其ノ弐拾五 ~決意~
「……!!」
震えるような涙声を千芹が発した後、一月の部屋には沈黙が訪れた。雨音だけが支配する部屋の中、一月は突然の出来事を呑み込めずにいた。
千芹が突然、自分の頬を叩いた事、そして彼女が突然、涙を流し始めた事。
(どうして……!?)
目の前の少女が、何故自身を涙を溜めた瞳で見つめているのか。
少年には全く分からなかった。
分からなかったが、彼は白和服少女から何か――真に迫る物を感じ取っていた。千芹に見つめられると、彼まで悲しい気持ちになる。まるで、彼女の感情が一月の中に流れてきているかのような感覚だ。
「……」
千芹は一度、一月から視線を外す。
彼女はその手を和服の袂に入れて、探り始めた。一月がこれまで何度も見て来た、彼女の仕草である。しかしながら今回千芹が取り出した物は、一月や一月の母を鬼から救う際に用いた小刀でも無く、茶の入れられた竹製の筒でも無かった。
見覚えのある、灰色の日記帳である。
「それって……!!」
千芹が袂から取り出したのは、紛れも無く琴音が生前書いていた日記帳。廃屋で一月も見た、灰色表紙の日記帳だった。
いつの事だが分からないが、彼女は日記帳を廃屋から持ち出していたのである。
「……」
一月の驚く様子を全く意に介さず、千芹は日記帳を捲り始めた。
そして、少女はあるページを開くと、一月に向かってそのページを見るよう、日記帳を差し出す。
「……っ」
どこか困惑しつつも、一月はその開かれたページを見る。
千芹が開いたのは、一月にとって最も所縁のあると言っても過言でないページだった。二年前の九月二十三日、一月と琴音が喧嘩をした日の日記である。
『二○××年、九月二十三日。
今日、いっち×と×××を×た。
彼とこ×な風に×ン×したこ×は、今×で一度も無××たと思×。
××ちぃ、ひ×い事言×て』
汚れと傷みが酷い上に、そこから先の部分が破り取られたページ。千芹は書き綴られた琴音の文字に指を添えつつ、一月に言う。
「これきっと……こうかかれてたんだと思う」
千芹は続けた。
微かに涙の混ざった、悲哀の気持ちが感じられる可憐な声で。
「今日、いっちぃとケンカをした。
彼とこんな風にケンカをしたことは、今まで一度も無かったと思う。
いっちぃ、ひどい事言って……」
読み取れない部分を自身の声で補い、千芹は読み上げた。文章の脈絡、字の大きさ、字間のスペースの幅。それら全てを考慮すると、確かに千芹が言ったように書かれているのが自然だった。
「……やっぱりそうだよ、琴音は僕の事を恨んでいたんだ」
確かに、そこの部分だけを見れば、琴音は一月を恨んでいたと読み取っても不自然は無い。
しかし、千芹は即座に否定した。
「ちがうよいつき、そんなことない!!」
出まかせで言っているのではなく、何か確信を持っているような千芹の様子。
一月は訊き返した。
「何でそんな事が言える、琴音は絶対、僕を――」
一月がそこまで言った時。
千芹が、一枚の紙を袂から取出し、一月に差し出した。
「……!?」
繋げようとした言葉を止め、少年は灰色の日記帳を片手に、その紙を受け取る。
千芹が取り出したそれは、破れたノートの切れ端だった。ボロボロに褪せた一枚の紙に、一月は視線を巡らせる。
「これって……!?」
そこに並んだ字を見て、一月は驚愕した。正真正銘、琴音の字だったのだ。
(まさか……!!)
