第32話    「で、でもやっぱり怖いよぉぉぉっっ!!」

 まずは、この状況を変えなくちゃ。


 バジリスクは大蛇みたいだから、たぶん捕食方法としては蛇と変わらないんだと思う。

 ええっと、蛇の捕食シーンは前にテレビで見たような……。すっごくグロテスクで、途中で番組を切り替えちゃったけど、たしか、締め付けて獲物が力を失ってからだったはず。


「……」


 このままだと、間違いなくエミリア様が食べられちゃうってことだよね。

 ううん、そうじゃなくてもあんなに締め付けが続いたら、呼吸ができなくなって死ぬほうが先かもしれない。


 だとしたら、今私が起こさなきゃいけない行動は――。


「……っ」


 手元に落ちていた小石を一つ拾う。

 手のひらが汗ばんで、石を落としちゃいそうになって。慌てて持ち直して、ギュッと握りこむ。


 緊張でのどが渇いて仕方ないけど、唾を飲み込んで誤魔化した。


 これからすることって、エミリア様がもし意識を戻したら絶対に怒られちゃいそう。

 『愚かにも程があるんじゃなくって!?』なんて息巻いて言われるのが想像つくよ。


 もしかしたら、彼女が身体を張ってしてくれたことを無に帰すかもしれないけど。


 でも、私は少しでも可能性があるんだったら、けてみたい。


 深呼吸を一回。

 息をゆっくりと吸って、吐いて。


 痛いほどに恐怖と緊張で訴えてくる、間隔が短い心拍音を抑え込んで。


「大丈夫……」


 自分を言い聞かせてるだけだってわかってるけど、それくらいいいよね。


 覚悟を決めて手にある石を構えた。

 どこを狙えばいいのか、正確にはわからない。だって、顔を向けちゃったら石化しちゃうから。


 大体、この辺かな?


「っえい!」


 情けない掛け声を上げて、石を放り投げる。石がバジリスクの身体にあたる音がした。

 本当のねらいは、顔の部分。


 でも多少外してても、怪物の関心をこっちに引ければ問題ない。


「……? シュー…………」


 怪訝そうな感じのする鳴き声が聞こえた。


 まだ、足りない?

 もう一回したほうがいいかも。


 ダメ押しのつもりで、同じ方向に向かって石を投げる。


 うろこにはね返った石が地面にぶつかって、鈍い音がした。


「ッシュウ!?」

「あ」


 やっちゃった。

 結構力を入れて投げちゃった。


 そして、それは見事バジリスクにあたったみたい。

 ううん、むしろ……。


「シュウ~~~ッッ!!」

「あ……え、ええと…………」


 滅茶苦茶怒ってる鳴き声が聞こえるよ!?

 こ、これって、もしかして……。


「シャァ、シャァァァアアアアアアアァァァァッッッ!!」

「ひゃ、ひゃぁああああ!!?」


 力強い威嚇の声が発せられて、私は慌てて背を向けて逃亡した。

 そして私を、周囲の木々をぎ払うくらいの物凄い勢いで追いかけて来ようとしてる!?


 関心を引くどころか、完全に敵として認識されちゃったよね、これって!?


 失敗どころか、大失敗だよ!


 で、でもこれで絶対エミリア様には見向きもしなくなったよねっ? そう考えたら、結果オーライなのかも。


「シャァァアアア!!」

「っ! で、でもやっぱり怖いよぉぉぉっっ!!」


 思わず泣き言が入った叫び声を上げちゃうのは、しょうがないよね!?


 と、とりあえず、バジリスクから走って逃げ切るか、王都まで行って助けてもらわないと……!


「っ!」


 でも、ちょっと待って。

 街まで逃げて、こんなのに対応するのは誰になるの?


 ……たぶん、それってきっと。


「ダメ……!」


 人々の身の安全を守るのが騎士団の人達だってことくらい、この世界に来て少しの時間しか経ってない私も知ってる。

 だから、きっとこんな怪物を退治することも、騎士達の役割なはず。


 私やエミリア様をさらって来た人達は、あっという間に殺された。


 騎士の人達がいくらそういった荒事の専門で剣の腕が立つからって、無事とは済まないはず。

 ううん、むしろ死んでしまう人だって出てしまうかも。


 まだ、騎士舎で働き始めて日が浅いけど。不慣れだった私に優しくしてくれた騎士の人達。

 第三部隊の人達に、スクワイアさんに隊長さん。


 それだけじゃなくて。なにより……ルイスさんに被害が及ぶかもしれない。


「そんなの、嫌……」



 ――絶対に、ルイスさんを失いたくない。



 一番良いのは、たぶん街まで走り抜けることだって思う。

 だけど、そうしたら皆を、ルイスさんを傷つけたり失うかもしれない。


 ……だとしたら。


くしかない、よね」


 残された方法は、一つ。



 ◇◇◇



 簡単に撒けると考えてた、私がバカでした。


「~~っ」


 荒い息を吐き出して、ひりつくのどを抑えるために唾をのむ。

 足がガクガク震えそうになるけど、止まってなんかいられない。


 何分走ったのかわからない。

 だけど、先輩みたいに運動部に所属してない私には長時間走るのはさすがに限度があるよ。


 マラソンみたいな持久力鍛えるもの、何かやっておけばよかった!


