ありふれた物語(短編集)

さじみやモテツ(昼月)(鮫恋海豚)

第1話 安楽死申請所 花巻桜はマニュアル通りに仕事をする



 昼食を食べ終わり職場に戻ると、花巻桜は上司に声を掛けられた。


「その、安楽死申請の申し込みが来てるから、花巻君、頼むよ」 


「あぁ、はい」

 返事をして、午前中に途中まで進めていた生活保護受給者の住基再登録の続きを、公務員一年目の男に頼む。

 素直で物わかりの良いその男にある程度仕事を教えてから、安楽死申請受付所と看板が張られた窓口に座った。

 机の上に置いてある、箱型鉛筆削りのようなモノに備え付けられたボタンを押すと「八番の番号札をお持ちの方、五番の窓口へどうぞ」とアナウンスが流れる。

 姿を現したのは、三十代前半だと思われるスーツを着た男だった。顔は酷くやせ細っている。


 十年前、安楽死は法律で認められた。政府の掲げる名目は、不治の病や末期のガン、寝たきりの老人など、ただ苦しむ日々を送る国民への、最後の希望ということになってる。執行日には、願い通りの食事が供給され、家族に別れを告げて、眠るように息を引き取る。誰もが思い描く最期を過ごせると、日本どころか、世界中で話題となった。

 

 安楽死を含む法律が制定された年、申請所が設置された役所に押し寄せたのは、病人や老人では無く「人生に絶望した、疲れた、生きてる意味が見いだせない」等と叫ぶ健康な体を持った者ばかりだった。しかし申請が受理されるには、当たり前に様々な条件がある。何も調べずにやってきて、申請を断られた大量の安楽死希望者は、その帰り道、次々と快速電車に飛び込んだ。

 その年、自殺者の数は前年の十倍にまで膨れ上がり、政府は世間からバッシングを浴びた。苦肉の策として、法規制を大幅に緩和。翌年、統計上の自殺者は、一昨年に比べて二割まで減少。それに比例して、犯罪率まで減少した、と政府は発表した。そして現在に至る。


 情けない笑みを浮かべた男は、花巻に会釈をして「よろしくお願いします」と椅子に腰を下ろした。


「よろしくお願いします。安楽死申請の申し込みでよろしいですか?」

 花巻は淡々と話す。


「えぇ、すみません。よろしくお願いします」

 男はもう一度会釈をして、役所に用意されている申請書類を差し出した。すでに必要事項は書き込まれている。


「お預かりいたします」

 花巻はその書類を自身の方へ引き寄せ、漏れが無いか目を通す。安楽死の動機欄には「多額の借金と人間不信による鬱病発症」と書かれていた。


「結構、来るんですか?」

 間を持て余したのか、男が口を開いた。


「いえ、一日一人か二人ぐらいです」


 実際に、安楽死申請所は暇な部署だった。簡単に取れはするが資格職で、花巻の担当は安楽死関連だけとなっていたが、申請者が来るまで他の仕事を手伝わされる。しかも、今はその割合の方が多い。

 花巻が勤めだした五年前はまだ、ある程度の忙しさを保っていたが、年々申請に来る人の数は減り、役場一暇な部署と成り下がった。

 十年間で、死にたい人は皆死んだんだろうな、と花巻は考えている。

 それでも、安楽死を求めて人はやってくる。最近は真面目そうな人が多くなった、と花巻は感じていた。


「そうですか」

 相づちを打って、話すことが思いつかないのか、男は口を閉ざした。


「それで、申請に必要な書類はお持ち頂けましたか?」


「あぁ、はい、持ってきました」

 使い古されたバッグを膝の上に置き、数枚の用紙を取り出した。


 安楽死申請に必要な書類の確認は、政府のホームページで閲覧できるようになっている。


「では、確認させていただきます」


 差し出された書類に目を通しながら、まただ、と花巻は思った。多額の借用書、預金通帳のコピー、住民票や戸籍標本、中度鬱病の診断書、男が提出した申請書類と見比べながら、ため息を付きそうになる。


「幼なじみに騙されまして、借金の保証人になってしまったんですよ」

 男はそういって、寂しそうな笑みを浮かべた。


「そうですか」

 哀れみを浮かべて相づちを打つ。ここを訪れる人は大抵、身の上話を、訊いてもいないのにしゃべり出す。同情などするはずがない。ただの仕事でやっているだけだ。心の中で、花巻はつぶやく。 


「馬鹿ですよね。まぁそれからはつまらないドラマみたいな展開で、仕事クビなって周りの人間は離れて、ここにたどり着いたって感じです」

 まるで用意した台詞でも言うように、男は話す。


「あの」と断りを入れて、花巻は戸籍の載った書類を男に向けた。

「ご家族の方が、いらっしゃるみたいですが?」

 そこには男の両親となる男女の名前が記載されている。独り身になっていれば、空白になっている場所だ。


「あぁ、はい、田舎の方に、両親が」

 そこまで話してから、男は息を吐き出し肩を落とした。

「迷惑を掛けたくないんです」


 やっぱりか、と花巻は思う。安楽死関連の政府が管理するホームページ上や、発行する冊子にはちゃんと書いてあるはずだが、大抵の場合、必要書類の確認だけをして、それを読まない人が多い。


