第204話 失敗者の末路!

 一人慌てている俺を見て、リーシュはふと俯いてしまった。


「……リーシュ?」


 どうにも、不安そうな表情をしている。

 どうやら、慌てている場合じゃ無さそうだ。師匠がここで生活できたと言うんだから、俺とリーシュでもどうにかなるものだろうか――……いや、どうにかしなければいけない。

 俺は立ち止まったまま上空を見上げた。よく見ると、入り組んだ枝葉の隙間から、僅かに空が見える。

 どこかで、龍の鳴き声が聞こえる――……。


「怯える事はないよ、リーシュ」


 そう言うと、相変わらず言葉を発しないリーシュも、少し表情が穏やかになる。

 魔力が強い場所だからなのか、これだけの上空だというのに冷えもせず、風もない。家を建てられないと聞いて少し慌ててしまったけれど、意外と普通に過ごせるのかもしれない。……まあ、試してみよう。どうせ、当分は人の居る場所には戻れない。

 静かな場所だ。

 ここに居れば、俺の両腕も少しは良くなってくれるだろうか。感覚が無いばかりか、少しばかり痛みがあるが……戦わず、気を急がず、ゆっくりとしていれば。


「とりあえず、一通り中を歩き回ってみようぜ」


 そう言うと、リーシュは頷いた。

 ふと、スケゾーが居ない事に気付いた。姿が小さいので、無言で離れられてしまうと、俺には気付く事ができない――……師匠に付いて行ったのだろうか。確かに、ここで戦闘になる事は無いだろうと思うけれど。

 気を遣ってくれるのか。……ありがたいもんだな。



 *



 チェリィ・ノックドゥは、ノックドゥ城の自室にいた。

 グレン一行が居なくなってからというもの、城内は急にがらんとして、寂しい空気が流れていた。チェリィは療養中という扱いになっており、当分はノックドゥの女王もこれまで通りエドラが引き継ぐ、という形になった。

 冒険者として生活していた時とはまるで違う、たった一人の時間だ。自分が動こうとしなければ食事も部屋に運ばれ、チェリィは一日中ベッドで眠っている事もできた。薄桃色のドレスを着て、たった一人で。

 天蓋付きのベッドに横たわり、天井を見上げる。……そうすると、これまで野宿をしたり、日銭を稼いで飲み屋で飯を食べていた事実がまるで嘘のようだ。


「……静かだね、ヘッド君」


 チェリィの隣で柔軟に形を変えるスライムの魔物を抱き上げて、チェリィは呆然とそんな事を呟いた。

 時間が止まっているような感覚さえあった。今頃きっと、グレン達は分散して、それぞれの道を歩んでいるだろう。グレンはどれ程のショックを受けたのだろうか――……結局、別れさえ満足にこなす事が出来なかった。気が付けば、グレン達は城を出て行ってしまっていた。

 広い部屋にぽつんと置いてある椅子の背には、自分が冒険者時代に着ていたチェックシャツにチノパン、ベレー帽が掛けてある。

 チェリィは起き上がり、冒険者装備を見詰めた。


「ねえ、ヘッド君。……僕は、どうしたら良いかな」


 問い掛けても、スライムの魔物は何も言わない。

 ふと、窓の外に小さな人影が見えた。視界の端にそれが映ったチェリィは、思わずその人影に目を向けてしまった。


「……兄さん?」


 あの日から、死んだように自室に籠っていたウシュクだった。再び黒のスーツに黒のシルクハットを被り、敷地の外へと出て行った。

 誰かに話したのだろうか。ウシュクはエドラの命令で、勝手に外出する事は許されなくなっているはず――……チェリィはベッドから出て、窓ガラスに触れた。

 ウシュクはどこか急ぎ足で、ノックドゥの街へ――……行くかと思っていたら、何もない森の方へと向かって行った。

 森の向こう側は、急な山が幾つも連なっているだけだ。その先には何もない。

 誰も、気付いていない。


「行こう、ヘッド君。モアイ君、リトルちゃん」


 チェリィは少し焦ったように、桃色のドレスを身に纏ったまま、三体の魔物を引き連れて部屋の外へと飛び出した。



 *



 ドレスのままで山に入るのは、少し無理があっただろうか。

 チェリィは息を切らしながら、獣道を進んでいた。走って来たのは、チェリィよりも少し早く出たウシュクが、かなり急いでいたように見えたからだ。しかし、どれだけ走っても一向にウシュクの姿は見えて来ない。