 今、私がどこを走っているのかさえ把握できてない。


 間の距離を稼ぐために木々が多いほうにって思って向かってたから、数えられないくらい右とか左に何回も曲がった。


 バジリスクも諦めてくれればよかったのに、よっぽどあの石にムカついたのか全然そんな気配なんてない。

 むしろ。


「シャァアアッッ!!」


 なかなか捕まらない私に対してイライラが溜まっているみたいで、躍起になってる。

 『なんとしてでも追いついてやる』っていう意気込みが伝わってくる鳴き声が後ろから聞こえてくる。


 熱意を燃やさないで、住処に帰宅してほしいのに。

 面倒になって放置とかにはならないのかな。


「……っぅ」


 走りすぎて下腹部が痛くなってきたよ。

 足だって重くなってきたし、正直息をするのもつらい。


 だけど、距離は全然引き離せてない。


 たぶん、このままだと……。


「!?」


 目の前に何か大きな物が降ってきた。

 なんで、折られた木!?


 進路を突然ふさがれて、とっさの対応なんて回らない頭でできるはずもない。


「っ!?」


 方向転換しきれなくて、足がもつれて転んだ。

 地面に勢いよく身体を打ち付けて、痛みが襲ってくる。


 その拍子ひょうしに何かが地面に落ちて、カランと乾いた音を立てた。

 でも、それが何かを確かめてる時間も余裕だってない。

 

「…………っ」


 痛い。

 膝だって、腕だってすり傷だらけになってるし、痺れたみたいに鈍痛が地面にぶつけた部分から広がってくる。


 だけど、逃げなくちゃ。

 でないと……。


「……シュー」


 満足そうな、蛇の鳴き声がすぐそばで聞こえた。焦れたバジリスクが、あの大木を投げつけてきたの?


「シャァアアアアッッ!!」

「っぅ!」


 追いかけるのはもう終いだって言わんばかりの、バジリスクの咆哮ほうこう。 

 鼓膜が震えて、痛い。


 振り返ることすらできない。

 バジリスクが私を獲物として目に映してる光景は、わかっているから。

 

 もしも背後を確認しちゃったら、その時点で石になっておしまい。

 きっとそんな風になってしまうことも、予想できる。


 だからって、体勢を立て直してもう一度走ることすらできそうにない。

 長い間走り抜けてたせいで、足がもう、言うことを聞きそうにないから。


「…………ぁ」


 でも、このまま諦めるの?

 それってつまり、もう二度と会えなくなるってことになるよね。


「…………ルイ、……ス、さん…………」


 かすれた声が、私ののどからこぼれた。

 無理矢理絞り出したせいで、その息自体にむせちゃって、呼吸がしんどくなる。


「ッ…………ぅ」


 ああもう、なにやってるのかな。


 この世界にいる間は、ルイスさんの傍にいるって約束したのに。

 …………破りたくなんてないよ。


 たとえ彼自身に拒絶されたって、嫌われることに怖がらないで近づいておけばよかった。

 そうすれば、もっと一緒にいれたのに。



 ――会いたい。会いたいよ、ルイスさん。



 ギュッと手のひらを握りこめば、その身動きにともなって地面がジャリッと音を立てた。


 後ろから、ゆっくりと蛇がって身を近づけようとしてる。

 地面とその鱗の擦れる音がなくなった瞬間が、私の死ぬときなのかもしれない。


 ふいに、私のこぶしに何かがあたった。


「っ?」


 もしかして、さっき私が倒れるときに地面に落ちた物かな?

 一体何だったの? 

 

「…………」

 

 視線を指先へと移動させてみると、そこにあったのは以前ルイスさんに買ってもらった物。

 花祭りで結局断り切れなくて、受け取ったままにしてた。


 なんとなく手放せなくて、毎日持ち歩くのが習慣になってた。

 だから今日も私のスカートのポケットに入っていたのが、さっきの転んだ衝撃で飛び出ちゃったんだ。 


 手を伸ばしてみると、木製の持ち手の部分がしっかりと手に馴染なじんだ。


「……っ」


 手首を返すと、表面のが青白い月の光を反射して優しく輝いた。


 かがみ……?


「!」


 そっか、鏡があれば……!

 腕を使って身体を急いで起こしあげた。


「っぅ……!」


 全身を巡る鈍痛に顔がしかめっ面になるけど、そんなのに構ってる場合なんかじゃない。


 イチかバチか。確率なんて限りなくゼロに近いけど。

 試さないで死ぬより、最後まで逆らってからでも遅くなんてないはず。


 手にした鏡に力を込める。

 震える指先のせいで、落としたりなんかしないように。


「ッシュシュー…………?」


 私の動きに不信感を持ったバジリスクが、近づくのをやめてその場で停止した。

 警戒心を表に出してこっちをうかがってくるバジリスクに向かって、私は覚悟を決めて振り返った。


 ――胸の正面で手鏡を構えた状態で。




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