第122話 私を、ずっと見ていてくれませんか
月が明るい。
夜明けまでは、もう遠くないだろう。すっかり夜も更けて、部屋は冷え切っている。高度のある立地……と言うよりも空にある島だから、深夜ともなれば、それは冷えるというわけだ。
ギルデンスト・オールドパー、ベリーベリー・ブラッドベリー、J&Bの三人は、気が付くと姿を消していた。仲間達によれば、動く事が出来るような状態では無くしていたという――……恐らく、連中の作戦は失敗した。俺達が生かす気でも、騒ぎの首謀者に始末されてしまったのかもしれない。
俺達は『サイドスベイ』のヒーラーに診てもらい、治療をしてもらった。中でも、俺とトムディの傷は酷いものだったが――……それでも、数日もすれば完治するだろう。元々、動けない程の傷でもない。トムディは事が終わって一段落した後、それはもう死にそうな顔をしていたが。
俺はと言うと、こんな傷はもう慣れっこなので、スケゾーに何かして貰う事も無かった。全身火傷くらいなら、聖職者からヒールの一発でも貰えばどうとでもなる。
城のバルコニーに出ると、冷たい風が頬を撫でた。
「眠れないっスか、ご主人」
後を追い掛けて来ていたのか、スケゾーが俺の後ろから現れて、バルコニーの柵に乗った。
「ああ…………正直、まだ緊張が抜けなくてさ」
魔物を一掃した後は、『サイドスベイ』の住人に任せていたが。その後は大変で、一先ずはスカイガーデン周囲の防御網を張り直した。元々、リーシュの持つ強大な魔力でもなければ破られることはない、強靭な盾だ。加えて、周囲の魔力を感知する機能もあると聞いた。今回のように、侵入したリーシュが『内側から』『一撃で防御網を破るような、強大な力で』攻撃されなければ、まずどうにかなる。
それだけに、今回の出来事は衝撃だった、と住民は言う。何年も前から計画されていなければ、実行出来なかった。連中は島の下部――……大陸の下側に穴を設けて、そこから転移魔法で『サイドスベイ』まで辿り着いていた、という結論に達したらしい。
当然、転移魔法を使う為には、入口と出口、その二つにマーキングをする必要がある。ということは、今回リーシュを攫って事を起こそうとした連中は、一度はこの『サイドスベイ』まで来ていることになる。
だが、それが誰かは分からない。そもそも、主犯は相変わらず、顔も見せていないのだ。黒幕が姿を消しているのでは、分かりようがない。
「しかし、めっちゃくちゃだな」
俺は『サイドスベイ』の状況を見て、苦笑した。リーシュの放った光の剣のせいで、それは酷い事になっている。家を壊された人々は、城に泊まったり、別の街で保護されたりしているようだが。
「まあ、城が崩れなくて良かったんじゃないっスか? オイラは、軽い被害だと思いますよ」
「…………ああ、そうだな」
死者は出なかった。金眼の一族が抜きん出て強かった事もあるが、俺達は無事、スカイガーデンを護り切ったと言える。
大勝利だ。俺達を魔物扱いした事も含めて、俺達は正式に、国王を始めとする人間達から謝罪を受けた。スケゾーの存在も認められ、こうして一緒に外に居る事ができている。
俺達の『リーシュ救出』という目的は、果たされたのだ。
「……………………あ」
声がして、俺は背後に振り返った。
スカイガーデンの民族衣装…………まあ模様の入った、ただのローブを着たリーシュが、俺と同じように、外に出て来ていた。
同じ事を考えていたのだろうか。
「何時だと思ってんだよ。疲れてるんだろ。寝とけって」
「…………ごめんなさい。眠れなくて」
そりゃあ、そうか。リーシュは俺の隣まで歩いて、俺と一緒に、バルコニーの柵から外を見詰めた。
リーシュは、国王から正式に、『自分の娘である』という宣言をして貰った。魔物を毛嫌いしていた住民も、意識を変えた。
まあ、今回の暴動が起きたのは、国王を始めとするスカイガーデンの人間が、リーシュ・クライヌの存在を認めなかったせいでもある。ということで、リーシュが光の剣を使って『サイドスベイ』を攻撃したという一件については、穏便に済ませる事になった。
リーシュも、国王もまた、お互いに謝罪し。この一件は、事なきを得たのである。
