第36話    「……どうするつもりなのですか?」

「……」


 昨日、セオドールさんの件があってから。夜が明けて、朝が来ても私は何も考えられなくなってた。

 使用人として働く日だから、しっかり仕事に取り組まなきゃいけない。でも、どうしても身が入らなくて。


 誰かと顔を合わせるときは、何事もないように過ごせてるようにみせたけど。でも、一人になると、どうしても考えちゃう。


 庭の掃き掃除をしていても、浮かぶのは別れ際のセオドールさんの顔。


 あの時、何をしておけば。彼を悲しませずに済んだの?

 それとも、しっかり何か伝えれば、事態は変わったのかな。


「わからないよ……」


 ぼやいてしまうけど、その後に出ちゃうのは決まってため息。

 周りに誰もいないからいいけど、こんな姿を見られたら。マクファーソンの人達は良い人すぎるから、きっと怒るよりも心配させちゃう。


 ただでさえ今日の掃除の速度、いつもより遅いのに。このままじゃ、時間通りに次の仕事内容に移れないのに。


 自分でもわかってる。でも、憂鬱ゆううつすぎてボンヤリしちゃって、動けない。


「それに……」


 それに、私は選ばなきゃいけない。

 明日で、この屋敷に滞在を決めて14日目になる。区切りの日になるんだから。


 ――方法は、三つ。


 一つは、ここで使用人を続ける。

 二つは、ジョシュアさんに仕事先を紹介してもらって、ここじゃないところに勤める。

 三つ目は、ハーヴェイさんの紹介で、騎士舎に家政婦として雇われる。


 このうちのどれかから、私は、選ばなきゃいけない。


 私の目標は、『元の世界に帰る』。これだけは変わらないけど、それを探す手段はアルのおかげで、本という情報で手に入れてる。

 でも、それが書いてある本がすぐに見つかるとは思えない。だって、あの蔵書数だったからね。……一体全部で何冊王宮図書にあるのかな。

 それに、全部読み終わったとして。本に『異世界に帰る』ためのヒントが載ってるとは限らない。


 とすれば、長期戦になるのは目に見えてる。長い期間勤めるっていう覚悟で、さっきの三つから今後を決めなきゃいけない。


 ……ここで、神様から直々に元の世界に帰れるって言われる可能性は、今捨てておこうかな。これまでの間で一回も、何も神様からアプローチないからね。

 ここまでそうってことは、これからもきっと、その希望は望めないはずだよ。


 私は、どうすればいいのかな。

 何を選んだら一番いいの?


 頭はずっとグルグルして集中できてないけど、ただ、手だけはしっかり動かさなきゃとはわかってて。

 私はため息をつきながら、ほうきを使って落ち葉をかき集めてた。ただし、いてもそのほとんどが空振りだったけど。


「……?」


 そんな不毛すぎる動きをしていたら、石畳とあたって鳴る靴音が後ろから聞こえた。

 ……誰?


 背後を振り返ったら、モノクルをした物静かで冷たい物言いをよくする彼がいた。


 前は一対一なんて怖くてビクビクしちゃった。だけど、セバスチャンとかアルが関わったときの彼を見た時から、その時の恐怖心はだいぶ薄れてる。

 その証拠に、今、私の肩は全然震えてない。


「レイモンドさん」

「……ここに居たのですか」


 振り向けば、レイモンドさんが私をあの深い緑色の瞳に映していた。

 ……「ここに居た」? それって、つまりレイモンドさんが、私を探してたってこと?


 何のために?


 疑問を持ったまま、私は彼の様子をうかがっていた。

 レイモンドさんは、普段の冷静な素振りじゃなくて、何故か、どこか緊張してるみたいで。


「あなたは……どうするつもりなのですか?」

「え……」


 投げかけられた言葉に、私は思わず目を開いてしまった。

 レイモンドさんは何かを我慢するような、苦しそうな表情を浮かべてる。


「何が、ですか?」

「明日で、あなたがマクファーソン家に来て14日目になります」

「っ!?」


 それは、さっきまで私がちょうど考えてたことで。

 息をのみ込んだ私は、どう返事をしていいのかわからなくなる。


 ……でも、どうしてわざわざ、話しかけてまで聞いてくるの?

 最初から私がこの屋敷に反対だったから、やっぱり……。


「……レイモンドさんは、出て行ってほしいですよね」

「……」


 どうして、こんなことを私は聞いてるの?

 返ってくる答えなんて、わかりきっているのに。


 レイモンドさんは、静かに息を吸い込んで、ゆっくりと言葉と一緒に吐き出した。


「……愚問です。当然でしょう? 私にとってあなたはわずらわしい存在でしかないのですから」

「……そう、ですよね」


 予想してた言葉なのに。どうして私は今、ガッカリしてるのかな。

 どこかで、期待してたの? レイモンドさんが、少しでも否定してくれるなんて。


 そんな都合の良いこと、起きるはずがないよ。


 落ち込む私に、レイモンドさんは冷たい微笑を向けてきた。


「後一日くらい耐えます。けれど、すみやかに出て行ってくださいね。まさか、残るなんて恥知らずなことは、言い出したりしないでしょう?」

「! ……失礼、します」


 これ以上聞きたくない。

 心臓を容赦ようしゃなく切り裂いていく彼の言葉は、耳が痛くなる。


 だから私は、情けないけど背を向けてこの場から逃げ出すことを選んだ。


 軽く頭を下げて、レイモンドさんから離れた。


 彼は、当たり前の意見を言っただけ。だから、「そんなことを言わないで」なんて責めるのは間違ってるよね。

 だから、気持ちが苦しくなって顔色を変えちゃった私の表情なんて、見せるわけにはいかないよ。

 ……声の震えだけは、どうしても誤魔化せなかったけど。


「……ハァ」

「……」


 少し距離がある背後から、レイモンドさんのため息が聞こえた。

 ……あきれさせちゃったのかな。


 昨日もそうだったけど。


 レイモンドさんとも少しは仲良くなれたって思ってたのは、きっと、私の勘違いで。

 たぶん、そういう私の願望が先走っちゃっただけで。


 ――事実はきっと。


「私は……」


 やっぱり、とにかく私が元の世界に早く戻ることが、誰にも迷惑をかけないことなんだよ。

 

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