一個目「つまらない撃沈エピソード」

お題:つまらない撃沈





「……というわけでさ。今回もダメだった。一ヶ月持たなかったぜ」

「そういうおまえの撃沈エピソードを聞くのは今年で何回目だろうな」


そう言いながら、オレはテーブルの上のコーヒーカップの中のブラックコーヒーを啜った。コーヒー特有の酸味と苦みが口中に広まって、思わず顔をしかめる。美味しいか不味いか、といわれるとそれは返答に困るところだ。何故ならそもそもコーヒーは好きじゃない。どちらかといえば嫌いなのだ。だから美味しいか不味いかといわれても、そもそもその基準自体がわかりはしない。にも関わらずわざわざ砂糖もミルクも入れずにコーヒーを飲むのは、そうでもして意識を他に向けていなければこいつのつまらない撃沈エピソード、つまり失恋話という奴を、起きたまま聞いていられないからだった。


「そういうなよ。俺は今回の女の子だけは本当の本当に本気だったんだぜ? なのに、」

「そんな感じのセリフを聞くのも、今年で何回目か忘れたよ」


そういって話を遮ってから、はぁ、と思わず自然とため息が漏れる。この眼前のオレの中学以来の友人、秋沢 隆は世間で言うところのいわゆるチャラ男という奴だった。見てくれ、容姿は平均以上で、茶色に染めている頭髪は可もなく不可もなくといったところ。性格は大バカなことと生来の女好きを除けば、基本的にはいいやつだ。

そう、基本的には、だ。こいつがそんな類の撃沈エピソードを毎回決まってオレにしてくるのは、別に今回に限った話でない。毎回のことだった。

例えば、こんな最速撃沈エピソードもある。好きだ、付き合おうと高校の校舎で告白し、成功。かと思えば、帰ってからスマホを確認してみるとLINEで「やっぱ無理」という返信。わずか数時間の恋だった。


「そう言うなよ。俺は言ってるだろ、今回こそは本気だったんだって」

「だとしたら見る目がお前にないんだろうな。そしてそんな娘を選んだお前にも責任の一端はある。つまりお前が悪い。全面的に」

「……それさ、スマホを弄りながらいうことか?」


この喫茶店に無料のWi-Fiが飛んでいなければ、あとこの店に入った後の飲み物代及び食べ物代をお前が引き受けるのでなければ、オレはお前のこの本当につまらない撃沈エピソードに片耳すら向けようとしないだろう。とはもちろん言わなかった。

スマホをテーブルの上に一旦置き、片手で頭をかきながらオレは秋沢へ視線を戻す。


「お前はさっきからスルーしてるけど、お前、今月だけで今日振られた子で三人目、そして今年度に入ってもう既に十人目の子と付き合ってるだろう? 学校中の女の子とガールフレンドにでもなるつもりなのか?」


オレがそういうと、うっ、と少しばかりたじろいだ様子で秋沢はやや大げさなリアクションを取る。秋沢自身も自分が学校で女たらしであるという事で有名になってしまっている事を気にしていないわけではなかった。しかし、だからといって女の子と付き合うことを秋沢はやめようとはしない。女たらしである、と校内で女子男子問わず後ろ指をさされることよりも、秋沢というバカは例え一瞬でも女の子と付き合うことを優先しているのだった。


「チョコレートパフェスペシャルを1つお願いします」


返答に困ったのか、秋沢は所在なさげに女みたいに両手の人差し指同士をぐるぐると回していた。その隙に、俺は片手をあげて店員を呼んでそう注文を行う。いまだに口の中に残るコーヒーの後味を、甘味であるチョコレートパフェはキレイさっぱり浄化してくれる。そして今注文したスペシャルは通常料金の三倍の値段で、普段はとても手が届かない代物だった。


「お前、それは高いから注文するのはやめてくれって前も……あぁ、もういい」


秋沢はややオーバーリアクションで椅子から立ち上がって、それから肩を落として再び椅子に座り込む。そう言いながらも、秋沢はオレが店員を呼んでから注文を無理矢理止めるようなことは決してしない。それは今回と違って本気で泣いているときもそうだった。おそらくはこれからも邪魔をしないだろう。


「ったく、変なところで女子力を高めやがって。一人称オレの癖に」

「……悪いか?」


不機嫌そうに声を出して、そしてさらにオレは秋沢を思いっきり睨みつけてやった。

確かにオレの髪はショートカットだし、顔つきも男の子みたいだね、なんて言われることがあるし、女の子らしくはないかもしれない。だけど別に、それが悪いのか。女の子が僕だとかそういう一人称を使って悪いのか。そんな法律があるのなら従ってやらなくはないが、別にそうでもないのにわざわざ変える必要はない。


