第3話「ヒポグリフ -光とバンホー-」
[今年の農高祭も乗馬部は体験コーナーの他にお馴染み軽食堂を出店、さらに今年の目玉として、新鮮な自家製卵のオムライスが登場。限定十五食です]
学生や近隣住民で賑わう校庭。居並ぶビニール屋根のうちの一つに、このビラが示す乗馬部の軽食堂はある。
カウンターの奥には、焼きそばをかき回し続ける男子の浮かない顔が見られた。
「なー……」
「あんだよ?」
「限定のオムライス、さっぱりハケねーな……」
「当たりめーだよ」
「なんで、焼きそばは出まくってんのに」
「だってお前、「乗馬部」の「自家製卵」って……馬が卵産んだみてーな怪っしー広告だもんよ」
話しかけられたほう、乗馬部部長は、自らの確認不足を嘆いて苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あんま知られてねーのか、アレ」
「あーな」
「学内の連中は」
「今更珍しくもねーだろよ」
「……もう一時半だぞ」
「仕方ねー、松田とバンホーにやらすか」
そう言う部長自身、名案を思いついたという明るさはなかった。背に腹は変えられないといったところか。
「こっちに動物入れちゃいけねーんだろ?」
「あいつなら近寄らなくても充分だろ、うっせーから」
琥珀色の羽毛に覆われた背中に乗る小さな男の子は、私の前で大人しく揺られつつ前を見下ろしていた。
柵の出入口前で手綱を引く。バンホーは長い脚を縮め、手をついて伏せた。
「はいっ、じゃあ次の子と交代でーす。気をつけて、驚かさないように降りてねー」
降りた男の子の顔は緊張が解け、頬が桜色に染まっている。
「ほら、お姉さんにお礼は?」
「どうも、ありがとう!」
母親に促されてお礼を言い、次の子と交代。また柵の中を一周。他二人の部員も同じように周って子供を乗せる。
ほとんどの子にとって初めての経験だろう。そのおかげか皆緊張して大人しいが、目をきらきらさせて長い行列を待っている。それも当然だ。
恐竜の背中に乗るのは、皆の憧れなのだから。
畜産の最先端を学ぶ目的で学校に導入されたダチョウ恐竜、ガリミムス。
長い首と尾、優美なクチバシ、滑らかな羽衣、そしてすらりと引き締まった脚。それは誰しもが見とれるだろう。
柵の周りには、降りてからもずっとガリミムスを見つめ続ける子供達の姿があった。
去年、私もあの中に混じっていた。身長制限で乗せてもらえないのが悔しくて、受験勉強にも身が入ったものだ。入学してからは乗馬部に入り浸りで、馬に乗らず恐竜にばかり乗っているけど……。
私の乗るガリミムス、バンホーの大きな目に、力の抜けてきたまぶたが乗る。重心がずれたままずっと歩かされて疲れているから、子供達が騒がずにいてくれるのは助かる。
また出入口に戻ろうとして、先輩の部員が手を上げて近付いてくるのが分かった。もう片方の手に紙袋を提げている。
子供を降ろしたら役目を一旦離れて、柵の外へ。
「松田、部長がご指名」
「夜の蝶!?いやーん、私部長とはもっと健全なお付き合いが」
「うっさいわ。バンホーに乗ってこれ配ってこいって」
受け取った紙袋の中身は、前日までの準備で見慣れたビラ。ただ、赤で何か書き足されている。
[恐竜の]自家製卵、と訂正。
右下の余白で、よれよれの線で描かれた謎の生き物が「私が産みました」と言っている。それを見たら思わず吹き出してしまった。
ヒヨコまんじゅうにネズミの尻尾を生やしたみたいで、卵を産んだローとは似ても似つかないのだから。
「なぁんすかこれぇ、部長が描いたんですか?ローはもっと美人ですよぉ」
「いーからあんたはビラを配る!」
「へいへいっ」
部長のお頼みとあらば張り切って撒いてこなければ。
紙袋を肩から下げ直し、手綱を持つ手に力を込め、
あぶみをぐっと踏む。
「行くよっ、バンホー!」
「キョッコココココッ!」
いななきを一声上げるとバンホーは首を前に伸ばし、
一気に加速。
三歩で時速六十キロ!
