9

五月十三日


 それから、思い立って数日後の昼。健司は山瀬高校の正門前に、やや緊張しながら立っていた。


「…………」


 何故だか、気後れする。

 小遣いを使ってネットで制服を手に入れたのはいいが、これで怪しまれずに校内に這入れるのだろうか、と不安に思っていた。体格や顔付きは高一と言えば誤魔化しが利きそうだが、どうしても後ろめたさで躊躇ってしまう。


 いや、平気だ、と彼は悪い考えを振り払う様に頭を振る。すぐに用を済ませて校内から出れば気付かれる訳が無い。何よりも彼は制服を買う為に、なけなしの貯金まで使ってしまったのだ。学校もサボってまったし、ここで引き下がれる訳が無い。まだ名前すら知らない彼女の情報を手に入れなくては、ここまで来た意味が無くなる。


 そう、昔の事はもうどうにも出来ない、先に進むのに必要なのは『今』だ。それを無視しても仕様が無い、それでは本末転倒だ。とにかく、彼にとって大事なのは現状いまなのだ。

 直情的な考え方だが、正しい事は正しい。その素直さを発揮する場面を間違えてはいるが、今の彼には、自分本位な正当性を持ちたい若気も手伝っていた。


「よしっ、行くぞオレ」


 自分を鼓舞する様に、健司は正門を通った。




「――あ、二年の暁先輩でしょ?」


 拍子抜けする程、知りたい事はあっさりと判ってしまった。

 校舎に這入ってから出来るだけ平静を装って、一番怪しまれないであろう高一の教室を回って話を訊いてると、数人目の女子生徒で答えが返ってきた。


(いや、確かに目立つ姿だったけど、ここまで簡単に判ると逆に力が抜けんな……)


 しかし、これで判った情報は大きい。彼女が二年生だとしたら、健司と彼女の歳の差は一、二歳。もしも、自分が来年ここに進学すれば、彼女と同じ学校で生活出来る。

 そんな不純的純粋さで彼の高校の進路は今決まった。今から考えるだけで顔がにやけそうになる。

 すると、彼を見ていた女子生徒は意地悪く微笑った。


「何、もしかして告白でもするの?」

「は?」

「勇気あるねぇ、君も玉砕しなければいいけど。まだ入学してから一ヶ月かそこらだけどさー、私が知る限りでは暁先輩に挑んでいった男子は皆駄目だったんだよねー」

「い、いや。そ、そんなじゃないですよ」


 突然、告白の話になり戸惑いながら答えると、相手は更に調子に乗った。どうやら、噂や詮索が好きな性質だった様だ。その上、健司が告白すると決め付けてるとはいえ、言葉に容赦が無い。新しい話の種を見つけて面白がっているのだ。


「恥ずかしがらない恥ずかしがらない。でも、振られても悲観すんなよー? 暁先輩ってさ、うちだけじゃなくて、他校の女子にも人気あるし、男子には簓木先輩の次ぐらいに人気あるからねぇ。しかも二人ともさ、けんもほろろな態度だし。あの二人はレベル高過ぎだよねぇ……もう観賞で満足してる人も居るしね。知ってる? 写真とか撮ってるらしいよ?」

「や、だから違いますって。関係無いですって。あぁもうっ。それじゃ、失礼します!」


 健司は矢継ぎ早に言う相手に、焦ってその場を離れると、


「あはは、頑張ってねぇ」


 後ろから、何も解ってくれてない声が聞こえてきた。




 二年生の教室がある別館に着いてから、健司は目的のクラスを聞いてない事に気付いた。


(どうして肝心な事を訊き忘れるかなぁ、オレ)


 嘆いたところで始まらない。探す相手の名前は判っているのだ、とにかく教室の端から順に行けば、何れ当たる筈だ。


「暁って……暁夜鳥だよな?」

「あ、はい」


 適当な教室で男子生徒に訊くと、名前を聞いてから少し訝しげにこちらを見ながらも答えてくれた。暁ヌエ。変わった名前だ。どんな字なんだろう、と思ったが、当て嵌まる字を思い付かなかったので、すぐに諦めた。


 それより健司は、ヌエさんはどういう人なのかな、とぼんやりと考えていた。先刻も人気があると言われていた……だが、この人の反応を見た感じでは、それだけとは言い切れなさそうだ。奇抜な恰好も原因と言えばそうだろうが、あの髪と眼は染めた訳でもカラコンの様にも見えなかった。多分ハーフで、不良という訳ではないだろう。


(じゃあ何で、この人はこんな訝しげにオレを見んだろう……暁さんの名前を出しただけなのに)


「それだったら、この隣のC組だ」

「えっ、あ、はい。解りました、有り難うございました」


 別にいいや、そんな事――健司は答えが返ってきたので忘れる事にした。隣の教室で暁さんにやっと会える。それだけで今はいい。

 ひょい、と教室を覘いてみたが、記憶に残るあの目立つ容姿は何処にも見当たらない。クラスを確かめるが、やはり二年C組の教室だ。ここに居ると聞いたが居ない。何処かに行っているのだろうか。いや、考えるよりも話を聞いてみる方が早い。


「あのー、すみません」


 教室に向かって大声で言うと、一人の男子生徒が気付いてくれた。


「ん……何の用?」


 と、健司は相手の顔を見た瞬間、身体を強張らせた。


 眼の印象のせいだ。

 黒目が小さく、その下に白目の隙間が空いている――三白眼だ。確か、人相学では凶相だとかテレビで言ってたな、と思い出しつつ、三白眼なんか初めて見た、と何処か感心していた。凶相と言われるだけあって、何か迫力がある。


「……あ、と。暁ヌエさんを」

「…………」


 健司が口籠りながら言うと、三白眼は黙ってるだけだった。

 睨まれている様で余計に怖い。


「あのぉ?」

「君、ここの学生じゃないだろう」


 急に、三白眼は言った。


「……?! な、何の事で」

「忠告だ。彼女には近付くな。


 動揺する健司に、三白眼は何故かそう言った。

 意味が解らない。忠告などされる筋合いも、覚えも無いのだから。


「なっ? 何で、そんな事をアンタに――」

「何してんの、槻木つきのき君?」


 怒鳴り掛けた寸前、不意に、三白眼の後から誰か来た。


「……簓木、君には関係無いよ」


 三白眼は声だけで誰だか解っているのか、相手の顔も見ずに不機嫌そうに言う。


「なーに言ってんの。貴方にも関係無い事でしょ」


 彼等の会話が聞こえていたのか、簓木――何処かで聞き覚えのある名――と呼ばれた、長い黒髪の女子生徒は、三白眼に呆れた様に言い、健司の顔を見た。


「貴方、ヌエの事を探してるんでしょ?」

「おい、簓木」

「神経質になり過ぎよ、槻木君。大丈夫だってば。こんな等閑な対応する訳無いじゃない。柔軟性が無いわねぇ」


 三白眼が咎める様に言うのも無視して、女子生徒は続ける。


「えーと、貴方。ヌエだったらね、今は屋上に居ると思うわよ。何だかよく解らないけど頑張ってね、お姉さんは応援するぞー」

「……はぁ、どうも」


 訳も解らず、明らかに揶っている節がある声に、健司は生返事しか出来なかった。

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