其ノ弐拾四 ~千芹ノ悲哀~


「……!!」


 目を覚ました時、一月は自室に仰向けになり、天井を見上げていた。

 耳障りな雨音が鼓膜を揺らす、初めて廃屋に赴いた後と、寸分違わず同じ状況だった。


「いつき……」


 千芹が側に居た事も同様。

 体を起こし、疲弊したように一月は額に手を当てる。彼の側で、千芹は心配そうな眼差しを少年に向けて送っていた。

 彼女は、両手に古びた真剣――鬼に相対することの出来る霊刀、天庭を持っていた。しっかりと、鞘に納められている。


「うぐ……!!」


 一月が発したのは、喉から発せられるような苦しげな声。それ以上、彼は何も言葉を続けなかった。

 彼は自室の床に座り込んだまま、俯くように視線を下へ向ける。


「どうしちゃったの? いつき……」


 数秒の沈黙の後、千芹は問いかけた。けれど一月は、視線を全く動かさない。

 すると少女はさらに、言葉を重ねてくる。


「じぶんから、鬼に殺されようとするなんて……」


「……」


 無言、そして沈黙。千芹の言葉に、一月は全く反応を示さなかった。

 千芹が言っているのは、先程の廃屋での出来事の事。そう、一月は鬼との勝負を放棄し、天庭を捨て去ったのだ。そして彼は自ら鬼に、琴音に、殺されようとした。

 もしも千芹が天庭から離れて助けなければ、彼は間違いなく鬼に殺され、取り込まれていただろう。


(もしかしていつき、あの事を……?)


 千芹が心中で呟く。

 沈黙していた少年が、ようやく口を開いた。


「僕の所為だったんだよ。琴音が鬼に殺されたのは……」


 呟くかのように発せられた少年の声が、部屋に小さく届き渡る。


「今の今まで、全然思い出せなかった……あんな事があったなんて……!!」


 その言葉で、千芹は確信した。

 確信せざるを得なかった。


(やっぱりいつき、思い出しちゃったんだ……!!)


 天庭を抱えたまま、千芹は問う。


「……どういうこと?」


 一月は、


「琴音が殺される前の日は、僕の父さんの葬儀があった。その時……僕、励まそうとしてくれた琴音に八つ当たりして、彼女に酷い事を言って、傷つけて……」


 千芹は無言のまま、一月の言葉に耳を傾けていた。

 窓の外で雷鳴が轟き、部屋の中が明るく照らされる。雨脚は、さらに強くなっていた。まるで、今の一月の心境を表すかのように。


「それが原因で琴音は鬼に付け入られて、殺されたんだよ……」


 一月は片膝を立てて、額をその膝へ押し当てるような体制を取る。

 露わと成った真実、罪悪感に苛まれているのが、千芹にも見て取れた。


「……でもいつき、今までそのこと、本当におぼえてなかったの?」


 一月の言葉の間を見計らって、千芹は問う。


「ことねとけんかしたなんてこと、そう簡単にわすれる? いつき、仲良かったんでしょ?」


 千芹の言う通りである。

 最も仲の良かった親友と喧嘩をした事を簡単に忘れるのは、まず在り得ないだろう。相手が仲の良い友達であればあるほど、記憶に焼きつく筈である。


「……殺された琴音を見た時」


 直接の返答をせずに、一月は千芹にそう返した。


「僕、警察を呼んだ後……その場で貧血起こして、倒れたんだ」


 その時の事を、一月は二年経った今でも鮮明に記憶している。

 惨たらしく殺された琴音、その死体の第一発見者は、皮肉にも一月なのだ。親友で想い人でもあった琴音が、腹部を裂かれ、身を血に染め、瞳を充血させ――あまりに凄惨で、残酷な光景。一月は耐え切れず、その場で貧血を起こしてしまったのだ。


「その時、頭に固い物がぶつかって、すごく痛かったんだ……病院の先生は、倒れる時に頭を石か何かに強く打ったんだろうって言ってた。手当てするだけで十分、別に詳しい検査をする必要は無いって……」


「じゃあ、そのときに……?」


 一月は恐る恐る、自身の頭部に手を触れる。

 髪に隠れる程の大きさだったが、その際の頭部の外傷は彼の頭に残されていた。


「それしか考えられない……」


 頭部外傷による、記憶障害。

 それが、一月が琴音と喧嘩したという記憶を失っていた原因。単なる偶然か、或いは運命の悪戯なのか、彼は倒れて頭を打ち、その部分の記憶だけを綺麗に失っていたのだ。 

 つまり一月はこれまでの二年間、琴音と喧嘩し、彼女を深く傷つけたと言う事実を忘れていた。言い方を変えれば、二年前の九月二十四日に、『その一つの思い出を置き忘れていた』、と言う事になる。


