第7話 ノーベルハイドの吸血鬼(5)
「リリとは今から十年前に出会った――というか婚約者として引き合わされたんだ。彼女の家であるオルコット家は昔からある由緒正しい家柄ではあったけれど当時から没落していて中流貴族以下な地位だった。けれど名画をたくさん所有していて、ファリントン家と絵画の取引等で懇意にしていた。オルコット家との繋がりの強化と家柄だけは確かな娘をあてがっておこうというのがきっと僕の家の狙いだったんだと思う。でも吸血鬼でファリントン家の正統な血筋じゃない僕にはもったいない相手だった」
「吸血鬼でも、政略結婚させられようとしていたのね」
「うん、政略結婚といえばそうなんだと思うよ。リリも出会った当初はそれをすごく気にしていた。絵画と同じようにファリントン家に――僕に売られるんだって怒ってた」
「貴族の娘なんてみんな他家に売られるために育てられるようなものだけれど、それに気づくなんて聡明だったのね。あなたの婚約者」
「売られるためって、君は自分のことをそんな風に思っているのかい?」
リリは自分の家の立場の低さから怒りを覚えていたが、アリシアも同じような思いを抱いているのだろうか? リリと違って遥かに高い家柄の令嬢であろうにも関わらず。
「それは私に限らずだと思うけれど。まあいいわ。……あなたの話を続けて」
僕の問いには曖昧な答えしか返さずアリシアは言った。
「僕はリリを買ったとかそんなことはこれっぽっちも思ってなくて、むしろ吸血鬼である僕と婚約させられることの方が可哀想でならなかったんだ。だから初めの頃僕と顔を合わせる度に怒っていた彼女に謝ったんだ」
僕はアリシアに語りながらその時のことを思い返す。
“ごめんね。僕なんかと婚約させられて”
“どうしてあなたが謝るの? ここは普通怒るところよ。婚約破棄する勢いで”
その時のリリは不機嫌そのものな表情は崩さず、片眉を釣り上げた。
“やっぱり君は僕と結婚するのはどうしても嫌かい?”
当時十三歳だった僕に具体的な結婚生活まで思い描いたりはできなかったが、女の子と純粋に仲良くなれると思っていたからリリからの拒絶はショックだった。だからどうしても声音が暗くなった。
“だから、なんであなたの方が自己評価が低いのよ! 没落してる家の娘と、娶されるのは嫌だって、こんながさつで失礼な態度を取る女なんかファリントンにふさわしくないとでも言えばいいじゃない!”
リリはそんな僕の態度にさらに怒りのボルテージを上げ、大声でそう言い放った。
“そんなこと言えないよ。ファリントンっていっても僕は正統な血筋の子供じゃないし、それに吸血鬼だし”
“吸血鬼って、あなたが人の血を吸うとでも?”
怪訝そうな顔をするリリを見て、その時僕は初めて彼女が何も知らずに僕の婚約者になったことを知った。
“……そうだよ。人の血を吸ったことはないけど、牛や豚の生き血は毎日飲んでる。飲まないと生きていけないんだ、僕は”
吸血行為をしていることが知られれば今度こそ完全に嫌われてしまうかもしれないと思った。けれど隠しておく訳にはいかなかった。
“……なんであなたがそんな悲しそうな顔、するのよ”
“僕は君と仲良くなりたかったけど、君は僕のことを嫌ってるみたいだからさ。それに吸血鬼だって知ったらもっと嫌いになるだろう?”
“仲良くって、別に私なんかと仲良くしなくたって、嫌ったとしてもあなたにはもっと可愛くて家柄も良い従順な女の子が他にいくらでもいるでしょう?”
“いないよ。吸血鬼である僕と仲良くしてくれる女の子なんて。ましてや結婚してくれる子なんてもっといないよ。だから君と婚約できて僕は嬉しかったんだけど……。でも君がどうしても僕が嫌で不服だって言うんだったら祖父に相談して婚約を破棄してもらうよ。君がずっと怒ったままなのは嫌だし、それに吸血鬼のお嫁さんになんて誰だってなりたくないだろうし”
“待って。あなたは私でよかったの? 他に本命を作る気とかはないの?”
“本命も何も婚約者は君だろう”
“妾という名の本命よ。私を名目上だけ妻として扱ってその妾を愛するの。それかたくさん囲いを作るとか。そういうことをする気はないわけ?”
“め、妾とか囲いって……。そんな相手をになってくれる子なんか僕にはいないし、そもそも君がいてくれるならわざわざ作る必要もないと思うんだけど。君一人だけで僕は十分だよ。他にそういうのはいらない。愛する相手は一人だけにしたいよ”
確かにリリの言う通り、妻以外の女性を囲う者もいるが、複数の人を愛するなんて僕にはとてもじゃないができそうにもない。それにそれは誰かしらを悲しませることになるのは確実だし、そこまでしてまでたくさんの女性を手に入れたりしたいとは思えなかった。
誰かを愛し共に添い遂げるのなら、それは一人だけが良い。
母はずっと今はもういない父のことを想っている。結婚もせず、ずっと一人で父に操を立て続けていた。そんな母みたいな一途さに、ある種の憧れも抱いていた。
“でも僕は吸血鬼だし、君が自分が売られるみたいに感じて嫌なら、無理強いしたくないし婚約は破棄するよ”
“……あなた、変わってるのね”
僕の申し出に頷くのでもなく否定するのでもなくリリはまずそう言った。
“確かに僕は吸血鬼だし、正統な血筋じゃないとも言ったけど……”
変わってるって言われても嬉しくない。普通の人よりも自分が駄目な存在な気がしてしまう。
“別にそのことについて言ったわけじゃないけど、変わってる。でも悪い意味じゃないわ。だからそんなにしょんぼりしないでよ”
“でも『変わってる』っていうことは結局のところ君はそんな僕が嫌なんだろう?”
