第13話 煽られた吸血衝動
牛を家畜小屋に繋いで帰るというギルを見送った後、僕はテーブルに一人着き、一息吐いていた。
アリシアを説得するとは言ったものの、まずどうやって彼女を探せば良いのか?
それが一番の問題だった。
女の子の、しかもお嬢様で普段そんなに出歩かないであろうアリシアの足じゃ、そこまで遠くにはまだ行ってないだろうが、僕一人で探すにはこのノーベルハイドの森は広い。
とりあえずどうするか落ち着いて考えるため、コーヒーでも淹れようかと思った時、玄関のドアを叩く音がした。
ギルが何か忘れ物でもして戻ってきたのだろうか?
そう思った僕はすぐに席を立ち、ドアを開ける。そして呆然とする。
「アリシア……」
開けたドアの先にいたのは、先程ギルと二人でずっと探していたアリシアだった。
「今までどこに行ってたんだい? 君の姿がどこにもなくて、すごく心配してたんだよ」
「……」
こちらの言葉には答えず、彼女は無言のまま家の中へと入り、僕の前に立った。彼女が着ている旅用のドレスは、どこかで転んだのか、土で薄汚れていた。
「怪我とかどこか痛いところはないかい?」
「転んじゃって出血したけれど、今は止まったし血はきちんと井戸の水で洗ったわ」
ここで初めて彼女は言葉を発した。自分の理性を脅かされるのを心配して訊いた訳ではなかったのだが、それを口にしても仕方ない。僕はその言葉を飲み込み、別のことを尋ねる。
「一体どうやって外に出たんだい?」
「窓よ。あなたの部屋の窓から出たの。こんなことするの、初めてだったから、上手く降りられなくて転んでしまったけれど」
「なんでそんな無茶なことを……」
「あなたが私を引き渡そうとするからじゃない!」
大声でアリシアはそう言い放ち、僕を強く睨みつける。
「……勝手にギルに引き渡そうとしたのは謝るよ。でも僕はその方が君のためになるんじゃないかって思ったんだ。このまま僕のところにいても、どうにもならないと思うし、君の体面も悪くなってしまうだろうから」
「私は死ぬつもりなの。体面もなにも、これから生きていく気なんかないわ! 私は絶対にあの人の元へは戻らない。戻るくらいなら死んでやる。死ぬって決めたの。だからあなたに殺してって頼みに来たの。どうしてわかってくれないの?」
「僕は殺し屋じゃないし、何より君のことを殺したくはないよ。君に死んで欲しくないし、このまま家族の元へ戻らないのも良くないと思ってる」
「だからあなたがどう思ってるかなんて関係ない! 私は死にたいの! 殺して欲しいのよ!」
「僕は君を殺したくない。何が君をそこまで死へと駆り立てるのか知らないけど、死ぬほどのことじゃないんじゃないかな?」
「あなたに私の何がわかるって言うの!?」
なんとかなだめようとするが、アリシアの声音はひたすら激しさを増していく。
「君のことは何もわからないけれど……。でも、どんな事情があったとしても僕は死ぬほどのことじゃないと思うよ」
僕は努めて冷静にゆっくりとそう言い、アリシアを諭そうとする。彼女は今怒りでとても興奮している。それにかなり感情的になっている。そんな彼女と同様に言い返したりしてはいけない。お互いを傷つけ合うだけになってしまう。
「あなたにそれを決める権利なんてないわ!」
「そんなこと言ったら君にだって決める権利なんてないだろう」
しかし僕の心配をよそに怒り任せに否定し続けるアリシアに苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「私の命よ。私の命を私がどうしようと私の勝手だわ」
「じゃあ殺すのを頼まれたのは僕なんだから、君の生死を決める権利は僕にあるはずだろう? 君はちょっと自分の命を粗末にし過ぎ……」
突如身体に走った衝撃に最後まで言葉を続けられなかった。
アリシアに体当たりされた。そう気づいた時にはバランスを崩しており、視界が反転していた。
床に身体を打ち付けられた痛みを感じる間もなく腹部が圧迫される。息苦しさを覚えながら見上げれば、そこには僕の上で馬乗りになったアリシアの姿があった。
「ねえ。こうしたらあなたは私の血を吸う気になってくれる? 殺してくれる?」
アリシアはそう言いながら両腕をドレスの袖から抜き、胸元をはだけさせる。気づかなかったが、あらかじめホックやチャックを緩めておいたに違いない。
白い透明感のある綺麗な肌が眼前に晒される。彼女の長い黒髪は背中へと流されており、ほっそりとした首筋が露わになっていた。また着られなかったのか着なかったのかは定かではないが下着の類はなく、ふっくらと女性らしく膨らんだ胸がこぼれんばかりに脱ぎかけのドレスから覗いていた。
「ふ、服……」
「吸って。私の血を」
僕が言葉を発するよりも早くアリシアは静かにそう告げると、顔を、そして自身の首筋を近づけてきた。色白で綺麗な、それでいて新鮮で、真っ赤な血液が流れているであろう首筋を。うっすらと皮膚越しに青く浮かぶ血管が見えた。
僕の視線は首筋に、いやそこを流れているであろう血管に釘付けになる。逸らすことができない。そこに赤い新鮮で僕を満たしてくれるであろう人間の血がたくさん流れている。
頭に血が上る。そして身体自体が嫌な熱を持つ。
口の中が乾燥し、喉が渇きを訴えてくる。
血を吸いたい。この乾きを、飢えを満たしたい。今すぐ彼女を襲いたい。
まずい。
なけなしの理性がそう訴える。けれどアリシアのことを突き飛ばせない。その身体を引き離せない。それどころか……。
僕はアリシアの両肩を強く掴む。
「きゃっ」
僕により引き寄せられ彼女は声を上げた。
駄目だ。
理性が最後にそう告げた。
だが僕の視線はアリシアの首筋から、皮膚の下に浮き上がる血管から逸らせない。もっとも吸血しやすそうな箇所へと狙いを定めていた。
引き寄せた彼女の首筋に顔を近づけ口を開ける。
僕はアリシアの首筋に噛みついた。人よりも鋭い犬歯がその柔肌を破る。
アリシアの真っ赤であろう血液が口の中に広がった。それは普段吸っている牛や豚の血液とは比べものにならないくらい美味で、身体が満たされていくのを薄れゆく意識の中、僕は確かに感じた。
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