第16話    「忘れられない日にしてやる」

「ハーヴェイさんでお願い、します」

「っし!」

「おや、フラれてしまったね」


 私の返事に、ハーヴェイさんは勢いよくガッツポーズを決め、アルは眉を下げて残念そうに呟いた。


「こんな粗暴で繊細という言葉とは疎遠な男が優先されるなんて、リオンは疲れてるのかな?」

「おいこら。何自然に笑いながら罵倒してやがる」

「……」


 アル……良い笑顔で物凄い暴言を吐いてるよ。ハーヴェイさんが青筋を立てるのも当然のことだって。


「事実だからね。気の迷いとしてもう一度問い詰めたいところだけれど」

「おい」

「やめておくよ。食い下がったとしても、リオンは意見をくつがえさないだろうから」

「……ごめんなさい」


 先に誘ってくれたのはアルの方だったけど。もし、行くんだとしたら、ハーヴェイさんのほうがいいって思ったから。


 女性に人気のハーヴェイさんのことだから、きっと、今の誘いだって言葉の綾だろうけどね。たぶん、アルに誘われて困ってる私に、助け船代わりに名乗り出たのかも。


「今日はおとなしく引き下がるよ。けれどまた機会があれば、私と外出しようね?」

「……はい」

「そんな機会なんてないっつの!」

「うるさいよ、ルイス?」


 ムッとして言い返すハーヴェイさんに、笑顔で一刀両断するアル。

 さすが、学生時代からの付き合いだよね。気兼ねしてなくって仲がいいってこういう時に感じるよ。


「またね、リオン」

「!?」

「な!?」


 おでこで『チュッ』っていう可愛い音が鳴った。でも、行為自体は全然可愛さなんて微塵もない。

 不意打ちで額に口づけられるなんて、普通思わないよね?


「アルフォード!! 何してやがる!?」

「ふふ、親愛の証さ。ではね」

「っちょ!? おい、待ちやがれ!」


 吠えるように憤るハーヴェイさんを歯牙にもかけないで、飄々ひょうひょうとした態度でアルは去っていった。


 マイペースすぎるよ、アル……。

 うーん、でもアルだから仕方ないのかな?


「マジで気に喰わねぇ」


 低く唸るように呟き、歯ぎしりをしたハーヴェイさんに違和感がある。

 私がされたことなのに、どうしてそんなに彼が不服そうなのかな?


「私はそんなに気にしてないですから。ハーヴェイさんも、気にしないでください」

「……あんたにとっては、さっきのが普通のことなのか?」

「そっそんなことはないですけど……でも、アルってああいうことよくしたがってたから」

「ハァ!?」


 前も『アーン』されそうになったよね。ただ、そのときは断ったからされてないけど。

 実際に行動を起こされたのは、さっきのと手の甲にキスかな?


 今日だけで結構触ってきたけど……どうかしたのかな、アル。


「なんでそんな平然と当たり前みたいにしてんだよ…………ああ、そうだ」

「? ハーヴェイさん?」


 どうして、顔が近くなってきてるの?

 空色の瞳が降りてきて、私の視界を紺碧色の髪がカーテンみたいに覆う。


 彼の瞳に映りこむ私は、ポカンと間抜けそうな顔をしてた。


「ん……」

「!?」


 そして、額にやわらかい感触。

 さっきのアルのとは違って、もっと温かくて彼の熱がそこから伝わってきそう。 


「ハ、ハーヴェイ、さん?」

「消毒」

「しょ、消毒って……!」


 どうして、アルが口づけた場所に同じようにキスしたの!?


「あんたにキスなんて、あいつ、おぼえてろ……」


 恨み言みたいなことをボソボソ呟きながら、どうしてもう一回おでこにキスしてるの!?


 それでも飽き足らずにまた優しく落ちてくる唇を、手のひらで阻止しようとする。

 でも、今度はその手のひらにキスをしてきた。


「っ! も、もうやめて、ください……」

「あんたにあいつの匂いがつきそうで嫌なんだよ」

「デコチューでそんなの、つくはずない、です……っ!」

「んなの、わからないだろ」


 わからないって……どう考えてもつかないと思います。


 否定の言葉の途中で新たに手にキスをされて、思わず身をビクッと揺らしてしまった。

 こんなの、何回されたって慣れるはずないよ。


 ハーヴェイさんは、なんでこんなことしてくるの?

 まさか、嫉妬?


 …………ううん、そんなはずないよ。だってさっき、『妹みたいなもの』だってアルに言ってた。

 だったらこの行動の理由は、何?


「……っ!」


 鼓動がドンドン早くなって、心臓が裂けちゃいそうなほど痛い。


 私が平然そうな顔をしてることに疑問を持ってたけど、そう言うハーヴェイさんこそ顔色一つ変えないでこんなことができるなんて、おかしいよ。

 羞恥心をなくしちゃってるの?


