第6話 ランプの魔人 VS 重度の鬱



 とある森を抜けた先に現れる断崖絶壁。五十メートルはあろうかという崖下には、日本海の荒波が轟々しく荒れ狂い、水飛沫を高々と上げている。


 絶壁の間際に、背を丸めた中年の男が一人、生気の欠片も見えぬ表情で、立ち惚けていた。

 視点の定まらぬ虚ろな眼で正面を見据えたまま、ゆっくりと歩を進める。足先が宙に出た所で、微かに響いた金属音に首を傾げ周囲を見回す。五メートル程離れた草むらに、長い歴史を纏う銀色のランプが転がっていた。男はぼんやりとした鼻息を吹き、虚ろな眼差しは変わらぬまま、ランプに近づき拾い上げた。そして、約束事のように、二度撫でる。


 ボヤヤヤヤーンッ!!


 灰色の煙がランプの口先から吹き出す。同時に三メートルはあろうかという筋肉質な体つきの、紫色の肌をした紛う事なき魔神が、意気揚々と姿を表した。色とりどりの衣服を羽織り、下半身はランプの口先に収まっている。


「呼ばれて飛び出てジャジャジャーンッ」ランプの魔神は、それはそれは陽気にはしゃぐ。


「くだらない」男はランプをそっと地面に置いて、絶壁に向かい再び歩き始めた。


「さぁ飛び出したるはどんな願いも叶えたもうランプの魔神!! 今回のご主人様はどんな願いを望むのか!? さぁさぁ一つ、どんな願いでもただ一つ、この僕が叶えてさしあげましょうって、ちょっとちょっと、無視とかマジ有り得ないんですけど!!」魔神は焦った様に、絶壁にゆっくりと進む男の前に立ちふさがる。


「こんな陳腐な幻覚まで見え始めたのか、俺は。早く死んでしまおう」男の表情はさらに落ち込み、立ちふさがる魔神を気にする素振りもなく足を進め、その筋肉質な身体に衝突して歩みを止めた。


「ヘイヘイっ、理解したかい、ご主人様? 幻覚じゃ無いんだなぁコレが!! ご主人様に武力を振りかざすのは禁止されてるけど、身体に触れることぐらいは出来るんだぜ!! さぁ、もう一度言うぜ!! どんな願い事でも一つだけ叶えてしんぜってオイオイオイオイッ。思ってたリアクションと違うんですけどっ」


 男は魔神を避けて、絶壁へ近づいていく。


「話ぐらいしようぜっ!! ご主人様」魔神は再び、男の前に立ちはだかる。


「退いてくれないか?」男は睨むでも呆れるでも無く、ただ虚ろな眼差しを魔神に向けて立ち止まる。


「それが願い? それでいいのね? 僕退いちゃうよ? ご主人様? じゃあこう言ってくれる。俺でも私でも我でも僕でも一人称は気にしないからさ、目の前から退いてくれ、それが私の願いだ、みたいな感じで。願いを確定してくれなきゃ勝手に能力使えないようになってるのよ。僕」


 男は虚ろな目線を下げて、魔神を避けようと横に逸れた。

 魔神はすぐさま男の前に立ちはだかる。

 男はまた横に逸れる。魔神はすぐさま立ちはだかる。男はまたまた横に逸れて、魔神は楽しそうに立ちはだかる。

 男は――


「いい加減にしてくれないか」男は疲れ切った上目遣いを魔神に向けて、溜め息でも吐くようにつぶやいた。


「ヘイヘイヘイご主人様。予想外の事ばかりで戸惑っちゃうぜ。人間っていうのは地球上で一番欲深いんじゃないのかい? 幻覚でもなんでも僕の事をどう思ったっていいからさ、とりあえず騙されたと思って願いを口にしてくれよ。どうせ信じちゃいないんだろ? だったらどうせついでに僕を助けると思ってさ」


 男は溜まり溜まった溜め息を吐いて、魔神を避けようと横に逸れる。

 魔神は――


「いったいどうしたっていうんだい? ご主人様。先に言っとくけど、僕を振りきるなら今の速度の一万倍で動かなきゃ無理ってもんだぜ」


 無駄に凄まじい速度で動き回りながら目の前に立ちはだかる魔神の言葉に、男は再び足を止めた。

「どうして……どうしてここまできて邪魔が入るんだよ。俺は自分で死ぬことも出来ないっていうのか」自身の情けなさに打ちひしがれるように、男の表情が歪み目からは涙が流れた。


