SF短編集「アーケロンの卵」

印度林檎之介

願い

西暦2084年12月24日の夜、聖ニコラスは子供達の願いをかなえ、プレゼントを配る為、トナカイの引く空飛ぶソリに乗ろうとしていた。


◆◆◆


天地創造の昔より天使と悪魔は秩序と混沌、正義と悪、あるいはエントロピーの減少と増加を司る物として、それぞれ人間の世界に影響を及ぼしてきた。


天使と聖人達は悪魔と対立し、世界をよりよい方向に導こうとしたが悪魔の勢力……と、いうより人間の本能としての悪の力はすさまじく、徐々に、劣勢となっていた。


悪魔がもたらす混沌は人間達の対立をあおり、戦争の火種をつけ、戦火をより大きくし、ついには地球規模の大戦争を引き起こしていたのである。



21世紀の終わり、世界は泥沼の戦争状態に突入していた。


◆◆◆


聖ニコラスも天使と聖人達の先頭に立ち、混沌の勢力と戦ってきたがクリスマスイブだけは特別である。

子供達にプレゼントを渡す為、夜の空を急ぐ。


彼の聖人としての能力は、クリスマスイブに限り、穢れのない無垢な幼児の願いを具現化する奇跡を行える事である。


彼は人々に希望がないこの時代だからこそ、自分の能力と使命は尊いものであると考えていた。


◆◆◆


その男の子は教会に付属する孤児院で育った。歳は今年の春、三つになった。


彼の過去の記憶はあいまいだ。生まれたばかりで孤児院の前に捨てられていたので親というものを知らない。記憶にあるのは親代わりのシスター達、大勢の子供……、だが春先の爆撃で孤児院に爆弾が命中した結果、皆死んでしまった。あとは常にひもじかった事しか記憶にない。


生き残った彼の世話をしたのは、孤児院で働いていたシスター見習いの13歳になる少女であった。彼女はたまたま買い物に行っていたので生き残ったのだ。孤児院で働いていた者は彼女以外は誰一人として助からなかった。


もう、孤児院どころか、町そのものが連日の爆撃で荒れ果てていた。少女は毎日、必死になって食料を集めてきた。わずかな食料は幼い男児さえも満足させる量ではなかった。彼はひもじさと不安でいつも涙を浮かべていた。


少女はそれでも、気丈に彼を励まし続けた。また、わずかなパンを前にしての祈り、寝る前に祈りを欠かさなかった。

「皆が幸せになりますように」

幼い彼も見よう見まねで祈るのだった。


冬になった頃、やせ細った少女は咳き込むようになり、ついには動けなくなってしまった。少女はわずかに蓄えた食糧をすべて少年に与え、とうとうある朝、目をさまさなかった。


