SKILLs
保立貝
SKILL 1
始まりの依頼
摩天楼を遠くに臨む郊外の夜道を歩く一人の男。腕に抱える紙袋を抱え直しつつ、寂れた通りに面した雑居ビルへ入る。
一階ロビーは枯れそうな観葉植物が一つだけ置いてある。カビで汚れた壁に掛けられた安っぽい金塗装の時計からコチコチと音が響く。タイルが所々剥げた床を踏みしめ、エレベーターのボタンを押す。暫くするとガタガタと音を立てながら箱が降りてきた。鉄格子を手でこじ開け、再び閉めようとするが錆が酷いのか、なかなか動かない。
ため息をつき、辺りを見渡して誰もいないことを確認し鉄格子を蹴ると同時に閉め、三階のボタンを押す。エレベーターから降りると三階にある自室前に立ち、懐から鍵を取りだし鍵穴に差し込んだところで動きを止める。
ヒップホルダーに納めていた小型拳銃ワルサーPPKを抜く。一呼吸置き、室内に忍び込む。
「自分の部屋なんだから堂々と入ってきなさいな」
鈴を転がすような澄んだ声が男が愛用してるソファから聞こえた。咄嗟に銃を向けたが声を聞いてヒップホルダーに戻す。
「まだそんな小さい銃を使っているの?大口径くらい扱えるんだからそっちにしなさいよ」
「開口一番に説教か。しかも勝手に入ってきやがって……何の用だ」
照明のスイッチを押し、部屋に明るさが宿る。
雑多に置かれた段ボールの山、デスクと本棚とソファだけはまともな姿を保っていたが、それ以外は整理も掃除もしていないような様であった。
ギシッとソファのスプリングが鳴り、座っていた不法侵入者が男へ振り向く。
灰色のショートヘアに碧眼、病的な白さの肌が目立つ女性が男へ不敵な笑みを浮かべる。その傍らには影のように控えていたアジア系のスラッとした体系の女性が軽く会釈する。
「元気そうねJ.D.。暇そうにしてると思ったから仕事を持ってきてあげたわ。感謝しなさい」
「……暇してねぇよ」
J.D.と呼ばれた男は灰色の彼女にぶっきらぼうに呟き、紙袋の中から酒瓶や食材を出しては冷蔵庫に突っ込む。その様子に肩をすくめた灰色の彼女は呆れたと言わんばかりにわざとらしい溜め息をついた。
「今月の家賃も払えない人間が偉そうね」
「……」
「ただでさえ湿気た所に事務所構えているんだから、仕事が来たら小躍りして喜びなさい。そして私に感謝しなさい?」
彼女の口調は優位に立っている優越感を楽しんでいるようだが、その半分、彼の状況を案じている感じがあった。それを察してかJ.D.は文句を言えないようだ。
「で、依頼はなんだ」
「せっかちな男は嫌われるわよ。コーヒーくらい出してもバチは当たらないと思うのだけれど。まあいいわ、仕事の話をしましょ」
「あぁ」
「拐ってきなさい」
突拍子もない依頼にJ.D.の動きが一瞬止まるが、やれやれといった感じでミネラルウォーターのペットボトルを二本放る。灰色の彼女の傍らに控えていたアジア系の女性が素早くキャッチし、ペットボトルの口を開けてソッと主人に差し出す。
「……詳しい内容を聞かせてくれ」
「サンソンという男が最近、私の縄張りで勝手に商売を始めたの。私の警告も無視、挙げ句、挑発のつもりか末端の者に手を出した。ただの馬鹿かここのルールを知らない部外者と思っていたのだけれど、そろそろお仕置きをしなくてはね」
「そのサンソンって奴を拐ってくればいいんだな」
「ええ、丁重に拐ってきなさい。私がご褒美をあげられる箇所が少なくなっては意味がないもの。より詳しい資料は置いておくわね」
パサリと資料をデスクに置くと、彼女はニコリとJ.D.に微笑む。
「依頼料はサンソンの受け渡し完了を確認したら渡すわね。それとは別に滞納分の家賃は支払っておいたわ」
「悪いな」
デスクに置かれた資料を手に取り、彼女に礼を言おうと振り返るが既に二人の姿はなかった。
嵐のように訪れいつの間にか消えている事に慣れているのか、J.D.はやれやれと資料に目を通そうとした時、ハラリと資料の間から封筒が落ちる。拾い上げ、中を確認すると数枚の紙幣とメモ書きが入っていた。
〈それで鋭気を養いなさい クルエラ〉
灰色の彼女、クルエラからのメッセージに「余計なことを…」とぼやくが、誘惑に勝てないようでデリバリーを頼んだ。
それから数日間、サンソンという男の周辺を探った。最近この土地に移ってきたギャングのボスらしいが、やり方が以前とは違う。他の勢力とは協調路線をとって無駄な争いは好まず自分達の勢力内で活動していた。
それがここに来てから他の勢力に対し過激な挑発行為を繰り返し、ついにはこの地で最も敵に回しはいけないクルエラをも怒らせた。
それにしても違和感が拭えない。
以前のやり方でそれなりに上手くやっていたのに、わざわざそれを捨てるのはリスクが大きすぎる。何か、強硬姿勢に出る要素を手に入れたのかもしれない。
秘密裏に傭兵か軍から流れた兵器でも手に入れたのだろうか。
林の中からサンソン邸を監視していたJ.D.は静かにその場を後にする。標的の本丸なだけに警戒網が分厚い。塀に囲まれた屋敷にはゲートもあり、巡回している人数もそれなりにいる。ここから人を拐ってくるのは至難の技だろう。移動中を狙うか。移動経路、スケジュールも用意された資料で把握済みだ。この程度の情報を集める事などクルエラにとっては造作もない。やはり街で最も怖い女は一味違うな。
J.D.は携帯電話を取り出し、クルエラ宛に計画実行の短文を送信する。
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