僕、死神始めました。
深咲 柊梨
第1話 僕が僕じゃなくなった日
『運命』
と言う言葉を聞いた事がない人は、恐らくいないだろう。
いや、例えば産まれたばかりの赤ん坊や、右も左も分からないような子供は別として、意味を理解しているかどうかはともかく、物心がついた頃には、僕達は何らかの形で耳にしているに違いない。
もしかしたら、人間の言葉を持たない動物ですら、その言葉を知っている可能性だってあるのだ。
もちろん、僕達は動物と会話出来る訳ではないので、真相は確かめようもないのだけれど。
言葉は聞いた事があっても、それを信じている人は、どの程度いるのだろうか。
どちらかと言うと、僕は運命と言う言葉ーーと言うか、概念を信じていない。
そう運命の出会い……なんてあるのだろうか?
良く、縁があって、人は出会うと聞く。
一期一会と言う言葉もあるが、まぁ一度きりの出会いだとしても、前の言葉を借りれば、それも縁あっての事なのだろう。
僕はそれを、割と否定的な視点で捉えている。
これだけ人が溢れかえっていれば、そりゃ何度もすれ違う人もいれば、一度きりの人だっているさ。
それは様々で、通学や、通勤する道程が同じならば、たまたま、その道を選んだというならば、そもそも、それは必然ではなく、偶然なのだろうと。
どうだろう?
いちいちすれ違った人の顔など、覚えているだろうか?
密に同じ空間を、同じ時間過ごすのだとしたなら、話は少し変わってくるけれど、どちらもそれが『出会い』と言うのであれば、やはり、運命の出会いとは、かなり滑稽なのではないのだろうか。
そうだ僕はひねくれ者だ。
誰が何と言おうとひねくれ者だ。
これが、ひねくれた考えと言うならば、またそれも然り。
安心してくれ、自覚は多いにあるんだ。
『運命』
と言う言葉には、出会い以外にも色々あるのだけれど、どうして僕がこんなに出会いに拘るのか。
散々前述で、運命の出会いをこじつけの様に否定していた僕だけれど、何というかーー出会ってしまったのだ。
これも偶然と言えば偶然なのだが、どちらかと言えばこんな偶然は嫌だ。
すごく可愛い子とか、綺麗な人だったら、それはもう、天にも昇る想いだけれども、そうじゃない。
いや、可愛いは可愛いのだ。
ただ、出来ればーーじゃなくても出会いたくない者の一つ。
まさか、生きている内に出会うとは、流石にひねくれ者の僕でも、これは想定外。
予想の遙か斜め上を行き過ぎだ。
だいたい『こういう者』って、真夜中とか、人通りのない所で、おどろおどろしく出てくるものではないのか?
ぎゃーっと、叫びたくなるようなシチュエーションで。
綺麗に整った白い歯が見える。
腰まである、緩くウェーブのかかった栗毛色の髪を風で遊ばせ、何をそんなに柔やかに晴れ晴れしく清々しく、むしろ好意を抱き兼ねない素晴らしく感じの良い笑顔で、恐ろしい事を言っているんだ。
しかもこんな早朝から。
僕、これから学校に行くはずだったと思うのだけれど。
頭から爪先まで、すっぽり被れる黒い頭巾に、人一人なんて、瞬殺出来る程の大きな鎌、そして、中身は理科室の怪談話でも有名な骸骨ーーこれが相場な気がするのだが。
もちろん性別年齢は不詳で。
いかんせん、今僕の目の前にいる『それ』は、一目どころか二目三目見ても、ただの普通の、可愛らしい女の子。
年はそうだな、僕より少し上と言った所か。
服装は、膝上十五㎝はあろうか、白のシフォンワンピースに、薔薇の刺繍が、上品に襟元に装飾されている、薄いデニムのジャケット、真ん中にリボンが五連、そこにレースがあしらわれた、これまたデニム生地の程よいヒールのグラディエーター。
この時期にぴったりな、どこにでも見掛ける、ぴちぴちの女子大生。と言うワードがぴったり当てはまる。
ぴちぴちが死語かどうかは置いておいてーー
しかし、女子のスカートというのは不思議なもので、風が吹き一歩間違えれば、その下を簡単に露呈してしまう。
どうして女子は、こんな心許ない服装を好き好んで選ぶのだろうか。
制服はともかかく、世の女子は見せたがりが多いのか?
