第192話 国王は夕暮れに微笑う!

 チェリィ・ノックドゥは、自室の窓から外の様子を眺めていた。

 この場所に来る時にはまだ何も無かった、城前の広場。ノックドゥの人間によって作られている木製のステージは、着実に完成へと近付いている。就任式は明日だ。もうじき、大工が報告に来るだろう。

 チェリィは就任式で使う桃色の鮮やかなドレスを身に纏っていた。使用人が着付けのため、手を挙げたり下げたりと、チェリィに指示を送る。それにチェリィは従いながら、無心のままでいた。

 遂に、ノース・ノックドゥの国王になる日が来た。チェリィはこれまで、その現実から逃げ続けていた――……自らの性別さえ偽り、国民の前に立つ。それを生涯に渡り、続けて行かなければならないのだ。

 誰とも添い遂げる事なく。誰の助けも借りることができずに。


「本当に、結婚式は取りやめるのね?」


 入口近くでチェリィを見て微笑んでいるエドラに、チェリィは振り返った。


「グレンさんが困るだけだと思いますので。……ちょっと、それに飛躍しすぎですから」

「そう。……それは、残念だわ」


 取りやめるも何も、結婚式をやると言っていたのはエドラだけだ。そうは思いながらも、チェリィはエドラに微笑んだ。


「よろしくお願いします」

「でも私、チェリィちゃんの事を応援してるからね!! 大丈夫よ、チェリィちゃんなら大丈夫!!」

「……あはは」


 苦笑する事しかできない。


「……長かったわね」


 溜息をついてそう言うエドラに、チェリィは笑みを消した。

 長く拒んできた、ノース・ノックドゥの王女になる。その実感は時が経つ毎に、現実のものとなっていく。

 チェリィの複雑な気持ちは、きっとエドラには分からないだろう。今頃は、心躍る想いで満たされているに違いない。


「あなたが逃げてしまったのは、私のせいでもあると思っているわ。……それは、ごめんなさい」

「あ、いいえ。……私も、自分勝手ですみませんでした」

「でもせっかく戻って来たんだし、これを機会に仲直りしましょうよ。そのつもりで来てくれたんでしょう?」


 チェリィは、笑みを浮かべた。静かに頷くと、エドラは手を合わせて喜んだ。


「私ね、チェリィちゃんが認めてくれて、嬉しいのよ。私がやってきた事は無駄じゃなかったんだって、思ったわ。きっとあなたは、綺麗で優しい王女になれると信じているの」

「……ありがとう、ございます」

「別に期待してなかったけど、ダメ元であの人に話してみて良かったわ」


 エドラの言葉に、チェリィは俯いた。

 普段は、穏やかで優しい人だ。しかし、唐突に人が変わったように、嗜虐心に満ちた表情をするようになる。

『あの人』。……ウシュク・ノックドゥのことだ。


「チェリィちゃん、名前まで変えているんだもの。私も冒険者関係は真っ先に探りを入れたけれど、どうしても見つからなくてね。どこのパーティにも居ないし、ギルドにも所属していないし……だから、あの人に聞いたのよ。状況次第では、あの人の立場も考慮するって言ってね」


 どうしてウシュクが自分を非難するようになったのか、チェリィには分からなかった。

 だが、このエドラの態度がウシュクに悪影響を与えている事は、誰の目にも確かだ。同じ城に居ながらにして、普段は完全に生活を分けている。チェリィには、あれやこれやと関わって欲しくない所にまで世話を焼くのに、ウシュクの事については完全に放置している。


「あの人も、たまには役に立つものね」


 あまつさえ、『あの人』呼ばわりだ。


「お母様。……『あの人』なんて、言わないでください」


 チェリィの声に、少しばかりの怒気が混じった。すると、エドラは急に怯えたような顔をして、取り繕ってチェリィに言う。


「ご、ごめんなさいね。チェリィちゃんが良いのなら、あの人の立場も好きに変えて良いのよ」


 チェリィは、悲しい気持ちになった。

 歯車の狂ってしまった家族。……いや、初めから歯車等というものは、回っていなかった。チェリィが物心付いたときから、エドラは既にこのような様子だったし、今ほどでは無いにせよ、少しずつウシュクへの態度も冷たくなって行った。

