1-4
一瞬視界が歪んだかと思うと、次の瞬間には山の頂にいた。
白銀の雪に包まれ、鋭い切っ先を天へと突き上げる剣のような山。
その頂上に僕は今立っている
視界の先、霞む地平線の向こう側で太陽が茜色に輝いていた。
東西南北がよく分からないから、あれが夕日なのか朝日なのかは分かりづらいが、どちらにしろこの世界はあと一時間の運命。
僕が、そうした。
「綺麗だ」
心の底からの言葉。
山の麓に広がる森は、現代の日本とは比べ物にならない程に生き生きとし、海は太陽に染められ紅く
ここで人々はどのような生活をし、どれほど多くの『物語り』を紡ぎ出しているのだろう。
ゾクゾクっと。
今まで止まっていた血流が初めて動き出した。
そんな気がした。
【ここは既に、工藤様の世界です。この世界をどうするかは、全て貴方様の望むがまま】
それは本当に、悪くない。
この世界は僕が
この世界で僕は、小説でいうところのエピローグさえも通り越して、『物語り』の最期を看取ることができる。
あらゆる
それができる。
(これが全能感か!)
世界は今、僕の中にある。
この世界を自由に駆け回り、遍く物語りを取り込んで、僕はこれから存在し続ける。
(これは、堪らない。元の世界のことなんてどうでもいい……僕はここで見続けたいんだ)
【ご満足いただけましたでしょうか】
ファザエルさんの声も、高鳴る胸の鼓動に掻き消されてしまいそうに霞んで聞こえる。
遥か遠くで雷鳴の響く音が聞こえた気もしたが、それも僕の胸の高鳴りを抑える事はできない。
「ええ、ええ!僕は貴方に感謝します!ファザエルさん。これは、これは僕が思っていた以上だ!」
【そうですか。それは……良かった】
ファザエルさんの控えめな笑い声が脳裏に響く。
【後いくつかの確認を終えれば、この世界は本格的に貴方様のものです。もう暫くお付き合いください】
「すいません、興奮しすぎて」
心の内ではそう答えながらも、体は今にも奇声を発して暴れまわりそうだ。
【では、基本の基本、『創造』の説明をさせていただきます。今回は一時間もせずに全てが滅んで魂の回廊へと回帰しますので、ある程度無茶な創造をしても大丈夫でしょう】
流石にこの話をテンション上げすぎて聞いてませんでした〜はできないので、一度落ち着くために深呼吸をする。
ん?僕はもう正確には生物の定義から外れているのだし、呼吸も必要ないんじゃないか?
いや、でも深呼吸で落ち着くのは、ある種のルーチンによる自己暗示の面も強いし関係はないか。
ともかく、一度落ち着かねば。
クールな男という僕の評価を損ねてしまう。
無論、自己評価だが。
変な方向に思考が走ったが、余計なことで頭がいっぱいになって落ち着けたので、まぁ結果オーライだ。
「それでは『創造』をするためにさっきの空間に戻ったほうがいいのですか?」
そうは言っても戻り方すら分からないが。
そういえばもう暫くするとこの世界は滅ぶわけだが、僕はここにいて大丈夫なのか?あれ?戻り方って早めに聞いた方がいいんじゃないか?
【戻らずとも、今ここである程度の操作はできますよ。世界終焉シナリオクラスは外からでないと設定できませんが。寧ろ中からじゃないと小さな物は創造し難いですからね】
確かに、僕がこれからやっていくことがさっきの巨大地球儀レベルでしか弄れないとなると不便どころではない。
どうやら世界を創るのに大は小を兼ねないらしい。
当たり前といえば当たり前だが。
【中からの操作は少々コツが要りますが、さほど難しくはありません】
「それは本来の『世界監督』なら、でしょう」
確かに、今までの操作は指先一つでできたが、無から有を創り出すなんてことがそう簡単なはずがない。
【本来在るべき監督者ならば、そもそもこうして世界の中に入ることもしませんよ。そういう意味では、工藤様はあらゆる世界で初めての『世界』に降り立った監督者です】
「それ褒められてるんですかね」
まぁ本当ならば『世界監督』と世界は一心同体みたいなもので、こうして見て回らずとも自分の事は自分が一番よく知っている。といった具合に分かるのだろう。
それができない僕は、こうして地道に自分の目で見るしかないのだが。
勿論、今となっては僕の中にこの世界のざわめきというか声のようなものが聞こえなくもないが、今はまだそれは遠く、儚い。
【工藤様の記念すべき第一歩はさておくとして、『創造』は簡単に言うならば創り出したいものを頭の中に思い浮かべて行います。が、慣れるまでは声に出し、指でさすなど補助動作を加えてなるべく具体的に行うとよろしいかもしれません】
なるほど。
確かにそれは今の僕には難しい。
本で読んだ内容を頭の中に作るならまだしも、何もないところに何かをあると想像するのは少し難易度が高い。
【試しに、何か創り出してみてはどうです?】
僕は山の頂を指差す。
「天まで届く巨大な木」
瞬間、地面が割れる。
なんの比喩でもなく、山が真っ二つに裂けた。
「うわっ!」
僕は崩れる斜面と一緒にゴロゴロと勢いよく転がる。
痛みはないが、視界が安定しない速度で目が回り続けて気持ちが悪い。
【工藤様!その体では怪我はしません、どうか心をあまり乱さないように。貴方の精神的な乱れは、この世界に予期せぬ変調を招きます!】
ふむ。ならば先ほど遠くで聞こえたような気がした雷鳴は、ひょっとすると僕が狂喜乱舞したのが原因だろうか?