「オレからしたら、一人称に自分の名前を使ってるやつの方がよっぽど気色悪いよ。例えば、アキはねー、アキサワくんのことがだーいすきなのー……って感じにさ。

とはいっても、お前はそういうタイプが好きだけどな」

「うるせーな」


ケッ、と悪態をつきながら秋沢は自分の財布の確認をしている。「月末が給料日で、今は二月だから……二十八か」などとつぶやいているが、それ以上の返答を行わないのは秋沢もオレが言っていることに心当たりがあるからだろう、というのはオレの推測だった。しかし、さっき言ったことを間違っているとはオレは思っていない。

秋沢は馬鹿なことに加えて、女を見る目というものもまるでなかった。はっきりいってその点においてこいつの目といえばきっと赤子のそれより下かもしれない。節穴といってもよかった。けれど、その事をはっきりと秋沢に向けて言ったことはない。


「別にお前の趣味を悪くいうわけじゃないし、聖域を求めるな、とも言わないけども。いい加減学習したらどうだ、そういうタイプはお前に向いてないって」

「うるさいな、好きなものは好きなんだからしょうがないだろ」


秋沢はそう言い返してくる。確かにそれは否定できない。それを言い返す権利はおそらくオレにはないからだった。とりあえず、返答をごまかすために再びスマホを手に取って調べものを再開する。


「はーぁ。どっかにいないもんかなぁ……俺の話をスマホを弄らずに真摯に聞いてくれて、それでいてすっごい女の子してるかわいい子が」


聞いていていろんな意味で頭が痛くなるような事を秋沢は言う。どこの世界にそんな風にただ自分の理想を体現したかのような人がいるというのだろうか。それはもう、好きだとかそういうレベルじゃないような気がする。


「好きっていうのはそういうもんなのか? オレとしては、一緒にいて楽しいやつが好きってもんだと思うけど」

「そんなこと言ったらなぁ……俺は楽しいぜ? 女の子と一緒にいたら」

「……お前は頭の中が楽しいやつだな」


予想以下の返答に、オレは思わず肩を落としてそう言わざるを得なかった。たらしが生来のものであることは知っているつもりだったが、どれぐらい重症であるか、というのは今日はじめて知ったかもしれない。


「一応聞いておくけど、今はどうなんだ?」

「は?」

「いや、だからオレも女の子なんだけど」


そういった瞬間に、あっけにとられたように秋沢の目は丸くなり、一瞬固まる。そして、それからに顎に手を当てるような仕草をとって考えはじめたかと思えば、すぐに秋沢は声をあげて笑いはじめた。


「お前が恋人で、好きってのはなぁ……ないわ」

「あー……そうか」


わかりきっていた返答を聞いて、こちらも少しだけ笑う。厳密には、右手で両目を隠して笑ったふりをしているだけなのだけれど。


「オレといても対して楽しくないってことかなー、それは」

「いや、違うけど」


あっさりと返ってきたのは自分の予想と違う反応。今度はこちらが少しだけあっけにとられて、一瞬体も思考も動きが固まる。


「なんていえばいいんだろうなー。お前と一緒にいて、楽しくないなんてことはもちろんないんだけどさ。だけど、だから恋人とかそういった意味合いで好きかどうかって言われると多分、というか違うんだよ。だからなんていうか、ないわってことだな」

「……なるほど」


合点がいった、という声が自分の頭の中に響く。肯定にして拒絶。一言でまとめるなら、今秋沢が言ったのはオレに対して無意識に行われている明確な線引きだ。


秋沢のバカなところをオレが強く非難しないのは、そんなバカの事をオレが好きだから、というのが理由だった。

それは今の高校に入る前、中学に入るころがずっとそうで、まずは友達からと思って話をし続けている。最初の頃に目標としていた、好きな人と話をするという事は今は簡単に行うことができるけれど、それ以上の進展はそのころから全くなかった。今もスマホで上手な恋愛の仕方なんて調べてはみるけれど、それが実行に移せたことは一度もない。けど、秋沢以外の人を好きになる自分の姿をイメージすることもできなかったし、そして多分それはこれからもそうだった。


だから、多分これからも、オレは秋沢のつまらない撃沈エピソードを聞き続けるのだと思う。一番最初に撃沈してしまっているのは、オレの方なのにも関わらずに、だ。

そんな風に考えていると、何故だか少しだけ目の奥からこみ上げてくるようなものがあって、軽く右手で目を抑える。そうしたときとほぼ同時に、オレが頼んだチョコレートパフェスペシャルが店員のお待たせしました、という声と同時にテーブルに置かれる。


「……泣くほど嬉しいのか?」


右手を顔から離したときに、オレが泣いているのが見えたのだろう。まるで見当違いなことを秋沢は言ってきた。


「違うよ。つまらない撃沈エピソードに、ただ泣けてきたってだけの話」


きっと正しくは伝わらないのだろう。泣いているのがチョコレートパフェのせいだと思ってしまうようなやつなのだから。秋沢は首をかしげていた。

オレはチョコレートパフェスペシャルの一番上に乗っているバニラアイスの一部をスプーンですくって口に放り込む。拭きとらなかった涙は、頬を伝ってそのまま口の中にアイスと一緒に入り込む。

甘いはずのバニラアイスは、少しだけしょっぱい味がしたような気がした。

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