んだ

 リーム

  おとなしそうな少年

  他の2人と較べて少し色白で髪の色も薄い


小さな2人

 ラミ

  可愛らしい女の子

  絵を描くのが好きなようだ

 エヒン

  元気な男の子

  ユエンによく懐いている


 子供たちは明日も来てくれるだろうか?

 彼らから少しでも多くの言葉や知識を学んで、それから人里に向かおう。

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