幽想寂日

moes

ささめく庭


 耳を閉ざし、ただ待ち続ける。

 ずっと。ずっと。

 また会える、その時まで。



 うす明るい、小雨模様の空に唐突にさした影に、思わず見あげるように振り向く。

「やっと、こっち向いてくれた」

 やけに嬉しそうに、安心したように、ひょろっこい感じの青年が微笑む。

 影の正体は彼の差し出した傘だったようだ。

「毎日、ここに立ってますよね?」

 二十歳そこそこ、といった感じだろうか。

 整った顔立ちに、高い身長。物腰も柔らかくて……出来すぎていて、胡散臭くなりかねないぎりぎりのところだけれど、まぁ、女の子にはもてそうだ。

 私の好みのタイプじゃないけど。

「何か、用ですか?」

 ナンパ? などと思うほど自惚れていない。

 だからこそ不審で、言葉に棘がこもる。

 青年は気にした様子もなく、それでも微笑を静かなものに変える。

「何かを……誰を待ってるんですか?」

 何もかも見透かしたような言葉。

 無視しても良かったのだけれど、それにはちょっと飽きていた。

 ただひとり、居続けるのが淋しくなったのかもしれない。

「私、ここで結婚式をする予定だったの」

 アーチ状の門扉の向こうの白いチャペルを見る。

 子供の頃、従姉がここで挙式して、それを見て以来ずっと憧れていた。

 六月に、ここで式を挙げたい。

 今も幸せな結婚生活を続けてる従姉にあやかって、なんてちょっと言い訳めいたものを付け加えてみたりして、いった言葉に彼は笑ってうなずいたのに。

「なか、入っちゃいましょうか」

 青年の傘を持たない片手がいつのまにか、門扉を開けている。ひと一人入れるくらい、細く。

 顔を見上げるといたずらっぽい笑み。

 返事を待たず、先に身体を滑り込ませる青年のあとに続く。

 丁寧に整えられた芝生の広がる庭。

 休日には幸せそうな歓声のひびく庭も、平日の今日はしんと静まったまま、微かに雨が木の葉をたたく。

「きれいな、ところですね」

 木陰が雨をさえぎる樹の下のベンチに座り青年は静かなため息のように呟く。

「……憧れてたの。疑ってもなかったの。絶対幸せになれるって。彼のこと、大好きだったし、彼も私のこと大事にしてくれてたし」

 青年の隣、少しあいだを空けて座り、まっすぐ正面を見て言う。

「彼は包容力があって、やさしくって、ほんとにやさしくって。……未だに何がいけなかったんだろうって、思うんだけどね」

 いくつも年下の男の子に、何をかたっているんだろう。

 でも、青年にはそれをゆるす雰囲気がある。

 視線をほんの少し青年に向けると、無言のまま、目を伏せる。

「やさしいっていうのも考えものよね。私にだけ特別にやさしい、なら良かったのに」

 誰にでもやさしいなんて、それってただの八方美人で、どっちつかずなだけだ。

「結局、別の女の子と、いつの間にか付き合い始めて、その子と結婚することになったって」

 寝耳に水だった。

 二股掛けられていることも気づいてなかった。

 その彼女は、彼の高校時代の同級生で、同窓会で再会して、彼女の恋愛相談に乗ってて、そのうちに……で、彼女に子どもができて。なんてお決まり。なんて、ありがち。

 だからといって自分の身に降りかかれば笑いごとじゃない。

 散々けんかして、揉めて、くたびれて。

「ウサ晴らしに、お酒飲みすぎてさ」

 あ、と思ったときはもう遅かった。

 ぐでぐでになった脚に、踏ん張る力が残ってるはずもなく。

 近道した公園の石段から。

「まったく。振られて、世をはかなんで。なんて思われてそうで、腹が立つよね」

 笑い飛ばすようにいって、見上げた顔は困ったような笑みを浮かべていた。どこか哀しげにみえる。

「別に、今更、彼に未練があるとかではないんだけど。たぶん。……ただ、私はここで、ここから幸せになるんだって想ってたから。はなれ難くて」

 ずっと、「誓います」というのが夢だった。

 病めるときも、健やかなるときも。

 死が二人を別つまで。

 それよりも先に、自分が死んでしまうのは想定外だったけど。

「それで、ずっとここに?」

「……やっぱり、未練があったのかな? 彼が来てくれるのを待ってたのかもしれない。ほんとは。ただ」

 ここに来て、彼が、少しでも私を想ってくれる。その時を。

「来たのが僕なんかで、ごめんなさい」

 おどけた風に青年は言う。けれど、そう装っているだけで、その実、わりと本気の言葉なんだろうと思う。

 でも、その気遣いにのって、軽く返す。

「いえいえ。キミみたいなかっこいい子なら本望だよ」

「僕のことなんかタイプじゃないって思ってたのに?」

 わざとらしく眉をひそめた顔に思わずふき出す。

 気付かれてたのか。

「好みと目の保養はまた別だから」

「そんな、笑いながら言われても説得力ないですよ」

 むくれて見せる。

 いい子だな。

「キミは、やさしいね」

 青年は答えず、うつむく。

「でも、通りすがりの、幽霊なんかにまでやさしくすることないんだよ?」

 ずっと聞こえないふりをしていたけれど、何度も何度も心配そうにかけてくれた声を覚えている。

「……別にやさしいから、声をかけたわけじゃないんです」

 どこか自嘲的にも聞こえる呟き。

「いいんだよ。私はやさしくしてもらったって思ってるし。それが嬉しかったんだから」

 例え、青年に何か思惑があったとしても。

 こうして話を聞いてくれて、気遣ってくれたのは事実。

「でも、キミは元彼みたいにはならないでね?」

 からかうように言ってやる。

 大丈夫だろうけど。言うまでもなく。

 やさしさを間違えたりしないだろう。

「はい」

 返ってきた笑顔は、すこし哀しげなまま。

 それを、どうにかしてあげたいななんて、思ったりした。



 淡い雨に、溶けるようにうしなわれる。

 消えてもらうために声をかけた。それだけのために。

「やさしいのはあなたですよ」

 消える直前の、やわらかな声が耳にいつまでも残る。


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