先輩が何か叫んでいるけど、遠ざかって聞き取れない。
ゆっくり歩くのとは比べものにならない震動。
最悪の乗り心地が最高に気持ちいい。
畑と畜舎の並ぶあぜ道を音もなく駆け抜ける。
驚いた牛とプロトケラトプスがそっくりの声を上げた。つれないオヴィラプトルは知らん顔。
見学者の脇をすり抜ける。皆がこの勇姿にふり返る。
曲がり角の手前から外側にずれ、余裕を持って回る。馬と比べると減速は苦手だ。
とりあえず校門へ。ビラを撒くなら入り口がよさそうだ。
硬いアスファルトに覆われた道に出る。馬なら蹄が割れていただろうが、恐竜の足指には関係ない。
人が増えても、バンホーは横跳びにかわして走る。
人混みの中を走れるのはガリミムスだけだ。
この驚きの熱い視線を浴びられるのも、私達だけだ。
そろそろ撒いたほうがいい頃だろう。紙袋を肩から下ろしたとき、
いきなり浮き上がった。
誰かが散らかした段ボールを跳び越したのだ。着地の勢いでバンホーの背中にのしかかる。
少し飛び出したビラが宙を舞い、荒い紙吹雪を作るのが見えた。
面白い、このまま撒いてしまおう。
紙袋の持ち紐を片方だけ持ち、思いっきり振り回した。
舞い散るビラが風に乗り煙のようにたなびく。
私とバンホーの後ろに紙の雲ができた。
辺りの誰もが目を見張り、指笛さえ耳に届いた。
ビラが尽きて校門の前で止まり、くるりと回って一礼。
空の紙袋を勝利の証さながらに掲げて戻る。拍手に包まれながら、私は殊勲を立てて故郷へと見送られる英雄になりきっていた。
「えへへ、すいませぇん」
「反省の色ねーなおめーは!」
「ごめんなさーい」
ゴミ拾いが済んだのはまだ敷地内の六分の一程度、真っ赤に焼けた夕日が皆の曲がった背中に当たる。
危険走行と無断のビラ撒きにより、乗馬部全員で顧問と生活指導教員からの一時間に渡るお説教を受けた後、敷地内の罰掃除。
そのくらいで消えるものではなかった、思うさま全力疾走した爽快感は。
「私はビラを「配れ」ってちゃんと言ったのよ。「撒け」なんて絶対言ってないわよ」
先輩はさっきからずっとそれを繰り返していた。
「ああ……、でも俺が悪りいんだな、上手いし目立つからってこの馬鹿に任せて……」
部長が私をかばってくれるなんて。なんとか励ましてあげないと。
「気にしない気にしない、失敗なんて誰にでもありますよぉ」
「おめーの頭が失敗作だろーが!」
そのとおりなのかもしれない。未だあの視線と喝采でつむじの辺りが茹だっている。
いくら掃除の終わりが見えなかろうと、終わってから手厚くバンホー達の世話をして一緒に過ごすことしか考えられない。感謝と労いの意を込めて、今日は桜エビを多めにあげよう。
「真面目にやれっ!」
高揚する頭に丸めたビラが当たった。
[ガリミムス・ブラトゥス Gallimimus bullatus]
学名の意味:膨らんだ鶏もどき
時代と地域:白亜紀後期(約7千万年前)のモンゴル
成体の全長:6m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトル形類 オルニトミムス科
歯のないクチバシや長い脚からダチョウ恐竜と呼ばれるオルニトミムス類の中で、ほぼ腕と肩しか見つかっていないデイノケイルスや亜成体しか見つかっていないベイシャンロングを除き最大。各成長段階も含め詳しく知られている。
長く強靭に発達した後肢により、ウマと同等の快速を発揮したと考えられる。また恐竜の中では特に脳の発達したものの一つでもある。
大きさ以外にはクチバシが特徴的で、やや幅広くて上顎の縁が低い。また内側には棚状の構造が見られ、これにより湖水からプランクトンを漉しとって食べることができたとされる。しかし一般的には、オルニトミムス類は木の葉や果実を主食としたと考えられている。
また、オルニトミムス類としては腕や手指が短い。巨体または食性のために木の枝を引き寄せる必要性が低かったのかもしれない。
[プロトケラトプス・アンドレウシ Protoceratops andrewsi]
学名の意味:ロイ・アンドリュース氏の原始的な角竜(ケラトプス=角のある顔)
時代と地域:白亜紀後期(約8千万年前)のモンゴル
成体の全長:2m
分類:鳥盤目 周頭飾類 角竜類 ケラトプシア プロトケラトプス科
角のない原始的な小型角竜。しかし後頭部のフリルは発達していた。
樽状の胴体や鋭く強力なクチバシを持ち、生態は今の草食獣に似ていたとも思われるが、おそらく雑食性が強かった。
尾は縦に平たく泳ぎに適しているようにも見えるが、乾燥した環境に生息していた。
[オヴィラプトル・フィロケラトプス Oviraptor philoceratops]
学名の意味:角竜の卵を好んで強奪する者
時代と地域:白亜紀後期(約8千万年前)のモンゴル
成体の全長:2m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ オヴィラプトル科
かなり鳥に近い羽毛恐竜。高さのあるクチバシや短めの尾骨などは鳥に似ていたが、これらは鳥のものと独立に進化したものである。骨の通ったトサカが印象的。
プロトケラトプスのものと思われた卵とともに発掘されてこのように名付けられたが、後にオヴィラプトル自身の卵を守っていたのだと判明した。
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