 城の階段を降りてから外に出て、ウシュクの後を追い掛けるまでに、少しの間があった。流石に今から後を追うのは、難しかっただろうか。

 すっかり着慣れなくなってしまったドレスのスカートがいちいち枝に引っ掛かり、満足に急ぐ事もできない。


「もう……でも、着替えていたら余計に間に合わなかっただろうしなあ……」


 仕方がない。履いていた靴が踵の高いヒールでは無かっただけ、幾らかマシだ。チェリィはそう考え、急ぎながらもウシュクの行先を考えた。

 この山は連続して、ずっと先まで続いている。傾斜は急だが高度はそこまで高くはなく、山の頭まで森で覆われている。その先に街や村などの特別な場所は無いので、基本的に登る人間は居ない。

 だが――……もし可能性があるとすれば。少し先に進めば、部分的に平地になっている場所がある。幼い頃、チェリィとウシュクが二人でよく遊んでいた場所だ。ウシュクが向かっているとすれば、そこだろうか。

 半ば勘だけを頼りに、チェリィは目的の場所へと向かっていた。


「…………?」


 ふと、チェリィは立ち止まって、素早く木の陰に隠れた。

 異質な気配を感じたのだ。まさに、自分が考えていた広場の方から――……周囲に聞こえて来るのは、木々の枝葉が擦れる音と、風の音。一見、それだけのように思える。だが……。

 目を閉じて、チェリィはじっと耳を澄ます。


「……ての……。…………した……」


 内容は聞き取る事ができない。しかし、誰かが喋っている。

 ウシュクがこの森に入った以上、ウシュクと誰かが話しているのだろう。この極めて人気の少ない場所で、偶然にも他の人物が同時に登っていたという可能性は――……勿論無いとは言えないが、かなり低いだろうと思える。

 チェリィは慎重に足音を殺しながら、木の陰に隠れながらも広場へと近付いた。


「そうか……。それは、残念だよ」


 はっきりと、声が聞こえて来る所まで近寄った。

 広場には、すっかりやつれた表情のウシュクがいた。その対面に、黒いローブの人間が立っている……男? 女? 顔が隠れていて、よく分からない。声の雰囲気では、恐らく男だろうと思えるが――……どうやら、ウシュクはこの人間と会うために、城を抜け出して来たようだ。

 黒いローブの男は両手を広げて、あたかも悲しそうに、そして少し愉しそうに、ウシュクに話した。


「君は私が知る中でも、指折りに頭の切れる人間だ。地べたを這い蹲って生きて来た事が、その頭脳を育てたのだろうと思っていた――……これからの未来を一緒に作って行ける、本当の仲間になれるだろうと思っていたのに」


 何の話をしているのだろうか。

 不穏な空気に、チェリィは思わず冷汗を垂らした。


「馬鹿言え。最初から疑いの目だったろうがよ。……どうして俺が、ギルデンスト・オールドパーや、リーガルオン・シバスネイヴァーと同じラインに添えられていたのか、今でも信じられねえぜ」


 その言葉に、チェリィは思わず声が出そうになってしまった。

 ギルデンスト……というのは確か、ヒューマン・カジノ・コロシアムで、ヴィティアとグレンを殺そうとした、剣術の達人。リーガルオンは言わずもがな、カブキでミューを救うに当たり、自分達の壁となった、たてがみの男。

 この二人が繋がっていたというだけでも驚きなのに、まさか――……ウシュクが、そんな所に関わっていたなんて。


「それは、君を信頼していたからだよ」

「ハハッ。……ま、知らんけど」


 ふと、チェリィはある一つの仮説を立てた。

 リーシュとヴィティアの誘拐。スカイガーデンでも、連中はグレン達の前に立ちはだかったと聞く。……そして、カブキではミューが利用されてスケゾーを連れ去られ、危険な戦いを避けられなかった。

 もしもこれらの事件が繋がっているのだとすれば。東門での戦い、唐突な魔物の支配。ノックドゥのギルドリーダーが勝てなかった、黒い翼の戦士……これら全ては、一つに繋がるのではないだろうか。

 図らずとも、リーシュやヴィティアを助けたグレンオード・バーンズキッドは、この男の計画の邪魔をする事になってしまったのだ。

 だから、目を付けられた。

 ……そうだとしたら。


「君は、ただの無能な人間じゃない。自分の頭で考え、策を練る事ができる人間だ。そういう人間はね、別に弱くても構わないんだ。人を支配する能力が、この世では最も大切なんだよ。目先の欲に囚われないという意味では、リーガルオンよりも君の方が余程賢かった」