どちらにしても、男の僕には、おおよそ理解出来るものではない。
驚くべきは、それだけではないのだ。
僕の目の前に、突然現れた黒狐から、瞬く間に可愛いらしい女の子に変身?した。
もう最初から最後まで意味が分からない。
たまたま僕の周りに、今人がいなかったから良かったようなものだけれど、もしこれが、他の誰かに目撃されていたら、彼女はどうするつもりだったのだろう。
こんな、どこかのファンタジー溢れる漫画や、アニメの中でしか起こらない現実を、目の当たりにしながら、そんな風に少し思ってみたりもした。
僕、ひねくれ者だから。
でも、でもね。
今まで、見たことも聞いたこともない黒い狐が、いきなり現れたと思ったら、それが可愛い女の子になって、これまた可愛い笑顔で……。
「主様からの命令で、あなたのーー清水川 尊人様のお命を、頂戴しに参りました。死神の、狩華と申します」
なんて、口説き文句にしても笑えない。
いや、僕を口説こうなどという女性は、未だかつて、いなかったのだけれど。
大釜ではなく、それこそ、笑えない大きさの弓矢を両手で構え、その矛先は、見事僕の心臓を捉えている。
さて、こういう時、どういう反応をするのが、正解なんだろう。
「こらっ!また学校サボる気-?」
家を出て、学校とは反対の方向に足を向けた瞬間、僕の背後から、朝から憂鬱な気分にさせる声が響いた。
朝はただでさえ憂鬱なのだが、この声を毎朝聞かなければならない、僕の身にもなって欲しい。
「……何だよ、お前には関係ないだろ」
事実、こいつは僕の親でもなければ、彼女でもない、ただの幼馴染み。
「関係なくないよ、幼馴染みじゃない」
答えになってない。
「ただ幼馴染みってだけで、毎朝僕をストーカーするな」
「おぉ随分な言い方だね。そもそも君がそんなんじゃなければ、私だって、こんな小姑みたいな真似、毎朝しないわよ」
どうやら、小姑みたいという自覚はあるらしい。
「致し方なくよ。君のお母さんや、学校の先生にも、君のお守りを私は託されている訳。分かる?この歳で、自分と同じ、大きな子供を持つ親みたいな事をさせられてるのよ私」
「じゃあしなきゃ良いだろ」
「嫌よ、それは私の今後のイメージを損ないかねないもの」
ーー何というか、こいつは、昔からそういう所がある。
一件優しく、面倒見の良い奴に思われがちなのだけれど、実のところ、自分のイメージが良くなる事しか考えていない。
影で聖女様と言われているようなのだが、お腹の中は真っ黒で打算的、聖女様とはほど遠い人間なのである。
悲しいかな、それを知っているのは僕だけなのだけれど。
その見た目も比例して、制服を特別着崩す事もなく、ほぼ指定通りの物を使っている。
本人曰く、スカートの丈だけは少し上げているそうだが、まぁそれでも、今時の女子高生と言うには、少し時代遅れな気はする。
「ねぇ尊人君、一緒に学校に行きましょうよ」
僕は、こいつのこの瞳が、昔からあまり好きではない。
有無を言わせない、冷たく凍てつくような瞳。
顔は笑っているのに、瞳だけは決して笑ってはいない。
いつからか僕は、この瞳に逆らえなくなっていた。
心当たりは……残念ながらあるのだ。
家が隣同士と言うのもあって、僕達は赤ん坊の頃からの付き合いだ。
幼稚園、小中学校と、何故か義務教育ではない高校まで一緒。
僕は何を隠そう、小学校低学年の頃に、こいつをーー神薙 ひかり(かんなぎ ひかり)を、からかっていじめていたのである。
まぁ良くある、好きな子に素直になれなくて、ついつい、いじめてしまうと言うやつだ。
しかし、家が隣同士のせいで、それはすぐに親にバレ、こっぴどく叱られた僕は、神薙をいじめる事はしなくなったものの、どう接して良いのか分からず、何となくぎくしゃくしたまま、小学校を卒業。
中学に上がる頃に、立場が逆転した様に思う。
神薙が……僕の弱味に、つけ込む様になったのは。
今のような冷たい瞳で、僕を見る事が多くなったのは。
そして、やたらと過保護になったのは。
きっとそれは、僕を利用する事で自分の価値を周りに認めさせ、自己満足しているのだ。
僕を使えば、そうする事が出来ると知ったから。
それを、分かっていながら逆らえないのは、昔の自分がしでかした、覆し様のない事実が、重くのしかかっているからなのだろう。
