赤い滴

「やあ。ここに来れば会えると思ってたよ」


 家の近くの公園を通りかかると、いつか見た黒い塊。もとい、あの人がいた。名前も素性もわからないけれど、少し話し込んで今日に至っている。こないだは具合が悪そうだったけど、今日はまだ元気そうでよかった。


「お体は大丈夫ですか?」

「今日は絶好調だよ。こないだもらったお茶、返すね。はい、ありがとう」

「そんな、よかったのに」

「言ったでしょ、俺の気が済まないって」


 何となく、これだけでは終わらない気がして木陰のベンチに腰掛けた。その人の脇にはこないだと同じようにスケッチブックがあって、今日も植物の観察をしてたのかなって。


「今日も植物を観察してたんですか?」

「そうだね。あと、虫とか」

「見せてもらっていいですか?」


 スケッチブックを受け取って、それを開いていく。綺麗な草花の絵。他には草むらに隠れる虫に、水たまりの上を歩く虫。鳥の絵もある。眺めているだけで生物の躍動感が伝わって楽しい。

 ぱらぱらとページをめくっていくと、ミンミンと蝉の声が一層大きくなった気がした。蟻が蝉の死骸を運ぶ様子が鮮明に描かれている。その次のページは、烏が横たわる猫を啄んでいる。絵が上手いからこそ、脳が色を、音を、臭いを補完してしまう。


「……大丈夫?」

「だいじょうぶ、です」

「嘘は良くないよ。顔、真っ青」

「ごめんなさい。私、血とか、グロテスクなのは苦手で。お魚を捌いたりするのは平気なんです。だけど」

「うん、人を選ぶっていうのはわかってる。お茶、飲んだら? 何か飲んだら落ち着くかも」


 その人の言葉に、散歩用に持ち歩いていた水筒の存在を思い出した。中身は、自分で手作りしたしそジュース。さわやかな香りと、甘酸っぱい風味がすっきりと落ち着かせてくれる。


「少し落ち着いた?」

「はい。すみません」

「ううん、俺こそ。人に見せる前提では描いてないから、配慮が足りなかったね」

「ああいうのが、好きなんですか?」

「好きって言うか、これもひとつの命の形だと思って。綺麗なだけが命じゃないでしょ。動物を生贄とか供物にする儀式や文化は行くところに行けば残ってる。呪いの民俗学なんて勉強してると、嫌でもぶち当たるからね」


 スケッチブックにあった動物の死骸に、去年の出来事が少しフラッシュバックしてしまっていた。生臭い、青臭い、蒸した空気。部屋に出来ていた血の池。そこで横たわり、泡を吹いて痙攣する肉体。肢体には無数の痣があった。

 それがトラウマになったのか、私はグロテスクなものが苦手になった。ついうっかりそんなようなものを見てしまった日には、一人でお風呂にも入れない。何がきっかけで記憶が呼び覚まされるのかがわからなくて。


「それ、おいしそうだね」

「えっ、これですか?」

「そう、その飲み物。いい匂い。どこに売ってるの?」

「これは自家製のしそジュースなんです。赤しその旬に毎年作るんです。しそは胃腸にいいですし、夏ばてにも効くそうなので。あっ、少し味見してみますか?」

「うん、飲みたい」


 その人は、少し前まで入院していたのは消化器の潰瘍が原因だと語ってくれた。食べ物や飲み物を今までよりきちんと選ぶようになった、と。また血の池を作ろうものなら大変だからって。


「うん、おいしい。いいなあ。俺も部屋に置いときたいなあ。元々が好きな味だけど、胃腸にいいなら尚更だよ」

「よかったら、作りましょうか?」

「本当? でも俺お盆には実家に帰るんだよね。秋学期になるまで戻ってこないし」

「冷蔵庫でちゃんと保存しておけば、半年以上保つので」


 そっかー、そうだよね。お盆には実家に帰っちゃう人って結構いるもんね。秋学期になるまで戻ってこないんだー、ちょっと寂しいかも。


「――って、大学生、だったんですか?」

「そうだけど、何か? こんなナリだから中高生かと思った?」

「正直に言えば」

「こう見えて大学3年だよ」

「1コ上!? すみませんっ、あたし今まで失礼な態度取ってなかったですか」

「気にしないで。これからも今まで通りで全然いいし。名前も素性も知らないでやりとりするのって、案外楽しいし」


 そう言って見せてくれた笑みは、優しかった。それに、年上の人にこう言っては失礼かもしれないけど、とても可愛い。

 さて、あたしはしそジュースをいつ、どれだけの量を作ろうか。ここに来れば会えるだろうけど、いつ会うのかはしっかりと約束しておかないと。

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