第178話 お前は、言えなかった!
チェリアは、全身黒ずくめの服装に身体を包んだ緑髪の男と会っているようだった。その男の対面に着席する。
今、チェリアは緑髪の男を『兄さん』と呼んだ。……という事は、彼はチェリアの兄なのだろうか。糸のように細い目には、何が映っているのか。確かに緑色の髪色は同じだが、似ているとは言い難い。
「久しぶりだね、チェリィちゃん。元気してた?」
男は問い掛けたが、チェリアは何も答えなかった。……どうやら、相当に警戒しているらしい。
無言のままで席に座ると、チェリアは言った。
「……それで、手伝うことって、なんですか?」
何の話だろうか。……おそらく、どこかで二人は会っていたのだろう。何も相談が無いのは、身内の話だからだろうか。
思わず話に耳を傾けてしまうのは、隠密行動を得意とするヴィティアの性分だ。
その男は一見軽そうで抜けが多そうだが、意外にも周囲をかなり警戒している。……あまり、勘付かれない方が良いだろう。
ヴィティアは視線を向けず、しかし背後に意識を向けた。
「おっと、いきなり本題? 前戯なしは嫌われるぜー」
「ウシュク兄さん、今は茶化さないでください。何があったんですか?」
どうやら、その男はウシュクと言うらしい。チェリアの言葉にウシュクは、少し吹き出した様子だったが。
「……お前さ、まだ連中に自分の事、話してねーの?」
ヴィティアは、ミューと目を合わせた。
チェリアの事は、ヴィティアが捕まっていたヒューマン・カジノ・コロシアムの時から知っている。それからキララの件、スカイガーデンの件、カブキの件と、参加不参加はまちまちだったが、自分達と共にやってきた冒険者だ。
ウシュクの口ぶりからして、恐らく『連中』というのは、自分達の事だろう。チェリアは普段ソロで活動しているから、『連中』というものが他に思い当たらない。
ミューが目を細めた。きっと、同じ事を考えているのだろう。
「……良いカップルになりそうね」
「誰と誰の話?」
やはり、アホな事を考えていた。
「いけないねえ、嘘は。チェリィちゃんだってさ、いつまでもこのままで良いとは思ってないんでしょ?」
「誰も嘘なんて付いてませんよ。……何を言っているんですか」
「んー? んじゃ聞くけどさあ、『チェリア』って誰?」
ウシュクがそう言うと、チェリアは言葉を失くした。
……どうして、そこで言葉に詰まるのだろうか。
ヴィティアは、混乱していた。チェリアというのは……チェリアの名前だ。……チェリア・ノッカンドー。セントラル・シティに登録している冒険者で、昔は聖職者で今は魔物使い……の、筈だが。
そのチェリアが、『チェリアって誰』と言われて、困っている。ミューは相変わらず無表情のままだが、ヴィティアは出来事に付いて行く事ができていなかった。
「――母さんが、倒れた。肺炎らしい」
ウシュクは、少し慈愛を込めたような口調で言った。
チェリアから、息を呑むような音が聞こえた。
「元々、身体が強い人間じゃなかった。歳も歳だ……母さんは、お前の事を何度も聞いていたよ。今、どうしているのか。元気でいるのか、ってな」
相変わらず、言葉は出て来ない。
チェリアは黙ったままで、ウシュクの言葉を聞いているようだ。当然、チェリアにも親は居るという事だが――……しかし、この様子だとチェリアはどうやら、自分の家を出て行ったようだ。
家出だったのだろうか。何か、理由があったのか。
「お前もさ、いい加減に戻んな。城の仕事は、俺も手伝ってやるから……これ以上、母さんに心配掛ける訳に行かねえだろ。別に母さんは、お前の事が嫌いな訳じゃねえんだから」
チェリアは、何も言わなかった。
「いつまで昔の事、引きずってるつもりなんだよ。お前は可愛い。それで良いじゃねえか」
「――僕の事を化物扱いしていた人の言葉とは思えませんね」
何も言わない代わり、次に出て来た言葉は――……それ相応に、重みを伴うものだった。
椅子を蹴る音がする。……チェリアが立ち上がったのだろうか。後ろを向いているヴィティアには、よく分からなかったが。ミューは相変わらず無言で茶を啜るばかりで、表情に変化はない。
まあミューに限っては、どのようなタイミングでも、表情が変わる事などないのだが。