「……そりゃ、どうも」

「本当に残念だ」


 突如として、強大な魔力が男から発された。チェリィは思わず、鳥肌が立ってしまった。

 尋常ではない。リーシュの魔力が恐ろしいと思った事は何度もあるが、それと比べても圧倒的すぎる……人間には到底、達成不可能なレベルの魔力。いや、或いは災害レベルか――……こんなもの、生物に扱い切れるのだろうか。

 それが今、ウシュク・ノックドゥへと向けられている。にもかかわらず、ウシュクは至って平然としたままで――いや、気力が無いとも取れるが――乾いた笑みを浮かべていた。


「……馬鹿言え。用が済んだら、元々殺すつもりだったんだろ? ……まー、俺はそれでも良かったけどね。むしろ、そうして欲しいっつーか」


 ぶつぶつと呟くように、ウシュクはそう言った。

 チェリィは呆然として、目の前の光景に見入っていた。いや、恐怖で足が竦んだとも言えるだろうか。黒いローブの男は空間が歪む程の強烈な魔力を放ち、それを凝縮させ、光を吸い込む程の巨大な空間を生み出した。


「君は、頭が切れる。……悪いが、ここでお別れだ」


 黒いローブの男はそう言い、その言葉にウシュクは苦笑する。


「はいよ。……お疲れさん」


 チェリィは、居ても立っても居られなくなった。



「兄さん……!!」



 ウシュクが目を丸くして、背後を振り返った。チェリィは物陰から飛び出し、魔力を高めた。

 何も出来ない。……それは、分かっていた。これは、確か――……高位の悪魔が使う魔法だ。高圧縮された空間をぶつけるような魔法……名前は分からない。そんなものを相手に、自分に何ができるのかと言えば、きっと何も出来ないだろう。

 チェリィはまだ、聖職者の魔法以外はまるで使い物にならない。

 それでも、チェリィは飛び出していた。

 黒いローブの男が、魔法を放つ。禍々しい黒い物体が、ウシュクに向かって恐ろしい速度で飛んで来る。チェリィはウシュクを突き飛ばそうと走った。どうにか、魔法の外へとウシュクを追い出したかった。

 だが、間に合わない――――…………



「【ソニックブレイド】!!」



 一閃。黒いローブの男が放った魔法すら、まるで比較にならない程の速さで、その魔法が一刀両断された。チェリィは立ち止まり、黒いローブの男も動きを止めた。ウシュクは元々避けるつもりが無かったからだろう、風圧でその場に転倒した。

 大きな剣を鞘に納め、屈んでいた男が立ち上がった。

 流れるような美しい金髪。白を基調とした高貴な戦闘服に、蒼い瞳。


「――――――――ようやく、姿を現したようだな」


 あれだけの魔力を相手にしながら、その男――ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルは、涼しい顔でそこに立っていた。


「ラグナスさん……!?」


 思わず、チェリィはラグナスに声を掛けた。

 まさか、尾行していたのだろうか。自分と同じように、ウシュク・ノックドゥを――……? その瞳は真っ直ぐに、黒いローブの男を射抜いている。一度は鞘に納めた愛刀、『ライジングサン・バスターソード』を再び抜き、今度はそれを黒いローブの男に向かって構えた。

 黒いローブの男に勝るとも劣らない威圧感。彗星のように凄まじい速度で現れた男が、今度は男を斬ろうとしている。


「ラグナス・ブレイブ=ブラックバレル。君も、また――……私の計画に水を差そうと言うのかい?」

「グレンオードのギルドに入らなかったのは、お前の動向を探るためだ。何かは起こるだろうと思っていた……『不自然』だったからな」


 ……不自然?

 黒いローブの男が両手を広げて、肩を竦めた。ラグナスは鋭い眼光をローブの男に向けたまま、静かに口を開いた。


「ノックドゥを護っていた、ギルドリーダー……フィディック・フールドルフは、そう簡単に死ぬような男ではなかった。仮にもキングデーモンを率いる、クラン・ヴィ・エンシェントの右腕だ……奴が殺されたのは、奴の動きを完全に把握した者による、『裏切り』があったからだ」


 チェリィには、黒いローブの男が少しだけ、反応したように見えた。


「全てを話させるぞ、名も知らぬ者よ。……もう、コソコソ隠れさせはしない。お前が全ての事件の中心だ……どうしても話さないと言うのであれば」


 瞬間、ラグナスは全身から殺気を放った。



「――――――――今ここで、貴様の息の根を止める」


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