いだかう掌

 強くなると誓った。

 ただ逃げるだけでなく、守れるようになるために。



 とおく、泣き声が聞こえる。

 小さな女の子の声。

 そして、探し求める声。

「おにーちゃん、どこぉ?」

 涙まじりの声は切実に耳に飛び込む。

 目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。

 つられないように、気持ちを静め、そして声の主を探しに向かった。



 大きな公園だった。

 芝生の広場や、様々な遊具、バーベキューができる施設もあり、休日で行楽日和の今日は家族連れが多く、賑やかな歓声で溢れていた。

 そんな中でも決して薄れることなく泣き声は続いていた。

 楽しそうな人の間で悪目立ちしないよう、なるべく普通に、散歩でもする風を装って、途切れない声の元をさがす。

 早くたどり着きたい気持ちと、もう何も見たくない聞きたくない気持ちとがないまぜで、目の奥が痛くなる。

「うん。大丈夫」

 あの時の場所と似てはいるけれど、あの時ほど無力ではない。場数も踏んできた。怖がることはない。

  自分に言い聞かせるように小さく声にして、公園の敷地になってはいるものの、手入れがあまりされていない雑木林に躊躇いを押し殺し、足を踏み入れた。



 林に入ると湿気った空気で一気に体感温度が下がり、ざわめきも遠く、全く別の場所に来たかのような隔絶感があった。

 ざっと見まわし、虫が視界に入らないことに少しほっとする。

 足元に気を付けながらゆっくりと泣き声をたどる。

「おにーちゃんー、どこぉ」

 四、五歳だろうか。ピンクのパーカーを着た女の子がよたよたと歩いている姿が目に入る。

 あぶなっかしい、と思った瞬間、足を滑らせた少女は顔から転ぶ。そして大きな泣き声があがる。

 転んだ痛さだけではなく、限界だったのだろう。

 ひとり、歩き続けるのはどれだけ不安だっただろう。

「もう、大丈夫だよ」

 近づき、抱き起こすと少女はそのまましがみ付く。

 泣き声が胸に直接響いて、痛かった。

 


「一緒に、お兄ちゃんを探しに行こうか」

 泣き声が落ち着いてきた頃を見計らって、出来るだけ柔らかく声をかける。

「ん」

 涙をぬぐい、うなずいた少女に手を差し出すと、ぎゅっと握り返される。

 ちいさな手。

 自分との身長差と手の大きさの違いで普通につなぎにくいのか指先を掴む。

 ちょうど年頃が同じせいか、つい比べるように思い出す。

 あの時、それほど差のない二人の手は、一つのもののようにかっちりと組み合わさっていた。けれど今、少女とつなぐ手はするりと抜けてしまいそうに頼りない。

 だけど、今は。今の方が、ずっと。

「どうしたの? だいじょうぶ?」

 さっきまで泣いていた目が、こちらを心配するように見上げていて、あわてて笑みを張り付ける。

 なにを、やっているんだ。

「うん。ごめんね。行こうか。お兄ちゃんはどっちの方へ行ったかわかる?」

「あっち」

 林の奥の方へ、引っ張られるままについて行く。

 初めは急ぎ足だった少女は、だんだんと足取りが重くなり、そして完全に立ち止まってしまう。

「道、わからなくなった?」

 黙って首を横に振る少女の顔を見ながら、言葉を待つ。

「やっぱり、やめる。おにーちゃん、おこるもん。ジャマ、来るなって言った。みゆがいると、めんどくさいって」

 俯いた顔から、ぽたぽたと涙が落ちる。

 この年頃の子供は一歳でも大きな差があるだろうから、自分と同じことができない妹の存在を煩わしく感じることもあるのだろう。

「でも、お兄ちゃんはみゆちゃんに謝りたいって思ってるかもよ? ひどいこと言っちゃったって。やっぱり、一緒に遊ぼうって言うかも」

 本当なんて知らない。ただ、安心させるだけの言葉ではあったけれど、少女の気持ちは少し上向いたようだった。

「もし怒ってたら、僕からも話してあげるから」

 うれしそうに笑った少女から、ほんの少し目をそらした。



 少女の手から流れ込むイメージで『おにーちゃん』のイメージを掴みとる。

 おそらく少女の一つか二つくらい上。

 元気でやんちゃそうで、ケンカもするけど、大好きな気持ちが伝わってくる。

 少女と並んで歩きながら、ゆっくりとそのイメージを形作る。

 少し先の木陰から『おにーちゃん』らしきものの幻影を少女に見せる。

「あ、おにーちゃん」

「みゆ。何してるんだよ。いくぞ」

 幻影が少女を呼ぶと、つないでいた手はほどかれる。

 駆け寄った少女は幻影としっかりと手をつなぐ。

 そして、迷子の幽霊は空気に溶けて消えた。



 来た道を戻る気にならず、そのまま奥へ進む。

 道路へ抜ける直前、自分と同じくらいの少年の姿が目に入る。

 樹の根元に小さな花束を手向ける様子を、息をひそめて見つめる。

 その横顔に、少女の『おにーちゃん』の面影を見つけてしまう。

 会わせてあげれば良かったという思いと、幽霊と生者を関わらせるべきではないという自己保身的な考えが胸に重く沈む。

 少年が立ち去るのを待って、ゆっくりとため息を落とした。


                                  【終】

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