「化物扱いなんかしてねえさ。人聞きの悪い」
「いいえ。……兄さんは、僕を化物扱いしましたよ。気持ちが悪いとか、弟だと思えないとか……陰で言っていたの、僕が知らないとでも思いましたか」
軽く吹き出すような音が聞こえた。
それが、チェリアの怒りを更に増大させただろうか。
「僕の居場所は、もうあります。あなた達の介入する余地はありません。……そう答えれば、満足ですか」
「でも、言ってないんだろ?」
「どうでもいい話です。話す必要もないですが、仮に話しても受け入れてくれますよ。皆なら」
「でも、お前は言えない」
話の上では、ウシュクが優勢に見える。
「お前は、言えなかった」
一体、チェリアにどんな秘密があると言うのだろうか。
「……話は終わりです。……僕は、帰りませんから」
そう言って、チェリアは足早に赤い甘味を出て行った。とうにヴィティアとミューには気付く事無く、その場を後にした。
赤い甘味は賑やかなものだったが、ヴィティアの耳にも、ウシュクが笑いを押し殺している声が聞こえた。
「……いいや。帰るさ、お前は」
ヴィティアには、少し不気味に聞こえた。その男の笑い声は、どうにも。
*
俺は、冒険者依頼所の前まで来ていた。
「……いよいよ、ギルドになるのか」
今日はクランと共に、ノース・ノックドゥに行く日だ。
ノース・ノックドゥは、セントラル・シティから馬で半日ほど移動した先にある国だが、キングデーモンの所有する馬車があれば二時間ほどで到着してしまう。キングデーモンの馬は優秀だから、今からすぐに移動すれば、昼には着くだろうか。
そこで俺は、いよいよノース・ノックドゥに所属するギルドとして、城の所有手続きを受ける事になる。ギルドの申請は既に冒険者依頼所に出して来たが、城を請け負うとなると、現地でも申請が必要だ。
……城を所有するギルドとなると、セントラル大陸全体で考えても一握りしか居ない。まさかその領域に、俺が足を踏み入れる事になるとは思っていなかった。
「そういやご主人、他のメンバーは良いんスか?」
「ああ、ここで集合する事にしてるよ。……とは言っても、キャメロンはあの様子だし、ミューは付き添っているからな。手続きを実際に受けるのは、他のメンバーだけなんだけどさ」
そう言いながら、俺は冒険者依頼所の扉を開いた。
相変わらず、中はミッションを受ける冒険者達で賑わっている。依頼の張り紙を横目に見ながら、俺は冒険者が交流する斡旋の間へと向かう。
「グレンオードじゃないか。もう、身体は大丈夫なのか?」
不意に声を掛けられて、俺は振り返った。
……金髪の、男の冒険者だ。俺はその顔を知らないが……誰だ。
「ああ、まだちょっとな」
「俺、カイルって言うんだ。凄かったぜ、先の東門での死闘。俺、ちょっと感動しちゃったよ」
「……ああ、まあ、なんとかなって良かったよ」
知らない冒険者に声を掛けられるのなんて初めてだ。少し緊張しながらも、受け答えをするが。
今度は、別の冒険者が寄って来た。
「零の魔導士か? 良かった、冒険者依頼所に全然顔出さねーからさあ!! どうなったかと思ったよ!!」
「へっ? ……ああ、まあ、少し休んでてな」
「おお、英雄様のご登場じゃねえか」
……なんだ、これ。一体どうして、こんな事になってるんだ。何人か、冒険者依頼所で顔を見たような奴もいる。ついこの前までは、全くもって赤の他人だった。いや、今だってそうだ。
何故か、謎の熱烈な歓迎を受ける俺だったが……そうか。セントラルの東門には、冒険者が集められていた。俺が最前線で翼の戦士を食い止めていたのを、こいつらは見ていたのか。
あんまりこういうのは、得意じゃないんだけどなあ……。
「今日はミッションを受けに来たのか?」
「いや、クラン・ヴィ・エンシェントと約束があって。これから、ノース・ノックドゥに向かうんだけど」
「あ、もしかして城の件か!? 任されちゃったりするのか!?」
「……ああ、……まあ、な」
「すっげーな!! やっぱそれくらい強いと、そういう声も掛かったりすんだな!! 俺も今度、ミッションに誘ってくれよ!!」
「あはは……まあ、今日は約束があるから、また今度な」
め……めんどくせえ……!!