 エドラには、エドラなりの理屈がある。何度も対話は試みた。だが、その度にエドラは怯えて謝りながらも、決して主張を曲げようとはしない。

 だから、何を言っても仕方がない。

 使用人が、チェリィに微笑んだ。


「チェリィ様。……お着替えは済みましたが、腰回りなどきつくありませんか」

「大丈夫です。少し慣らしておきたいので、暫くここに一人にして頂けますか」

「かしこまりました。何かありましたら、いつでもお呼びください」


 使用人は一礼して、部屋を出て行く。エドラもそれに合わせて、車椅子に手を掛けた。


「本当に、綺麗よ。明日が楽しみだわ」


 エドラの言葉に、チェリィはどうしようもなく、笑顔を向けた。

 それきり、エドラはチェリィに背を向けた。その後姿がやがて消えるのを確認してからも、チェリィは暫く、出入口の扉を見詰めていた。

 溜息をついて、チェリィは窓のカーテンを閉めようと、再び振り返った。

 瞬間、窓が開いた。


「えっ……!? ちょ、邪魔っ……!!」


 目の前に、軽装の金髪女性が現れた。その時には、チェリィはカーテンに手を掛けたまま、呆然と口を開いていた。

 チェリィの真正面から女性が降ってくる。


「わっ……!?」


 そのまま、仰向けに倒れた。


「ご、ごめん……いたた」


 チェリィよりも高い身長。スマートな体型……四つん這いになって起き上がると、ぶつけた場所を擦っていた。茶目っ気のある赤い瞳が、チェリィの姿を捉える。

 ヴィティア・ルーズだ。はっとして、チェリィに馬乗りになったまま、周囲を確認していた。


「だ、大丈夫……!? 誰にもバレてない……!?」

「一応、ここは防音なので……大丈夫だと思いますけど」

「何そのセレブ仕様……」


 ヴィティアはようやくチェリィの格好に気付いたようだ。何かの疑惑を持ったような顔をした。チェリィに抵抗の余地が無い事を確認するや、チェリィの胸に手を当てたまま、ふとチェリィの胸を揉みしだいた。


「あっ、……ちょっ」


 チェリィは堪らず悶えた。ヴィティアは驚愕して、やがて真っ青になり――……チェリィから手を離した。


「……何? 魔法まで掛けて女になってるの……?」

「ち、違います!! 離れてくださいよっ!!」


 どうにか、チェリィはヴィティアを引き剥がした。



 *



 ヴィティア・ルーズは、チェリィが次第に女性の身体へと近付いている事、そのために王女になっても問題は発生しない事を聞いた。

 目の前のチェリィは、頬を染めてもじもじとしている。

 正直な所、驚きを隠す事は出来ない。トムディの言葉に従って、チェリィに今の状況を伝えようと、わざわざ城の外側から回って来たのだが――……既にチェリィは明日の就任式に向けて、ドレスに着替えた後だった。

 どうやら本当に、チェリィはノックドゥの次期国王になってしまうようだ。話の流れで理解はしていたが、納得はできていなかった。


「……なんであんた、そんな大切な事を黙っていたのよ」


 ヴィティアの言葉に、チェリィは俯いた。


「ごめんなさい。……中々、話すタイミングがなくて」


 勇気が無かった、とも言い換えられるのだろう。

 これまで幾度となくチェリィと行動を共にして来たヴィティアだったが、どこかチェリィには余所余所しさと言うのか、他人行儀のような部分が抜けない事があった。その理由は、どうやら自身の身体に関する問題だったようだ。

 ヴィティアは背もたれのある椅子で腕と足を組むと、チェリィを少し睨むような目で見詰めた。

 チェリィは少しばかり、ヴィティアの態度に気圧されているようだった。


「何だか飲み込めずにいたんだけど……じゃあ本当に、あんたはノックドゥの国王になるのね」

「はい。……冒険者は、止めざるを得ないと思います」

「……あんたは、それでいいの?」


 ヴィティアの言葉に、チェリィは少し、困っている様子だった――……だが、やがて溜息をつくと、苦笑して応じた。

 その笑みには、かなり無理があった。


「僕、国王になるんです。……すごくないですか」

「まあ、凄いとは思うけど」

「冒険者の時って、やっぱり生活安定しないなあ、って思っていたんですよね。僕もこれでやっと、毎日ベッドのある部屋に住んで、食事が出る生活になるんですね」


 ベッドの上に居るモアイの魔物を、チェリィは抱き締めた。


「モアイ君達も、これで無理な戦闘をしなくて済みますし……至れり尽くせりで、少し申し訳ないくらいですよ」


 やはり、チェリィは兄と話し、母の肺が悪いと聞いて、無理をして戻って来たのだろう。

 グレンは自室だろうか。リーシュもきっと、城のどこかに居るに違いない。トムディは、作戦を考えるから大人しくしていろと言っていたが――……それは、このまま就任式を迎える場合の話ではないだろうか。