「良かったな、リーシュ」
俺は、リーシュにそう言った。
国王がリーシュの存在を認めたことで、初めてリーシュには『家族』ができた。元々、忌み嫌われて捨てられた訳ではないのだ。『スカイガーデン』という問題が解決した今、リーシュが敢えて一人でいる理由はない。
正式な国の跡取りは、姉であるリベットが権利を持つんだろうけど、リーシュは城に居ることを許されたのだった。
斯くして、リーシュ・クライヌは、リーシュ・クライヌ=コフールへと、名前を変えたのである。
「…………まだ、実感が湧かなくて」
「そりゃ、そうだろうな。俺だって同じ立場だったら、そうだと思うよ」
でも、いつかは慣れるはずだ。家族が居ることの安心感は、孤独でいる時の不安感と比例する。
きっと、この場所もリーシュにとって、居心地の良い場所になるだろう。
「そういえばさ、リーシュ」
「はい?」
俺は、リーシュに聞くべきかどうか迷っていた事を、聞くことにした。
「コフール国王が、お前の借金千セル、立て替えてくれるってさ。俺は別に、良いって言ったんだけど」
リーシュは、透き通るような瞳で、俺を見た。
「……………………えっ」
驚いているのだろう。リーシュは衝撃を隠せない様子で、固まっていた。
「だから、無理して俺に付いて来る必要は無い、というか…………多分、国王はお前と居たいんだと思うんだよ。これまでに失った時間を、取り戻したいと思ってるんだろうな」
リーシュはどうにか、俺の言葉の意味を理解しようとしているようだった。絶句し、外を見て、何かを考えようとして、考えられず…………。俺には、そのように見えた。
暫くの静寂があって、リーシュはその後、口を開いた。
「そう、ですか」
リーシュだって、自分が愛されていると知ったら、そこに居たいという事も、あるんじゃないだろうか。…………どうなんだろう。
分からないな、俺には。そんな経験をしたことは、ないから。
「…………私は…………、グレン様のお母様に、謝りたいと、思っていて。…………今は、それだけで」
どうにか、リーシュは言葉を紡いだ。
その様子を見て、俺はどうしても、複雑な心境になってしまった。
「リーシュ。…………その件なんだけどさ」
「は、はい」
「本当に、母さんを死なせたのは…………リーシュの魔法だったのかな」
「えっ?」
遺体がない。もう昔の事だし、リーシュがやったという証拠もまた、ない。セントラル・シティで罪を名乗り出た所で、セントラルはリーシュの事を捕まえる訳には行かないだろう。首謀者の姿もない。この事件は誰かに話した所で、きっと迷宮入りになる。
覚えているのは、俺とリーシュだけだ。そして、その覚えている『金色に輝く女の子』がリーシュであると思っているのもまた、俺とリーシュだけだ。
「あの時、リーシュは空に浮いていたんだ。そんな事も出来るのかと思ったけどさ、あの位置からでは、やっぱり…………見えないと思うんだよ、母さんの姿までは」
俺の言葉に、リーシュは耳を傾けていた。
「小さな、黒い点だった。光が消えたら、リーシュの姿は見えなくなった。しかも、夜だった。…………俺がそうだったんだ。リーシュの位置から母さんの姿なんて、絶対に見えなかったと思うんだよ。リーシュがやったのはさ、多分、母さんを攻撃する事じゃなくて…………山小屋を、破壊することだったんじゃないかな」
分からない。しかし、そう思いたい。
この一件は突き詰めれば、分からないことだらけなんだ。
「でも、私は…………」
「俺と母さんのために、お前のせいじゃないって事に、して貰えないかな」
リーシュは明らかな、戸惑いの色を見せた。
「嫌なんだ。…………初めて仲良くしてくれた女の子が、母さんを殺した奴だったなんてさ。本当の所はどうだったかなんて、多分もう、誰にも分かんねえよ。でも、リーシュの魔法で母さんが死んだって確証は、よく考えてみると全然無いんだよな」
「で、でも…………そんな、詭弁…………」
「首謀者が別にいる。当時、小さな子供だったお前に、罪を着せた奴がいる。それは確かだ」
「でも…………!!」
俺は首を振って、リーシュに言った。
「母さんはきっと、お前が罪の意識を持つことを、望んでいないと思うんだ」
