第42話「つばくらめの子安貝 -仁奈とナマ太郎ともっと渋いもの達-」
高校生活を帰宅部で通すつもりだったが、こんなものに出会ってしまっては仕方がない。
生物部の部室の一角は大小の水槽で占められている。その三分の一は我々古生物班の受け持ちだ。
最も大きな水槽で丁重な扱いを受けているのが、アノマロカリス……、の仲間の、もっと小さい種類、ペイトイアだ。
ふっくらとした楕円形の体は手のひらほどの大きさ。脇腹に並ぶ鰭を波打たせて底砂の上に浮かんでいる。尾鰭はない。
淡いベージュ色をしていて、かすかに光を透かしている。
体の途中からは大きな頭で、胴体との分かれ目近くに丸く黒い目がある。虫のような複眼だが、多少の愛嬌が感じられる。
一番前には一対の腕が生えている。
ペイトイアの食事は、まず腕の先のほうで砂をすくい、腕を折り曲げてブラシ状の根元に砂を持っていく。
そのブラシでふるいにかけて残った粒状の餌を、また腕の先のほうで顔面にある丸い口に送る
正直に言って変な生き物である。
変ではあるけれど、不快ではない。それどころか、何か私を惹きつけるところがある。
可愛いとさえ言ってしまってもいいと、今の私は思っている。
半月ほど前、学園祭で当てもなくぶらついていたら、生物部が展示していたこのペイトイアに出くわし、目が離せなくなっているうちに生物部に引っ張り込まれたのだった。
今も私のあげた餌を拾い集める姿を、つい眺め込んでしまっていた。
そこに、背中から両肩を引っ張られた。私は思わず倒れかけてたたらを踏む。
「ナマ太郎ばっか見てんなよー」
跳ねまくった短い髪。同級生の「しじみ」だ。
ペイトイアを見つめる私を丸め込んで生物部に引きずり入れた張本人である。
「その呼び方なんとかならないの」
「いーやこいつはナマ太郎だね。ナマコだと思われてたナマ太郎」
ペイトイアのことを、しじみはそんな間抜けな名前で呼んで聞かない。先に部にいてペイトイアを世話していたのはしじみなのだから仕方がないが、ナマコだと思われていたというのはややこしい話になる。
なんでも、最初に化石が見付かったとき、あまりにも変すぎてそういう形の生き物だと思われず、胴体はナマコ、口はクラゲ、腕はエビの尻尾だと思われたのだとか。
「大体ね、ペイトイアみたいなもんで喜ぶなんてのはチャラいんだよ。もっと他の生き物に目を向けたまえ」
生き物にチャラいとかあるのか。いや絶対チャラくないだろこれ。
私はしじみが面倒を見ていた水槽を指差して言った。
「あんたのはそもそも生き物にすら見えないんだけど」
砂の上に何かイチョウの葉のようなものが五つほど並んでいる。硬そうな二枚の殻で覆われているから多分貝だろう。真ん中は指で押したように片方に向かって曲がっている。
他の水槽と比べて設備が少し仰々しく見えた。短く切ったストローを束ねて作られた網状の壁が左右にあり、イチョウの葉に似た貝はその間にいる。
「ってか生き物なの?動くところ見たことないんだけど」
「ちょろっと覗いただけでキルトスピリファーが動くところなんか見れるわけないじゃん」
しじみはいかにも私を素人扱いする態度で言った。素人だが。
「動くとこ見たの?」
「二ヶ月前にバラバラの向きにしておいたけどまだバラバラのままになってる」
「ヒマワリでももっと動くわ!」
「嘘々、ホントは殻が閉じたり開いたりするのも見てる」
「そんだけでしょ?貝なんか見てて面白いわけ?」
私が貝と言った瞬間、しじみは怪獣の真似をするようにぐわっと指を曲げ、歯をむき出してみせた。
「貝とな」
「貝でしょ」
そこで、机の前で作業していたもう一人が立ち上がった。
「しじみ、小川さんは来て間もない」
「そっか……」
彼女も古生物班の一員、葉上(はのうえ)麻衣さんだ。
葉上さんの口調自体はごく柔らかかったのだがしじみは急に大人しくなり、葉上さんは棚から円筒形のびんを二つ取り出した。
机に並べられたびんの中身は標本であった。
「これは腕足動物。キルトスピリファー。しじみが今世話してた種類」
なんとか動物のところは全く知らない言葉だったので、よく聞き取れなかった。
葉上さんが押し出したびんの中では、さっき砂の上に立っていたイチョウの葉のようなものが、殻を二枚に分けられ、黒い板に固定されて液体に浸かっていた。
