第120話 優しくなるためには

「何だ…………!? 一体なんだ、あの光は…………!!」


 マックランド・マクレランが頭上に魔法陣を描くと、そこから巨大な龍が姿を現した。真っ赤な体表、屈強な外観。マックランドは素早くその龍に乗ると、俺に向かって手を伸ばした。


「ここも危険になるかもしれない!! 君も来るんだ!!」


 莫大な光に背後から照らされながら、マックランドはそう言う。俺は、その手を取った。

 マックランドに抱きかかえられ、真っ赤な龍が空を飛ぶ。遠くには黒い雲が渦を巻いていて、光の中心には、人間が居るように見えた。だが、あまりにもそれは小さく、俺の肉眼では確認する事ができなかった。

 小さな点が二つ、あるようにしか見えない。その光は、遠くの山に向かって放たれている――――…………。

 遥か遠くで、とてつもない爆発が起こった。

 俺はその様子に、身を震わせた。


「母さん……………………!!」


 あの場所は、母さんが居る場所だ。間違いない。小さな山小屋に向かって、魔法は放たれているんだ。

 そう思った時には、俺は叫んでいた。


「母さ――――――――ん!!」


 マックランドが驚愕して、俺を見ていた。

 山の方からも、小さな光に向かって、何かの魔法が放たれているように見えた。透き通るような無数の何かが、上空の小さな光へと向かって行く。

 あれもまた、魔法だ。だが、莫大な光を放っている小さな点は、そんなちっぽけな魔法を遥かに上回る破壊力で、山小屋を攻撃していた。


「氷の魔法…………!? 少年、やはり君の母親は…………アイラ・バーンズキッドか…………!?」


 どうしてマックランドが、俺の母親の名前を知っているのか。俺は、分からなかったが。


「そうだよ、そうだ!! マックランド、もっとスピードを上げてくれよ!! 母さんが!!」

「ああ、分かっている…………!! 頼む!!」


 マックランドが指示を出すと、真っ赤な龍が速度を上げる。

 …………莫大な光を放っている小さな二つの点が、何か巨大な剣のようなものを、山小屋に向かって構えていた。その、圧倒的な姿に――……俺は、自分が信じられなかった。信じられないものを、見ていた。

 魔法を放っているのは、小さな子供だ。俺と同じか、それよりも歳下ではないかと思えるほどの。

 金色に光る髪の毛。その小さな身体からは想像もできない程の、巨大な剣を創り出して構える少女。…………俺は、自分が夢を見ているのではないかと思った。だってその姿はあまりにも神々しく、あまりにも美しかった。


 美しすぎた。

 天使ではないかと、そう思えた。


 ぞわりと、背筋に悪寒が走る。

 巨大な光の剣が、山小屋に向かって一直線に放たれた。抗いようもない、強大な力。俺達の距離では、どうしようも無いのだろうか。マックランドは、ただ龍の速度を上げて、山小屋に向かっていた。

 その距離では、届く魔法が無かったのかもしれない。幾らマックランドが強い魔導士だったとしても、使える魔法とそのリーチには、個人差があるのだから。

 マックランドは一度も、そんな事を俺には言わなかったけれども。


「マックランド!! あれ!! あれを攻撃してよ!!」

「馬鹿、私達が今、攻撃されていない時点で、標的は私達じゃない…………!! アイラの救出が先だ!!」


 マックランドは光を放つ少女を無視して、山小屋へと向かった。

 莫大な光が治まり、小さな黒い点の姿が見えなくなる。…………暗闇に満ちた夜。終いには、雨まで降り出していた。

 母さんが。…………母さんに、抗う術はあったのだろうか。今、どうしているのだろうか。

 俺には、そんな事を考える以外に、出来る事が無くて。


「できた!! できたよ!!」


 どこからか、声がした。



「――――――――そう。…………よく、頑張ったね」



 俺は、心臓を射抜かれたような錯覚に陥った。

 その言葉は、…………全ては終わったのだと、そう、俺に告げていた。

 焼け野原と化した、俺の家。山小屋は既に原型を無くしていて、あちこちで山火事が起きていた。降り出した激しい雨に、やがて火は消えて行く。

 俺の魔法が、母さんの魔法によって打ち消されたように。…………最も自然的な現象は、いつの日も、変わることはなく。

 マックランドの龍が、ついに山小屋の頭上に到達した。

 ゆっくりと、燃え尽きた広場に、着陸していく――――…………。


「…………アイラは…………!! アイラ・バーンズキッドは、どこだ…………!!」


 地面に着地すると、マックランドはすぐに龍から降り、辺りを見回していた。

 だが、俺にはすぐに分かった。元々山小屋があった場所を、俺は覚えていたからだ。焼け野原になって、既に山小屋がどこにあったのかが分からなくなっても、全体的な風景はそのまま、残っていた。