その内容を確認するよりも先に、一月は灰色の日記帳を開く。
ページが破り取られた九月二十三日のページに、千芹から渡された切れ端を当てる。パズルのピースが上手く組み合わさるように、日記帳と切れ端の破れ目が合致した。
「九月二十三日の琴音の日記の……破れた部分……!!」
「いつき」
千芹に呼ばれ、一月は少女を振り向く。
少女は少しの間一月の目を見つめた後、告げた。
「よんでみて、そしたらきっと……わかるから」
「……」
小さく頷いて、一月は日記帳と切れ端の部分を繋げて読む。
『今日、いっちぃとケンカをした。
彼とこんな風にケンカをしたことは、今まで一度も無かったと思う。
いっちぃ、ひどい事言って――』
ここまでが、先程千芹が保続して読んだ、日記帳に書かれていた部分。そして、その先――白和服少女が差し出した切れ端には、こう続いていた。
『――ごめんね……いっちぃの事励まそうと思ったんだけど、私、余計な事しちゃった。
お父さんが亡くなって悲しんでる時にあんな無神経な事言われたら、いくら優しいいっちぃだって怒るに決まってるよね。
それなのに私、謝りもしないで逆ギレみたいなことして、いっちぃにバカとか大っ嫌いだとか、最低な事言っちゃった……。
何年も前からの大切な友達なのに、私が意地張った所為で深く傷付けちゃった……。
ごめんねいっちぃ、本当にごめん……。
謝っても許してくれるか分からないけど、明日ちゃんといっちぃに謝ろうと思う。
許してくれなくても、それでも謝る。
もしも許してくれたのなら、もう一度いっちぃと一緒に剣道に励んで……。
そして昔みたく彼と一緒に、笑い合いたい。』
日記帳と切れ端を持つ自身の手が震えている事に、一月は気付いた。
「琴音……!!」
生前の琴音が抱いていた、本当の気持ち。
それを知った一月の瞳には、涙が滲んでいた。
「ことねもね、今のいつきと同じだったんだよ」
千芹は続ける。
「いつきにひどいこと言った事、こうかいして、くやんで……」
一月は、視線を日記帳と切れ端から、千芹へと向けた。
「でもね、その日記に書いてるとおり、ことねはいつきの事……全然うらんでたりはしてなかった。だけど、鬼にころされた所為で、鬼の負念にとりこまれて……」
「自分が殺される原因を作った僕に……憎しみを爆発させるようになった」
座ったまま、一月は両目を手で覆う。
涙の雫が指に触れる感触を、彼は感じた。けれども、琴音が味わった気持ちは――こんな程度の物では無かった筈だ。
九月二十四日、琴音は一月に謝るつもりだったが、それは叶わなかった。
葬式での事を一月に謝る前に、琴音は殺されてしまったから。酷い事を言った事について一月に謝る事が出来ないまま、彼に対しての罪悪感を抱いたまま、琴音は死んでしまった。
どれほど心残りだった事だろうか……想像するには、余る物があった。
「……畜生……!!」
漏らすように呟く一月。
琴音が自身を恨んでいなかった事を知り、彼は僅かばかりの安堵を覚えた。けれどそれ以上に、悔しさが勝ったのだ。
千芹は、彼の手を両手で取った。小さな両手が、少年の手を包む。
「……?」
人間の手と何ら変わらない温もりを持つ、白和服少女の両手。
千芹は凛とした眼差しで、一月を見つめていた。
「ことねはきっと、もう二度とじぶんのような目に遭う人が出ないことをねがってる」
「……」
琴音の日記帳を持つ一月は、千芹の言葉へ耳を傾ける。
「今度こそおわらせよう? いつき……」
その言葉と共に、千芹は古びた真剣を差し出した。
彼女のその動作がどのような事を暗示しているのか、一月には簡単に理解出来た。無言のまま、一月は千芹が差し出す天庭を見つめていた。
「分かった……!!」
琴音の日記を見た事で、彼女の真意を知った一月。彼にはもう、『死ぬ』という選択肢は無かった。
自身の想い人であった鬼と成った少女を、止める――。
(全部終わらせてみせる……琴音、君の為にも……!!)
決意に満ちた表情を浮かべる一月。
彼は灰色の日記帳を置き、空いた手で、千芹が差し出す天庭を受け取った。
琴音の為、そして自分の為に。一月は、決意した。その場から立ち上がり、一月は部屋を後にする。
千芹もその後ろへ続く。
二人が向かう先は、あの廃屋だった。
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