殻が分かれるところなどはやはり二枚貝に似て見えるのだが、二つの殻のうち内側が見えるほうの様子がおかしい。
中身が入ったままになっているのだが、その中身はアサリのむき身とかホタテの貝柱みたいなものにはほど遠かった。
「バネが入ってる」
正確には、バネのようなものしか入っていない。円錐形のバネの形をしたものが二つ、殻の形に合わせて一対収まっていて、あとはほとんど空洞なのだ。
「これは二枚貝。プテロトリゴニア」
もう片方のびんに入っていたのは、小ぶりなみかんをむいて房一つにしたような大きさと形の貝だった。
こちらには味噌汁の具になってもおかしくないような身が詰まっていた。
「キルトスピリファーが二枚貝と違うのは分かる?」
「えっ、貝かどうかって中身で決まるの?」
質問返しをした私を葉上さんはきょとんとして見つめ返した。
「その、中身は変わってるけど、貝殻があるんなら貝じゃないかと思って」
私がそう付け足すと葉上さんは小さく首を振った。
「殻を作るのは中身だから、中身が違ったら違う生き物。腕足動物と二枚貝はたまたま殻が似てるだけ」
葉上さんは葉上さんなりに丁寧に説明してくれているのだが、私はいまひとつ腑に落ちないでいた。
「実験してやるからどう違うのか見てみなよ」
しじみはビーカーとピペットを用意していた。濁った溶液が入っている。
「まずこっちがキルトスピリファー」
しじみはピペットをさっきの水槽に差し入れ、イチョウの葉に似た生き物に左から近付けた。
そして、溶液が煙のようにふわりと広がった。
しかしそれだけで、イチョウの葉に似た生き物……キルトスピリファーは特に何もしない。
「ん?」
「ここでポンプのスイッチを入れる」
ブーンという低い音がして、水面がわずかに揺れた。
溶液の煙も動き出したかと思うと、煙はキルトスピリファーの殻の隙間にするすると吸い込まれていった。
「吸い込んだ!」
「自力で吸い込んだんじゃないよ」
「ああ、バネしか入ってないから」
水を吸い込むような力があるとは考えられない。
「腕足動物の殻はどんなに弱い水流でも中に引き込めるトラップなのだ」
「それで動かなくても、」
「細かい餌が流れてくれば中のバネみたいなフィルターでキャッチできる。こいつはそれさえ待ってれば暮らせるんだ」
なんと楽で怠惰な暮らし。ヒマワリほども動かなくていいのだ。
しじみはビーカーを持ったまま隣の水槽に移った。
「さて、こっちは二枚貝。さっきの標本と同じプテロトリゴニアだよ」
「何もいなくない?」
その水槽の中にはただ砂が厚めに敷かれているだけに見えた。
「いやいや、こいつは砂に埋まってる二枚貝にしてはオープンなほうだよ。ここ見てみ」
しじみがピペットを入れた先には、貝殻の端らしきものが砂からほんの少し見えていた。
「こいつは殻を完全に砂に隠すことができないんだ。さてこいつの場合は」
溶液が吹き付けられると、今度はすぐに殻の間に吸い込まれていった。
「これは自力で吸い込んでる?」
「二枚貝の筋力をもってすれば水を自力で出し入れするのはたやすいのだよ」
力強く水を吸い込む様子はキルトスピリファーより積極的に見えた。
「分かったかね、腕足動物と二枚貝の違いが」
「それはまあ、うん」
キルトスピリファーやプテロトリゴニアが何をして暮らしている生き物なのか分かれば、観察のしがいがないわけでもないと思える。
しかし、そのこと以上に、手を動かして説明していたしじみの明るいこと。
「渋い趣味してるよね」
「何が」
「あんたがよ」
そう言われて、しじみは眉間にしわを寄せて首をひねった。
「い、や~~~~キルトスピリファーはまだチャラいね」
「ええ?」
チャラいって何なのか分からなくなってきた。
「だって腕足動物で一番かっこいいやつだよ」
「わんそく動物にしてはでしょ?」
「もっとずっと地味~なやつがいくらでもいるんだよ。それにさあ」
しじみはいつの間にか机に戻っていた葉上さんを見た。
「麻衣ちゃんのほうがよっぽどストイックだよ。見てみなよ、あの人の世話してるものを」
葉上さんの向かっている机にも小さな水槽があり、葉上さんはその手前に置かれた顕微鏡を覗いていた。