 俺は龍から降り、一直線に、その場所に向かって歩いた。


「少年…………!? どこに行くんだ!!」


 そうして、辿り着いた。

 辿り着くと、俺は山小屋のあった場所…………その付近に倒れている、母さんを。


 母さんを発見して、膝を折った。


「……………………母さん?」


 黒焦げになった母さんが、そこにはいた。


 雨の音が、急速に辺りへと広がっていく。俺はその雨に気付く事すらなく、ただ、母さんの頬に雨が当たる様子を見て、頭が真っ白になっていた。


「あ…………!! アイラ…………!! アイラッ!!」


 マックランドがようやく気付き、俺の所に走って来る。

 母さんの、目が開いた。その瞳は、俺を見る。俺はなんと言っていいのか分からず、母さんの頭を抱いたままでいた。

 その時の俺は、どんな顔をしていただろう。

 母さんは、苦笑した。



「……………………ごめんね」



 そう言って、笑った。

 苦笑したまま、母さんの全身から、力が抜けた。

 マックランドが、俺と母さんの所に到着した。…………だけど、母さんはもう、目を閉じていた。

 俺は…………、まだ、現実を呑み込めず…………。


「くそ…………!! 一体、何があったと言うんだ…………!!」


 あれ?


 …………母さんが、動かなくなってしまった。


「あれ?」


 俺は、必ず母さんに、立派な魔導士になって帰って来ると、そう、約束したはずなのに。

 約束した母さんは、動かなくなってしまった。

 …………これは、どういうことだ?


「少年、大丈夫か」


 マックランドが俺の背中に上着を掛けてくれた事にも、気付かなかった。

 いや、そんな筈はないよ。…………だって、約束したんだ。ちょっと魔導士になって、すぐに…………強くなって、今度は母さんと二人で生きて行くんだって、そう話したんだ。

 なんで、動かなくなるんだ。


「少年。…………ここに、二人で住んでいたのか」

「……………………うん」


 マックランドは、俺に疑問を投げ掛ける。


「まさかとは思うが、隠れていたのか?」


 …………え。


 隠れていた?


 …………隠れて、いたのか?


 確かに、こんな山奥で、人の誰も来ないような場所で…………、生きて行くなんていうのは、難しい。それは、俺が一番よく知っている。母さんも仕事をせずに、乞食の真似事なんかして、金を稼いでいた。


 仕事をしていなかった?


 どうして?


 …………隠れるため? 人前に出るような事をしない、ためか?


 あれ?


「隠れて…………、…………いたのかな」

「…………ここは、上空に微量な魔力の層があるみたいだな。確かに、隠れるのには最適だ。自分自身の魔力が隠れてしまえば、見付ける事は難しいだろう」

「じゃあ、隠れていたんだと、思う」

「しかし、ならどうして見付かったんだ。アイラは魔法を使わなかったんだろう? …………アイラは、優秀な魔導士だ。どの程度の魔法を使ったら居場所がばれるかなんて、分かりそうなものだが」

「魔法?」


 魔導士?


 母さんは、魔導士だったのか?


 …………なら、どうして俺に、一言も言わなかったんだ。


『お母さんは足が悪いから、料理ができないんでしょ』


 料理しないのは、火を使わないためか? 火を使わずに、隠れてやり過ごすため?

 魔導士だったから、俺が魔導士になることを、止めさせようと思ったのか?


 あれ?


『母さん!! 俺さ、魔導士になって、傭兵をやろうと思うんだ!!』


 ……あれ?


『大丈夫よ、私、頑張るから。…………お母さんは、グレンが危険な目に遭わない事の方が大事だな』


 …………あれ?


『してないじゃないか…………!!』

『仕事、…………なんて、…………してないじゃないかっ…………!!』

『本当は、人に金をせがんでるだけじゃないか!! 本当は、一緒に食べるご飯が無いだけじゃないか!! 足が悪くて働けないのを、どうにか無理をしているんじゃないか!!』

『どうして、俺を信用してくれないんだ!! 俺は魔導士になる!! 魔導士になって、千セルだって、一万セルだって、稼いでみせるよ!! 俺を、もっと頼ってくれよ!!』


 ……………………あれ?


