第16話

 僕は少女を探すため、来た道を引き返した。その道中、頭の中を駆け巡っていたのは、自分と、そして少女の名前のことだった。



 名前



 本来は記号でしかないそれ。どうして、そんなものがこの電車から脱出するのに必要なのか。道化に問うと、嘲笑うように答えた。


「それは簡単ですよ。魂を現世に止めておくのに必要なものは、真名による言霊です。それがないのであれば、魂は浄化され、別の場所へと旅立ってしまう」


 道化は続けた。


「魂をこの世に繋ぎ止めておくのに必要なものは肉体ではなく、言葉ーー名前なのです。だから、死の揺籠である深海電車から脱出するには、名前が必要になる」


 せいぜい足掻きなさい。そう言うと、道化は泡になり消えた。


 僕は少女を求めながら、電車を彷徨った。自分の、そして少女の名前も知らないままに。


 名前が知りたい。生前、自分がどのような名で生き、どのように死んだのか、知りたい。知への渇望は留まることを知らなかった。


 どれだけ、歩いただろうか。僕はようやく、車両の真ん中で倒れている少女を見つけた。


「大丈夫か?」


「……はい」


 少女はか細い声で答えた。


 少女の体は満身創痍だった。右腕はすでになく、両足は海藻に変わり果て、首から上と左腕を除けば、人間である部分はもう残っていなかった。


「答えを探しに行こう」


「……嫌です」


 少女は静かにそう告げた。


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