今では、神薙の事が好きなのかどうかも、定かではない。
恐らく、まだ好きなんだとは思う。
でも、罪悪感や後悔の念が大きすぎて、とてもじゃないけれど、気持ちを伝えること、確認することなんて出来ない。
出来る訳がない。
してはいけないのだ。
子供の頃に犯した、誰もが通る道と言っても過言ではない……出来事だったのだけれど。
小学校に上がるまではいつも一緒。
これからもそうするであろうと、お互いに思っていた所での変化。
あの時の神薙の顔が、僕は、今でも忘れられない。
罪悪感が未だに拭えない。
だって、神薙をこんな風にしたのは僕なのだから。
僕があんな事をしなければ、きっと今でもあの頃の様に神薙は、僕に屈託のない笑みを向けていてくれたに違いない。
そして少なくとも、今の僕達よりは、良い人間関係を築けていたのであろう。
「今日はね、図書館清掃の日だよ?図書委員の私達は絶対参加なの。だから、サボるのは絶対駄目だよ?なんだったら、手を繋いで行ってあげようか?」
「僕いくつだよ……良いよ、ちゃんと行くから、手を繋ぐのだけは勘弁して下さい」
「ふふふ、昔は良く繋いでたのにねー」
そう言って、神薙は満足そうに歩き出す。
顎のラインで切り揃えられた髪を、人差し指でクルクル回しながらーー最近流行のアニメの歌を口ずさみながらーーただ彼女は満足そうに歩き出す。
そのアニメ、お前本当好きだなー。なんて思いながら、僕はその後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。
粗方滞りなく終わった。
僕達の通う都立北道(ほくどう)高校は、そこそこ偏差値の高い高校なので、図書館もそこそこの広さを誇る。
ちなみに、北海道と字が似ているが、都内某所にある高校だ。
図書委員の人数が、全学年全クラス合わせて三十人近くいる事、先生達も数人、有志で数人集まってくれた事で、思った以上に掃除が捗った。
そこでも相変わらず神薙が僕に構うので、下級生からいらぬ誤解を受け、今し方その誤解を解いた所だった。
「ふぅ、さすがにこれは疲れるよねぇ」
と、僕が休憩の為に腰を掛けていた窓際の隣の席に、神薙が腰を降ろす。
「まぁな、でも三カ月に一片の作業だから、そこまで汚くはないけどな」
「そうなんだけど、広さがね」
いくら冷房効いているとは言え、この時期身体を少し動かしただけで、額から汗が出るほど暑くなる。
神薙は汗をハンカチで拭きながら、右手で自分をパタパタと扇いでいた。
「そうだ、勉強で必要な参考書ついでに借りない?」
「良いよ、必要ない」
これは本当。
自慢じゃないが、僕は自分の頭の構造には、少々自信があるのだ。
まぁそう言う神薙だって、必要ないだろうに。
「ははは、だよねー。言ってみただけ」
「お前は何か借りたかったのか?」
「うーん、これと言ってないけれど……まぁ、暇潰しで読めそうな小説でも探してみようかな」
暇潰しで小説ねぇ。
実のところ、僕は小説や本があまり得意ではない。
じゃあ何で図書委員なんかやってるのかと言うと……まぁ同じクラスメイトの神薙さんからの命令ーーとでも言うべきか。
一年の時は別のクラスだったのだが、二年になって同じクラスになった際に、自分は図書委員をやるから、僕も一緒にやらないかと、あの例の瞳で微笑みかけられたのだ。
もちろん、断れる筈がない。
やってみれば、図書委員も悪くはないと思う。
三カ月に一度の掃除は確かに大変だけれど、それ以外はこれと言った活動もないので、委員会の中では、割と当たりの部類に入るのではないかと思っている。
「まだ向こう側、少し掃除残ってるから僕行ってくるわ」
神薙から逃げるように席を立った。
だって、先程誤解が解けたであろう下級生が、僕達を指差して、ひそひそと何やら話しているのが、窓にうっすらと映り、先程の努力が水の泡となる前に避難しなければーーと僕の危険センサーが言っているのだ。
「分かったー、私もまだ途中だから、続き頑張ってくるわ。また後でね尊人くん」
重い腰を上げ、僕達は反対方向へと歩きだす。
僕が向かった先は、照明があまり当たらない薄暗い箇所。
オカルトや、ホラー物の小説が並んでいるコーナー。
置いてある物が物だ。
少々薄気味悪さが否めないだけに、ここのエリアを掃除したがる人間はそういない。
