Preユーネリア 緋色の輪舞曲

葦原青

第一章

素霊使い(ワーナミンネ) 1

 どこからか歌が聞こえる。

 物悲しく、陰鬱で、胸を掻き毟られるような響きの――

 ユディスは首を振って、耳から音を追い出そうとした。

 じっとしていると聞き入ってしまい、頭がおかしくなりそうになる。だから、体力を消耗するとわかっていても、足を動かし続けなければならない。

 けれども、どこに向かって?

 周囲は、どこを見渡しても白い闇に覆われている。ねっとりと絡みつくような、足許さえ見えぬほどの濃密な霧に。

 ひと月ほど前だ。

 ファイラム帝国の辺境にある、セーヴァという街が、不可思議な霧に呑まれた。

霧の中から出てくる者はなく、侵入を試みて帰還する者もまたなかった。街は完全に、外界との繋がりを絶たれていた。

 とりたてて特別なところのある街ではなかった。主街道からはやや外れ、せいぜいが美味い葡萄酒が作られているのと、金持ちが避暑のために訪れる別邸がいくつかあるといった程度ののどかな田舎街だ。温和な風土と住民にはあまりにそぐわない、この突然の怪異。

 噂はすぐに広まり、いずれしかるべき機関が動くのも確実だったが、近隣の街や村には、この街に親戚知人のいる者、商売相手としている者なども多く、そうした人々にとっては、すぐにでも街のようすが知りたいし、また住民が生きているのならば救い出したいと思うのも無理からぬことであった。

 セーヴァに調査隊を派遣するため、腕の立つ人間を集めていると耳にしたのが七日前。同じように雇われた十名ばかりの道連れとともに、霧の中へ踏み込んだのが五日前――

 それからずっと、ユディスは彷徨い続けている。

 最初に歌が聞こえると云い出したのは誰だったろう?

 ほどなく一人がわけのわからぬ絶叫を上げ、はぐれないようにするために互いの身体を結んでいた縄を切って逃走した。そいつはしばらく探し回ったところで死体となって発見された。外傷はなかった。ただ、その顔は何か恐ろしいものでも見たかのように歪み、両目は飛び出さんばかりに見開かれていた。

「この歌だ……」

 誰かが呟いた。

 この歌がこいつを狂わせたんだ――その途端、別の者の笑い声が上がった。旅の武芸者。その男は剣を抜いていた。

 敵か?――否。

 異常を指摘しようとした男の首が、胴体を離れた。血の滴る剣で、武芸者は己に結ばれている縄を切断した。彼の目は血走り、口角には泡が溜まっていた。

「逃げるんだ!」

 一斉に彼らは散った。縄を切るのに手間取った二人がさらに、武芸者に斬り倒された。

 ユディスは一人、縄を切っただけでその場に残った。足がすくんでいたわけではない。男が狂った原因を調べるためだった。

 彼女は、アルフィヤとしての力を買われ、調査隊に加わった。

 アルフィヤとは、破魔の力を備えた人間のことである。標準種ユラルの内、数千人に一人――彼らの誕生は、胞衣えなを包む白い光によって、一目でそうと知れる。身体的特徴として、耳の先がとがっていること、瞳孔が猫に近いこと、人種を問わず抜けるような白い肌であることなどが挙げられる。

 アルフィヤは人里離れた山奥や森に彼らだけの集落を作ってそこで暮らし、そこで操霊術や武術の修練を積む。彼らは孤高の民であり、ユラルや他の種族に干渉することはまれだが、ひとたび戦場に出た際の勇猛果敢さ、あるいは彼らだけが伝える古の知識などから、羨望や尊崇の念をもって扱われる。

 もっとも、アルフィヤを見る人々の目には、恐れや嫌悪といったものが入り混じることも少なくない。彼らが無条件に崇められたのは、遠い昔の時代のことだ。

 男が吼えた。

 ユディスは、滅多矢鱈に振り回される剣をいなしつつ、何度か呼びかけてみたが無駄だった。仕方なく男に当て身を食らわせ、縄で手足を縛った。男がおかしくなった原因なり手がかりが見つからないかと身体を調べてみたが、それらしきものは何もなかった。

 諦めて手を止めたとき、ユディスの耳にも歌が聞こえた。

 物悲しく、陰鬱で、胸を掻き毟られるような――

 いったいどこから?

 こうべをめぐらせたユディスは、先刻よりも霧が深くなっていることに気づいた。

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