想いの重さと

 連絡に対する反応がないのに押し掛けたあたしが悪かったのかもしれない。テスト期間だったこともあってしばらく足を運んでいなかったその部屋は、知らない間にもぬけの殻になっていた。

 郵便受けにも、家主がいない部屋であることを示す印がされていた。確かに、そういうことを伝え合う間柄ではなかったかもしれない。連絡もなく宏樹さんがいなくなってしまったことに対する感情にまだ名前は付けられない。

 ここしばらく、たまにメッセージを送っていた。ご飯をちゃんと食べていますか。何か困ったことはありませんか。それらに対する返信がなかったのは、テスト期間だからかもしれないと思っていた。

 在学中に引っ越しをするというパターンをあたしは知らなかったから、エリアの外から向島に出てきている人なら4年生で卒業するまでずっと同じ部屋に住み続けると思っていた。だから、宏樹さんはずっとここにいるものだと思っていて。


「――さん、……糸魚川さん」

「はっ」

「具合でも?」

「いえ、何ともないですっ」


 いっけない。バイト中はしっかりしなきゃ。バイト前に揺さぶられた心をずっと引きずってしまっている。研修中の萩さんも、あたしの様子を不思議がってる。いけないいけない。今は仕事仕事。


「連絡はなし、かあ……」


 バイトが終わってスマホチェック。期待はしていなかったけど、連絡に対する宏樹さんからの返信はなかった。Kちゃんとかうたちゃんに言ったらきっとあたしが重いんだって言われるだろうな。そうだよね、彼女でもないのに。


「でも、もう1回だけ」


 最後の1回。電話に賭けてみる。これでダメならどうしようもない。しばらく呼び出し音が鳴り続いて、ダメな雰囲気が出てる。心はそわそわして、どうしようもない不安にかられる。


『もしも……あっ』

「宏樹さん!?」

『……さとちゃん』

「どうして引っ越したこと、言ってくれなかったんですか…!」

『……黙って引っ越したことと、今まで連絡くれてたのに無視し続けてたのはごめん。だけど、俺は卒業したら地元に帰るし、さとちゃんがいなくても生きて行かなきゃいけないんだよ』

「私は……私は、宏樹さんさえよければ側にいたいですよ」

『どういう意味で言ってる? 学業の観点から言う検体扱いなのか、そういうのを抜きにした友情、愛情、同情、いろいろあるけど』


 言ったことの意味。冷静になって考えると、とんでもないことを言ってしまったんじゃないかと。だけど、どれかと言われれば愛情というそれが近しい意味。今の今まで気付いてなかったけど、確実に想いは育ってたんだと思う。


「どれかと言われれば愛情ですっ! ……たった今、自覚したばかりですけど」

『……そっか。じゃあ、こうしよう。俺とさとちゃんが初めて出会ったときみたいに、どこかでまた偶然出会えたら。そのときは俺たちの出会いが運命だったっていう、曖昧で、都合のいいオカルトを信じてくれる』

「そのオカルトを信じることが出来たら…?」

『そのときは、俺はもうさとちゃんから逃げない』

「探します」

『探しちゃだめ。大丈夫。あのときみたいに、きっと自然に引き合うよ』


 Kちゃんとかうたちゃんがこの話を聞けば、都合のいいことを言われて丸め込まれていると言われるかもしれない。だけど、あたしはこの運命というオカルトの存在を精一杯信じるしかないのだ。

 いるはずのない、蝉の声が聞こえた気がした。宏樹さんがどこに引っ越したのかはさっぱり検討もつかない。だけど、まだ授業や通院があるのに向島エリアの外に出るとも考えられない。エリアの中なら、きっと、どこかで。


『本当は、俺もさとちゃんさえよければって思ってる。だけど』

「大丈夫です。これ以上言わないでください」

『えっ』

「続きは、会えたときにとっておいてもらっていいですか。それじゃあ、私、バイト終わりでこれから家に帰るので切りますね。ちゃんとご飯、食べてくださいね」

『ありがとう。帰り、気をつけてね』

「はい。宏樹さんも、体に気をつけて」

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