インディゴ・ゾーン【オカルト短編集】

青出インディゴ

その1 真夜中の花嫁道中

 A子がその町に引っ越してきたのは、単純に仕事の都合である。彼女の勤める小さな会社の営業所が新規開業するため、事務員として転勤を命ぜられたのだ。同じ県内での移動だから、別の土地で新規に就職や進学する人と比べたら苦労は少ないが、それでも知らない場所での一人暮らしということで不安や緊張もあった。その町は某地方のどこにでもあるような中規模都市で、中心から外れた郊外は古い時代の名残を残す農村地帯となっている。ただしここ数年、この町にも開発の波は押し寄せていて、田畑や林の広がる土地に、場違いなようなモダンなアパートが立ち並ぶようになった。A子が借りることにしたのは、そんなアパートの中の一軒である。

 それが起こったのは、引っ越して三週間が経ち、仕事にも新居にも多少は慣れてきた頃だった。A子は他の町に住む友人と久しぶりに会って、食事や買い物を楽しんだ。アパートのある地区に戻った頃には既に深夜になろうとしていた。春の夜で空気は生暖かく、辺りは薄ぼんやりしているのに空には月が見えない妙な晩だった。

 A子と友人はのんびりと小道を歩きながらアパートを目指していた。右手側は住宅街、左手は小高い丘になっていて木々が道にせり出している。そんなとき、道の前方に、奇妙な集団が列をなして歩いているのに気がついた。四、五人ぐらいの列で、後ろ姿しか見えないが、着ているものが妙に古くさい。中央には黒い着物を着た女性がいて、頭は花嫁のような角隠しを着けた日本髪だ。その女性を中心にして、前後に二、三人の袴姿の男性が並んでいる。花嫁道中かしら、とA子は思った。地方にはまだそんな伝統行事の残っているところもあるだろう。しかしこんな夜中にやるのはいかにも奇妙だ。行列はしずしずと前に進んでいく。A子たちは普通のスピードで歩いているので、追いつくのは時間の問題だった。案の定数分も経たずに行列の背後数メートルのところまで近づいた。今、行列は左向きに方向転換している。どうやらそちら側にせり出している雑木林に足を踏み入れようとしているところらしい。そこは小高い丘になっている。そう言えば、とA子は思い出した。あの辺りに丘に上がっていく獣道があって、少し登ると小さな神社があるのだ。あそこに行くのだろうか。やはり嫁入り行事かもしれないな、などと考えていると、行列の中の一人の男が突然こちらを振り返って、A子たちに気がついた。

 その途端、男は憤怒の形相になって、こちらへ向かって走り出してくる。A子も友人も突然のことに悲鳴を上げ、慌てて反転して逃げ出した。走りながら振り返ると、ほかの何人かの男たちも一緒になって追いかけてくる。数メートルも行かずにA子は捕まる。まだ前を走っている友人を、別の男が追いかけている。A子が驚いたことに、男は面を被っていた。まるで能で使う童子の面のように見えた。表情のない描かれた目がただただ不気味だ。男はその白いつるりとした顔を近づけ、A子の首根っこを捕まえたまま「見たのか、見たんだな!」と詰問する。A子はわけがわからず、ぶるぶると震えるだけだった。男は更に追及してきたが、A子が恐ろしさのあまり答えられずにいると、やがてふっと力を緩めた。それから、「あんた、この辺に住所がある人じゃないの?」と訊く。A子は思わず首を縦に振っていた。その場を逃れようと嘘をついたわけではなく、単に頭が混乱していて、新しい土地に慣れないこともあり、そこの正式な住民であることを忘れていたためである。しかし男はA子の様子を見ると手を離し、突然人間くさい声で「ああ、それならよかった。失礼しました。どうぞ行ってください」と言う。A子はがくがく震えながらも逃げるように走り出した。途中友人も合流し、アパートに向かう。後ろを振り返る余裕はなかったが、彼らは行列の続きを始めたようだった。