俺はリーシュに、苦笑した。きっとそれは、力の無い笑みだっただろうとは思うけれど。
「…………はい。わかり、ました」
リーシュはやっと、少し悲しそうな顔ではあったが、頷いた。
まあ、そうだろうな。例え可能性だったとしても…………、リーシュには、納得し切れない罪の意識があるだろう。
時間がリーシュの傷を癒してくれれば、良いんだが。
「あの、こんな事を申し上げられる存在でないのは、分かっているのですが…………、あの、せめて、お墓に、行ければと…………」
リーシュは俺から目を逸らし、精一杯の震えた声で、そう言った。
俺は、苦笑した。
「無いんだ、母さんの墓」
リーシュは、またも驚く事になった。
「あの山小屋は、母さんの家だったから。そこに墓を建てようと思って、でも穴を掘る道具が無くて、一度その場所を離れたんだ。すぐに戻って来たつもりだったんだけど…………母さんは、消えていた」
「そ、それは…………!!」
「分かんねえ。分かんねえけど…………あんなもの、放置されていたらやばいだろ。リーシュの上に居た首謀者辺りが回収して、処分したんじゃないかな」
リーシュの頬を、涙が伝った。
「そんな…………そんなのって…………」
自分の犯した過ちを、後悔しているように見えた。リーシュは大粒の涙を瞳一杯に溜めて、それだけでは治まり切らず、バルコニーの床を濡らしていた。
俺は、リーシュの頭を撫でた。
「俺達は、利用されていたんだ。お前だけじゃない、多分、俺も…………。リーシュが居なければ、俺が母さんを殺していたかもしれない。いや、誰かは母さんに攻撃したはずだ。もう足の動かない、瀕死の母さんは、きっと抵抗できない」
下唇を噛んで、リーシュは俺の目を見た。
一人だったのは、俺達だけじゃない。母さんもまた、ずっと一人で闘っていた。
誰にも認められる事はなく、誰に必要とされる事もない。この広大な世界にたった一人、取り残されて生きて来た。
だとすれば、母さんもまた、『あまりもの』だった。
大きなリーシュの瞳から、涙は零れ落ちる。今度は言葉もなく、しかし俺の瞳をしっかりと見詰めて、リーシュは涙を流していた。
「だから、さ。この件は、これで終わりにしよう。代わりに、母さんの事を覚えてやってくれよ。もう母さんが寂しくないように、時々でいいから、思い出してやって欲しいんだ」
「…………わかりました。…………じゃあ、最後に、ひとつだけ」
そう言ってリーシュは俺に、母さんの写真を求めた。俺の持っていた小さなロケットを開いて、リーシュは頭を下げた。
ロケットには、俺と母さんが一緒に写った写真が入っている。リーシュの謝罪は深く、そして長かった。そんなもの、時間にしてみれば幾らでも無かったのだろうけど――……、それでも、俺には長く感じた。
「グレン様。…………ありがとう、ございました」
だから、きっとそれは今のリーシュにできる、精一杯の謝罪だったのだろうと思う。
俺達は何も言わず、バルコニーの柵から外を眺めた。地平線の向こう側は、僅かに光を見せていた。やがて月は隠れ、間もなく朝焼けは訪れ、夜を通り過ぎた人々が起きて来る時間になるだろうか。
リーシュは俺の腕を抱き、俺に凭れ掛かった。
「…………グレン様」
「お、おう」
涙で濡れて、少し頬を赤らめたリーシュは、心に空いた穴を埋めるように、俺に寄り添う。
何となく、気恥ずかしく感じてしまった。
こんな時に限って空気を読むスケゾーが、気付けば何も喋らなくなっていた。まるで置物のように俺の肩に乗り、全く身動きを取らなかった。
「やっぱり私、グレン様と一緒に、いたいです」
そうして、リーシュはそんな事を、言った。
「スカイガーデンの事も大事です。お父さんとお母さんも…………ちゃんと、話してみようと思います。でも、グレン様がここを離れる時には、私もそれに付いて行きたいです」
「…………そうか。じゃあ国王に、そういう風に話さないとな」
リーシュは、笑っていなかった。ふと俺から距離を取ると、俺に向き直った。
な、何だよ、急に。緊張するじゃないか。…………と思ったけれど、そう口に出せるような空気でもない。
「私を、ずっと…………見ていて、くれませんか」
