もっこりひょうたん島

カエデ

アザラマ

 彼の名前はアザラマと言った。

 アザラシのような外見をしているがアザラシでは無い。尾ヒレのような小さい後ろ足でひょこひょこと歩くだけ。泳ぐ事は出来ない。彼は非力だった。

 頭の回転も遅く、間延びしたしゃべり方をして会話の要領は得ない。

 アザラマはただ話しているだけでも良く怒られた。それは全うな理由の時もあったが、ただ単にムカツク、なんて事もあった。

 怒声と共に拳が飛んでくる事もザラだ。だが、どんなに殴られようと、アザラマが怒る事は無かった。

 いつも笑みを絶やさず

「ごめんね」

 と謝るだけだ。

 アザラマはどんな頼みごとも断らなかった。どんな内容であろうと、どんな理由であろうと頼まれれば

「うん、いいよ」

 と笑顔で答えた。無能で優しいアザラマはとことん島民から馬鹿にされていた。

 

 ある日、島民ウノがアザラマに庭の草むしりを頼んだ。アザラマはいつもの笑顔で

「うん、いいよ」

 と答えた。

「じゃあ、よろしくな。俺は釣りに行って来るから、しっかりやれよ」

 ウノが意気揚々と釣りに出かけた。


 半日後、ウノが帰って来て驚いた。

 庭の草は全然取れていなかった。

「おい! アザラマ! 何してんだ!」

 突然の怒声にアザラマがビクッと肩を震わせた。のっそりと緩慢に立ち上がり恐る恐るウノの方へ眼をやる。

 アザラマは庭の生えている草、その全てを抜こうと躍起になっていた。

 小さな新芽や、深くまで根を下ろし到底抜く事など出来ない木、その全てだ。

 陽光が照り返す程ダラダラと汗にまみれて格闘しているアザラマの表情は変わらず笑顔だ。

 いったい何が楽しいのか分からない。その不可解な気味悪さにウノがアザラマを怒鳴り散らす。

「何でお前そんなに要領悪いんだよ! バカか! バカだな! なんにも考えてないのか! トロいんだよ! 見ててイライラするんだ!」

 ウノのグリグリと押し付けてくるような視線に、たまらずアザラマは顔を伏せた。そして苦労して笑顔に戻ると

「ごめんね」

 と答えた。チッと舌打ちで返される。

「ごめんじゃなくて! 少し考えたら分かるだろ! 何で一々全部抜こうとしたんだよ!」

 ウノがツカツカとアザラマに近づいていく。アザラマはヘの字まゆ毛の笑顔で、オロオロ動揺していた。

「ご、ごめんね」

「だから、ごめんじゃないんだよ!」

 ウノが釣り竿でアザラマを思い切りひっぱたいた。ピュン! と音がして細長い木の竿は顔面を切りつけた。

「あっ……」

 アザラマが小さい悲鳴をあげる。頬にスーッと傷が入り血が垂れる。

「グズ! グズ! グズ! グズ! グズ!」

 ウノが何度も何度も釣り竿で振り上げてはおろす。

 その度にアザラマの身体には傷が増えていく。

「ご、ごめんね。ごめんね。ごめんね」

 アザラマは決して反抗せず、ウノの釣り竿に耐えていた。その間ずっと困ったような笑顔も絶やさず。

 やがて、息を切らしたウノが腕をおろした。

 傷だらけになったアザラマが、ホッとしたように息をはく。

 ウノもこんな事をしてきりが無い事は分かっていた。「もういい」そう言ってアザラマを帰そうとした時。アザラマは安堵した笑みに戻り、その場を離れようとするウノの元へ行き、袖をクイクイ引っ張った。

「ごめんね」

 許された、そう言いた気な笑みで再び言った。

 その笑みはウノをまたもイラ立たせた。

「お前ごめんねごめんね言うだけで、何が悪かったとか、何に謝ってるとか全然分かってないよな」

 アザラマはその言葉を理解出来ないのか、必死に媚びを売るような目つきでウノを見つめた。

「本当に悪かったって思うなら、そこの崖から海に飛び込めよ」

 ウノが目の前の崖を釣り竿で指した。

 海までの高さはそう高くない。落ちたところで死にはしないだろう。

 だが、アザラマは泳げなかった。

「何だ? 嫌か? 嫌ならそう言えよ」

「……ごめんね」

「いい加減にしろよ!」

 ウノが大きな声を出してアザラマの胸ヒレを掴んだ。そしてズンズンと崖の方へアザラマを引っ張っていく。引っ張られる間アザラマは慌てたように「ごめんね、ごめんね」と繰り返していた。

 ウノがアザラマの胸ビレを掴み、崖の際ギリギリまで来た。

「最期だぞ。お前、一体自分の何が悪かったと思う?」

 ウノがアザラマを睨みつける。アザラマは草抜きの時とは違う汗をダラダラかきながらウノを見つめる。その表情はまだ笑顔だった。

「……ごめんね」

 その言葉を聞いたウノがアザラマの胸ビレを離す。アザラマは倒れ、崖下の海に真っ逆さまに落ちていった。

 バシャン! と音共に海面に波が立つ。

「ごめっ……ねっ……ごっ……め……」

 アザラマがバシャバシャと何かを掴もうと海面を叩いた。だが葉っぱ一つ浮いていない海では、意味なく暴れているだけだった。

 アザラマの口に塩辛い水が入り、吐き出される。そしてまた入り、吐き出される。それは飲み込んだり、気管に入ったりを繰り返していた。

 ウノはその様子を崖の上からジッと見ていた。

「ごめっ……ごめっ……ごめっ……」

 アザラマの身体がじょじょに海に沈み始めた。そしてそのまま海に消える最期の一瞬、ウノは確かにアザラマの顔が悲しみと恐怖にグシャと歪むの見た。

「たすけて」

 聞こえはしなかったが、アザラマは確かにそう言っていた。

 だが今見えるのは、ブクブクと現れては消える水泡のみだった。

 ウノはアザラマが浮かび上がって来ないのを確認すると鼻息一つ鳴らし、その場を去った。

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