手探りの第一歩

「お邪魔しまーす」

「どうぞ」


 エイジがうちに遊びに来た。エイジとは同じMBCCにいながら互いに第一印象が最悪だったこともあって目すら合わせないことがほとんどだったけど、気付いたらこんなことになっていた。

 話すようになったばかりの頃は中津川くんって呼んでたけど、少しずつその頻度が高くなってくると下の名前で呼ぶように言われた。名字で呼ばれるのは慣れていないらしい。確かにサークルでもみんな下の名前で呼んでいる。

 エイジはやんちゃで生意気という印象が強かった。先輩相手にも物怖じしないし、言いたい放題って言うか。でも、何となくそれが許されているのはあまり場違いなことを言わなかったり、空気を読めるからだと気付く。俺にはない力だ。


「つかすげーな、星港でオートロックのマンションとか」

「星港って言っても中心じゃないしね。大学に近い方がよかったんだろうけど、足もないし自転車圏内でほとんどの用事が間に合うことを優先したらこうなったんだ」

「なるほど」

「エイジこそ通学大変じゃないの? 2時間だっけ」

「2時間半だべ」

「朝とか絶対早起きしなきゃいけないじゃん」

「早起き自体は別に苦じゃねーべ。それに、電車だって読書の時間だっていう」


 エイジは向島エリアの北隣に位置する山浪エリアの実家から緑ヶ丘大学まで電車を乗り継いで通っている。通学に2時間半もかかれば俺だったら一人暮らしするなあと思うけど、その辺の事情も人それぞれなんだと思う。

 エイジが言うには、今は1年だから1限も多いけど、学年が上がれば2限や3限からの日も増えて朝もラッシュに巻き込まれなくて済むだろうし一人暮らしをする理由にはならない、と。何より読書時間が確保されるのが大きいそうだ。


「読書っていうあたりが文学部だよね」

「それは偏見だべ」

「そうかなあ」

「あっそうだ、コロッケ食うか?」

「えっいいの」

「駅前のコンビニで買ったヤツだけど」

「わー、嬉しいなー。ありがとう」

「一人暮らしの奴の家に遊びに行くときには手土産があった方がいいだろっていう」


 そして意外に律儀らしい。義理堅いと言うか、真面目なんだなあ。

 手ぶらでも全然構わないのに、こうして手土産が出てきてしまったことに対してわかりやすくそわそわしている俺がいる。だってコロッケとか贅沢品だし。総菜ってなかなか手が出ないし。

 今はまだ自炊もある程度やれているけど、先輩たちの話を総合すると脱落者が出るのは生活に慣れてきたこの時期から。果たして俺はどこまでそこそこ綺麗な今の部屋を、何となく食べれてる今の食生活を保てるのか。


「つかやっぱお前の部屋ってイメージ通りに綺麗っつーかシンプルっつーか」

「事前に言ってもらってるから掃除出来てるだけだよ」

「またまた」

「あっ、コーヒー飲む? コロッケには合わないかもしれないけど」

「じゃあもらうべ。サンキュー」

「ちょっと待ってて」


 粉を溶かすだけのインスタントコーヒーは口に合わなくてやめた。ドリップ式のコーヒーと、牛乳に砂糖。あっ、そう言えば配合ってどうすればいいんだろう。俺と同じでいいのかなあ。聞かなきゃ。


「ねえエイジ」

「ん?」

「コーヒーだけど、ミルクと砂糖はどうする?」

「あー、お前と一緒でいいべ」

「えっ、いいの?」

「サークル室で飲んでる缶コーヒーを見る限り、甘すぎず苦すぎずだろっていう」

「うん、そうだね。じゃあ一緒にしとくよ」

「んー」


 生返事をしつつ、エイジは壁に立てかけてあったギターに手を伸ばす。やっぱりエイジはここにたどり着く。これがなければ今日のこの機会もなかっただろうし、今でも目を合わせて話をするようにはなっていなかった。


「昼だからちょっとくらいいいよな」

「ちょっとならね」

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