「チェリィ。……あんた、ここから逃げた方が良いかもね」


 そう言うと、チェリィは頼りない表情を浮かべた。


「……どうしてですか?」

「ここ、防音なのよね? 間違いない?」

「ええ、まあ……」

「じゃあ、言うわね」


 ヴィティアは少し間を置いて、チェリィに話した。



「あんたのお兄さん――ウシュク・ノックドゥが、あんたを狙っているわ」



 チェリィは驚愕して、モアイの魔物を地面に落としてしまった。

 その反応は、予想できるものだ。


「――――へ?」


 モアイの魔物が尻餅をついて、少し痛そうにしていた。


「あんたを殺すって言ってた。……ギルドリーダーの就任式で。誰にも悟られないように、殺すんだって」

「……な、何を言ってるんですか、ヴィティアさん。……いくら冗談でも、言って良いものと悪いものがありますよ」


 チェリィはぎこちない笑みを浮かべて、気不味そうにしていた。ヴィティアの態度が明らかに冗談ではなかったからだろう。

 だが、構わない。ヴィティアは至って真剣に、チェリィに危機を示した。


「分からないけど、国王の取り合いか何かじゃないの? ……あんたとお兄さんの仲があんまり良くないのは知ってるわ。お兄さんは夜中に私も知らない誰かと打ち合わせをして、そこであんたの事を話していたのよ」


 言葉もなく、チェリィはヴィティアの言葉を聞いていた。何か反論されるかと思ったが――……ヴィティアはその態度に少しばかりの違和感を覚えながらも、話を続けた。


「トムディには、何もするなって言われたけど……正直私は、あんたがこの場で逃げちゃっても問題ないと思ってるのよ。就任式はあんたのお母さんが出るんだろうし、それが終わったらこっそり戻って、改めてお兄さんと話した方が良いんじゃないかしら」


 これは、トムディの筋書きには無かった。だが――……今ここで出来る事をしておかないと。この城で今、就任式で起こる悲劇の事を知っているのはヴィティアだけなのだから。

 ヴィティアは、トムディに手を差し伸べた。まだ危険は迫っていない。……可能な限りの、笑顔で。


「ね、それが良いでしょ? 窓からあんたを、外まで連れ出すから。その後は着替えて、馬車でセントラル・シティに向かったら良いわよ」


 家族とは少し、ぎくしゃくするかもしれないが。それでも、何もしないよりは良いだろう。チェリィだって、一度はこの国から逃げているのだ。今は兄の言葉で戻って来ているかもしれないが、それも作戦だと判明した今、チェリィに残る意味はない。

 チェリィは、ヴィティアに悲しみとも、怒りとも取れるような表情をした。そのままで笑うものだから、更に表情が複雑になる。


「……兄さんが、僕を?」


 予想外の反応だった。


「まさか。……あの人は、自分に利益のない事は、絶対にしない人ですよ」


 ヴィティアは少し、戸惑ってしまった。


「で、でも。確かに聞いたのよ。ただの冗談でこんな所に来ないわ、分かってるでしょ?」

「仮に僕が死んでも、お母様が生きている限り、男の兄さんは国王にはなれないんですよ。だから、国王の取り合いなんて有り得ないんです。聞き間違えたんじゃ、ないでしょうか」

「聞き間違えるわけないじゃない……!! 確かに、私は……」


 思わず立ち上がり、ヴィティアはチェリィを責めるように言った。

 だが――咄嗟に気付いて、ヴィティアはチェリィを見た。

 チェリィの大きな瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。


「なんで、ぼくが恨まれないといけないんですか……?」


 その言葉に、ヴィティアは思わず。

 そうか、と。

 無神経だった。咄嗟に、ヴィティアはそう思った。

 どれだけ仲が悪く見えたとしても、チェリィとウシュクは兄弟なのだ。代わりなど存在しない――……産まれた時からそばに居て、生活を共にして来た。それは、変わりなかったのに。

 立ち尽くして、壊れた機械のようにそう呟くチェリィに、ヴィティアは駆け寄った。


「こんな……良い部屋とか、ひらひらのドレスとか、立場とか、お金とか……そんなもの、ぼくは欲しくないのに……」


 ヴィティアは、チェリィの頭を抱えた。


「ごめん……ごめんね。……私、無神経だったね」

「ぼくは、ただ……優しい、家族が……」


 そこから先は、嗚咽に掻き消されて、言葉の形を保っていなかった。

 ヴィティアがチェリィの頭を抱き締めると、チェリィはヴィティアの胸で泣いた。

 ヴィティアは、チェリィの背中を擦った。

 想像以上に、小さな背中だった。




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