顕微鏡は覗くレンズが二つあり、台にはプレパラートではなくシャーレが置けるようになっていた。少し大きめの生き物も観察できるだろう。
葉上さんはレンズから顔を上げ、シャーレを取って中のものを見せてくれた。
「わっ、虫!」
私は思わず後ずさった。葉上さんは小さくうなずいた。
「三葉虫」
砂の色をしたその虫はほんの小指の先ほどの大きさで、頭が大きく、体はたくさんの節に分かれていた。
「最後まで生き残ってた三葉虫、シュードフィリップシアだよ。しかも県内で見付かった種類」
口数の少ない葉上さんに代わってしじみが説明した。葉上さんは振り返って作業に戻ってしまった。
「あ、水槽の中もか……」
机の上にある水槽の底には砂利が敷かれ、小さな三葉虫がいくつも歩き回っているのが見えた。その様子はフナムシを思わせ、あまり見つめている気になれない。
「麻衣ちゃんはもっと金魚みたいにかわいい種類の三葉虫を育てるのも上手いんだけどさ」
しじみは早口で語り始めた。かわいい三葉虫ってあるのか。
「博物館からシュードフィリップシア育ててみませんかって声をかけてもらってからずっとシュードフィリップシア一筋なんだよ。シュードフィリップシアは最後の三葉虫だから三葉虫が絶滅した理由の鍵になるかもしれないんだけど、麻衣ちゃんは品評会でもすごくいい成績出してたんだよ。そこから三葉虫の秘密を暴くためにって、なかなかできることじゃないよねー」
「しじみ」
「いやー、麻衣ちゃんみたいな人がいてくれるのホントありがたいわー、尊い存在だわー」
「しじみ」
私としじみが気付くと、葉上さんはこっちを向いて頬を染めていた。
「あんまり……」
「うん」
私もちょっと本人の前で盛り上がりすぎだとは思った。
葉上さんは椅子ごとこっちに向き直った。
「そういうのは、本職にはかなわない。博物館に行かないと」
「おっ、そうだ!」
しじみはすごい勢いでスマホを取り出し何かを確認した。
「よし!土曜に博物館に行こう!」
「小川さんは行ったことは?」
「えっ、市内の?小さい頃にしかないかな」
「よし決定!」
しじみは勝手にカレンダーに丸を付けた。
後に葉上さんからきちんと予定を確認する連絡が来た。
十年ぶりくらいに訪れた博物館は思っていたよりずっと立派だった。
恐竜などの骨格もあるというのだが、しじみが
「ここじゃあー!!」
と叫んで立ち止まったのは、それよりずっと手前の、展示内容が地球の成り立ちから生命の歴史に移ってすぐのところにある水槽であった。
一辺五十センチほどの四角い水槽が、手を触れられないようガラスケースで守られている。水槽にはなみなみと水が満たされ、強いライトが当てられている。
底には泥が敷かれ、よく目を凝らしてみれば真ん中の小指の爪ほどの範囲だけがわずかに盛り上がっている。
そこに何か隠れているのだろうか。しかしプテロトリゴニアのときと違って本当に何も顔を出していない。
静まり返った水槽の中は、とても何かがいるようには見えなかった。
「何これ?」
「ストロマトライト!」
しじみと葉上さんは声を合わせた。
「スト……何って?」
「光合成をするバクテリアが作る岩石だよ。そこに化石のがあるから」
壁際に置かれたそれは、ただの岩にしか見えなかった。
敷き詰めて焼いたらくっついてしまったパンのように、ふっくらとした形が連なっていて、切り落とされて磨かれた面には、全体が何重にも重なってできたことが分かる縞模様が見えた。
「二十億年前の」
葉上さんがぼそりと気の遠くなるようなことをつぶやいた。ペイトイアでさえその四分の一程度しか遡らない。
しじみはうっとりとした顔をしている。
「まだ単細胞生物しかいなかった頃、こういうストロマトライトが世界中の浜辺にあって、酸素をボコボコ作り出してたんだよ。酸素のない環境に適応してた単細胞生物はピンチになったけど、結局は酸素を呼吸する生き物が繁栄する前触れになったんだ」
「はるかな太古……何も見当たらない海……」
「怖いけど憧れるよねーそういう世界!」
二人は異様に盛り上がっていたが、私は水槽の中身が具体的に何なのかまだ理解していなかった。
「結局これはその二十億年前の岩と何の関係があるわけ?」
私がそう聞くとしじみは我に返り、そして得意げな笑みを浮かべた。