 A子の身辺に不可解なできごとが起こり始めたのは、このあとからである。この小さな事件があって数日後。夕方カーテンを閉めようとすると、誰か外にいる気配がする。窓は曇りガラスなのではっきりとはわからないが、確かに人影がある。泥棒か痴漢かと驚いて、思わず玄関から外に飛び出した。アパートの周りは田舎道で人影は少なかったが、それでも大声で助けを求めると、歩いていた男性が二人こちらに気づいてくれた。支離滅裂な彼女の説明をそれでも聞いてくれた二人は、様子を確かめようとアパートに向かって歩いていったが、突然足を止める。不思議に思って見ると、なぜか両手で自分で自分の首を絞め始めた。見る見る顔が紫色に変色してきた。A子は悲鳴をあげ、男性たちは助けを求めるように後ずさりした。すると、アパートから遠ざかるに連れて、硬直したような両手が緩んでいき、遂に外れた。二人は激しく咳き込んでいる。

 呆然としていると、足元にいきなり何か小さなものが飛び出してきた。よく見るとそれは昆虫のイナゴで、最初は一匹だったものが二匹になり、四匹になり、やがて無数の群れになった。イナゴたちは全てが同じ方向を目指していて、最後には次々と水田に飛び込んでいく。A子は農業の知識はほとんどなかったが、それでもイナゴが害虫であるということをどこかで聞いたことを思い出した。

 普通ではない。直感し、道をひたすら走り始めた。向かう方向を選んだわけではないが、それはこのあいだ見たあの行列が消えていった林の中の神社のある方向だった。彼女は助けを求めて息が切れるほどに走った。もしかしたら無人かもしれないと思っていたが、神社への獣道のある場所の辺りを、若い男性が一人歩いていた。どこかへ買い物にでも行くふうだったが、必死に走ってくるA子を見ると、何かに勘付いたのか向こうから声をかけてきた。

「あんた、このあいだの人だね」

 A子は一瞬なんのことかわからなかったが、やがて、あの行列を見た夜のことを言っているのだと気づき、がくがくと頷いた。すると男性は顔色を変え、勢いよく彼女の両肩をつかまえた。

「ここの住所の人だったの」

 A子はまた頷く。

「それじゃあ言ってくれなくちゃ。とにかくこっちに来なさい」

 A子は男性の言われるがまま連れられて行った。数分も歩くとすぐに着いた場所は、この地域にはよくある古い一軒家で、どうやら男性の自宅らしい。彼が昔から続く地元の家系の人だと知れた。通された居間はデジタルテレビなどがあって適度に現代風の生活臭がするのが、かえって今起こっていることの非現実感を際立たせる。男性はA子を座布団に座らせると、すぐに携帯電話を取り出し数件連絡を取り始めたが、A子は怯えきっていて、その内容は全然理解できなかった。

「もう一人いたあの女の人はどうなの? やっぱりここの人?」

「いいえ、あの子は市外の人です……」

「そうか、それならいい」

 座卓を挟んで二人が向かい合って待っていると、やがて玄関の開く音がして、数人の男性たちがどやどやと入ってきた。A子はあとになって気づいたが、いずれもあの行列の一員なのだった。

 それから行われた奇妙な儀式について、A子は半分も覚えていない。覚えているのは線香の香りと、お経のような呪文のようなものの執拗な唱謡、繰り返される鈴の音……。

 半日ほどかかって儀式は終わり、A子はふらふらになりながら自分のアパートに戻った。不思議なことに、その頃には恐ろしさは消えていたのだった。

 それからもA子はその町に住み続けている。儀式の翌日、お礼がてらに男性宅に行き、あの行列や儀式の由来について尋ねたが、首を振られるばかりだった。彼らは言う、この地に住み続けるうちにわかってくる、と。だからA子はそれ以上聞くことはしなかった。もう一つ付け加えるなら、あの花嫁姿の女性には、あの夜以来一度たりとも会うことはなかった。

 ところで彼女はあのとき助けてくれた男性とこれがきっかけで親しくなり、最近結婚することになった。なんとなく、これで行列の由来がわかるのかな、という気がしている。

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