無論、好き好んで借りにくる人間も、そういない。
僕としては、この薄暗さはむしろ雰囲気作りの為わざとなのではないか。と思っている。
こういう雰囲気、実は嫌いじゃあないんだよなぁなんて。
本の上に薄らと被っている埃を埃取りで取りながら、しかしまぁ、他のコーナーに比べると掃除のし甲斐はありそうだった。
「それにしてもーー他人には、僕と神薙が付き合ってる様に見えるのだな」
正直、神薙と僕の間柄を勘違いする人間は、今までも大勢いたのだけれど、こちらの気も知らないで。といちいち言ってやりたくなる。
もちろん、そんな事、一度も言った事はないのだけれど。
言った場合、その相手にどうして僕がそう思うのかを、一から説明しなければならない。と言う作業が発生する。
それはもう、僕の黒歴史を、恥を、馬鹿さ加減を、堂々と公言する事になり……僕にとっても、相手にとっても、何の得にもならないのだ。
僕が聞かれるとなれば、神薙ももちろん聞かれる訳でーー先程の下級生が、今度は神薙の元に駆け寄り何やら詰め寄っている。
そんなに誰と誰が付き合っている。と言うのは気になる物なのだろうか。
ああやって、涙を流しながらお腹を抱えて笑い、片手を大きく左右に振り、そんな事実はないと、きっぱり否定している神薙の姿は、やはり何度見ても複雑だ。
確かに、僕達にはそんな事実は存在しないのだけれど、あんな風に、あからさまに否定されるのも、やはり少し面白くない。
しかし、良くもまぁ毎回あれだけ笑えるものだ。
まぁ、僕も完全否定しておいて、しかも神薙にした事を考えれば、何を言ってるんだコイツ?と言われると、ぐうの音も出ないのだが。
男心とはそう言う物なのだ……と思う。
ついつい、神経が神薙達の方へ集中してしまい、埃を取っている手が思いっきり一冊の本に当たり、僕の足の上に落ちた。
「……っ!!」
声にならない声で僕は叫ぶ。
思った以上に分厚い上に、角から落ちてきたので、これはもう涙もの。
誰も悪くない、悪いとすれば、自分なのだけれど、痛みから来る怒りをどこにぶつける事も出来ず、せめて恨みがましい瞳で精一杯、その本を睨み付けてやった。
高校二年にもなって、何をやっているのだ僕は。
持ち上げた瞬間に手が止まる。
確かに、ここはオカルト系コーナーだが、実際目にする事は滅多にない。
『死神一覧表』
何だろう……本のタイトルにしてはシュール過ぎる。
一覧表って……。
もう少し良いタイトルがあったのではないか?
例えば『死神大特集』『やって来た!死神達』『死神の全て』
ーー恥をかいただけだった。
偉そうな事を言ってごめんなさい。
この時ほど、僕は心の声が外に漏れなくて良かったと思うことは、後にも先にもないであろう。
何かしっくりくるタイトルが思った以上に浮かばなかったあたり、自分のボキャブラリーのなさに少々傷つく。
タイトルとは違い、表紙はすごく凝っていた。
物々しい雰囲気を存分に醸しだし、タイトルに『死神』とあるのだけれど『死神』らしき絵は一切描かれていない。
黒と群青色を、渦状に混ぜた様な背景、その真ん中に大きな瞳が一つ、描かれていた。
僕のイメージしたものを、そのまま伝えるとすればそれはーーまるで黄泉の世界の様な。
ぱっと出た、イメージなのだけれど。
今の技術は本当にすごい物で、パソコンを使えば様々なグラフィックを作り出す事も可能だし、手書きでも。素晴らしい手法がいくつもある。
しかし、この本に至っては、とてもシンプル。
この言葉がまさにぴったり当てはまる。
故に、この本の物々しさを、異常なまでに醸し出しているのかも知れない。
「この表紙ありきだから、こんなタイトルにしたのかな?」
と思うのだけれど、正直その真意は確かめようもないし、まぁ内容を読めば、もしかすればもしかすると、少しはその真意に辿り着けるのかもしれないけれどーー正直読む気にはなれない。
本が好きではないので。
ただ、この表紙は素直に心から素晴らしいと思う。
恐らく誰が見ても、そう思えるのではないだろうか。
時計に目をやると、そろそろ清掃終了時間が迫っていた。
思った以上に、僕はこの本の虜になっていたらしい。
急いで埃を取り終え、軽く掃き掃除をして清掃を終える。
同時に僕を呼ぶ声がした。