俺は苦笑して会釈をしながら、人混みをかき分ける。何だか一夜にして、有名人か何かにでもなってしまったような気分だ。実際そうなのだろうが……何となく、相容れない。
これまでパーティを組んで来た一般の冒険者達は皆、俺の性能を知るや、合わないだの何だのと言って拒絶して来た。そんな経験が、尾を引いているのかもしれない。
えっと、斡旋の間には……リーシュとヴィティア。トムディは……居ないみたいだ。
「早いな、もう来てたのか」
「グレン!! こっち座ってよ」
ヴィティアに手招きをされて、俺は隣に座った。
「クランは?」
「まだ来てないみたい」
「みたいだな。……トムディはその後、何か連絡受けてるか?」
ヴィティアは少し不満そうな顔をして、首を横に振った。
……そりゃ言えてないから来ないんだろうけど、まさかこのままパーティを抜けるつもりじゃないだろうな。
あれきり、宿にも戻って来ないし……今頃、どこで何をしているんだろう。やっぱり俺は、何らかの形でトムディを裏切ってしまったのだろうか。
と言っても、戦わせられないものは戦わせられない。俺でさえ、後遺症が残ってしまうような状況だ。ましてトムディはそもそも、戦闘職ですらないと言うのに。
……ん?
何だか、急に静かになったな。先程までの喧騒が嘘のようだ。
そう思って、周囲を見回すと――……すっかり、人は散っている。何でだ……? つい先程までは、やり過ぎって位に仲良さげな雰囲気を醸し出していたが。
少し、警戒しているような空気さえ感じる。
「さっきからずっと、こんな調子なのよ」
不意に、ヴィティアがそんな事を言った。
「ヴィティア、何か知ってるのか?」
「警戒されてるのよ。リーシュが、黒い翼の戦士と同類なんじゃないか、って」
そう言いながら、ヴィティアが席を立つ。それを見て、慌ててリーシュも席を立った。
「ねえ!! 何か言いたい事があるなら、言ったらどうなの!!」
「ヴィティアさんっ……!! 私は、大丈夫ですから……!!」
……なるほど。最近リーシュの元気が無いのは、これが原因か。
東門での戦闘時、リーシュの翼が勝手に出現した。本人も予想外だったみたいだが――……確かに、黒か白かという違いはあれど、リーシュの翼は奴等とよく似ている。一般の冒険者から見れば、そういった事も考えられるかもしれない。
タタマを連れ回していた時から、警戒されていたのだとしたら。連中の疑惑は、いよいよ形になり始めたって所だろう。
でも、直接リーシュには聞かないだろうな。今の段階では、絶対に。
「そうやって白黒はっきりしない顔してるから、運が逃げて行くのよ」
お前は白黒はっきりしていても運が逃げて行っていると思うけどな、ヴィティアよ……。
ヴィティアとリーシュが戻って来た。力なく、リーシュは椅子に座る。
……まずいな。
「気にすんなよ、リーシュ」
リーシュが顔を上げる。……だが、今までのような花の咲く笑顔はどこにも無い。
すっかり、別人のようだ。
……どういう訳か少し、苛立ちを感じる。
「誰に何を言われても、気にするな。……どうせ、一時のことだ。俺達は知ってる」
そう言うと、リーシュは苦笑した。それきり、何も言わなかった。
――何か、確固たる強い意志のような、そんなものを持っていた訳ではなかった。でも俺は多分、そう話すことで、リーシュに安心して欲しかったのだと思う。
だってそれは、俺達がせっかく集まって作り上げた様々なものが、壊れて行く様子に似ていたから。
また、孤立してしまうような。また、誰かから迫害を受けてしまうような。
それは俺達余り物にとって、途方もなく残酷なことだ。集まって寄り添う事でどうにか嵐を抜けたと思ったのに、その向こう側にまた嵐が控えているような。そんな気がしていたのかもしれない。
カブキの一件以降、リーシュの調子が狂った事によって、俺達の内側で作られていた空気が変わってしまった。
それは、機械の中のどこかでひとつ、歯車が狂うようなものだった。一見、機械は正しいように動いている。リーシュ以外の誰も変わっていないと言うのに、たったひとつ狂っただけで、中身は丸ごと変わってしまっている。
俺は少し、焦りを感じ始めていた。
今はまだ、僅かな違い。……でもこれが、この周囲の反応が、大きくなって行ったら。
その『たったひとつ』が、全てを壊してしまうような、そんな気がしていた。
「おっと、待たせてしまったかな。もう、表に馬車を用意してあるよ。早速、向かおう」
そう言って、クラン、ハースレッド、ティーニの三人が現れた。俺は立ち上がり、ノース・ノックドゥへと向かう事になった。
……まだ、何も起きていない。
そうさ。まだ大丈夫だ。
まだ、何も起きてはいないんだ。
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