12月24日の事であった。


◆◆◆


聖ニコラスのソリは空を急ぐ……。

ソリが大規模な戦場近く……悪魔の支配地域である……にさしかかると急に邪悪な気配があたりを包み、行く手を黒い影が阻んだ。


「待っていたぞ、ニコラス。」

「! ……サタナス(魔王)か?」


影はみるみる固まり、闇を光のように放つ、厳かな顔をした巨大な天使となった。16枚の黒い翼を持つ堕天使、魔王サタナスである。

「このおいぼれに魔王自らお出ましとは!」


ニコラスは揶揄するような口調であるが、声は笑っていない。

窮地に陥った事は明白だった。

「貴様が今夜、単独行動をとるのは明らかだからな。

 これで、忌々しい聖人を一人、滅する事ができる。

 天使の護衛のいない今、もはや逃げられんぞ……!」


言うなり魔王がこの世のすべての物を消滅させる「闇の光」を放つ、と同時にニコラスはソリを発進させた。

ソリは矢のように降り注ぐ「闇の光」を巧みにさけながら、ひたすら地球の「昼の半球」を目指す。いかな魔王でも太陽の光には弱いのである。


だが、ようやく聖ニコラスの目指す地平線が白みはじめ、もう少しで朝になるというところで、ソリは「闇の光」の直撃を受けてしまった。

ニコラスは空中に投げ出され、眼下の戦場真っ只中の町へと落ちて行った。


◆◆◆


聖ニコラスは教会の廃墟の中で気がついた。


屋根を突き破って落ちたようだ。傍らには小さな幼児が、水を入れた小さなコップを持って心配そうな顔で立っていた。男の子である。

「お主が起こしてくれたのか」

体が思うように動かない……、やはりダメージは大きいようだ。

幼児がニコラスの服を引っ張って注意を引くとその指差す先の奥のベッドには、やせ細った少女が横たわっている。

「これは……?」

体を引きずるように近づくと、少女はすでに亡くなっていた。穏やかな表情がせめてもの救いだった。

ニコラスは祈りの言葉を唱えると彼に向き直っていった。

「遅かった。この娘はすでに神に召されている……私にできる事はない」

幼児は聖ニコラスの言葉の意味がわからなかったのか、首をふるだけだった。

ニコラス自身も傷は深くほとんど動けない状態だったが、せめてものなぐさめになればと彼に話しかけた。

「なにか、欲しいものはないか? 一つだけ、望みをかなえよう」


その時、轟音と共に教会の屋根が吹き飛んだ。空中から巨大な影が降りてくる。魔王サタナスだ。

「見つけたぞ! まったく往生際の悪いやつだ……。消え去るがいい」

魔王が「闇の光」を放とうとすると、聖ニコラスは

「待て、魔王よ。……私は最後の職務を行うところだ。せめてその間だけ待ってくれ」

魔王はその時、はじめてニコラスの傍らで震えている男児に気がつき、愉快そうに笑った。

「ほう! それはおもしろい。聖人ニコラスがプレゼントを残して消滅するとは! 坊主、何が欲しいのだ!? クマのぬいぐるみかな?」


聖ニコラスはおびえる男の子にやさしく語りかけた。

「さあ、何が欲しいのかね? 最後の仕事だ。全霊をかけて望みをかなえよう」


彼は……その幼児は生まれてこの方、自分の望みなど持たなかった。プレゼント等という言葉さえ聞いた事がない。ましてや今日がクリスマスだという事など知らなかった。自分に何が起きているのか、この老人は誰なのか、あの恐ろしい存在は何なのか、やさしい姉はケガをしていないのにどうして起きてこないのか、すべて理解できなかった。

唯一、理解できたのは彼が何か言葉を発するよう求められているのであり、彼は自分の知るただひとつの言葉を発した。



「皆が幸せになりますように」


……言葉と共に光があった。



「ば、馬鹿なっ!! こんな幼子(おさなご)が世界平和を望むとは!?」


魔王の狼狽した声と聖ニコラスの「最後の奇跡」の力が爆発するように発現するのが同時だった。爆発というより暴走と言っても良い。


◆◆◆


神々しい強烈な光が男児と聖ニコラスを中心にまきおこり、全世界に広がっていった。光に包まれたエリアでは全ての軍事目的の物理現象が凍結された。衛星回線から電話網にいたるまですべての通信がストップし、電子機器は使用不能になった。


……しばらくの後、光は消えたが人々は憑き物が落ちたように争う事をやめた。人々の心からは憎しみの心が消え、理性が戻り始めていた。出口の見えなかった戦争は急速に収束しはじめていた。


◆◆◆


光が消えた後、呆然としていた魔王が再び「闇の光」を放とうとした正にその時、教会に朝の光が差し込んできた。


「こんな子供にわが企みが邪魔されるとは……」

魔王が男児をにらみつけると、聖ニコラスが応じる。

「このような幼子に助けられるとはな」

「こんな子供の為に我々の計画は台無しだ。フハハハハハ……」

魔王は憎々しげに、しかしどこか愉快そうに笑うと、朝日が身に差し掛かる一瞬前に轟音と共にいずこかへ消えた。



……彼は何が起こったのか理解できなかった。光に包まれた後、恐ろしい存在は去って行った。彼が助けたやさしそうな老人は彼を抱きしめ、何事か話しかけてくれたが、幼い彼には理解できなかった。そして、なんと空から来たソリに乗って去って行ってしまった。


◆◆◆


その直後、彼は光を見て教会にやって来た近隣の住民達に保護された。

住民達には空を飛ぶソリが見えないようだった。



こうして、世界は救われた。

……一人の少女の願いが世界を救ったのだ。


だが、幼かった彼の本当の願いはかなわなかった。

やさしい姉はもどってこなかった。

クリスマスイブは彼女の命日となった。




(了)

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