「やっぱり死のうとしてたのかい、ご主人様? 確かに海水浴にしては無茶するなぁと思ってたんだよね。いやさ、僕だってご主人様が死のうとしてるのを止めてる訳じゃ無いんだよ。ほら、こんな所から飛び降りて死ぬんならさ、なんていうの、せっかく僕がいるわけだし、分かる? ご主人様。コレ以上は規則に引っかかるから口に出せないけどね。分かる? 僕はどんな願いでも一つだけ叶えられるわけだから。ね。僕らランプの魔神から願い事の先導は禁止されてるのよ。昔色々あってね。中国の方で。まぁそれはご主人様には関係無いんだけど。だからさ、ほら、さすがにここまで言えば分かるよね。正直僕もギリギリよ」


 男は魔神の言葉に耳を貸すことなく、地面に両手を付いて咽び泣いている。


「さすがにそろそろ喜んでよ!!」魔神は溜まった鬱憤を吐き出す。

「いや本当にどうしたのよ? 正直そんな邪険に扱われる事なんて想像してなかったんですけど。あれよ、大昔は僕に会いたくて何人も死んじゃったりしてんのよ。泣く人もそりゃあ居たけども、皆嬉しすぎて泣いちゃったパターンだし、そもそもどんな願い事も無償で叶える訳だから、嫌がられる筋合いが見つからないんですけど」


 男は泣き顔そのままにゆっくりと立ち上がり、もう一度絶壁に向かい足を一歩踏み出した。

 すぐさま魔神が立ちはだかる。その表情は不穏な驚きに満ちていた。


「マジっすか?」魔神は目も合わせず立ち止まった男に問いかける。

「マジどうすりゃあいいんすか、僕は」


「邪魔するなって言ってんだよっ」男は歪みきった泣き顔のままついに叫んだ。

「何もかも嫌になって、やっとここに来て全部終われると思ったのに、なんで邪魔するんだよっ」身体が怒りで震えている。


「マァジっすか? そんな事言うならこっちはそもそも論で返させて頂きますけど、ランプ擦ったのはご主人様じゃないっすか」魔神は不満げに話す。

「ランプ擦ったら出るっしょ。僕が。いやそりゃあ確率で言ったら出ないかもしれませんけど、出ると思って擦ったんでしょうが、そっちが」


「出るなんて思ってる訳ねぇだろ。死ぬことしか考えてなくて、ボーッとしてたら触ってただけだ」


「なんすかその言い訳。っていうかほら、そっち発信で出てきたのに邪魔とかなんすか。僕が傷つかないとでも思ってるんですか? 水銀の取り扱いより繊細なんすから、僕は」


「言い訳ってなんだよ。そもそも論で言うならそっちが先に音立てたんだろ。キンキンとかいって。それが無かったら今頃俺は死ねてたんだよ」


「それ僕に言われても困るんすけどね。魔法のランプってのはね、僕が作った訳じゃないんですよ。僕が誰かの願い叶えるでしょ、そしたら勝手に人気の無い所に飛ぶのよ。洞窟とか高い山の山頂とか無人島の砂浜とか田舎の古井戸とか、こういう何も無い絶壁とかね。それで人間が半径五メートルぐらいに近づいてきたら勝手に音が鳴る仕様になってるわけ。分かる? そういう仕様に文句言われても僕は全く関係無いですから」

 

「五月蠅いっ!! 退けよ」男は力ずくで魔神を押しのけようとしたが、全く動かない。


「だからさっきも言ったでしょ。ご主人様。それが願いなら、私の願いはそれだ、的な確定してくれなきゃ、僕は退くわけにいかないんだって。願いの先導は禁止されてるからコレ以上は話せないけど、僕が言いたいこと分かる? 僕はご主人様の願い叶えたらすぐにでも姿を消すから。もう分かるよね? 僕だって喜ばれると思って出てきたのに、邪魔だの五月蠅いだの言われてちょっと傷心気味なんだよ。一目散にランプに戻ってご主人様の悪口でも書き連ねたいってもんだぜ」


「じゃあ早く戻ればいいだろっ。なんで邪魔するんだよ? 頼んだかっ。俺が。願いを叶えて欲しいって」男は子供の様に、両腕を振りまくる。


「さすがにこっちが驚くよっ!! 今まで必然的に驚かす側だったのに」魔神はお手上げだと言わんばかりに、両腕を上に掲げた。

「こんなに複雑な感じ初体験なんですけど。いつもはすぐ終わるのよ。食い気味に願いを言う人間だっていたぐらいだもん。いやね、僕だってご主人様の邪魔がしたいわけじゃないんだよ。ただ今の状況でご主人様が死んじゃったらね、色々と罰則があるわけ。まぁ正直そんな事あるわけ無いだろって思ってたんだけど、今目の前でそれが巻き起こってて僕もあれよ。戸惑ってんのよ」