声だけで分かるーー神薙だ。
やれやれ。と思いつつ、先程ぶつけた足を引きずりながら、神薙の元へと向かう。
事のいきさつを話し、僕はまた大笑いされるのだけれど。
次の日の朝、珍しく神薙のストーカー行為がなかった。
早朝に、熱が出たから学校を休むとメールが入ったのだ。
僕は、携帯を目覚まし代わりにもしているので、常に音は出る状態になっている。
それを見越しての早朝メールだ。
自分が僕につきまとえないから、僕一人でもちゃんと寝坊せずに学校に行き、寄り道をしないで真っ直ぐ帰って来るように。そんな内容だったと思う。
ただ熱が出た位では、あいつは休んだりしない。
自分の体裁が何よりも大切な女だ。
体調を崩して学校を何日も休む事になれば、その分勉強は遅れるし、出席日数の問題も絡んでくる。
体調管理ーーだけではないのだけれど、自分に厳しい神薙が、学校を休むともなれば、それはよっぽとの事で、相当熱が高いのだと、本来ならこんな長文メールを、この時間にする体力もないのだと、容易に想像出来る。
ともすれば、僕としてはやはり心配だし、学校の帰りにお見舞いでもしてやろう。とさえ本気で思っていたのに、メールの内容を読んで、その気持ちの半分以上は完璧に削がれた。
とは言え、体調を推してまで僕にメールをくれた事は事実。
神薙の場合、僕の為と言うよりは、自分の為とも言えなくもないけれど、これで遅刻やましてサボったなんて事が後で分かったら、何をされるか、分かったもんじゃない。
僕は大人しく、きちんと学校に行こうと判断した。
いつもギリギリで家を出る僕が、今日は神薙の早朝メールもあり、二度寝をしないで驚くような時間に家を出た。
きちんと朝食をとり、身だしなみを整え、仕上げのコーヒーを飲み終わる頃には、まだ時計の針が7時を指す前。
僕の家から学校までは、歩くと一時間はかかる。
丁度良い頃合だろう。
いつもとは違う息子の様子に、少々困惑しながら、母の行ってらっしゃいの声を聞き、家を出た。
たまに早起きをすると良いものだな。
暑いこの季節、早朝であれば、まだ少し涼しさを感じられる。
心なしか気分も清々しい。
これに関しては神薙に感謝だな。と、この時の僕は、本気でそう思っていたのだ。
そう言えば、一人で登校するのなんてどれ位ぶりなのだろう。
毎日ーーとまでは行かないけれど、中学に上がる頃から、ほぼ毎日神薙と一緒に登校していた。
何となく、昔の思い出に耽っていると、真夏の、しかも見事に晴れた日に、一度だけ台風の様な突風が、僕を通り過ぎていく。
あまりのその強さに足下を取られそうになり、咄嗟に全身に力を入れた。
「な、なんだよこの風」
すぐに過ぎ去ると思っていた風は、良く見ると、どうやら僕の周りにだけ発生していて、それも僕を取り巻く形で、竜巻の様に渦を巻いていた。
何とか飛ばされまいと必死で堪えるも、いよいよ力尽き、無様に飛ばされるのを覚悟した瞬間ーーヒュウヒュウと音を立て、頭上から次第に風がやんでいく。
思わず顔を下に向け、片腕で顔を守りながら耐えていた僕の目の前に、見たことも聞いたこともない、黒い狐が佇んでいた。
間違いなくやんだ風の先から、その狐は姿を現したのだ。
黒い狐としばらく目が合う。
じーっと僕をーー僕だけを見つめてくる黒い狐。
どうして良いのやら、何故風がやんだ途端に黒い狐が現れたのか……。
どう、自分の都合の良いように解釈をしてみても、全く理解が出来ない。
そもそも、黒い狐なんてものが、この世に存在するのかどうか、僕には分からないのだ。
何も出来ずに固まっていると、今度はその黒い狐からシュウーっと音が鳴り、黒煙と共に、今時の可愛らしい女の子が姿を現す。
いよいよ僕の頭の中はパニック。
と言いながらも、僕の中の冷静な僕が、これは第三者に目撃されてはまずいと、警鐘を鳴らし、周りに人がいない事を確認して安堵する。
「な、なんなんだよお前」
見た目は普通の女の子。
本来なら見ず知らずの女子に『お前』なんて言葉、ジェントルマンな僕としては気が引けるのだけれど、でも少なくとも、僕はこの子の事を、たった数分前から知る限り、普通の女の子ではない事は明らか。
この場合は、大目に見て欲しい。
女の子は、自分の周りで風を遊ばせながら両腕に弓矢を構え、素敵な笑顔でこう言う。