「その、ご家族の方がご存命の場合は、どなたでも結構ですので、申請承諾書というモノを一つ、書いて頂かないといけないんです」


 その理由は、安楽死を終えた後の事後処理をスムーズに行う為という名目と、後一つある。


「親に書かせろってことですか?」

 男の顔に、嫌悪の混じったしかめ面が浮かぶ。


 面倒くさくならないと良いな。困った表情を作りながら、花巻は思う。

「申請上必要になりますので、ご用意頂いて、また後日でも、今日も五時まではやってますので」


「お、親に、安楽死の承諾を取ってこいってことですよね?」


「えぇ、お手数ではございますが」


「そそ、そんな……」

 男は急に肩を落とし、うなだれた。


 今だ、と花巻は思う。

「その、ご両親にはまだお伝えしていないと?」

 目一杯の同情を浮かべて訊いた。


「こんなこと、言えるはず無いじゃないですか」

 男の目は虚ろになり、机上を眺めている。


「これを機会に、一度ご両親とお話なされてみてはどうでしょうか?」


 この話をするタイミングが、一向に掴めない。もちろん、マニュアルに書いてある。

 家族に承諾書を書かせるもう一つの理由が、これだった。最後に話をさせて、安楽死を思い留まさせる。別に好きにさせれば良いじゃないか、と花巻は思うが、政府の意向らしい。


「その、じゃあ今は申請できないって事ですよね?」

 男が訊いた。


「そうですね。足を運んでいただいて申し訳ありませんが」

 広げられた書類を一つまとめにして、男の方に寄せた。


「じゃあ……ゴネたってしょうがないですよね」

 男はフンッと、鼻で笑う。


 花巻は言葉を返さない。早く諦めて帰ってほしかった。


「あの、他に足りないものなんか、ありますか?」

 疲れ切った目を花巻に向けて、弱々しい口調で訊いた。


「えぇと」

 もう一度書類を拾い上げ、一通り確認してから「後はご家族の承諾書があれば、申請は受理できると思います」と返す。


「分かりました。すみません。ご迷惑をお掛けして」

 男は立ち上がり、頭を下げた。


「いえ、こちらこそ、お役に立てずに申し訳ございません」

 同じように立ち上がり、頭を下げる。


「また……来ます」

 力なく首を垂らしたまま、男は役所を出て行った。





 一週間後、花巻桜は上司に声を掛けられた。


「その、安楽死申請の申し込みが来てるから、頼むよ」


「あぁ、はい」

 返事をして、作業中の仕事を切り上げ、いつもの窓口へと向かう。なんとなしに待合室に目を向けて、一週間前に申請を断った三十代前半の男が居ることに気づく。あの時よりも、若干ではあるが晴れやかな顔をしているような気がした。

 

 元々安楽死申請に来る人は大分減っていた。この一週間で申請を請け負ったのは、身よりの無い老人を五人だけだ。元より今時彼のような若い人が申請を申し込むのは珍しかった。


 花巻はいつものように、箱型鉛筆削りのようなモノに備え付けられたボタンを押す。

「三番の番号札でお待ちのお客様、五番の窓口へどうぞ」

 当たり前のように、あの男が姿を現した。


「どうも、よろしくお願いします」

 笑みさえ浮かべている。


 これはあれか? と花巻は思う。たまにではあるが、安楽死を思いとどまり、そのお礼を言いにくる人がいる。あなたのおかげです、と。随分的外れなお礼ではあるが、この男はその類か。


 予想を裏切り、男は役所に用意されている申請書類を差し出してきた。必要事項は、すでに書き込まれている。

「覚えてますか?」

 軽口をたたいて、腰を下ろした。


「えぇ、お久しぶりです」

 長年の勤務で培った完璧な作り笑顔を向けて、挨拶を返す。

 その流れで顔を逸らし、差し出された申請書類に目を通した。


 その間に、男は使い古されたバッグを膝の上に置き、用意した必須書類を机の上に並べる。


「では、こちらの方も確認させていただきます」

 全ての用紙を自身の方へ引き寄せ、一枚一枚確認する。


 あれ? と花巻は思う。前と何も変わっていない。こちらがお願いした承諾書がどこにも見あたらなかった。


「多分、それで大丈夫だと思いますよ」

 何度も書類を見返している花巻に向けて、男が陽気に話す。


「えぇ、もう少々お待ち下さい」

 もう一度目を凝らして、一枚一枚確認する。


 あっ、そっちか。と花巻は理解した。

「それでは、これで受付いたします。少々お待ち下さい」

 全ての用紙を一つまとめにして、パソコンと向かい合い安楽死申請の事務手続きを行う。

 最後に申請書類に受理印を押して、それ以外を男に返した。

「後日、二日から三日後、日付を決める書類が届きますので、それからはその記載内容に従って、お手続き下さい」


「はい、ありがとうございました」

 男は立ち上がり、にこやかな笑みを浮かべた。


「こちらこそ、ありがとうございました」

 花巻は頭を下げて、意気揚々と帰る男の背中を見送った。


 しかし、意外だったなぁ、と花巻は思う。たまにではあるが、同じような事が起こる。家族の申請承諾書が必要になると、都合良く独り身なる人が、今までも何名かいた。

 死ぬ気になれば、なんだってするんだな。一人感心する。


 花巻はマニュアル通りの女。書類に不備がなければ、別に何かをすることは無い。


 


 

 

 

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