第2話

倒れこんだ芝生に海風が運んだ潮の香りが漂う。不本意にも仰ぐことになった青空は澄み切り、白い雲に紛れるようにカモメが飛んでいる。

また、負けた。

背を打った痛みも忘れてヴァイス・リンドヴルムは悔しさに顔を顰めた。


「これで、俺の499勝32敗だな」


童顔と言われるヴァイスと二つしか変わらないのに、大人っぽい切れ長の目にいかにも利発そうな顔立ちの美少年の影が頭上に降ってきた。

何故かその不敵な笑顔を見ると、ヴァイスはいつもついつい顔が緩んでしまう。


「ジーク兄さんが強過ぎるんだよ」


悔しかったのも忘れかけながら苦笑して身を起こすと、ジーク・リンドヴルムは自分が吹き飛ばしたヴァイスの木の槍を手渡した。


「兄さんはもう王国でも五本の指に入る剣の使い手なんだから僕じゃあ相手にならないでしょ?」


受け取りながら拗ねたように自嘲気味に言うとジークはヴァイスの銀髪の頭をくしゃくしゃと撫でながらまた笑った。


「ばーか。俺はヴァイスとこうやって試合するのが一番楽しいんだよ」

「弱い者イジメだ」


非難するような声を上げながらも、ヴァイスもまた笑っていた。


「王国中探しても、俺に32回も勝ったヤツはお前だけだろ」

「500戦以上もしたのが僕しかいないだけじゃないか」


そんなやりとりをしつつ、ヴァイスはジークをどこか遠い目で見つめる。


ーーいつか、兄さんと対等な武人に。


そして王となったジークの支えとなる。二人でこのリンドヴルム王国の更なる繁栄を。それはヴァイスが幼い頃からの変わらぬ夢。


「なんだよ、ジッとこっち見て。気色悪ぃな」

「そのうち兄さんの身長抜かして、僕が兄さんの黒髪ボサボサの頭撫でてやろうと企んでた」

「んだと、ナマイキな!」


「王太子殿下! ヴァイス!」


じゃれつく二人の元に突然響いた凛とした女性の声。それは二人にとって当然のように聞き慣れた人のものだ。


「姉さん!」

「おい、レイ! いい加減に俺のことはジークと呼べと言ってるだろう!」


ヴァイスと同じ銀の艶やかな長髪を靡かせ駆け寄ってきたレイ・リンドヴルムは、ヴァイスにとっては姉であり、ジークにとっては恋人である。絶世の美女であり清廉な心の持ち主だったという母親の特徴を強く受け継いだレイと、誰からも反対されようもない未来の王、ジークのカップルは国内でも有名であり国民たちの羨望の的だ。


「二人とも、お昼ご飯の時間ですよ。陛下はもう先にお待ちになられてます」

「レイ!」


無視されたのがカチンと来たのか不満の声を続けるジークの唇にレイは人差し指を当てる。


「その話はまたあとでね。『ジーク』」


彼女はこの三人以外誰にも聞こえないように、囁くような声で諭すようにその名を呼ぶと、不意を受けたからか、レイの色香からか、ジークの顔は沸騰するようにみるみる赤く染まった。


「兄さん真っ赤っかになってら」


腕を後ろで組んでケラケラと笑うそんなヴァイスの冷やかしは、握った拳を頭に落とされて黙らされた。

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