とどまる日々
溜息ひとつ零して、通話を終了した携帯をポケットにつっこむ。
もうひとつ溜息をつこうとしたところに何かに引っ張られ視線を下げる。
黒いマントに、ジャック・オ・ランタンのかぶりものをしたこども。
表通りで、【ハロウィンまつり】などという貼紙を見かけた気がするから、そこから抜け出してきたのだろう、と考えて小さく苦笑いする。
ありえない。
「とりっく・おあ・とりーと」
たどたどしい口調のカボチャお化けと目が合う。
関わるべきか。束の間、迷ってポケットを探る。
「なんか持ってたかな」
もともとお菓子を食べる習慣があまりない。運よく持っていたこの飴は昨日友人からもらったものがそのままになっていただけだ。
「とりあえず、これ」
何もないよりはマシだろうと、こどもの手のひらに飴玉を二つのせる。
昨日ひとつ口にした感じでは、ノドによさそうではあっても、こども向きではない味だったけれど。
「ありがとう」
そんな飴を大事そうに握りこんでぺこりと重そうなカボチャ頭を下げる。
妙に生真面目なその様子に思わず笑みがこぼれた。
「ちょっと待ってて」
寒そうに見えるこどもに上着をかけてやり、表通りに走った。
まだいるか、いなくなってしまっているか、半々だと思っていた。
いてほしいという想いと、いなくなっていれば良いという想いも、また。
「おまたせ」
その場から一歩も動かず、立ち尽くしていたこどもの前に立つ。
「これもあげるよ」
買ってきたこども向けの駄菓子イロイロがはいったコンビニの袋を渡す。
こどもの視線がコンビニの袋とこちらの顔とを行き来する。
「おれは食べないから。キミがもらってくれないとゴミになっちゃうんだけど」
困ったように言って、更にこどもに差し出すとようやく受け取り、思い切りあたまをさげる。
「ありがとう」
言葉と同時にコロコロとカボチャあたまがころがっていく。
「どういたしまして。で、どうしたの、こんな所で。みんなとはぐれちゃった?」
オレンジ色のプラスチックのカボチャを拾い上げながら尋ねる。
そうでないことはわかっている。それでも、そのことをこちらから指摘するのは躊躇われた。
「ちがうの。わたしもやってみたかったの」
これは、気付いているのだろうか。
「ハロウィンを?」
確かにこどもにとっては楽しいお祭りかもしれない。
仮装ももちろん、お菓子ももらえるし。
こどもはうなずく。
「おまつり、ついて行ったんだけど。わたしだけ、お菓子もらえなくて。仲間はずれ」
微妙な感じだ。どうするべきか。
こどもに悟られないように小さく溜息をつく。
こんなこどもに、事実を突きつけるのは気が進まない。偽善的な感傷であるとわかってはいても。
「でも、おにいちゃんがくれたから。よかった。うれしい」
無邪気な笑みを向けられ、目を伏せる。
「おにいちゃん、どっか、痛い?」
下から覗き込んでくる心配げな顔に笑い返す。
「いや。大丈夫だよ。ありがとう。やさしいね」
こどもに気遣われたことに対する自嘲を隠す。
「ちがうの。やさしくないの。悪い子なの」
こどもは首を横に振る。
「なんで?」
しゃがみこみ、目線をあわせる。
「だって。ここにいちゃいけないんだもん。ほんとは……でも、」
こどもは地面を小さく何度も蹴る。
知っているかどうかはわからない。だが、わかってはいるのだ。
「ハロウィンがやりたかったから?」
「……こわかったの」
下を向いたまま、ぽつんと落ちる言葉。
あたりまえのことだ。
小学校低学年のこどもが、家にも帰れず、誰とも話せず、交じることができないまま。いったいどれだけの時を過ごしたのか。
限りない不安と、それ以上に消えることへの恐怖。
「そう、だよね」
「まっくろな穴が、追いかけてくるの。こわい」
それはこどもの持つ、恐怖のイメージ。
「手を貸して」
のど飴をまだそのまま握りこんだ手を開かせる。
ひとつをコンビニ袋に入れて、もうひとつを包みから出し、きれいな薄緑色の飴をこどもの手のひらに落とす。
「両手でそっと握って?」
壊れ物を扱うようにあめを包むこどもの小さな手を両手で触れ、そっと吐息をかける。
「開いて良いよ」
手を放し言うと、こどもはおそるおそる手のひらを開く。
やわらかな光を放つ飴に、びっくりしたように、見惚れるようにそれに目を奪われているこどもに声をかける。
「これは怖くない?」
じっと見つめたまま、こどもはうなずく。
「良かった」
ひかりは徐々に大きく広がり、ついにはこどもを包みこむ。
ひかりが収束したそこには、こどもにかけてあった上着と、中身そのままのコンビニの袋だけが残る。
それを拾って、その場を離れる。
表通りには様々な格好をしたこどもたちのにぎやかな行列。それを横目にコンビニの袋を持ったまま通り過ぎる。
消してしまったこどもの、静かな笑顔がいつまでも目の奥に残っていた。
【終】
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