しかし、ファザエルさんは気にしているようだが、僕はこれくらいは平気の平助だ。
なにせ痛くもなんともない。
多少視覚的な気分の悪さでオエッとなっているだけで……
それにしても、この体だから良かったものの、生身の人間だったら余裕で御陀仏だ。
(危ない危ない)
【工藤様自身には危険など何もございませんが、二次災害でどれ程の被害がこの世界に出るか分かりません。ある程度は自重していただかねば。今回は滅ぶにしても遅いか早いかの違いだけですからまだいいですが】
ようやく止まった身体に、ファザエルさんのきつめの声が響く。
初めてファザエルさんが叱責するような口調を聞いたが、結構怖い。
「すみません」
【好きにしていただいて構いませんが、物を生み出す度に災害が起こってしまっては魂のバランスが保てませんよ】
なんとか起き上がり、本当に怪我がないのを確認する。
【しかし、やはり工藤様を選んで正解でした。ご覧ください】
振り返ると、改めて見るまでもない。
それ程に巨大な木が、そこにはあった。
それはもはや木と呼ぶのすら馬鹿馬鹿しい程に巨大で、山がその根に飲まれ、幹は山の頂から天へ屹立し、その果ては最早目では見えない。
「これを……僕が?」
僕はたった一言呟いただけだ。その結果が、これ。
悠々とそびえていた山を踏みしだき世界を見下ろす木が、一瞬で地を割り這い出てきた。
【それが『世界監督』の力です。世界の魂を使い、万物を創造する。今のでこの世界の魂は丁度空になりましたね】
「え?それって大丈夫なんですか?」
【あぁ、すみません。誤解を与えるような言い方でしたね。言い換えるならこの世界の内側にあった魂が、表側に出てきた、という事です】
「魂が外に?」
【魂という言い方がまずかったのでしょうか?……言い換えるなら、世界のエネルギーです。それは生物や建物、自然の中に、ほんの僅かにですが存在します。そして、それが壊れる時、そのエネルギーは世界の内側へと流れ込むのです】
つまりこういう事か。
世界の内側に存在するエネルギーを消費してモノは生まれ、モノが壊れる事で世界の内側にエネルギーが流れ込む。それを循環させる事が監督者の仕事……
「だとすると、やっぱりそのエネルギーが空になるのは危険なんじゃないですか?」
【あまり長期間放置すると危険ですが、空になったとはいえ、今この瞬間にも世界では何かが死に、何かが壊れています。微々たるものですが、そのエネルギーが残っているので世界は死にませんよ。危険なのはあくまで、その流れが停滞した時です】
「それなら大丈夫ですね。もう直ぐこの世界も――――」
僕は最後まで言い切る前に、息を飲んだ。
僕はそこにいるようでいない。ゆえに、およそ人が立ってなどいられないような風圧を捲き起こすそれの存在に気がつかなかった。
それは動く災厄。
それは目に見える神話。
それは生きた伝説。
黄金色の鱗が剥がれては再生を繰り返し、背にした太陽の光を舞い散る鱗が乱反射させる。
丘のような筋肉が波打つたびに、巨大な一対の翼が大地を抉るような風圧を放ち、人の頭ほどある真紅の瞳は深い叡智を湛えながらも、揺らめく炎のように怒りを宿す。
僅かに開いた口からは怒気を孕んだ唸り声とともに、真っ赤な炎がちらついていた。
圧倒的な存在感は直視する事を躊躇わせるほどのもの。
それは誰もがおとぎ話や本の中で知っている存在。
悪の象徴、神の使い、或いは神そのもの。
座する役は違えど、それはどんな物語においても絶対の強者。
そう。ドラゴンだ。
「ガルヴァーン……シュヴィラ」
ドラゴンは僕の創った巨木を見上げながら腹に響く低い地鳴りのような声を発する。
視界の端で雪崩が起こるのが見えた。
【落ち着いて、彼にあなたは見えていません。見えていても、あなたに手出しはできません】
ファザエルさんの声が耳に入らない。
頭に直接響いているのだから、耳に入らなくて当然だが。それは言葉の綾だ。
ともかく、僕は今、あまりの感動に他の何事も感じられなかった。
「本物のドラゴンをこの目で見れた……」
この世界に来て、景色に心が躍った。自分の一言で起きた天変地異に驚愕した。
しかし、そのどちらもが今この瞬間に比べれば些細なものだ。
あまりの事に感情が振り切れ、僕はいつも以上に冷静になっている。
美しい。
それ以外にこのドラゴンを形容する言葉が見つからない。
ついさっき神になった僕なんかよりも、よっぽど神々しく、力強い。
「グァム、ナドゥイ……ガルヴァーン、ディヴィ」
ドラゴンは憎々しげに吠えると、翼に一層力を込めて空高く舞い上がる。
その巨体が見えなくなるのに数分とかからなかった。
【もうすぐ始まりますよ】
ドラゴンの消えた空を見上げ呆然としていた僕に、ファザエルさんが話しかける。
「僕は見たんだ。本当に、本物を」
次第に辺りが明るくなる。どうやらあの太陽は昇ってくる途中のようだ。
「この世界は本当に、僕の望むものを見せてくれる。必ず」
まだ薄青い空の彼方で、何かがキラリと瞬いた。
「僕はこの世界を観る。見続ける」
それは猛スピードで膨張しながらこちらに向かってくる。
それが一つの巨大な彗星である事は、容易に想像できた。
大気圏を突入し、真っ赤に燃えながらこの大地を目指して迫る彗星を、僕は笑顔で迎え入れる。
「ここからは僕が語る。僕のための物語だ」
その時世界は盛大に、しかしあっさりと、その舞台に幕を引いた。
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