spring has gone with wind

「うわっ」

「すごい風ですね」


 ビョオッと音を立てて、ものすごい勢いで風が抜ける。授業が終わってサークル室へ行こうと裏駐車場を抜けようとしていたうちとノサカは、条件反射で目を守る。

 すると、目の前にはひらひらと、何か四角い物が飛んでくるじゃないか。何となくそれをキャッチしてみれば、ラミネート加工された紙には「春」とだけ大きく書かれていた。


「春? 何だこれ」

「……ああ、きっとあれですね」


 ノサカが指し示したのは、道路沿いにある不動産屋。うちも入学前にお世話になった。店の外壁には、ところどころ歯抜けになった文字群。紙の大きさや色からすると、どうもそれらしい。


「きっと「春の新生活フェア」みたいな宣伝文句だったんでしょうね」

「なるほど」

「菜月先輩、その“春”はどうしますか?」

「道端に捨てるワケにもいかないし、店は遠いし。そろそろ初夏だ。こんなものを今更持って来られても店側も困らないか」

「使い道もないとは思いますが」

「まあ、1回くらいなら何かに使えるだろ。番組のネタにしてもいいし」


 どうすることも出来ないまま、うちは春を携えサークル室までの道を歩くのだ。とうに初夏となった向島は、今日も日差しが強い。この“春”は、日除けとして活躍してくれた。

 サークル棟の前に自販があってとても嬉しい。水を買って、そのままサークル室へ。どうやら今日は三井がもう来ているらしい。そう鍵の貸し出し帳簿に書いてある。


「おはよーございまーす」

「おはようございます」

「菜月野坂おはよー。いやあ、いいね、人生って実に素晴らしいよ」

「どうしたんだ三井、気持ち悪い」

「僕は今、男として実に幸せなんだ」


 三井がペラペラと語ることによれば、星ヶ丘大学の女の子とデートを2回したそうだ。本人曰く好感触で、これはもう完全に脈があると。やっと本当の運命が見つかったんだと鼻息を荒くする。

 先からずっと演説を聞かされていたらしいカンザキがげんなりとしている。ご愁傷さまとしか言いようがない。彼女のいる生活はいいよと艶々する三井に対する感想は、「付き合ってないだろ?」と。

 ノサカと視線がぶつかるのを感じた。そして、呆れ返った視線をそのまま手元に向ける。そこには、デカデカと書かれた“春”の文字。まさか、風はこれの予兆だったのか。イタズラにしては性質が悪い。


「まあ、ないだろうけど進展したらまた聞かせてくれ」

「前提がヒドくない!?」

「さて、三井サンは現在何連敗中だったかな。何人の女の子にフラれ続けてるんだ」

「6連敗中です……でっ、でも、今度こそは本当にイケそうなんだ!」

「ふーん」


 とりあえず、この“春”はサークル室のドアに貼っておくことにしよう。圭斗でも奈々でも誰でもいいけど、外から来た人に春の瘴気を警告しておかなければ。


「ノサカ、換気だ換気。三井が発する空気に耐えられない」

「わかりました」

「菜月、恋をするといいよ。恋愛は人生が潤うよ。菜月の心、乾燥してひび割れてるんじゃない? 何だっけ、干物だっけ、喪女だっけ」

「余計なお世話だ」


 うちの学年の男どもと来たら。どいつもこいつも。強いて言えばお前の言動が寒くて震えてるっていうくらいで。ああ、春には程遠い。


「あの、三井先輩」

「どうしたの野坂。僕に恋愛のいろはを教えてほしい?」

「いえ、聞くなら圭斗先輩に聞きますが、それより、あまり不用意に菜月先輩を刺激しない方が」

「何かマズかったかな」


 それがわからないうちは、何度目の運命だって去っていく宿命だ。この色惚け野郎。

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