強かなシンデレラ。

牟田かなで

第0話 「プロローグ」

しんしんと降る、ふかいふかい雪の白に恐れを抱いた。どこまでも続くこの冷たい雪の中にあって、晴れた空の青こそ偽りなのではないかと思ったのだ。

見上げれば墨を刷いたような仄暗いねずみ色。


そのモノクロの世界にただ一色、赤い色が鮮明に浮かび上がった。


「母上様!!」


飛び散った赤はどこか、焼けるように熱く鮮明に記憶の中にこびり付いた。

手繰り寄せた母の体は温かく、とくとくと溢れ出す赤は止まることがない。

母の黒い髪と、雪の白と、血の赤が痛々しさをより引き立てる。


涙に濡れ定まらぬ視界に苛立ちを覚え、骨ばった手で乱暴に目元を拭った。

憎い仇の姿を鮮明に、赤と同じに記憶の中にはっきりと刻み込むため、目をしかと開く。


自らの手を赤く染めたその男は剣を鞘に納めず雪の中に放りだして、手袋を脱ぐと同じように地面に捨てた。

以前見た涼やかな目元にはクマができ、血走っている。


棒立ちになったままの少年が、男の後ろからこちらを静かに見下ろしていた。寒さからか、この恐ろしい惨状を見てしまったからか、少年の握った拳が震えていた。


「父上様、この仕打ちはあまりにも…」

「よい、捨て置け」


男は吐き捨てるように少年に向かって言うと、踵を返して馬車に戻っていく。


「まて、リフィチャード王」

こんなにも憎しみに満ちた声が自分から出るとは思わなかった。

立ち上がってすぐ、かじかみ赤くなった手は無意識に、雪の中に放り出された剣に伸びた。


男は一瞬振り返ったが、そのまま馬車に乗り込む。

それでも剣を握りしめた私の足は動かなかった。


「まて…」

そう言った声は虚しく黒白の世界に溶けていく。


鞭の音と馬の鳴き声。

進み始めた馬車の音は徐々に遠ざかっていった。


行き場をなくした私の怒りは、悲しみは、手の中の剣に向けられた。

何もできなかった自分への怒りが、その場に倒れそうになる体を突き動かす。


とっさに柄を逆さに持ち替え、刃先を自分に向けた。今度はためらわずにやり遂げられる気がした。


「やめておけ」


その厳しい声にはっとして、私は顔をあげる。

その場に残っていた少年は、雪に濡れて顔にかかった美しい黒髪を鬱陶しげに払いのけた。


その顔に浮かんでいたのは恐怖ではなかった。どこか私と似た、怒りと悲しみの色を浮かべていたのだ。


「ここでお前が死んでどうなる。それこそあの男の思うつぼだぞ」


少年は父上様と呼んだはずの仇のことを“あの男”と忌まわしげに呼ばわった。

周囲の従者たちもそのことを咎めようとしない。


「お前は生きねばならぬ」

「生きてどうしろというの?敵討ち?」

私は少年を睨みあげ、逆さに持ったままの剣を胸の高さまで掲げた。しかし少年は動じず、ふむ、と考え込むように腕を組んだ。


「そうではない。よいか、あの男に尊い人を殺された民はいくらでもおる。お前一人の仇ではないのだ。お前一人が仇を討ったのではズルかろう。まあ、お前にあの男が殺せるとは到底思えぬが」


その少年返答は思いがけぬものだった。

今思えば、王の息子である彼を少年と言うには無礼であったろう。王子様とお呼びすべきなのだろうが、しかし、雪の中の彼はどこか他人であるような気がしなかった。


「生きて機を待て。本当にあの男が憎いなら、あの男のせいで死んでやる必要はない」


私の記憶の中の出来事はそれが全てだ。その後どうなったのか、限界が来て冷たい雪の中に倒れたような気もするが、定かではない。ただ、気がつけば暖かい病院のベッドに寝かされていた。

傍らには泣き腫らした父が、ベッドの上ですうすうと寝息を立てていた。

私はそこで、声を殺して泣いた。


あれから7年の時が経ち、私の周りはずいぶんと変化していた。

変わらないのは、窓の外のどこまでも色褪せた雪景色。


「シンデレラ」


呼ばれて、私は窓から顔をそらした。

だ。


「はい」


私はすすけて汚い顔に笑顔を浮かべた。



✳︎



二階の手すりから身を乗り出して、絢爛けんらんな会場をぐるりと見渡した。王族主催のこの舞踏会は、女嫌いの王子のために開かれたもので、その顔ぶれもそうそうたるものだ。

滅多に姿を拝見できない子煩悩こぼんのうなニール伯爵のご令嬢や、名のある名家の縁談をことごとく断りまくっているウェズレー侯爵の秀麗なご令嬢。


しかし彼女達の熱のこもった視線はどれも同じに、かの女嫌いな、けれども優秀で見目のたいそう麗しい王子様の方に向けられていた。


「あーらら、あんなにギラギラしちゃって、ちょっと怖いんですけど」

二階から高みの見物を決め込んでいた。そうでもしなきゃ、あのぎらぎらとした女達に補食されるに違いない。そう思った。

それは自惚れではなく、僕の立場が垂涎の的であることを心得ているからこその懸念だ。

「そりゃ、女嫌いにもなるよねー。かわいそ」

必死の形相で王子様に取り入ろうとする彼女たちをあざ笑った声が掠れて、遅れて喉の渇きを覚えた。

手に持っていたグラスの中身に一口、くちをつける。いつの間にかぬるくなっていた手の中のワインに顔をしかめた。この美味しかったワインがまずくなってしまうのには、それなりの時間が経っていたはずだ。どうやら僕は、緊張しているらしかった。


「あーあ、僕らしくもない」

薄く笑みを浮かべて、また狩人と子羊の群れに視線を落とす。ふと、その中でも毛並みの違った狩人——いや、ご令嬢が目に入った。その容姿は一際美しく、それだけでも目を引くのだが、気になるのはその落ち着きのなさだ。

何かを探し求めて人をかき分け、あの超絶イケメン王子までも素通りして会場をめぐる。その様は他の女達とは段違いの鬼気迫るものを感じさせた。まさか男を落とすのに命までかけるわけではあるまい。


いや——彼女は。見たことが、ある。


その女はなにかを見つけて、はっと、目を見張った。


「社交界に僕の知らない人間はいないと思っていたんだけど……あの子、なんで王様なんかに見入っちゃってんの?ねえ」


背筋にひやりと、嫌な寒気が走った。

王様を見る彼女の目を、前に一度見たことがある。

多分あれは、僕の人生を変えた冬の、あの——。

あの日だ。母親が目の前で殺された七年前の冬の日。

彼女はそこにへたり込んで、その憎しみに満ちた目で墨を掃いたような天を睨み上げていた。


『生きてどうしろというの?敵討ち?』




手の中からワイングラスが滑り落ちる。

真っ赤な絨毯じゅうたんの上でくだけたグラスの鈍い音も、僕の耳には届いていなかった。

たぶんそれは、僕が振り返る間もなく駆け出していたからだ。


王様あいつを殺すのは僕だ」


でなければ、長年の僕の苦労は水の泡と化してしまう。

多分あれは七年前のあの幼い少女と同じ——。


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