『やっ、やった…………!!』


 だって、――――そうすると、――――この場所に初めて火を起こしたのは、――――俺で、



『母さん!! ちょっと、外に出て!! 母さ――――――――』

『魔法を使うのは、やめて…………!!』

『魔法はね、危険なものなの!! あっという間に手を離れて、遠くにいる命を一瞬で奪うものなの!! そんなものを持っていたら、あなただって危なくなるのよ!?』



 そうして。



 俺は。



『…………あなたは優しいから、きっと無理よ』



 雨音が、聞こえた。俺の中で繋がった出来事の全ては、俺のせいで母さんが襲われたのだという結論に、達した。

 もしも母さんが本当に、隠れていたのだとしたら。そのために、こんな山奥で火も使わず、生きていたのだとしたら。それが原因で、足を悪くしていたのだとしたら。

 魔導士なんだと、したら。


「…………俺が、火を起こしたんです」


 マックランドは驚愕して、俺を見ただろう。俺は母さんを見ていて、背中のマックランドには視線を向けずに話していたから、その顔がどうだったのかは、分からない。


「魔導士に、なりたくて。…………ただ、母さんにもう少しだけ、…………楽に、なってもらいたかった」


 舌打ちが、聞こえた。それはきっと、マックランドのものだったのだろう。

 何も、考えられなかった。出来事が繋がったその一瞬で、俺の思考はどこか、明後日の方向に飛んで行ってしまった。ただ、目の前に居る、もう動かない母さんの姿と、降りしきる雨音の存在だけを、感じていた。



 ――――その日。



 俺は、一人になった。



「少年。…………優しさは、確かに大切だ。…………しかし、優しくなるためには、強くならなければいけないんだ」


 優しい?


『…………あなたは優しいから、きっと無理よ』


 優しくなんて、ない。


 誰が、優しいんだ。


 俺が、全てを壊してしまったんじゃないか。――――俺が、全てを裏切ってしまったんじゃないか。


 母さんが、死に物狂いで、必死で作り上げた、すべてを。


「…………なら、強くなるためには、どうしたら、いいですか」


 どこかで雷の音が聞こえてくる。それは、愚かな俺に対する天の怒りだったのだろうか。


 ぽつり、ぽつりと、母さんの頬に、雨ではない暖かいものが、落ちていく。



「優しくなるためには、どうしたら、いいですか」



 俺は、泣いた。


 歯を食い縛って、泣いた。


 悔し涙は、頬を流れた。やがてそれは雨と混ざり合って、地面へと流れて行った。


「…………マックランド・マクレラン。…………大魔導士、マックランド・マクレランだ」


 その日、マックランドは俺に、手を差し伸べた。



「『師匠』と。…………そう、呼びなさい」



 大きな事を言っておいて、何もできず、ただ泣きじゃくる子供でしか無かった俺に。あの日、マックランドが――――師匠が、手を差し伸べた。

 それは、俺の過ち。…………そしてもう二度と、こんな事を起こしてはいけないと。


 そう、心に決めた日だった。



 *



 目を覚ました。


「いってえ…………クソッ…………!!」


 どうやら、派手に坂道を転げたらしいな。身体は…………繋がっている。全身火傷しているのか、動くたびに身体が痛い。

 意識を失っていたのか。…………どう、なったんだ? リーシュは…………。


「ご主人!! 大丈夫か――――!!」


 スケゾーの、声が聞こえる。スケゾーは無事だ。と、いうことは…………!!


「ああああああああっ…………!!」


 リーシュもまだ、そのままだ。俺は、幾らも気を失っていなかったみたいだ。すぐに立ち上がり、前を見た。

 もう、繰り返せない。あんな経験、繰り返して堪るか…………!! 俺は、リーシュを助ける。今度は何が何でも、助けるんだ…………!!

 すぐに、駆け出した。それまでとは、明らかに違う覚悟だった。スケゾーとの魔力共有はしていない。それでも俺は、魔法を使った。


 前へ。


 ――――――――もっと、前へ。



「【悲壮の】!! 【ゼロ・バースト】オォォォォ――――――――!!」



 俺の全身に、魔力が渦を巻いた。

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