「本物のストロマトライトを作る壮大な実験なのだよ。この二十億年前のストロマトライトを作ったのと似たようなバクテリアを育ててれば、いつか化石のと変わらない岩石になるはず」
「はあ」
「この泥の上をバクテリアが覆ってて、バクテリアが増えては砂が積もって石灰化してまたバクテリアが育ってを繰り返してデカくなる」
聞くだに気の長い話なのだが。
恐ろしい答えが返ってきそうだと予想はついたが、私は聞かずにいられなかった。
「どのくらい経つと、岩になるの?」
「さて……、今真ん中にある出っ張りができるのに一年かかってるから」
「二十年で厚さ一センチ」
再び、葉上さんが気の遠くなることを言う。
「枯山水かなんかかよ!」
「小川さん、それを言うなら養石」
「知らんわ!」
しじみはすでにこちらにかまわず、いつか岩になる泥を見つめていた。こいつがペイトイアやキルトスピリファーをチャラいと言ったわけが今は分かる。
この実験が徒労だとも、なんだか思いきれず。
とんでもない世界に足を突っ込んでしまったものである。
[ペイトイア・ナトルスティ(ラッガニア・カンブリア) Peytoia nathorsti(Laggania cambria)]
学名の意味:アルフレッド・ガブリエル・ナトホルスト博士のペイト氷河のもの(ウェールズとラガン駅のもの)
時代と地域:カンブリア紀中期(約5億800万年前)の北米(カナダ)
成体の全長:約20cm(最大60cm?)
分類:側節足動物 歩脚動物門 恐蟹綱 放射歯目 フルディア科
ペイトイアは、ラッガニアという名前で知られることの多い、アノマロカリスの近縁種である。
アノマロカリス類(上記の分類では恐蟹綱)は断片的な化石が多く、似た生き物が生き残っておらず、さらに特異な体型をしていたため、全体像を把握するのが非常に難しかった。アノマロカリスの付属肢の化石が発見されたのは1892年、近縁種の口と胴体が発見されたのは1911年のことであったが、これらの間に関係があると分かり始めたのは1979年、同じ動物の体の一部であるとされたのは1985年、完全に全身が把握されたのは発見から100年経った1990年代になってからであった。
1911年に発見されていたアノマロカリス類の口と胴体の化石は、口がクラゲの一種「ペイトイア」、胴体がナマコの一種「ラッガニア」として同じ論文の中で名付けられていた。1978年にはサイモン・コンウェイ・モリスにより「ラッガニア」の口器とされたものが「ペイトイア」であり、「ラッガニア」は「ペイトイア」と海綿の一種コラリオが組み合わさったものであると考えられた。このときモリスはペイトイアを有効名として残した。
1985年にはハリー・ウィッティントンとデレク・E・G・ブリッグスによりペイトイアとアノマロカリスの全身化石が発見され、これらの全体像が明らかになっていったものの、ペイトイアは一旦アノマロカリス属に含まれた。その後の形態の比較により、ペイトイアはアノマロカリスとは別属として分類されるようになった。
ペイトイアはアノマロカリスと比べると、頭部が大きく、また胴体と頭部の間にくびれがなく全体が平たい楕円形をしていた。
複眼は頭部のかなり後方にあった。頭部の1対の大きな付属肢は、先端を除いて長いブラシ状の棘が生えていた。複眼が前寄りでなく、付属肢が大きいものを捕獲するより小さいものを濾し取ることに向いていたことから、アノマロカリスのような頂点捕食者ではなく、濾過食性なのではないかとも言われている。
体側に鰭はあるが尾鰭はなかった。また歩脚はなかったようだ。常に海底から浮かんだ状態を保ち、ゆっくりと泳いでいたようだ。
こうしたアノマロカリス類がいくつか発見され、またその他の近縁なものとも比較された結果、アノマロカリス類が節足動物にごく近縁であることは判明したものの、それほどきちんと分類上の位置が定まったとはまだいえない。上記の分類は一つの案である。
[キルトスピリファー・ヴェルネウイリ Cyrtospirifer verneuili]
学名の意味:フィリップ・エデュアルド・ポールティエ・ド・ヴェルヌイユ氏の湾曲したスピリファー(スピリファーは他のスピリファー目の腕足動物。意味は「螺旋を運ぶ者」)
時代と地域:デボン紀後期(約3億8000万年前)の世界各地