“『変わってる』ってそういう意味で言ったわけじゃないわ。むしろ婚約を破棄してもらわなくてもいいってことよ。あなたが嫌な人じゃないってわかったもの。あなたが私を大切にしてくれるのなら、私だけをきちんと対等な伴侶として愛してくれるのなら、私は将来ノエル――あなたと結婚するわ。だからあなたの婚約者のままでいさせてよ”
ばつの悪そうな表情を浮かべたリリは、口調を和らげそう告げた。
“……君は僕が吸血鬼だって知らなかったみたいだけど、それでも僕と結婚してくれるって言うのかい?”
先程のリリの反応からその点が僕は気がかりだった。だから良い空気を壊してしまうようで怖かったが、尋ねてしまった。
“吸血鬼、吸血鬼ってさっきから何よ。あなたが血を吸うのは牛や豚だけなんでしょう?”
“そ、そうだけど”
リリの勢いに圧倒されながら答える。
“だったら別にいいじゃない。普通の人が牛や豚の肉を食べる代わりに血を吸ってるだけでしょう。なら別にノエルが吸血鬼でも何でも問題ないじゃない!”
半分は人間なので普通の人々と同じように肉も食べていたのだが、そこを突っ込んだりはしなかった。突っ込もうとも思えなかった。
ただリリは吸血鬼である僕のことをそう言い切って受け入れてくれた。それがすごく嬉しかった。
リリはまっすぐ僕を見てくれた。吸血鬼である僕に対する怯えとか恐怖だとかそういった曇りなど一つもないまっさらな表情で。僕という存在を吸血鬼という枠組みに押し込めようとしなかった。
そんな彼女が誰よりも可愛く見え、ドキドキした。胸が高鳴り、鼓動がドクドクと打ち付ける音が僕の中を響いてやまなかった。
それが僕が恋に落ちた瞬間だった。
「そんなことがあって以来僕らは仲良くなったんだ。会う度にたくさんお互いのことを話したり、食事をしたり遊んだりした。とにかく色々な時を過ごした。けど……」
「あなたは最終的に彼女のことを殺してしまう。それはなぜだったの?」
言い淀む僕にアリシアは問いかけてきた。
「リリと初めて会った時から三年ぐらい経った頃。近々挙式しようというところまで話は進んでいたけれどまだ結婚前だった時、すでに僕らの、互いを想う気持ちは高まってた。だから二人だけで共にする機会と場所を作って、愛し合おうとしたんだ。そして実際に僕はリリを抱こうとした。けど我に返った時、彼女は仰向けに血の気のない顔と噛み痕のついた首筋を晒して倒れていたんだ。僕が呼びかけてもリリはもうピクリとも動かなかった。すでに完全に事切れてたんだ」
はにかむリリの唇に触れたところまでは覚えている。それからドレスに手を掛け脱がせようとした気はする。その時僕の視線はリリの顔から彼女の首筋に、少し日に焼けた健康的な色をした綺麗な首筋に移っていた。その柔肌を破ればたくさんの血が吹き出すであろう首筋に。
しかし、その先の記憶が僕にはなかった。再び意識が戻った時にはすでにリリは倒れていた。死んでいた。物言わぬ冷たい亡骸になっていた。
「しかもそれだけじゃなく僕には血を吸った感覚があった。人間の血を吸ったという明確な感覚が。その証拠にその時僕の口から真っ赤な血が、紛れもないリリの血液がこぼれ出てきたんだ。飲みきれなかった分が。そして飲んだ彼女の血液のおかげで全身に力がみなぎっていくのを確かに感じていたんだ。きっと吸血鬼っていうのは本来、人間の血を食する生き物なんだろうね」
今まで幾度となく吸血衝動に襲われてきた。牛や豚のような動物ではなく、人間の血が吸いたい。たくさん血が出るであろう首筋に噛みつきたい。
様々な人に対して、とりわけリリに対して。最も愛していた彼女に対してそんな欲望を僕は抱いていた。そしてそんな衝動が好きという――彼女を愛したいという感情にいつだって付随してきていた。ぐちゃぐちゃに混ざり合うことさえあった。
けれどそれは決してしたくないことだった。するつもりなどなかった。
しかし結果的に僕はリリを殺した。彼女の血を吸って失血死させた。引き換えに自分の身体の充足を手に入れていた。
「これが話の顛末だよ。殺すつもりなんかなかった。けど僕がリリを、人間を殺してしまったのは事実だよ。だから君がどう思ってくれても構わない」
話し終え、僕は一息ついた。
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