胸が、高鳴る。
「私がずっと、『私』でいられるように。…………グレン様が私の事を見ていてくれれば、きっと私、安心できると思うんです。その、一人では…………自分のことを、信じ切れないかも、しれなくて」
「お、おお。それはまあ、…………いいけど」
「それでですね、あのっ…………!!」
リーシュの瞳が、僅かに潤んでいた。少し緊張しているようで、声は震えていた。
赤らめた頬が、やけに愛おしい。見ていると、こっちまで恥ずかしくなってしまいそうな程に…………いや、普通に考えてこれは、恥ずかしい。
こういう時リーシュは、変にド直球だから。
「わ、私にも、グレン様を、見させて、くれませんか。…………その、お母様の、代わりに」
「…………え、何? …………どういう意味?」
泣きそうな顔をするなよ。こっちまでアガってしまって、訳が分からなくなる。
「ぐっ!! グレン様を、幸せに、させてくださいっ!!」
そう言って、頭を下げた。
…………本当に、訳が分からなくなってしまった。
どういう意味だよ、『幸せにさせてください』って。いや、意味は分かるけどさ。なんかもっとこう、普通は別の言葉とか表現とか、あるだろ。
例えば…………いや、急には思い付かないけどさ。せめて、『幸せにします』…………いや、これじゃただのプロポーズだ。
しかも、男が言う方の。
「…………くっ。…………くははっ」
そう思ったら、何だか急に可笑しくなってきてしまった。堪え切れず、俺は吹き出した。
「え、ええっ…………!!」
どうしようもなく、俺は声に出して笑った。顔を真っ赤に染めたリーシュは、俺が唐突に笑い出した事に動揺して、ますます訳が分からなくなっているようだったが。
一頻り、腹を抱えて笑う。その様子を、リーシュは挙動不審になりながらも、見詰めていた。
「グ、グレン様っ!!」
「はー、いや、悪い悪い。…………ほんと、良いコンビだよな、俺達」
「…………えっ」
そういえば、俺はリーシュに話したことがない。
本当は、ノーブルヴィレッジで『パーティになろう』って声を掛けてくれた事、俺は感謝しているんだ。すっかり人間不信になってしまった俺は、素直に喜ぶ事が出来なかったけど。
千セルなんて、口実に過ぎない。当時の俺は、お前が付いて来てくれた事が、何よりも嬉しかったんだよ。
今なら、言える気がした。
「リーシュ。俺さ」
「リ――――――――シュ!!」
唐突に現れた人影に、俺は思わず言葉を止め、その場に固まってしまった。
…………ヴィティア?
「あんたなんでこんな所に居るのよ!! また居なくなっちゃったかと思ったじゃないっ!!」
「ご、ごめんなさいっ」
あー。そういや、ヴィティアの希望で、リーシュとヴィティアは同じ部屋で寝ていたんだっけ。
本当、俺の知らない間に仲良くなったな、この二人…………。
「でも良かった、グレンと一緒で。二人で何してたの?」
「えっ」
とても恥ずかしい話をしていた。
とは、流石に言えなかった。
ヴィティアは急に青くなって、身体を擦っていた。……見れば、ヴィティアは上着も羽織らず、ローブ一枚でバルコニーに出て来ていた。
「…………どうでも良いけど、寒いわ」
「そりゃあそうだろうよ」
「中に入りましょうよ。もうメイドさん起きてるみたいだから、ココアでも貰いましょう」
すっかり、ここの生活に慣れやがって。
「ああ、そうだな」
やれやれ。ヴィティアが部屋の中に戻って行く。俺も朝焼けを見るのは止めて、部屋に戻ろうとした。
「グレン様」
「ん?」
「今、何か言い掛けませんでしたか?」
俺はリーシュの言葉を無視した。
「あっ……!! グレン様っ!! 今、何か言い掛けませんでしたかっ!?」
「さあ、知らねえな」
「そのご質問にお答えしましょう」
スケゾーッ!? お前いつの間にリーシュの肩に!!
俺はリーシュの所まで走って戻り、スケゾーを殴り、捕まえて部屋に戻った。巨大なたんこぶができて気を失ったスケゾーを抱え、俺は部屋に戻る。
…………結局、言えなかった。まあ、人生ってそんなもんだよね。
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