「そんなもん俺は関係無いだろ。本当に……どっか行ってくれよ」男は意気消沈という具合で、肩を落とし鼻を啜る。 


「いやいやいや、その感じ止めましょっ。それになると会話出来なくなっちゃうから」魔神はそっと男の肩を叩く。


「触るなっ」


「そうそう、とりあえずその感じ維持してもらって良いですか? ご主人様」


「お前いったい何なんだよっ? 放っといてくれって言ってんだろ!!」


「いやさ、さっきから言ってるじゃん。どんな願い事でも一つだけ、ただ一つだけ叶えることが出来るランプの魔神だって。知らない? もしかして? あれ、ご存じの的な感じで出てきちゃってたんですけど。うわっ、調子乗ってた。僕の事知らないの? ご主人様からしたいきなりランプから紫色の変なヤツが出てきて、急にどんな願いでも叶えるとかバカみたいな事言ってるように見えてるの? 確かに僕の事知らない方がご主人様の行動は辻褄が合うけど、えっ? 本当に僕の事知らないの? なんてこった!! 恥ずかしい」魔神は顔を真っ赤にして、男の周囲を飛び回る。


「ランプの魔神ぐらい……知ってるよ」男は疲れ切ったようにつぶやいた。


「知ってるんじゃーん!! 良かったー!!」魔神は嬉しそうに跳ね回る。


「もういいんだよ、そういうのは」男は顔を俯かせ、独り言のようにつぶやく。

「邪険に扱って悪かった。俺なんかより、もっとそういう、なんていうか、お前みたいに明るい人の願いを叶えてやってくれ。もういいんだ……俺は……すまないな」ゆっくりと、絶壁に向かい足を踏み出す。


 すぐさま魔神が立ちはだかる。

「そういう訳にはいかないんだなぁコレが!!」それはそれは陽気に、長い指を一つだけ伸ばした。


「もういいって言ってるだろっ!! いい加減にしてくれよ」男は立ち止まり、魔神を睨みつける。


「だってね、ご主人様。こっちにも色々規則があるもんでね。まぁつまりよ、ランプを擦ってしまった所為で、今僕とご主人様の間には勝手に主従関係が結ばれちゃってる訳だ。なんたらかんたらの契約っていうヤツで。それはご主人様の願い事を僕が叶えるまで切れない仕様になってるの。これはあれよ。正直そっちの人間よりの契約内容よ。僕ら魔神が勝手に色々出来ないように。でね、その契約の所為で、ご主人様が願いを叶える前に死んじゃったりしたらよ、僕ここに、この何の面白味もない崖の上に、次のご主人様が来るまで待機よ。ランプに戻ることも出来ずによ。日がな一日海を眺めて過ごすのよ。魔法も使えないのよ。崖の上の暇人よ。これ中々良くない? 暇人と魔神が掛かってるからね。全然笑ってないけど。えっ、何、そんなに苛つく事あります? ちょっとした言葉遊びじゃないっすか?」


「五月蠅いんだよっ。お前みたいなヤツに俺の気持ちなんか分かんねぇよ」男は泣き叫ぶ。

「いい加減にしろって言ってんだっ。俺はなぁ、もうそういうのいいんだよ。誰かに願いを託すとか、託されるとか、もううんざりなんだよ。俺が何やったってお前等には関係ないんだろ。お前等が何やったって、俺にはもう関係ないんだよ。そういうのにはもう疲れたんだ。さっきから何回同じ事言わすんだよ。もう放っといてくれよ!!」


「いや、初めて聞いたんだけどね。その言葉は」


「うるせぇよ」


「僕が?」


「お前何なんだよっ」


「どんな願いも一つだけ、ただ一つだけ叶えたもう――」


「五月蠅いっっ!!」


「えぇっ!?」


「さっきからいったい何なんだよっ、ランプの魔神って!! そんなもん信じられるかよ。お前はただの幻覚だ。消えろ。今すぐ。全部全部、全て消えてしまえ。お前なんか」


「ご主人様が……そう願うなら」少し悲しげに、魔神はつぶやいた。


「ああ、願ってやるよっ」男は勢いに任せて泣き叫ぶ。

「お前なんか消えてしまえ。この世から。俺の邪魔をするな」


 魔神は肩を落として、泣き出しそうになっている。


「それが俺の願いだ!!」


「その願い、承った。契約により、主の願いを叶えたもう」


 


 放心状態の男の足下に、長い歴史を纏う銀色のランプが転がった。男は周囲を見渡し首を傾げ、涙の溢れる目元を拭い疑問を顔に浮かべる。

 表情に疑問を残したまま足下のランプを拾い上げ、約束事のように、二度撫でる。ランプは何の変化も見せず、ただ色あせている。

 男はランプをそっと地面に置いて、もう一度周囲を見渡し、我に返る。自虐的な微笑みを浮かべ小さな鼻息を吹いて、絶壁に向かい、ゆっくりと足を踏み出した。



 対戦結果


 勝者 重度の鬱


 決まり手 後味の悪い結末


 次回対戦予定 異世界転生勇者 VS 元々その世界に居た勇者


 お楽しみに!!

  

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