 私は、頭が真っ白になって、言葉をまともに発することすらできそうにないのに。

 のどなんかまるで夏に外に出たときみたいに、カラカラに乾いてる。


「も……放して、ください…………」

「……わかった」


 自分の声なのかなって疑いそうなほど、か細くなった声が口から出た。


 ハーヴェイさんは、渋々といった様子で離れてくれた。

 最後に一つ指先にキスを落とすのは、余計だと思います。


 そのせいで一層高まっている鼓動を落ち着かせるために深呼吸。

 スー……ハー…………。


 ……うん、全然収まらない!


 でも、照れ顔一つしないで、不満そうな顔をまだしてるハーヴェイさんを見てるとイラッとする。

 だから、私はなるべく平気そうなフリをしてみせた。


「さっきの、花祭りに一緒に行くって話ですけど……冗談、ですよね?」

「は? もちろん本気に決まってるだろ」

「……え?」


 場の流れで言い出しただけだと思ったのに。本気、なの?

 様子をうかがおうとして、ハーヴェイさんの顔を見上げると、彼はすごく不機嫌そうに顔をしかめていた。


「なにあんた。まさかその場限りのことだととらえてたわけ?」

「…………その、実は」

「……ハァ」


 深く溜息を吐かれちゃった。なんていうか、その……ごめんなさい。

 チャラいから、本気にしちゃいけないかなって思ってたんです。


「どうせ他の人も誘ってる常套句じょうとうくなのかなって考えてました」

「ッグ! あ、あんたって、たまに猛毒を自覚有る無し問わずで吐くよな。アルフォードの影響とかじゃないだろうな……」

「え?」


 猛毒って、なんですか?

 もっと詳しく聞こうとしたのに、ハーヴェイさんってば左右に首を振って「なんでもない」なんて返すんだから。だったら、どうして疲れた表情でいるのかな?


「改めて言うぞ」

「……はい」


 眉間にできたしわをもみほぐした後に、ハーヴェイさんは息を吸い込んだ。


「俺と祭りに一緒に行こう。……念のために言っておくけど、他の奴らは誘ってないからな」

「……」


 本当なのかな?


「疑ってんじゃねぇっつの」

「!?」


 え!? 私、口に出してた!?

 ビックリして固まってると、ハーヴェイさんは苦笑いをして教えてくれた。


「顔、正直すぎるぞ」

「……」

「それで、あんたの返事は?」


 ここまで来て、無下に断るのはないよね。

 それに……正直、ハーヴェイさんと行ってみるっていうのも、悪くないかもって気がする。


 ただでさえ休日に訓練場に来たりして、元の世界に戻るための調べ物が進んでないのに。

 本当は、その日だって情報を収集しておいて少しでも手がかりをつかまなきゃいけないはず。


 そう、わかってるはずなのに。

 どうしても私は、ハーヴェイさんの誘いの手を振りきることができなくて。


 …………このままじゃ、いけない。

 だけど、『このままでいたい』っていう自分も、たしかに私の中で存在し始めてた。



 でも、それは――


 

「クガ?」

「あ……」


 無言のままでいたら、ハーヴェイさんが心配そうにこっちを眺めてた。

 ……とりあえず、今は。返事を待つハーヴェイさんに、答えなきゃ。


 胸の奥につっかえている感情を、一時的になだめて。私はコクリと一度だけ頷いてみせた。


「…………はい。よろしくお願いします」

「……おう! こちらこそ、よろしくな」


 キスの時は照れてる様子なかったのに、どうして今になってはにかんでいるの?

 かと思えば、照れ隠しのためにワザとらしい咳ばらいを一つしてみせた。


 不敵な笑みを浮かべてるけど、どこか取り繕った感じがあって。そのぎこちなさに安心する。


 女慣れしてるはずのハーヴェイさんでも慌てるんだなってことが認識できるから。私だけが動揺してるわけじゃない、っていうのがホッとする。


「せっかく俺を選んでくれたんだ。忘れられない日にしてやる」


 いいえ、そんな気合を入れなくて結構です。

 ふくみ笑いをしてみせるハーヴェイさんに、背筋がゾクッとするよ。


 彼の瞳に、逃げられる気がしない。

 だから私は、せめてもの思いで、戸惑いながら首を傾げた。


「……お手柔てやわらかに、お願いします」

「さーてな、それは聞けない」


 楽しそうに笑みをこぼすハーヴェイさんに、困りはするけど。悪い気分じゃない。


 ……不安はあるけど。それは見せないように巧妙に隠しておかなきゃ。

 そして、それは私だけがわかっていればいい。



 ――忘れちゃいけない。私は、元の世界に帰らなくちゃいけないんだから。


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