成体の全長:約6cm
分類:腕足動物門 リンコネラ綱 スピリファー目 キルトスピリファー科
腕足動物については第十八話のスカチネラ参照。
キルトスピリファーはスピリファー類の代表的なものの一つである。
スピリファー類は古生代の中頃に繁栄した腕足動物のグループである。翼形と呼ばれる、左右に翼を広げたような殻を特徴とする。このことから石燕という古名を持つ。
キルトスピリファーはスピリファー類の中でも翼状の部分が特に長く発達し、イチョウの葉に似た左右に長い扇形をしていた。殻の中央部分は片方で膨らみ、もう片方では凹んでいる。殻の先端で凹凸が噛み合う部分をサルカスという。2枚の殻はわずかなすき間を開けていた。
新潟大学の椎野勇太氏は、キルトスピリファーを含めた腕足動物の殻に関する流体的な実験と解析を行っている。
この研究により、スピリファー類の場合は周囲の流れがサルカスの開口部から流入し、翼状部の中で触手冠(バネ状のフィルター)を取り巻く渦となりつつ外側に向かい、翼状部の開口部から流出することが分かった。
どちらからの流れでも内部に取り込めるが、流速に関わらず適度に弱い安定した渦を内部に作り出せる向きは決まっていた。また秒速1cmというごく弱い流れでも内部に渦を作ることができた。
キルトスピリファーはこのような殻の機能を利用して、海底の砂の上に立って水流から餌を濾し取っていた。古生代の中頃には陸上で森林が広がり有機物の産生量が増したため、河川から海に栄養豊富な水が流入し、受動的に餌を捕えるスピリファー類の繁栄を促したのではないかとも言われている。
[プテロトリゴニア・オガワイ Pterotrigonia (Ptilotrigonia) ogawai]
学名の意味:小川氏の羽状のトリゴニア(トリゴニアは他の三角貝目の一種。意味は「三角形のもの」)
時代と地域:白亜紀後期(約9800万年前)の東アジア
成体の全長:約3cm
分類:軟体動物門 斧足綱 古異歯亜綱 三角貝目 メガトリゴニア上科 メガトリゴニア科 プテロトリゴニア亜科
プテロトリゴニアは中生代に栄えた三角貝という海生の二枚貝の一種である。中生代末にほぼ絶滅したが、現在もオーストラリア沿岸にシンサンカクガイ属(ネオトリゴニア)が7種生息している。
三角貝(トリゴニア)という名前は代表的な属であるトリゴニアの殻が三角形のシルエットをしていることにちなむ。頂点が蝶番で、一方は平らな面、もう一方は丸い円錐状になっていた。
三角貝は現生のアサリやハマグリのように砂に埋もれて生活していたが、そのような系統的に新しい貝と違って、水を出し入れするための水管を持たなかった。
そのため、殻を全て砂で隠したまま水管だけを砂の上に出すことができず、殻の端を露出せざるを得なかったようだ。このことが捕食者から逃れる上で不利になったために衰退したのだと言われる。
プテロトリゴニアは小型の三角貝で、トリゴニアにおける円錐状の面が膨らみ、さらに端が出っ張って羽状のシルエットになっていた。表面には肋と呼ばれる筋状の出っ張りが並び、さらに肋の上に突起が並んでいた。河口から少しだけ離れたところに生息していたようだ。
熊本県の御所浦では、アサリやハマグリに近縁な水管を持つ二枚貝であるゴショライアと共に発見されていて、三角貝から水管のある二枚貝への移り変わりの時代を示している。
[シュードフィリップシア・クズエンシス Pseudophillipsia (Pseudophillipsia) kuzuensis]
学名の意味:葛生産のフィリップシアもどき(フィリップシアは他のフィリップシア科の一種。意味は「ジョン・フィリップス王立学会特別研究員のもの」)
時代と地域:ペルム紀後期(約2億7000万年前)の東アジア
成体の全長:約2cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 プロエトゥス目 フィリップシア科
三葉虫は全体としてはほぼ古生代を通じて繁栄していたが、三葉虫の中のそれぞれのグループは段階的に絶滅していった。カンブリア紀中期にはレドリキナ目、オルドビス紀末にはプティコパリア目、シルル紀末にはアサフス目というように絶滅し、デボン紀末には当時生息していた5つの目のうちプロエトゥス目しか残らなかった。
