時に曖昧で都合のいい、そんな

 あんかけうどんを作れる人はいないか。その呼びかけに、思わず右手を高く上げていた。あんかけうどんは糸魚川家ではお昼の定番。冬は体があったまるし、あんかけでおなかにたまるし、おうどんだから食べやすいし。

 チョコレートが主食みたいになっててあんまりごはんを食べてくれないうたちゃんでも、あたしが作ったあんかけうどんはちゃんと全部食べてくれるのがちょっとした自慢。他のご飯も出されれば一口は食べるけど、それでもチョコレートに落ち着くの。


「それで、あんかけうどんを作ればいいんだよね」

「――って聞いてる」

「知らない人の家に行くのって不安で」

「雰囲気は暗く見えるかもしれないけどノリはいい人だし、俺がいるから平気平気。さとちゃんはマジパねえうどんを作ってくれればオッケーっす!」


 これは、紗希先輩が持ってきた話だった。いろいろ回ってどこからきた話かはわからないけど、とにかくあんかけうどんを食べたくて困っている人がいる、と。あたしにとっての日常で人の役に立てるなら、と思って。

 2年生になってインターフェイスに出てきた青敬のハマちゃんは、マジパねえっていう言葉ばかりが印象に残っている。直クンが言うには、パねえの裏で意外にしっかりしているから信頼できるそう。


「すごいマンション……」

「でも学生多いぜー。ほら、ウチの大学新校舎建って学部移転とかで引っ越しブームだったんだって! 俺の学部は移転しないんだけどさー。えーと、ここだったかなー」


 綺麗なマンションの一室。その扉の前に立ち、ハマちゃんがインターホンを鳴らそうとするのを後目に一歩引く。なんだか、今になって怖くなってきた。帰りたいけど、あたしの買い物袋はハマちゃんが持ってくれてるし。うう、怖いよう。


「ヒロさーん、来たっすー! あ、入っていいって」

「お、おじゃまします」


 玄関先にはスニーカーと、そのスニーカーと比較すると少し大きめのクロックス。色は紫。このクロックス、見覚えがある。台所を見渡しても。ほら、知ってる。お茶碗にマグカップ……タオルの柄だって。冷蔵庫に貼ってる紙や磁石もそう。

 部屋は比べられないほど明るいし綺麗なのに、生活感があのアパートと同じ。初めて来る部屋なのに、あたしはこの部屋を知っている。きっと、あたしがこれからあんかけうどんを作るその人のことも。


「あの、ハマちゃん……この部屋の家主さんって……」


 すると、奥の扉が開いて、家主さんの姿が見える。


「あんかけうどんを作れる子が青女で見つかったって聞いて、薄々そんな気はしてたけど」

「宏樹さん…!」

「ゴメンハマちゃん、一瞬空気読んでくれる」

「はいっす!」


 パタンとハマちゃんが玄関の外に出て、台所には宏樹さんと2人。心の準備が全然出来てなくて、何から話せばいいのか全然わからない。ただただ頭が真っ白で、涙ばかりが意思とは関係なくぽろぽろとこぼれてくる。


「ごめんね。もう黙ってどこにも行かないから」

「本当ですよお…!」


 気付けば、宏樹さんにふわっと抱きしめられていた。あたしも宏樹さんの背中に腕を回して、ただただその胸で泣いて。会いたかったとか、嬉しいとか、話したいことはいろいろあるのに何も出てこなくて。


「さとちゃん、俺の彼女になってくれる」

「……はい…!」

「ちょっと待ってて。今、鍵持ってくる」

「えっ、鍵って」

「合鍵」

「え、そんな、急と言うか」

「この部屋、さとちゃんのバイト先からまあまあ近いでしょ。いつでも来ていいから。ううん、来てほしいな」


 運命という、曖昧で、都合のいいオカルト。確かにここには存在したし、この前萩さんが言ったように強い気持ちがそれを呼んだのだとしたら、それはきっと、あたしだけじゃなくて宏樹さんも呼んでくれたんじゃないかなって思う。どっちか一方だけじゃ、それは呪いのようにじわじわと蝕んでいく怨念になりかねないなって。


「そしたらさっそくだけど、ご飯作ってもらっていいかな」

「はい。あ、ハマちゃんはどうしましょうか」

「今度フォローするし、今日は2人でいたいな。だめ?」

「……だめじゃ、ないです」

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