「主様からの命令で、あなたのーー清水川 尊人様のお命を頂戴しに参りました。死神の狩華と申します」
時が止まる。
そう言いながら、矢の矛先は間違いなく僕の心臓をロックオンしているし、この数分間の出来事を踏まえれば、恐怖におののき無様に命乞いをするーーのが正解なのかもしれない。
しかし、この自称死神の姿を見てしまうと、何というか……ただの痛い子。
所謂、中二病が悪化しちゃったのかな?お姉ちゃん。としか受け取れない。
何か色んな意味でやばそうだし、ここは丁重にお断りをして、僕の本来の目的の場所ーー学校を目指そう。という答えに辿り着いた。
「すみませんが、人違いかと思われますので、失礼します。」
「へ??いや、ちょちょっちょっと!!ここは普通、怖がる所ではないのか!?」
「いやぁ、何か如何にもな死神様が出てきたら、そりゃあ怖いけれど……狩華さんだっけ?ちょっと痛いかな」
「痛いとは何事かぇ!?これでも歴とした死神じゃっ!!」
「うん、まぁ見た目の割には口調がね、何かそれっぽいけど、僕急いでるから」
とにかく、何か危ないこの人から逃げたくて、そして知り合いだなんて思われたくなくて、僕は踵を返す。
しかし、僕は基本を怠った。
人は見た目で判断してはいけません。
敵前で背を向けるな。
冷静に状況を見極めろ。
こんな常識的な事を、非常識なこの展開で、さすがのひねくれ者な僕でも、頭からすっぽり抜け落ちてしまったんだ。
やはり、当然の事ながら、僕は冷静ではなかったのだろう。
こんなファンタジーでの基本を……っ!!
いや、ファンタジーに限った事ではないのだけれど。
後悔先に立たずとはこの事だ。
そう言えば、僕の大好きなゲームのあるシリーズに登場する、主人公の美しい女剣士が、『背中は守る』なんて言ってたなぁ。
この時ほど、この言葉が心に染みた事はないだろう。
実際に守ってくれる人がいれば。
耳にザシュっという音が響く。
その瞬間、言葉には出来ない、鋭い痛みが僕を襲う。
それが何の痛みか理解するのに、そう時間はかからなかった。
首を痛みのする方に向けると、真っ赤な血がべっとりとついた矢が、僕の心臓を貫通していた。
「甘く見おって」
声も出ないーー力なく僕はその場に倒れる。
人間の身体って、こんな簡単に矢が貫通しちゃうんだ……。
まさか、自分の死に際がこんななんて、誰が想像出来ただろう。
そもそもこんな展開自体、想像すらしていなかった。
死ぬ時って、もっと感傷的になるものかと思っていたのだけれど、感傷的になる暇もなく、僕の命は、僕の意思とは関係のない所で、勝手に奪われていってしまった。
そして僕は意識を手放す。
その瞬間、身体が熱くなるのを感じながら。
あれ?ここはーー天国なのかな。
青空が見えると言う事は、僕は天に召されている最中なのだろうか。
たいした事もしてないし、大切な人を傷つけ、それに負い目を感じていた僕だけれど、どうやら地獄行きだけは免れたようだ。
良かった……。
何であの死神は僕の命を狙ったのだろう。
死期を前にすると、死神が現れると言うのは聞いた事がある。
だとしたら、僕はあそこで死ぬ運命だったのかもしれない。
まさか、本当に現れるなんて、これぽっちも信じてはいなかったのだけれど。
あぁ、きっと家族は悲しむだろうな。
両親の泣く姿は見たくないから、見なくて済むのならその方が良い。
僕が居なくなって悲しんでくれる人は、家族以外にいるのだろうか。
神薙は……。
神薙だけは想像出来ないな。
今現在、僕に対してどういう感情を抱いているのかすら、定かではないし。
少なからずとも、恨み憎しみみたいな物はあるのだろうからな、ざまぁ見ろと言って笑うかも知れない。
でも……やっぱり僕の為に、少しでも泣いて欲しい……な。
なんて、都合の良い想い。
死んでみてーーもう二度と会えないと分かってから気付く。
やっぱり僕は、神薙の事が好きだったのだ。
逆らえなかったのは、罪悪感からじゃない。
一緒にいたのは、罪滅ぼしの為じゃない。
どんな形であれ、僕がただ、神薙と一緒にいたかっただけなのだ。
神薙が、自分の評価を上げる為に、僕を利用していたとしたのなら、僕は神薙と一緒にいたいから、神薙のその行動を利用していただけ。
もっと早く気が付きたかった……。
僕の馬鹿野郎!!