プロエトゥス目は三葉虫の中でもオーソドックスな形態をした小型の三葉虫である。石炭紀とペルム紀を通じてプロエトゥス目の三葉虫も次第に数を減らしていき、ペルム紀末に完全に絶滅した。
国内では三葉虫の発見例は海外と比べればごく少なく、また多くは断片的だが、発見されているのは絶滅間際の三葉虫であるため、三葉虫の絶滅に関連する情報が含まれているとみられる。
シュードフィリップシアは国内で発見される最後の三葉虫のひとつである。小判型の全身、大きな頭部と複眼など、三葉虫の基本的な体型を保っていた。国内での発見例はいずれも石灰岩の地層であり、炭酸カルシウムが豊富に得られる環境に生息していたようだ。
[ストロマトライト Stromatolite]
名前の意味:縞状の岩石
ストロマトライトは特定の古生物に付けられた名前ではなく、微生物、特にシアノバクテリアの働きによって作られる層状の構造を持つ堆積岩のことである。生物の形態または生活の痕跡が地層中に残されたものを化石というため、全く岩石にしか見えないストロマトライトも地層中から発見されれば化石の範疇に含まれることになる。
ストロマトライトを形成するシアノバクテリアは、古くは藍藻と呼ばれた、光合成を行う細菌である。植物よりはるかに古い起源をもち(しかし最古の光合成生物ではないようだ)、植物の細胞内にある葉緑体はシアノバクテリアが植物の祖先と共生するようになってできたものであると言われる。現在シアノバクテリアは温泉の中や氷河の上のような極限的な環境でも見られるが、池や水槽に現れることもあり、決して珍しい存在ではない。
シアノバクテリアがストロマトライトを形成する過程は以下のとおりである。
シアノバクテリアは水底で光合成を行いながら増殖し、粘りのある層状のコロニーとなってあたりを覆う。そこに微細な堆積物が少しずつ降り積もると、堆積物の粒はシアノバクテリアの層に取り込まれ、固定される。
さらにシアノバクテリアが層の上に向かって増殖すると堆積物の粒は層の中に埋まり、再び堆積物が層の上に降り積もる。
シアノバクテリアの活動は光のある日中に限られるため、堆積物を層に取り込む過程は日周的に進む。これを繰り返し、さらに堆積物が石灰化することによって、シアノバクテリアのコロニーは薄い層状の石灰岩からなる塊に変わる。これがストロマトライトである(なおこの過程にはシアノバクテリア以外の細菌も関わっているようだ)。
全体の形状は有名な丸いものだけでなく円錐状や枝状など様々だが、シアノバクテリアの種ではなく環境に左右されると考えられている。
形成過程が進行するには、浅くて日光が充分にあり、炭酸塩を含む堆積物が少しずつ流れ込む水底が必要である。さらに、砂をかき混ぜるような動物がいないことも必須になる。ストロマトライトが形成される過程はごくゆっくりとしか進まず、シアノバクテリアのコロニーが形成される時点で動物に壊されたり食べられたりする可能性が高いからである。
そのため、ストロマトライトはまだ多細胞生物がいない20億年以上前には地球上に現れたが、複雑な体制を備えた動物が多様化したカンブリア紀に入ると激減した。
しかしその間、ストロマトライトは世界各地の浅い海に多数形成され、シアノバクテリアの大規模な光合成が行われた。これにより海水中および大気中の酸素濃度が飛躍的に上昇し、多くの生き物が酸素の酸化作用による淘汰圧を受けたことが、現在のように多細胞の体を持ち酸素を呼吸する生き物の多様化を促したとされる。
カンブリア紀以降もストロマトライトは全くなくなったわけではなく、現在までにわたって化石が発見されている上、オーストラリア西海岸には現生のストロマトライトがわずかに生息している。この現生ストロマトライトの発見により、形成される原因や過程など多くのことが解明されたが、現生と化石の違いなどの課題も生まれた。
シアノバクテリアを実験室で培養してストロマトライトを形成させる実験が行われており、すでに層状の膨らんだ構造を形成させる段階まで進んでいる。
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