「……どうしてさっき、僕を助けた?」


 膝に額を当てたまま、一月は少女に問う。

 思いもしない問いかけに、千芹は一瞬、返す言葉を失う。


「僕はもう、生きてる事なんて出来ない……琴音を死に追いやって、何人もの人が殺される原因を作ったんだ……」


 一月は、廃屋で殺されていた二人の女子高生の事を思い出した。鬼と成った琴音が居なければ、彼女達も殺されずに済んだだろう。

 つまり、彼女達が殺される原因を作ったのも自分自身、一月はそう思っていた。

 圧し掛かるような自責の気持ちに、彼は耐え切れないのだ。


「黙って死なせてくれれば良かったのに……」


「そんな事言ったらだめだよ……!!」


 悲痛な気持ちの込められた、幼い少女の言葉。一月は僅かに顔を上げて、千芹を見る。

 白和服少女は片手に鞘に収まった天庭を持ち、もう片方の手を胸元で握っていた。


「いきてる人が自ら命を捨てるのをみすごすのは、わたしたち精霊にとって一番おもい罪のひとつなんだよ、どうしてだとおもう……!?」


「……」


 哀願するように、幼い少女は言葉を放ち続ける。


「じぶんの意思で命を捨てることは、自ら鬼になる道を選ぶ事だから。じぶんの意思で命を捨てた人は、『りんねのせかい』に閉じ込められて、いっしょうくるしみ続ける……成仏することは、えいきゅうに出来ないの……!!」


 非現実的な話だった。

 しかし、一月には信じられた。鬼に殺された生者は通常、琴音を例に、鬼に取り込まれることになる。

 けれど、自ら望んで鬼に殺された場合は、少しばかり違うのだ。その場合は『自殺』とみなされ、千芹の言う状況が適用される。


「その苦しみからのがれるには、鬼に取り込まれるしかないの……鬼になれば『りんねのせかい』からでられて、現世に居られるから……!!」


 輪廻の世界で苦しみ続けるか、鬼と成って現世に降り、生者を襲って自身の負念を鎮めるか――。

 大多数の死者は、後者の道を選ぶ。自殺した者は、輪廻の世界で課せられる苦しみに耐えきれず、鬼と成る道を選ぶ。千芹の言った、『自身の意思で命を捨てることは、自ら鬼と成る事』という言葉に間違いは無い。

 しかし、一月は、


「大丈夫、僕は鬼に成ったりしない。僕なら一生苦しむ道を選ぶ、琴音もきっと……それを望んでる……」


 彼は最早、生きる気力を失っていたのだ。自身が琴音にした、取り返しのつかない事。彼女を傷つけ、死に追いやった罪を、自らが望む形で償おうとしているのだ。

 自らの意思で鬼と成った琴音に殺され、千芹の言う所の『一生の苦しみ』に、自らを捧げようと――。

 千芹は、彼の意思をどうにかして変えようと、一月を説得しようとする。


「思い出していつき、ことねはそんな事を望むような人だった!? いつきが苦しむのを見たがるような、そんなざんこくな人だった!? いつきの目には、ことねがそんな人に見えてたの!?」


 幼い少女の、微かに涙の混じった可憐な声が、一月の部屋に響き渡る。

 次の瞬間、一月は声を張り上げた。


「見えるわけないだろう!!」


 しかし、次に一月が発した声は、再び呟くかのような覇気に欠ける声だった。


「けど……本当は琴音は、僕の事なんて取るに足らない存在だと思ってたのかも知れない……」


 一月にとって琴音は古くからの親友であり、初恋の相手でもあり、居なくてはならない大切な存在だった。

 しかし、琴音の方は一月をどう思っていたのか――それは、一月には分からない。

 鬼となった琴音の姿が、彼女が自分に向ける煮えたぎるような怒りや憎しみ、そして殺意が、頭から離れないのだ。


「もしかしたら琴音は、僕の事なんて嫌っていて……自分の前から居なくなってしまえば良いって思ってたのかも知れない……」


 勿論、一月はそんな事を考えたくは無かった。

 けれど、彼の思考は悪い方向に進んでいく。


「……」


 千芹は悲しげな表情を浮かべ、彼の言葉を聞いていた。


「彼女が僕をどう思ってたのかなんて、分かる訳が……」


 そこまで一月が言った時、彼は自身の側に、誰かが立っている気配を感じた。

 床に座ったまま、一月は視線を上げる。


「……!!」


 一月の側に、千芹が立っていた。

 数秒前までは離れた場所に居たのに、今は一月の間近に居る。手を伸ばせば、届く程の距離だ。

 一月と千芹は、数秒の間互いの視線を合わせる。

 そして、白和服少女の口から――発せられた。


「いつき」


 その言葉の直後。

 乾いた音が、一月の部屋に響き渡る。


「っ……!!」


 突然、一月の右頬に痛みが走った。

 彼の視線が横に向き、頬が熱を帯びる。何が起きたのか、理解出来なかった。


「どうして……!?」


 涙の混ざった声で発せられた、少女の声。


「どうしてそんな悲しい事、いうの……?」


(え……?)


 頬に手を当て、一月は千芹を見つめる。千芹もまた、一月を見つめていた。

 幼い少女の瞳にはなみなみと涙が溜まっていて、大粒の一雫が彼女の頬を伝い――零れ落ちた。

 一月はようやく、状況を理解出来た。先程の乾いた音と、彼の頬の痛みの原因が。


 千芹がその小さな手で、一月の頬を叩いたのだ。





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