もう……二度と、あいつの冷めた微笑みを見ることもない。
最期に、神薙の姿……一目でも良いから見たかった。
意識を失う瞬間にも感じたけれど、とても身体が熱い。
天に召されるというのは、身体が焼かれる程度の熱さを感じなければならないものなのか?
いや、違う。
これはさっき感じた熱さではない。
一方的に、背面だけが熱を帯びている。
まるで真夏のアスファルトに焼かれる様な……。
熱い、熱い、熱い。
「っっあっちぃぃなぁっ!!!」
「あ、やっと起きたかえ」
声のした先に目線をやると、僕の顔を覗き込んでいる狩華の顔が目に入る。
狩華が僕の上に跨がり、顔と顔を近付けてきているのだ。
「やややや、ちょっと何!?何なの!?!?」
我ながら情けないとは思う。
高校男児が、声を出しながら、女の子の下でバタバタと、もがいているのだから。
なんせ、こんなシチュエーション、お目に掛かった事がない。
女性が自分の上に跨がる等、ピュアな僕にはハードルが高すぎる。
「ほむ、これだけ元気に動けるなら大丈夫じゃな」
言われて辺りを見渡すと、そこは見慣れた街並みだ。
あれ?確か僕さっき死んだよね?
ここは……さっきまで僕がいた場所と、なんら変わりはない。
と言うか、倒れ込んだ場所に、僕は仰向けになり、真夏の日差しでアスファルトが熱され、その熱で、僕の背中を容赦なく焼いていく。
やばい、このままいくと僕はバーベキューのお肉の様に、真っ黒に焦げてしまうじゃないか!!
「ちょっと!背中熱いっっ!!どいて!!」
このシチュエーションが終了してしまうのは残念極まりないのだけれど、まずは僕の背中の安全確保が優先だ。
「全く情けないのう、妾はその程度、なんともないぞ」
「いや、あんたと僕じゃ違うだろう!」
やっとアスファルトから、背中を離すことが出来た。
「何が違うのじゃ」
最初の挨拶こそ丁寧だったものの、もう下手に出るつもりはないらしい。
口調が古臭いのも相まって、いちいち偉そうな物言いで、さも当たり前の様に聞いてくる。
「何がって、僕は人間だ!お前はその……一応、死神なんだろ?」
「一応とはなんじゃ!さっきも言ったが、妾は歴とした死神じゃ。そう言うお前は妾の弟子……いや、今の時代でいう所の後輩じゃな。となると、妾は先輩というべきか。知ってるかえ?先輩は敬わなければならんのだぞ」
えっへん!とえばり散らす姿は、やはり死神には到底見えない。
「は?お前何言ってるの?……て言うかあれ?何で僕生きてるんだ?さっき確かにお前の矢で心臓を射貫かれて……死んだはずだよな?」
「あぁ、清水川 尊人は死んだ。」
何か、そんなはっきり言われると、切ない。
「じゃ、じゃあ何で僕生きてるの?もしかして幽霊?」
「お前は馬鹿か、そんな訳なかろう」
「だよな。だってこうやって熱さも感じるし……じゃあ夢と、か?」
「お前は死神じゃ」
いや、この状況で何を言ってるんだこの人。
あなたは死神です。なんて言われて、はいそうですかって誰が信じるよ。
「……いや、それはちょっと無理がないか?」
「お前、さっきからそう言う痛い奴。みたいな目で妾を見るなっ!」
「いやいやいやいや!有り得ないって!!」
「有り得なくない。事実そうじゃろ?」
「何で!?何で僕が死神にならなければないないの!?!?」
「主様の命令じゃと申しただろうに」
「いや、だからその主様って誰だよっ!!」
「まぁ少し落ち着け」
「落ち着けるかっ!意味分かんないよ!何で!?何でいきなり現れて……勝手に人を死神なんかにするなよ!!」
「お前の意思など関係ない、これはお前の定められた運命なのじゃ」
もう駄目だ。
完璧にお手上げ、ついて行けない。
何この子!?痛い子どころの話じゃないじゃないか!!
