石川クンといい兄さん

 どうしたことだ。一生の不覚だ。こんなに大事なことをすっかり忘れていただなんて。危機感に煽られ、2人揃った休みに慌てて病院へ。目的はインフルエンザの予防接種。俺は沙也に予防接種を受けさせていないと思い出したのだ。

 沙也は今年高校受験を控える妹だ。俺の妹とは思えないくらいには素直で可愛い自慢の妹だ。美奈に言わせれば、沙也の分の悪意や性格の不具合を全て引き受けて生まれてきたのが俺、とのことだ。それならば俺は自分の性格の悪ささえも誇れる。

 リンと美奈は予防接種なんか一人で行かせても問題ないだろうし、金を出すのは親の財布からじゃないのかと不思議そうな顔をする。だけど、沙也だけ予防しても意味はないし、兄が予防接種の費用を出してはいけないという法律もない。


「沙也、病院の中ではマスクをかけるんだ」

「うん」


 予防接種のためにやってきた病院で風邪をもらおうものなら一大事。マスクをかけさせ、手にはアルコールも刷り込ませる。もちろん、俺も同様の措置を。如何せんバイトが飲食店だ。不特定多数との接触があって危ない。


「あれっ、石川だ」

「大石」

「どうしたの、風邪?」

「いや、俺はインフルエンザの予防接種だ」

「そっかー、そうだよねー。俺もそうだもん」

「そうだよな。お前が風邪ひいてるイメージもないし」


 やっぱり校区は違っても同じ市内だからか、使う病院も似通うのだろうか。大石はケガや病気をするイメージがない。頑丈と言うか。馬鹿は風邪をひかないと言うけれど、馬鹿正直とか馬鹿お人好しにも適用される言葉なのか。


「あ、妹さん? こんにちはー」

「こんにちは」


 お前何気安く沙也に話しかけてやがんだぶっ飛ばすぞ。

 ……などとキレそうになる気持ちを抑え、大石の興味を沙也からどうにかして反らせないかと考える。大石は年上趣味だったはずだからさすがに沙也を狙ってくることはないと思うが、それでも念には念を。


「妹さんを病院に連れてくるなんて、石川はいい兄さんだなあ」

「俺は車もあるし。でも、いい兄と言うならベティさんには負ける。俺は沙也を養ってるワケじゃないし。精々勉強を見たり、稽古に付き合うくらいで」

「あはは、兄さんはまた別枠だもん。でも、石川の家は兄妹仲がいいんだね」

「まあ、いい方だとは思うけど」

「しっかりしてるし、冷静だし、石川が兄さんだったら頼れるんだろうなあ」


 そうでしょ、などと大石はまた沙也に話を振りやがるのだ。ただ、沙也も満更でもないような顔をしてるのが何とも言えず。お兄ちゃんは優しいです、と大石に言うのがまあ、うん、俺も悪い気はしない。

 沙也が大石に大学でのお兄ちゃんはどんな感じですかなんて聞くモンだから、俺はコイツの前で“石川クン”をやっていてよかったなと心底思う。美奈だったらそれとなく察してくれるからともかく、これがリンだったら。

 大石が石川クンのことをあんまり褒めちぎるものだから、沙也が俺をキラキラと目映い目で見て来るのだ。俺の評価を上げてくれるのは構わないが、こんなに純な目で見られたら俺は浄化されて消えてしまわないだろうか。


「石川さーん、石川沙也さーん。中待合でお待ち下さい」

「はーい」


 ということは俺もそろそろだろうか。


「大石、お前あんまり金使わないイメージだけど、予防接種は受けに来るんだな」

「うん。インフルになった方がお金かかるし、なってる間は稼げなくなっちゃうし、何より兄さんに迷惑かかっちゃうからね」

「確かに」

「唯一の肉親だから過剰に心配しがちなんだよね、俺も兄さんも」

「なるほど」


 個人、特筆すれば自分自身に関することの決定力とか決断力は目を見張るのに、どうして団体になるとああまで無能だったのか。いや、今となってはどうでもいいけど。

 ああ、そろそろ沙也の腕に針が刺さるのか。失敗なんかしやがったら絶対に許さないからな。

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