だいたい、僕が死神って何で……っ。
でも、もし本当に僕が死神になったとしたのなら、全ての説明はつくのかもしれない。
僕は確かに、さっき心臓を矢で射貫かれたんだ。
今まで味わった事もない痛みを感じたし、血がべっとりとついた矢も見た。
間違いなく、僕はさっき死んだんだ。
『人間』としての清水川 尊人は死んで、『死神』として清水川 尊人が生まれた。
だから、再びこうして目を醒ます事が出来た……?
いや、まだ夢だという選択肢が消えた訳ではない。
夢なら覚めろ!夢なら覚めろ!夢なら覚めろ!
と、何度も口にしてみるけれど、一向に夢が覚める気配は、どうやらないらしい。
やはり、この女が言ってることが真実……。
「尊人、今は詳しくは話せんのじゃが、お前には、ある目的を果たして欲しいのじゃ。その目的の手助けをする為に、妾が遣わされたのじゃよ」
「何なんだよ、目的とか、定めとか」
そう、そんなのはどうでも良い。
もしーーもし本当に死神になったとしてだ、今最も気にすべき重要な事。
「僕は、もう二度と人間には戻れないのか?」
一度は死んだ人間。
聞くだけ野暮なのかもしれないけれど……。
それでも、死神になるなんてあんまりだ。
「戻れるぞ」
「え?」
それは予想だにしない答え。
いや、一割位は、その答えを期待はしていたのだけれど。
「先程の表現は的確ではないな。お前は死んだと言うより、一時的に、妾がお前の命を預かり、お前が目的さえ果たしてくれれば、妾はお前に命を返す。そういう筋書きになっておる」
「筋書きって……じゃ、じゃあ僕は死んではいないのだな?」
「人間としてのお前は、死んだも同然じゃがな」
「でも、完璧に命がなくなって訳ではない」
「ほむ、まぁそうじゃな。ほれ、お前の心臓はここじゃ」
狩華は、またも当たり前の様に、片手で僕の心臓を持ち「ほれ、ほれ」と見せてくる。
……何なんだこの光景。
普通に鞄の中から出してくるなよ……。
とっくん、とっくんと動いている自分の心臓を、こうして眺めているーー有り得ない。
「このままでは簡単にひねり潰せてしまうからの。衝撃にも弱いし、万が一があってはいかん、やはりこうしておこう」
心臓を持っている手とは反対の手を僕の心臓に翳し、一言二言呪文めいた言葉を言うと、僕の心臓は、あっという間に石ころサイズの塊になった。
「え……えーっ!?!?ちょっと!何やってんのお前!!僕の心臓どうしてくれるのよっ!!」
「あのままでは、少しの衝撃にも耐えられん、そりゃそうじゃ。心臓が剥き出しになっているんじゃからな。良いのか?心臓が潰れれば本当にお前は死ぬ事になるのだぞ」
いや、それ何か、某人気バトル漫画にある、イケメン闇の外科医能力者キャラと、能力設定かぶってるぞ。
「本当の意味で死んでしまえば、それこそお前は人間に戻れなくなる。それでも良いのかえ?心臓さえ無事なら、お前は死にながらも人間ーーそう!まさに死神なのじゃ」
はははと笑う狩華。
あぁむしろ、それはゾンビと言う物では?と、ついつい口が滑ってしまった僕に、狩華は死神とはいかなる物なのか。を永延説明してくる。
気の済むまで説明をし終えると、僕の心臓改めー今やただの石ころの様な塊を、突如自分の胸元に当てる。
すると、狩華の身体全体が淡い光で包まれ、その姿は死神というよりも、天使に近いような……とても美しい光景だった。
若干の眩しさを覚え、目を細めながら思わずその姿に見とれる。
「っ!?えーーーーっ!?おまっ!!今何したの!?!?!?」
そう、狩華は自分の胸の中に、その小さな塊を入れてしまったのだ。
例えて言うなら吸収。
まさにその言葉がぴったり。
「お前の心臓は妾が預かると申しただろう。こうしておけば、敵に見つかる事もないじゃろうし、持ち運びにも便利じゃろ?」
駄目だ。
何から何まで僕の規格外だった。
こうして、めでたく?僕は本日、死神一年生を迎える事になったのだ。
「今、敵って言葉が聞こえた気がするのだけれど……」
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